六枚目 『念い』

 宿命論。

 それは、全ての事柄は神の意志により予め決められており、人間の力ではどうやっても方向性を変えられないとする思想だ。

 誰が考え出したのか、あまりにも荒唐無稽すぎて俺の想像力では及びつかない。

 だが実はこの思想、部分的には真理を掠めているらしいのだ。

 真面に考えたら頭が割れそうになるので詳細は省くが、アクア曰く。

 世界は創造後およそ二百億年経つと自壊し、真っ新な処からまた歴史を築き上げる。

 永久にそれの繰り返し。

 また、その新しい世界は元の世界の裏面に当たり、前回と似たような時間を経ていくのだとか。

 要するに、平行世界を並列にではなく直列に繋いだイメージなんだと。

 そんな世界において、人間は勿論、神様も一度全ての記憶をリセットするのが習わしだ。

 しかし、希望者には何か一つだけ、新世界に持ち越す権利を与えられるらしい――



「なるほどな、世界の造りとかシステムは大体理解した。それで、いつになったら元の話に戻って来るんだ? 昔話は何処行ったんだよ?」

「そうせっつかないで。大前提としてこれを知っといてもらわないと、後々話がややこしくなるのよ」

 宇宙の真理以上にややこしい話なんてそうそうないと思うんだが。

「初めて会った世界でも、カズマは今とちっとも変わらなかったわ。口は悪いし性格は捻じれてるし弱っちいし私の扱いも雑いし。最初の頃は、どうしてこんな男に下界に引きずり込まれなきゃいけないのよって、ずっと思ってた」

 きっと当時の俺も、なんでこんなハズレ引いちまったんだろうって毎日後悔してただろう。

「でもね。めぐみんやダクネスと出会って、皆で一緒に遊んだりご飯食べたり、時々冒険したりしている内に、こんな暮らしも悪くないって思えるようになったの。それに、カズマさんったら私が目を離すとすぐ死んじゃうんだもの。仮に天界に戻れるって言われても、心配で残ってたでしょうね」

 俺がしょっちゅう死ぬ原因の半分はお前が傍にいるからだって、前の俺に代わって突っ込んでやりたい。

 今にも飛び掛かりそうなのを強靭な精神力で堪える俺に、アクアがサラッととんでもない事を言ってきた。

「カズマってば、後半年もしないうちに魔王を倒すのよ」

「はあっ、なんでそういう話になるんだ⁉ 世界が違っても基本事項はほぼ変わらないんだろ、どうやって倒したんだ? あれか、実は俺には秘めた力が眠ってて、半年以内にそれが開花すんのか?」

「そんな訳ないでしょ、カズマさんはすれ違っても三秒で顔を忘れられる平均的な人間よいひゃいいひゃい! 頬がのびひゃうからひゃめふぇ!」

 ちょっとすっきりした。

 涙目で頬を摩るアクアを横目に、もう一度横になろうと……。

「魔王を討伐した後も色々あったわ。皆で旅行に行ったり、ギルドで宴会したり。ダクネスはお嫁に行っちゃって時々しか会えなくなって。めぐみんがカズマと一緒になった時はアクセル中で大騒ぎしたっけ」

「今のは聞き逃さないぞ‼ なに、俺ってめぐみんと結婚するの? それって何年先だよ子供とかいんのかその辺の話を詳しく!」

「ちょっ、急に大声上げないでよ。てか、カズマさん目が血走ってて怖いんですけど」

 肩を掴んで揺さぶる俺を、若干引き気味なアクアが窘めてくる。

「そんな悠長な事言ってられるか、俺にとっては大問題なんだ! 身に覚えのない結婚話をされて冷静でいられる訳ないだろ‼」

 これはあれか。俺ってばもうちょっとでリア充の仲間入りするのか?

 正直言って、めぐみんの事は嫌いじゃないし、こないだのエリス祭りの時は結構いい感じになれたと思う。

 でも最近、ダクネスもなんか俺に気があるっぽい節が見え始めてるんだよな。

 あの日はヘタレなあいつのせいで全然やれなかったが、もうちょっと強く押せば本当に大人な関係になれそうなのだ。

 それをみすみす手放すってのも……。

「え、えーっと、教えすぎると世界線が歪んじゃうからあんまり話せないけど、私達はずっと仲良く暮らしていた。それだけは確かよ」

 ここまで盛り上げといてお預けとかふざけんなと言ってやりたいが、めぐみん達との関係性が変わるかもと言われたら黙るしかない。

 実際、これ以上聞いたら明日からあいつらと真面に顔が合わせられないだろうし。

 落ち着きを取り戻した俺が寝転がるのを待って、アクアは話を続けた。

「そんな感じで平和な日々を何十年も過ごして。皆、年をとって行って。ある日、カズマさんが天寿を全うする時が来たわ。私もカズマさんが死んじゃったら天界に戻るって決めてたから、私にとってもこの世界とのお別れの日だったの」

