円(04)この長方形の中には、無限に広がる世界のすべてが収まっている。

 スマートフォンを掲げる。長方形で囲まれた世界は、わたしにとって世界のすべてだった。

 好き好きに切り取られてオシャレに加工された風景も、リア友とのコミュニケーションも、SNSだけで繋がっているひとたちとのやり取りも、仮想現実にいるたくさんの恋人たちとの逢瀬も、魔王から幻想世界を救った仲間たちが集うギルドでの会話も、ありとあらゆる世界中の情報を収集するためのツールに至るまで、その小さなデバイスがひとつあるだけでことが済んでしまう。

 この長方形の中には、無限に広がる世界のすべてが収まっている。

 あのときのわたしは、そう言っても過言ではないと思っていた。今思い返せば、妄執に取り憑かれていたとしか思えないのだけれど。


 二年前の秋。その日もわたしは、スマートフォンに視線を向けるのに必死だった。

 通学中の電車に乗り合わせたひとたちも、一様に小さな長方形に顔を寄せて、それぞれが好きなことに没頭している。

 プライベート空間がそのままひとり歩きしているかのような不可思議な光景。共用スペースであるはずの車内では誰もが自宅のように振る舞っていて、他人のことを気にする余裕はなさそうだった。


 アプリが読み込み中の画面になったので、その隙に顔を上げて目頭を軽く抑える。それから、車内の様子を横目で観察した。

 モンスターを捕まえようとボールを躍起になって投げているおばさんがいる。萌えキャラっぽい女の子を真剣に眺めながら時折にやついているサラリーマンがいる。絵文字を駆使した幼稚そうな内容のメールを必死に作っているおじさんがいる。その全員が一様に首を歪めて背中を丸くさせていた。その揃いの姿はまるで、みんなでひとつの生命体になっているかのようだった。

 それらを滑稽に思う自分自身も、スマートフォンを片手に文字を高速で打ち込んでいる。

 Twitterに、Facebookに、Instagramに。それぞれでちょっとずつ違う自分を演出しながら、わたしは何通りかの日常を謳歌している。

 ああ、惑っちゃう、惑っちゃう。まったくもって惑っちゃうことばっかりだ。

 ぷしゅ、と音を立てて電車が目的地に到着した。わたしはスマホを見つめながら歩き出して、数人に肩や鞄を当てながらいささか強引に駅に降りる。そのままエスカレータの方へ向かおうとして、


「あれ?」


 前触れもなく、突然スマホの画面がブラックアウトした。急に立ち止まったわたしに、おじさんがぶつかって舌打ちをする。数名が迷惑そうにわたしを避けて、エスカレータに乗ってゆく。


「ああ、何なの。うざい」


 ムカムカとしながらスマホを再起動しようと電源ボタンを長押しする。すると、〈電源を切る〉〈再起動をする〉の表示。


「あれっ、ついてた?」


 おかしいな、いきなり画面が真っ暗になるだなんて。省電力モードの設定でもしていたかな、とスマホから顔を上げたところで、気づいた。

 目の前にあるエスカレータと、階段。何でもないそんな風景に、何やら歪なものが混ざり込んでいた。真っ暗闇の四角形のようなもの。それが、さっきわたしがスマホをかざした場所にぽっかりと現れている。


「は? ……は?」


 わたしは混乱して、視線を落としてもう一度スマホを見た。わたしの足が、そこに映っている。ああ、いつの間にかカメラモードになっていたのかな? それから、そっか。この黒いのをカメラで撮ってしまったから、電源が消えたみたいに感じたんだ。違和感はあったけれど、深くは考えずにそう納得しようとした。

 とすると、この目の前にある真っ暗闇みたいなものは……、いや、あれ? 何だ?

 あれは一体、何なんだ?

 恐る恐る顔を上げる。そこには何の変哲もないエスカレータと階段があるだけだった。


「……あ、あれ?」


 見間違いだろうか。ちょっと疲れているのかもしれない。そういえば今朝は四時までスマホでゲームをやり込んでいた。七時に起きて、何とか学校には行けそうだったので電車に乗り込んだまではよかったけれど、正直めちゃくちゃ眠いし身体もだるい。そうだ思い出した、今日は体育があるんだった。体操服も持って来てないし、生理ってことにして休もう。ああ、だるい。

 最近はほとんど毎日こんな生活だった。学校でも実はあんまり授業を聞いていない。授業を聞かずに寝るか、スマホをいじる毎日。とてもとても、楽しい楽しい毎日だった。


「さすがにちょっと目がやばいかなあ」


 言いながら、スマホに視線を落とす。SNSのアイコンをタップしながら、わたしは歩き出した。

 エレベータに乗りながら、Twitterに〈ヤバい~っ 朝から変なくろいの見ちゃった ブルー っていうかブラック〉と投稿。それから「やばいやばい」と言いながら改札口にスマホを押しつけた。

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