円(11)将来は、団地の理事長にでもなるつもりだろうか。

「円ちゃんに奏ちゃんじゃあないか。今日も探偵ごっこかい? 精が出るなあ」

「あっ、五月蝿さばへなすさん。今日もフィールドワークですか?」

「うん、そんなとこ。探偵さんたちも、毎日お忙しいみたいで」


 五月蝿なぎささんは、第十三団地に住む大学院生のひとりだ。二十五歳くらいで、専門は社会心理学。何をしているのかは詳しくは知らないけれど、フィールドワークと称して団地中を調査しているという。


「婆ちゃんが愚痴ってたよ、うちらの団地で君らが何かを嗅ぎ回っているとか何とかで」


 彼は、ふんわりと立ち上げた髪の毛に触れた。ざっくりとした風合いのグレーのオーバーコートに、細身の黒デニム。ニューバランスのスニーカーを愛用している洒落たお兄さんだ。

 わたしの見立てでは、昨日テレビで観たイケメン店長より何段階かイケている。


「……それ、牽制です?」

「牽制てか、助言? アドバイスだよ、うちの婆ちゃんは煩いからね」


 婆ちゃんとは、第七団地に住む不如帰ほととぎすお婆ちゃんのこと。つまり五月蝿さんは、彼女のお孫さんってわけ。同居はしていないみたいだけれど、よくお婆ちゃんのところに顔を出しては上手い具合にお小遣いをせびっている。良くも悪くも今どきの若者って印象だ。

 彼はこの団地で生まれ育ったわけではないけれど、お婆ちゃんの薫陶を受けているためか団地そのものにも詳しく、人脈もある上に、若くして弁が立つと有名だった。将来は、団地の理事長にでもなるつもりだろうか。


「アドバイスは、謹んでお受け致します」

「はは、かたいね。奏ちゃんも、元気? あんまり嗅ぎまわっちゃあ、身体に障るよ」


 奏は、五月蝿さんの言葉に二度小さく頷いた。また、かたくなっている。

 実は彼女はコミュニケーションがかなり苦手で、わたしを介してじゃあないとあまり上手に喋ることが出来なかった。たまに上手くいく日もあるようだけれど、やっぱりだめな日がほとんどみたい。奏は少しだけ顔を上げたけれど、すぐに伏し目がちになって、わたしの後ろに隠れん坊をした。五月蝿さんは慣れっこなので、肩を軽くすくめて、


「でさあ、円ちゃん。この間も聞いたけれど……、一体何を調べているの? お父さんのことは残念だけれど、僕が調べてもまったく分からなかったよ」

「何をって、父のことを調べているんですってば。また何か分かったら教えて下さいね」


 わたしが笑顔のバリケードを作ると、五月蝿さんは小さく息を吐いた。

 父の失踪については、彼にも話を通している。というのも、直接の指導はしていないはずだけれど、父の勤めていた職場は彼の通っている大学だったからだ。

 けれどやっぱり、彼も父のことはまったく知らないらしい。心当たりのありそうなひとに当たってもらったけれど、結果は芳しくなかったそうだ。まったくもって惑っちゃう話だ。


「……うん、そうだね。もちろん構わないよ」


 五月蝿さんは、あまり納得していない様子で顎に手を当てた。

 彼はいいひとだと思うし、地域情報も多く抱えている。けれど、父のことを調べている過程で出て来た複数のひとの失踪に関してまでは、打ち明けることが出来ず終いだった。

 それは、どうしても荒唐無稽で説明がつけにくいということもあるし、何よりもわたしが彼のことをどこかで信頼し切れなかった、というところが大きい。管理組合に多大な影響を及ぼしている五月蝿さんに集団失踪事件のことを打ち明けるのは、やっぱりリスクが大きい気がするんだ。そんなことを言えば、アナアキ家族と一般家族との間にある溝が、ますます大きくなってしまいそうだった。


「何かあれば教えるよ。円ちゃんと奏ちゃんも、いい情報があれば教えてね」


 環のことを聞きたい。何人かの失踪したひとたちのことを聞きたい。けれどわたしは、その気持ちを抑えて一礼をした。


「はい、ありがとうございます」

「それじゃあね」


 彼は一歩踏み出そうとして、


「あ……、そうそう。あと、言伝があったんだった。烏羽玉うばたまのさんが、またお茶でも飲みましょう、だって」

「ああ、泉さんが。はい、あとで寄ってみます」

「よろしく〜」


 五月蝿さんは軽やかにわたしたちの横を通り過ぎて、団地の隙間を抜けてゆく。その飄々とした動きは猫科の動物を連想するもので、何となく可愛らしい印象を残すのだった。


「……相変らず、風のようなひとなのです」


 奏が、彼の通ったあとを見て呟いた。


「悪いひとじゃあないけどさ、何となくつんけんしているっていうか、わたしたちのやっていることを探偵ごっこって言ったり、あんまり好きになれないなあ」


 昼行灯を気取ってはいるけれど、何だか擬態し切れていない感じ。風とは言いえて妙かもしれない。風向きによって、その姿を簡単に変えてしまうんだ。


「私も、あまり得意ではないのです」


 奏は小さく肩をすくめた。


「何かを隠しているような印象が拭えませんし。不如帰さんのお孫さんですから、私たちの知り得ないお話をたくさん持っていそうなのです」

「だよねえ……、ちょっと探りを入れたいところだよね。このまま予定通り環の家に行って、おうちの様子を伺ってみる? それとも、五月蝿さんのあとをちょっとつけてみる方がいいかな?」

「烏羽玉さんにも呼ばれているのですよね。……ええっと、どうしましょう」


 わたしたちは小首を傾げて、しばし考えた。

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