 当時の事を思い出しているのか、アクアは懐かしそうな表情を浮かべた。

「カズマが息を引き取った後、私もエリスと一緒にあんたを見送ってあげたんだけど、その時カズマに頼まれたの。気が向いたら、自分達の事を思い出して欲しい、ずっと覚えていてくれたら嬉しいって。あの時のカズマはいつになく素直でね、不安そうな顔してお願いしてきたのよ」

 本当か、本当に俺がそんなこっぱずかしい発言をしたのか?

 てか、ドヤ顔で語るアクアが恨めしい。

 ここはやはり一発ガツンと殴っとくべきか……。

「でも、カズマってやっぱりバカよね。そんなの頼まれなくても、私がカズマ達の事を忘れるはずないじゃない」

 ………………。

 ……まあ、ここでこいつを泣かせたら話が脱線するし、今日は見逃してやるか。

「そんな訳だから創造神様に、カズマ達への想いを引き継がせてもらえるよう希望したの。想いの復元にはカズマと対面するって条件が必要だったけど、お陰で次の世界でもちゃんと思い出せたわ」

「……お前って意外と律儀だったんだな」

「意外は余計よ」

 とにかく、これでアクアが昔の事を覚えている理由は分かった。

 だがそうじゃない。

 俺が一番知りたいのは、何故アクアが覚えてるかじゃなくて……。


「で、二周目で何ポカしたんだ?」


 俺の何気ない一言に、アクアはどうしてそれをとでも言いたげに目を見開いた。

 だが、すぐにどこか困ったように手を額に当て。

「やっぱカズマさんに隠し事は出来ないわね。いつも変に目聡いんだから」

「お前が分かりやすいだけだっての」

 投げやりな俺の言葉に、アクアはどこか後悔するように月を見上げた。

「私ね、天界の私の部屋でカズマさんを前にした時、感極まっちゃって。今までの事を全部話しちゃったのよ。その上で、今度は私自らついて行ってあげるって提案して、また一緒に冒険を始めたの」

 ……あれ、何か今の発言に違和感を覚えるんだが。

「前の世界での思い出もその時々で、断片的ではあるけど思い出せたから、前の世界よりも快調に進められたわ。めぐみんやダクネスとまた一緒のパーティーを組んで、魔王軍幹部をやっつけたり大物賞金首を討伐したり。借金の額も少しはマシに出来たのよ。しかも前回と違って、カズマは私を結構頼りにしてくれたわ。それが嬉しくて心地良くて……周りを見るのを…………怠ってた…………」

 話す内容とは裏腹に、辛そうな表情をしたアクアは膝に顔を埋め、足を抱える手に力をギュッと込めた。


「……魔王討伐を一週間後に決めた日に、カズマさんが私に告白してきたの」


 ……………………は?

 ちょっと何言ってるのか分からず、俺はゆっくりと上体を起こした。

 それに構わず、アクアは言葉を続ける。

「『天界には帰らないで欲しい。俺が死ぬまでずっと傍にいて欲しい。俺と、付き合って欲しい』って。顔を真っ赤にしてセリフも噛み噛みで締まらなかったけど、目は本気だった」

 ………………。

 ……いや。

 いやいやいや。

「お、お前口から出まかせ言ってんだろ? 俺が何も覚えてないからって捏造すんなよ⁉ 例え嘘でも俺がそんな身の毛もよだつ気色悪い事を言う訳ねえじゃねえか!」

 世界が違えど、そいつが俺である以上アクアに告白などそんな世迷い事をする訳が……。

「私だってカズマがデレたのが俄かに信じられなかったわ。だから聞いてみたの、いつどこでどうして私を好きになったのかって。そしたら滅茶苦茶渋った後に話してくれたわ。きっかけは天界で初めて会った時。一目見た時から美しい人だって思ったけど、その後で昔の事を楽しそうに話す私に見惚れたんですって。それから、下界でも自分を引っ張って傍で支えてくれる、頼れるお姉さんな処もポイント高かったらしいわ」

 愕然とする俺が面白かったのか、アクアは少しだけ楽しそうに微笑んだ。

 …………マジ、か。

 そんな悪夢みたいな出来事が、実際に起こったってのか?

