円(05)あんたやっぱり、おかしいよ。
「……月夜! 夕月夜! 夕月夜円!」
「……ひゃ、ひゃい?」
はたと気づいたら、昼休みだった。教室では、みんなが弁当を広げている。わたしの前には怒りを通り越して呆れたような顔をしている担任がいて、ため息を吐きながら眼鏡を押し上げていた。
「何が『ひゃい』だ、いい加減に起きろ、メシを食え。あと三時間目と四時間目、まったく起きる素振りすらなかったそうじゃあないか。社会科の先生かなり怒ってたぞ」
「ふわあ……、せんせ、おはよ」
言いながら、スマホを起動する。LINEの未読、99+。誰かがスタ爆したみたい。ちらちらと表示を見ながら、わたしは上目遣いで担任の顔を伺った。
「早速スマホを使うやつがあるか」
彼は少し気分を害したようだった。
「ほとんど毎日、この調子みたいだな。さすがにちょっと、おかしいぞ。スマホ依存症じゃあないか? ちょっと、スマホを貸しなさい。こちらで預かろう」
「は? やだし」
「体育、先週も先々週も休んでいたな。そんなに長引くものなのか?」
男性教師は粘ついた声色でわたしに聞く。生理のことを言っているのだろう。先々週のは本当だけれど、ほかは大嘘だ。けれど、
「せんせ、それセクハラだよ。上のひとらに言いつけてもいいんだよ」
わたしは既に、録音アプリを起動していた。担任の顔が歪む。
「な、おい。私は単に――、」
「何? 言い訳? ださい。せんせ、謝ってよ」
別に怒ってはいないのだけれど、不機嫌を装う。こちらの方が、相手に対してマウントを取れるから。数人の女子生徒たちが、ひそひそ話をするのが視界の端に映った。
担任は悩ましげにため息を吐いてから、「……す、」と、躊躇いながらも謝罪のことばを述べようと口を開きかけて、
「先生、謝らなくていーよ。だってそれ、円が悪いんじゃん」
という声に幾分かほっとした様子でうつむいた。声のした方を見ると、ひとりの女子生徒がすぐそばまで近寄って来ている。委員長ヅラした、世話焼きのお節介娘だ。
わたしは本当に不愉快な気持ちになって、
「は? 何なの桜、生理だっつってるじゃん」
と彼女に噛みつく。
「嘘ばっかり言ってんじゃねーよ。そんなに長引く生理なんてねーよ!」
「は? 生理不順なんだもん。仕方ないじゃん」
「こ、こら、やめなさい」
担任は急にオタオタとしだした。植物学の権威である父と、市会議員である桜の父を咄嗟に天秤にかけたのかもしれなかった。
「どうだか。それにあんた、体育どころか普通の授業も真面目に受けてねーのに、ごちゃごちゃ言い訳ばっかしてんじゃねーよ」
「ああ、うざい」
それを言われると、正直弱かった。わたしだって、悪いとは思っている。もしかすると、自分が少しおかしくなっているのかもしれないっていう自覚もちょっとだけはある。けれど、それが他人に指摘されるのが厭なんだ。
「分かったよ、分かったって! ああ、くそっ!」
わたしは机の脚を蹴りつけた。机が倒れて、中に置いてある教科書やノートが散らばる。それを見て、桜の声の調子が変わった。
「……ね、円。あんたちょっとおかしいんじゃねーの? 一学期はそんなんじゃなかったじゃん。野活のときだってリーダーシップ発揮してたしさあ。何か、あったんじゃねーの?」
気落ちすら感じられる言葉の数々が、桜の口からこぼれ出た。完全に気を使わせてしまったみたい。こういうところが、この娘のいいところだ。
自分でも分かっている。もうクラスの中でもわたしに注意したり構ったりしてくれるのが彼女だけになってしまっているってことくらい。けれどわたしは意固地になっていた。
「何もないよ、ああ、もう、うざい」
「ね、スマホ、少しずつ控えたらどう? 学校にいる間くらいは鞄に入れっぱにするとかさあ、自分で抑えるのが無理なら先生に預けるとかさあ」
「は? ス、スマホは関係ないじゃん」
心臓の辺りが、いきなりきゅうっと締めつけられたみたいに苦しくなった。息が吸い込みにくくなって、なぜか視界も少しあやふやになる。
「でもね、ほら、何て言ってたっけ、〈アナアキ〉? 最近多いみたいじゃん。あれってスマホ依存症のひとがなるとかってニュースで言ってたよ。あんたも少しは控えないとさあ――」
「ス、スマ、スマホはか、関係ないってい、言ってるじゃん!」
わたしは自分でもびっくりする程の大きな声を上げて、立ち上がった。教室中が引いたような白々しい空気になって、さすがの桜も深く息を吸い込んだみたいだ。それから憐れむような目になって、わたしの前から踵を返す。
「もういいよ、円。あんたやっぱり、おかしいよ」
彼女は椅子に腰をかけて、パンを頬張り始めた。
「――大丈夫、桜?」
「……うん、ありがと、いいの。もう、いいの」
桜の目の前に座っていた女子生徒が、わたしを哀れむみたいな表情で見やった。一学期には仲が良かった友だちのひとりだ。夏休みが明けて、学校に再び馴染むことの出来なくなった可哀想な動物を観察するかのような瞳だった。
「あの子、あれだよ」
女子生徒が、聞こえよがしに言った。
「ビョーキなんだよ」
ああ、そう。あんたわたしのこと、そんな風に思っているんだ。居心地が悪くなって、スマートフォンに視線を落とす。頭の上から、先生の遠慮がちな声が響いた。
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