円(06)十六歳、インスタ映えする秋だった。

「……なあ、夕月夜」


 さっきよりも更に顔色を伺うような素振り。恐る恐る地雷原を歩くみたいに、緊張感に満ち満ちた声色。このひとも災難だな、わたしみたいな生徒を指導しないといけないのだから。スマホに顔を落として、聞こえていない素振りをする。


「君に限ったことではないけれど、最近のスマホ依存症は異常だ。すでに諸先生方と話し合いは進んでいる。近く校則でスマホを禁止、あるいは校内での使用を制限させてもらう予定だ」


 わたしは弾けるようにして顔を上げた。


「は? な、何言ってんの?」


 スマホの制限? それじゃあ、学校に来ている意味がない。わたしの頭の中に僅かながら残っていた加害者感情が消えた。


「うっわ」「サイアク」「マジうぜえ。つか一部のヤツのせいでこっちまで大迷惑かよ」


 先生がクラス中の声を受けて、苦々しい表情を浮かべる。


「とにかくそのことも含めて今度、保護者の方と話が出来ないか」


 先生は腫れ物に触るような口ぶりで、ことばを続ける。


「このままだと、留年は免れないぞ。ちょっと、どうしたらいいか話をさせてくれないか」

「お、お父さんはか、関係ないじゃん」


 どうして、お父さんに報告をしないといけないんだろう。あのひとは普段、わたしのことなんかほとんど気にも留めていないじゃあないか。


「関係はある。学費を出して下さっているのはお父さんだろう。さすがに君に直接言うだけでは埒が明かなくなって来た。私も報告をせざるを得ない」

「だからさあ!」


 わたしは苛々して、倒れている机を再度蹴りつけた。


「かん、関係ないってい、言って、」


 ――途端、

 視界がいきなり暗くなった。あれ? 誰か、電気を消した? いや、でも消したとしても教室の窓は大きい。こんなにいきなり暗くなるだなんておか、

 いたいっ、


「……あっ、」


 唐突に、胸をレーザービームで貫かれたみたいな、もの凄い痛みが突き抜けた。理解がまったく追いつかない程の痛みだった。

 意識が一発で遠のいて、いつの間にか天井が視界に広がっていた。どうやら仰向けに倒れたみたい。机の角かどこかに頭がぶつかったようだけれど、感覚がほとんど喪われていて分からなかった。全身にぞわりと寒気が走る。みぞおちの辺りに激しい痛み。身体が酸素を求めて、痙攣したように動いた。


「あっ、あっ、あっ、あっ……、」


 自分の意思とは関係なく口が開いて、呼吸が難しくなる。舌が異様に長く伸びて、戻すことが出来なかった。


「夕月夜?」「――円っ?!」

「……あーあ」「アナアキじゃね」「自業自得だよ、ありゃ」「ラッキー、これでスマホ禁止はなくなったな」


 心配そうな声のあとに、侮蔑交じりのたくさんの声。それらが頭を交錯して、感情が一気にかき乱されてゆく。あ、アナアキ? 何で? このわたしが――、


 ◆


 気づいたら、知らない天井だった。

 そこが病院のベッドの上だと気づくのに、少しだけ時間を要した。点滴が腕から伸びている。万年寝不足気味ではあるけれど、健康優良児だったわたしにはあまり縁がなかった場所だ。起き上がろうとして、身体が固定されていることに気づく。な、何なの? 早くこの状況を写真に撮って呟かなきゃ。


「あっ、目が覚めましたか? おはようございますー」


 身体を動かそうともがいていると、看護士が何人か病室に入って来た。


「夕月夜さん、大丈夫ですよー、大丈夫ですからねー」


 彼女たちは適当なことばと貼りついたような笑顔で、抑圧するようにわたしを取り囲むと、いきなりストレッチャーのロックを解除した。

 それからわたしはベッドに固定されたままあちこちへと出かけ、採血とか血圧測定とかよく分からない検査に連れ回された。途中で再び眠ってしまったみたいで、何をされたのかはほとんど分からなかったけれど、また瞳を開けると病室であろう場所に戻って来ていた。頭に白い髪が少しだけ貼りついている老人が、わたしの横に座っている。それから書類を見ると大袈裟にため息を吐いた。


「こりゃあ、アナアキですな。大方、スマホ依存症だったんでしょうなあ」


 厭味な口調で老人は、決めつけるように診断書にペンを走らせる。


「……そう、ですか」


 苦々しい男性の声が病室に響く。そこで初めて、もうひとりの男性の存在に気づいた。

 無理をして仕事を抜けて来たであろう父が、医師と向き合うように腰をかけている。丸まっていて、何だかとても小さな背中だった。わたしが目を開けたことに気づくと、父は慈しむような、もしくは憐れむような視線をわたしに向けた。

 SNSの未読は何件になっただろう。ああ、今すぐにスマホを触らないと。そして早く今の状況を呟かなきゃ。早く、早く、早くスマホを。わたしはもう、ほとんどそれしか考えていなかった。


 こうして、わたしは〈アナアキ〉になった。窓の外では紅葉が始まろうとしていた。十六歳、インスタ映えする秋だった。

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