 ……ああ、なるほど。先ほど感じた違和感の正体がハッキリした。

 アクアが付いてくると言った時、それを受諾したって所が引っかかっていたんだ。

 そして、その事実が俺がアクアに告った事の裏付けにもなっている。

 会ったばかりだと言うのに、自分に少なくない好感を抱いてくれた美しい女神。

 おまけにアクアの事だ、どうせやたらと顔を近付けたり抱き着いたりしたのだろう。

 となれば、思春期真っただ中で人とのコミュニケーションを暫くとっていなかった男子などコロッと落ちてもおかしくない。

 きっと、その後どれだけアクアが醜態を晒そうと、惚れた弱みで幻滅しなかったんだろうな。

 まさに恋は盲目。

 そんな使い古された格言に呑まれたと思うと、同じ自分ながら情けない。

「……それで、お前はなんて答えたんだ? まあ、何の迷いもなく一刀両断したんだろうけど」

「なんでそんな露骨に嫌そうな顔すんのよ。顔面に一発ゴッドブローを食らわせてやろうかしら」

 拳を握り締めて眉を吊り上げたアクアは、ふっと脱力し。

「返事を待ってもらったの」

「……今なんと?」

「自分でも驚いたわ。一も二もなく断るつもりだったのに、いざ口を開こうとしたら言葉が出なかったんだもの。それにカズマが本気だって分かったら頭が急に真っ白になって、何も考えられなくなって。だから、少し自分と向き直る時間を頂戴って頼んだの」

 信じられない物を見る目で、俺はアクアを見詰めた。

「それからの一週間、私はずっと考え続けたわ。私はカズマをどう思ってるのか、これからどうしたいのか、どうなりたいのか。時にはめぐみん達に相談したり、思い出と向き合ったりしながら、考えて、考えて、考えて抜いて。ふと、気付いちゃったの」

 そこまで言ったアクアは、すっと空を見上げ――


「私、何時の間にかこんなにもカズマの事を好きになってたんだ、って」


 平然と、そんな事を言ってきた。

「考えてみれば当然よね。いくら仲が良いからって、普通想いを引き継ごうだなんてする訳ないもの。自覚がなかっただけで、私にとってカズマは初めて会った世界から、ずっと心の支えだったのよ」

 ……ヤバい。

「けれど、もしカズマさんとそう言う関係になっちゃったら、私は女神としての力が失われてしまう。私は自分が女神である事に誇りを持っているわ。だから、魔王討伐の前日、私は自分の気持ちを伝えた上で、カズマの気持ちには答えられないって言ったの」

 これはヤバい。

「でもね、そんな私をカズマは受け入れてくれた。傍に居てくれるだけで十分幸せだから、それ以上は望まないから、変わらぬ私でいてくれって、らしくもなくキザなセリフ言っちゃってね。まあ、エッチい事が出来ないって話した時はすっごい引き攣った顔してたけど」

 心底幸せそうなアクアの顔を、真面にみれない。

 そんな懐かしそうに思い出を語っていたアクアは、

「とっても幸せだった。気持ちが通い合うとこんなにも心が温かくなるんだって、その時初めて知ったわ。お陰でハイテンションのまま魔王をぶっ飛ばして、それからはまた楽しい日常が帰って来るって信じて疑わなかった。前回と同じように、皆と一緒にのんびりと日々を送れる。そう……思ってたのに」

 言葉を尻すぼみさせ、目に涙を滲ませ酷く気落ちしていた。

「カズマと恋仲になってから一月ぐらい経った頃にめぐみんが、更なる高みに上り詰めるのですとか言って旅に出ちゃったの。めぐみんだけじゃないわ。ダクネスも貴族としての務めを果たすとかで実家に戻っちゃって。少し寂しかったけれど、またすぐに会えると思ってその時は笑って見送ったわ。なのに……二人がただいまって言ってくれる日は、もう……こなかった」

 いよいよ我慢が限界を超えたのか、アクアの頬を涙がツーッと流れ落ちた。

「十年ぐらいが経って。その年の私の誕生日に、突然二人がお祝いしに来てくれたの。それが嬉しくて嬉しくて一日中はしゃぎ回ったわ。でもふと、どうして何年も帰ってこなかったのか気になって、帰り際に二人に聞いてみたの。そしたら二人共すごく気まずそうな顔で、『二人の邪魔をしたくなかった』って。それを聞いて、やっと理解したの……」

