円(09)友情かもしれないし、同属意識なのかもしれなかった。
短い時間ながらも湯船に身体を沈めると、思考も少しはクリアになったみたいだ。わたしは手早く入浴を済ませパジャマに着替えて、リビングで待つ奏の元に行く。
「上がったよー」
「お疲れ様なのです」
奏は真新しいゼリー飲料を口に咥えながらぼんやりとテレビを眺めていた。絹糸みたいに滑らかな髪はまだ湿っているみたいで、パジャマの肩口から下がまだら模様になっている。
「奏、髪の毛ちゃんと乾かさないと風邪引いちゃうよ」
「問題ないのです、ばっちりなのです」
「何がばっちりよ。ソファーの前に座ってくれる? 乾かしたげる」
彼女はさして抵抗をすることもなく、ソファーの前にぺたんと座り込んだ。その後ろにわたしは腰をかけて、お尻近くまである柔らかな髪に触れる。
「ていうか、めっちゃ濡れてるじゃん」
タオルドライをして、軽めにコーミング。それからドライヤーのスイッチを入れた。
「あんた、髪の毛長いからちゃんとケアしないとだめだよ」
「はいです」
奏は聞いているのかいないのか分からないようなぼんやりとした声を出した。本当は、彼女くらいロングの場合はアウトバストリートメントもつけてダメージを減らしてあげないといけない。ただ彼女は肌や髪に何かをつけるのを嫌がるので、ヘアケア用品はつけないことにしていた。おしまいに、弱風を当てながらコームを使ってブロー。
「はい、出来たよ」
「ありがとうなのです」
奏は振り向いて、にっこりと笑った。わたしは彼女の髪の毛をさらさらと撫でる。ついでに、柔らかな頬の感触をもう一度楽しんだ。
「うん、可愛い可愛い。やっぱりケアしてると朝が全然違うからね」
「円は何でも知っているのです」
「へへ、SNS中毒だったからねー」
奏とは幼い頃からの付き合いだけれど、彼女が芸術系の高校に入学したために、一時期は疎遠になっていた。けれどアナアキ団地で再会してからは、何だか小中学校の頃よりも距離が近くなった気がする。
それは友情かもしれないし、同属意識なのかもしれなかった。考えながらも髪の毛を乾かして、歯磨きを済ませる。
普段ならこの時間からは、摘んで来た花をきれいにしてドライフラワーを作る準備をしたり、干していた花弁や葉を揉んだりして茶葉にしていったりするのだけれど、奏の気持ちに引っ張られたのか、わたしも随分と疲れて来た。
「ね、今日はちょっと作業はお休みにしない? また明日にしよ」
「はいです。何だか今日は、ちょっと疲れたのです」
お風呂で随分とリラックスしたつもりだったけれど、やっぱりまだ頭が重たかった。微睡が腕を伸ばしておいでおいでと繰り返す。
「ふわあ……、奏、一緒に寝よ」
霞がかったような視界の中、わたしと奏は腕を組んでじゃれ合いながらベッドルームに向かった。セミダブルサイズのベッドに身体を包み込まれると、羽毛布団を引っかける。奏の体温を感じる間もなく、わたしの意識は一気にくらやみへと落ちていった。
◆
わたしたちの日課は、通信教材を使っての勉強と、報告ノートの記入。報告ノートには、検温などの簡単な検診事項と一日のタイムスケジュールを記入する決まりになっていて、定期的に医師に提出を求められる。
そのほかには、自転車に乗って団地の中を散歩することくらい。
とは言っても、ただ闇雲に自転車を走らせているわけじゃあない。リフレッシュが目的ではあるけれど、何よりも聞き込みや調査を兼ねているんだ。そのため、散歩はひとの往来が活発な朝に行くことが多かった。
昨日みたいにたまに夕方にも出ることもあるけれど、逢魔が時には団地内からひとが消える。何処かおどろおどろしい雰囲気になるためだろうか。それとも、夕暮れのメランコリックさが自然とそうさせてしまうものなのだろうか。
朝食をしっかりと摂ったわたしは、意気揚々と玄関の扉を開け放つ。夏を忘れ、少し冷たくなり始めた空気が、わたしの頬を軽く撫でた。
K市S区櫻町にある櫻町団地は、古くからある超大型のマンモス団地だ。昭和中期に山を切り拓いて、総戸数約六千戸を誇る十三の団地群が建設された。その中心に位置する櫻町第五団地にわたしは居住している。全部で十三ある団地は町の半分以上に広がっていて、大体三~四キロ四方になるだろうか。そこがわたしたちが自由行動が出来る範囲だ。
「ようし、今日は第六団地の方へ行ってみよう」
「はいです」
環の家は第六団地内にある。うまくいけば、彼女のお母さんに部屋に入れてもらえるかもしれない。淡い期待を抱きつつも、何処か仄暗い気持ちを抑え込むことは出来なかった。覚えてもらっていないって、結構キツい。
「今日は体調が良くて、環のことを覚えていたりして」
「楽観主義は良いですが、通り越すと間が抜けるのです」
「おっ、言うな。今日は元気じゃん、奏」
まだ詳しくは聞けていないけれど、奏のお母さんのことも頭に入れておかなければ。彼女の住居はわたしと同じ第五団地にあるから、帰りに寄れそうだったら聞いてみよう。
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