円(07)人類は未だに、アナアキを理解出来ていない。

 食事を終えてわたしは洗い物をする。その間に奏はお風呂を洗ってくれていた。テレビでは引き続き、ネットで話題のひとがどうこうっていうバラエティー番組が流れている。


『新しいフォト・スポットになるかも? タレントの白露識さんが建てたド派手なモニュメントが、SNSで話題沸騰!』

『人気YouTuberの、しのぶれどおもふさんが行方をくらませてから一年が経ちました。親友からの声を聴きます』


 どれもこれも、まったくもって重要とは思えない話ばかりだ。けれど昔のわたしなら、飴に群がる蟻の如くこうした話題に飛びついていたのだろう。そうしてテレビを眺めては、SNSにハッシュタグをつけて訳知り顔で必死に投稿を繰り返していたに違いない。

 奏がリビングに戻って来て、思案顔でテレビを眺め始めた。そうしているうちにお風呂が沸いたとアラートが鳴り響く。


「円、お風呂先にいただきます」

「うん、入っちゃって、入っちゃって」


 奏がお風呂に消える。わたしは洗い物を終えると、よけていた洗濯物を畳みながらソファーに座り込んだ。


『今、大人気! といえば……、そう! ふわっふわの生地を使ったパンケーキ! 今日はそのお店の裏側に、潜入しちゃいまーっす!』


 テレビでは、最近よく見る女性タレントが台本に沿ったような動きでお店の紹介をしていた。このひとはどんな番組でも同じ喋り方をするなあ。アドリブに弱そうな印象だ。


『はい、お邪魔しまあす……、あっ、いました、いました。彼が話題の、イケメン店長ですっ!』


 黙々と洗濯物を畳んでいく。イケメン店長って、何だかくだらない煽り文句ね。でもまあ、許容範囲内かな。って、何様なんだっての、わたし。

 あ、奏のこのブラウス、ふりふりしてて可愛いな。これは畳まずハンガー行き、と。


「よいしょ、っと」


 洗濯物を抱えて、クローゼットに向かう。衣装ケースに下着などを仕舞ってから、ハンガーにブラウスやセーラー服をかけてゆく。前身頃を綺麗に整えて、


「よし、ばっちり」


 セーラー服は、記号だ。自分を表現するための便利なアイテム。

 実際わたしは今、普通の高校には通っていない。今は、団地指定の通信スクール。教材が送られて来て、DVD授業を受けて、テキストで演習をする。テストを返送したら、赤ペンが入って返って来るんだ。

 だから、制服を纏う必要性はまったくないし、同年代のアナアキとなった子たちの中で制服を普段から着ている子はほとんどいない。逆に、制服を見ていると辛い気持ちになるっていう子が多い気がする。

 それでもわたしは、普段着にどうしてもセーラー服を選んでしまう。やっぱり普通の生活への憧れのようなものが、こころの奥底で眠っているのかもしれない。

 実際に通っていた学校の制服じゃあないセーラー服。通販で取り寄せたお仕着せのもので、学生生活を共にした思い出はちっとも詰まっていないセーラー服。

 けれど、この服に触れていると、当時のことを思い出す。桜や先生たちにももっと上手く当たれただろうし、スマホ依存症だって治せるチャンスはあったはずなんだ。会えるチャンスがあれば謝りたいけれど、この団地からはいつ出ることが出来るのだろうか。

 アナアキが完治した例を、わたしはまだ知らない。


『アナアキはどこまで進むのでしょう。先日引退ライブを行った歌手の水無瀬川霞さんが――、』


 テレビの前に戻ると、次の特集が始まっていた。先ほど聞いた、水無瀬川さんがアナアキになったニュースの続報だ。


『最終日、ドームライブを無事完走する直前。霞さんは、胸の痛みを訴えていたといいます。また、〈ちょっと疲れが溜まっているのかなあ。何か視界が暗いんです〉といったような話をスタッフにしていたことが、我々の取材から分かって来ました。これらの情報は、以前から上がっているアナアキに陥る前の症状に酷似しており――、』


 確かに水無瀬川さんが訴えたという諸症状は、わたしとも似通ったところが多い。それに団地内で知り合ったわたしの友だちも、確か同じような話をしていたはずだった。


「やっぱり、何か共通項があるんだわ」


 この不可解な現象は、ますますその規模を拡大させているらしい。アナアキは各地で発生し続けていて、政府内でも与野党関係なく最重要課題として位置づけられている。

 けれど、最初に発症者が現れてから五年程。人類は未だに、アナアキを理解出来ていない。

 アナアキとは、社会学者の誰かがつけた俗称で、正確には〈乖離性空洞化障碍〉と言われる精神障害の一種だ。

 主な症状は、喪失感。

 とは言っても並の喪失感ではなく、世界が丸ごとアナに落ち窪んでしまった、といったような気持ちになることも少なくない。それに加えて倦怠感や健忘症、解離性同一性障害などを併発するのが一般的だ。

 ただこれだけを見ると、精神疾患の諸症状に似通っているところが多く、明確に今までの疾患と異なるわけじゃあない。そのため当初は、新型うつ病などに似通った、通常の精神障害と同列に位置づけられていた。

 けれど、それらとアナアキとでは、決定的に違う部分があったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る