 鼻を啜りながら、涙をボロボロと零し。

「わ、私……、自分の事ばっかで…………めぐみんやダクネスの気持ちは、知ってたはずなのに……それも疎かにして。……皆との関係………自分でぐちゃぐちゃにしちゃった…………っ! 私がカズマに昔の事を話しちゃったから! 私が歴史の流れに大きく手を加えちゃったから! 私がっ‼ ……………カズマを好きだって……自覚しちゃったから……。このお屋敷は、皆が帰って来る場所……そのだったはずなのに…………」

 そう言って、頭を伏せたアクアは膝を抱えて静かに泣き始めた。


 ――十年ぶりに集まった誕生日会、それがあの写真で切り取られた情景だ。

 アクアは世界の終わりが来る度に、その写真をきっかけに俺達の事を思い出せるよう取り計らってもらっているそうだ。

 時々見返していたのは、自分への戒め。

 それと、やっぱり昔を懐かしみたい気持ちが合わさった結果だ。

 でも、一度だけ。

 自分が特典に選ばれない様立ち回った事があるらしい。

 その結果招いた三周目の世界の結末は、魔王軍への敗北。

 しかも、その世界で俺はめぐみん達とパーティーを組まなかったばかりか、戦闘中に俺とめぐみんは戦死、ダクネスも重度の傷を負い若くして死亡。

 このあまりに悲惨な最後を目の当たりにしたアクアは、もう逃げ出さないと心に決め、次回からは歴史の修正に全力を費やしたそうだ。

 だが、一度大きく捻じ曲がった世界軸は簡単には修繕出来ない。

 どれだけ一周目の世界と同じ行動を取るよう心掛けても、やはりどこかで糸が解れ魔王軍の進行を抑え切れず。

 俺達を生き返らせられなかった事も多々あるらしい。

 そして、数えるのも阿保らしくなるぐらい世界を超えた末に、アクアは遂に最終手段に乗り出した。

 それはバニルとの契約。

 対価を払う報酬として、俺達への口止めと世界軸修復の協力を求めたのだ。

 紆余曲折を経て契約を取り付けた後は、バニルの知り合いの悪魔の力を借りつつ、少しずつ軌道を調整していき。

 そして前回、漸く初めての歴史とほとんど同じ状態にまで戻す事に成功した。


「――長い時間、本当に長い時間かけて、やっとの思いでここまで戻ってきたの。今の私の願いは一つだけ。カズマがいて、めぐみんがいて、ダクネスがいて。また皆揃ってこのお屋敷で人生を謳歌する事。それを取り戻すのに、こんなに時間が掛かっちゃった。でも、またこうしてカズマに全部喋っちゃったし、またやり直しかしらね」

 そう言ってアクアは力なく笑った。

 ………………。

 ……何と言うか、コイツも不器用だよな。

 だけど…………。

「そんなに辛い思いを何度も繰り返すとか、お前らしくないな。もしかして年を重ねるうちに、ダクネスみたいなドMに目覚めたのか? 俺との約束なんか無視して、記憶の継承なんかしなけりゃよかったのに」

「約束取り付けた張本人がそれを言う? まあ実際、心が折れそうになってそうしてやろうかと何度も悩んだ事があったわ。でも、世界の終わりに立ち会う度に、どうしても出来なかった。だって、皆との思い出が頭を過って来るのよ! 辛い事も沢山あった、苦しい目にもいっぱいあった。だけど、それ以上に……楽しかった。四人で過ごした時間が、本当に楽しかったのよ。それになにより……」

 アクアは自分の胸元をぎゅっと握り。


「心の底から好きだって思える大切な人ができた事を、忘れたくなかった……っ!」


 声を掠れさせながら、そう告げた。

 ヤバい。

 どうしよう。

 これ本当にどうしよう。

 あのアクアが。

 迷惑ばっかかけて苛立つ言動の常習犯でお淑やかさや清廉さの欠片もなかった、あのアクアが。

 本気で俺に好きだと言ってくれている。

 これまで一度たりとも、こいつを女として見た事なんかなかったのに。

 嬉しい。

 とんでもなく嬉しい。

 それなのに。

 本来なら甘酸っぱい雰囲気になるはずなのに。

 どうしてアクアはそんな辛そうな顔をしないといけないんだ。

「私が話さないといけない事は、これで全部よ。はー、ずっと心の中に隠してた事だったからスッキリしたわ! 聞いてくれてありがとうね。ささっ、グラスをこっちに渡しなさいな。気難しい話はパーッと忘れて、お酒を楽しみましょう!」

 グーッと伸びをして満足そうにそう言うアクア。

 一見いつも通りのように見えるが、やっぱりその笑顔は何処か空元気で。

 無理をしてるのにそれをひた隠そうとしていて。

 ……アホだなあ。

 俺は酒の注がれたグラスを脇に置き、アクアに向き直った。

「どうしたのカズマ? まさか私のお酒が飲めないって言うんじゃないでしょうね?」

「俺が買って来た酒だろうが。なあアクア」

 キョトンとするアクアの肩に俺は手を置き。

「お前って、ほんと馬鹿だな」

「なっ⁉」

 頬をピクつかせるアクアを俺は取り合わないで。

「そりゃ俺は機転は利くし金は持ってるし、魔王軍幹部ですら倒してきたカズマさんだ。そんな俺にお前やめぐみんやダクネスが惚れてしまうのは仕方ない、それは分かるよ」

「その自信はどこから来るのかしら。もしかして日頃から自信貯金でもしてるの?」

 それはお前にこそ言ってやりたい。

「なんかお前思い違いしてるみたいだけど。俺がその中の一人を選んだところで、俺達の関係が変わる訳ないだろう。お前らと一年ぐらいの付き合いの俺にだって分かるんだ。俺の何万倍も一緒の時間を過ごしてきたお前が分からないはずないだろ?」

「……っ! で、でも、確かに私のせいで、皆がバラバラに」

「だからそこが違うって言ってんだよ。どうせ、あいつらがお前に気を遣って屋敷を出て行ったとか考えてんだろ? でもな、もう一回思い返してみろ。あいつらが出て行く時、少しでも嫌そうだったり遠慮してそうだったりしたか?」

 俺の言葉に、アクアは目から鱗が落ちたように呆けた顔をする。

 そしてしばらく記憶の糸を手繰り寄せてから、小さく首を振った。

「ついでにもう一つ。誕生日会でお前が質問した時のあいつらの反応もちゃんと思い出せ。お前の事だ、一部だけ聞いて自分の都合のいいように曲解してる可能性が高い。本当にあいつらは、お前を恨んでるような素振りを見せたのか?」

 頭に手を当て逡巡していたアクアが、あっと小さな声を漏らした。

 と、アクアはみるみるうちに顔面蒼白になり戦慄き始める。

「あわわわわ…………。言ってた……確かに言ってたわ…………。二人の邪魔をしたくなかった以外にも。私達を見てて、自分も新しい体験をしたくなったとか、それに夢中になってて、今回カズマに招集されるまで帰るのを忘れてたとか。今の暮らしも、すっごく楽しい……と……か…………」

 だろうと思った。

「つまり、お前は最初の言葉を聞いて自分の世界に入り二人の言葉を聞き流したあげく、自分が悪い自分が原因だって悲劇のヒロインを演じる事に酔いしれて、長い間無駄な罪悪感に囚われ一人思い悩んでいたってこった。本当に、お前って馬鹿だな」

「わあああああっ! やめてやめて‼ そんなしみじみと言わないでよ! 自分でも何でこんな愚かしい事をって思っちゃってるから、これ以上私を追い詰めないで‼」

 頭を抱え、羞恥のあまり耳まで真っ赤に染めたアクアは、髪を振り乱してジタバタと床を転げ回った。

 それを傍目に、俺は横に置いておいたグラスを手に取りクイッと一口飲んだ。

「まっ、お前が超弩級の馬鹿で短絡的で人の話を聞かなくて自分勝手に行動して汚点を作るのなんか今更だろ。それが今回ちょっと長期スパンに渡っただけだ、あんまり気にすんな」

「気にするに決まってるでしょ! ずっとずっと皆に申し訳なくて挽回しようと頑張ってきたのに、それが全部無駄だったのよ。自分の気持ちも封印して、屈辱を噛み殺しながらあの悪魔に助力を頼んで、皆に気付かれないよう常に気を張り詰めて。その結果がこれってあんまりよー!」

 そう言われるとちょっと同情したくはなるが、元を辿ればコイツが原因なのでフォローの仕様がない。

 あっ、今のこいつの発言で思い出したが、そう言えば前々から気になってる事があるんだった。

「アクア、そう言えば前に会席料理奢ってくれた事があったろ。あの時は日本食が食べたかったとか言ってたけど、やっぱりあの日はなんかあるんじゃないか? そもそもの話、お前があの日に写真を見てさえいなかったら、俺にバレる事も無かったんだぞ」

「ああ、あれね。あの日は前回のカズマさんの命日だったのよ。もう誰も覚えてない訳だから、せめて私ぐらい鎮魂してあげようと思って毎回やってるのよ。多分その影響で気が緩んじゃって、あんたの接近に気が付かなかったんでしょうね」

 涙目になりながら膝をついて打ちひしがれていたアクアが、どうでもいいとばかりに素直に白状してきた。

 ……なんか、俺の為を思っての行動みたいでちょっとこそばゆいな。

 なんだろう、さっきからアクア相手に何度も心を揺り動かされてる気がする。

 と、漸く自分の中で整理が付いたのか、アクアは胡坐をかいて恨めし気に頬を膨らませた。

「ああもう、カズマさんのせいで丸裸にされちゃったじゃない。一体どう責任取ってくれるのかしら?」

「おい、その言い方は止めろ。名誉棄損で訴えてやるからな。と言うか、なんで俺が責任取らないといけないんだよ、話を聞いて欲しいって言いだしたのはお前だろ」

「それ以上の事をさせたじゃない! 女神の私にあんな醜態を晒させといて謝罪の言葉もないなんて、人としての倫理観が狂ってるの?」

 このアマー、逆ギレしやがった。

「あれはお前が自分で墓穴掘っただけじゃねえか! そもそも、お前は醜態をさらしてない方が珍しいだろ、それを人のせいにすんじゃねえ。年は無駄に食ってるくせに全く成長しない老骨女神が!」

「上等よ、このクソニート! さっきから傷心な女神様に好き放題言ってくれちゃって、ゴッドブローで一発昇天させてやるわ!」

「ああいいぜやってみろよ、殴るしか解決法を知らない脳筋女神が。お前が間合いを詰めたら最後、クリエイトウォーターからのクリエイトアースで口を塞ぎ、止めにフリーズで固めてやるよ!」

「ごめんなさい調子に乗りましたそれだけはやめて下さい」

「お、お前……」

 俺の脅しにあっさりと屈服したアクアは、流れるように頭を下げた。

 俺が言うのもなんだが、人間相手に仮にも女神なこいつがあっさり謝罪するって、女神としてのプライドは何処に置いてきたのだろうか。

 何はともあれ勝敗は付いたので、俺は床に足を投げ出した。

 続いて、こちらをチラ見していたアクアが恐る恐る隣に座ってきて、何も言わない俺を見て安心したのか。

「カズマさん、カズマさん。私、これからどうしたらいいと思う?」

 そんな話を切り出してきた。

「どうしたらって、そんなのお前の……」

 勝手にすればいいじゃねえかと答えようとして、途中で言葉を切った。

 俺を見つめるアクアは迷子になった子供の様に不安そうな顔をしていて。

 これからの事を本気で危惧していて。

 ちょっと触ったら壊れてしまいそうな程に弱々しくて。


「好きな事だけを好きなだけやればいいさ」


 俺は月を見上げながら、思った事をそのまま口に出した。

「で、でも、それだとまたカズマに迷惑を掛けちゃうと思うんですけど」

「お前、自分の行動で迷惑かけてる自覚はあったのかよ」

「そりゃ同じ事で何百回と繰り返し怒られたら、流石にちょびっとは申し訳なく思うわよ」

「そんだけ言われてちょびっとだけなのかよ!」

 いや、微小とは言え罪悪感が芽生えただけ悦ぶべきなのだろうか。

「お前、ここに至るまでずっと俺達が良い世界に住めるよう努めてくれてたんだろ? 自分のしたい事を我慢してまでさ。まあ、お前の事だから時々はサボってたんだろうし、世界軸を曲げたのもお前のせいなんだろうけど。それでも……何だ。……俺達の事を思っての行動だって言われたら、やっぱ嬉しくもあったし」

 目を丸くして、黙って話を聞き続けるアクアに俺は向き直り。

「人様に迷惑かけた時は、ボロクソに泣かせた後で一緒に謝りに行ってやるし。別の世界での面倒までは見切れないけど、今あるこの世界でお前がやらかした事ぐらいなら、俺が責任もって尻拭いしてやるからさ。だから……その…………」

 言ってる内になんか恥ずかしくなってきた。

 徐々に声を小さくしていく俺を見て。

「…………プークスクス! 素直じゃないカズマが遂にデレたんですけど! やっぱり、何だかんだ言ってもカズマってば私にも優しいのよね。普段は平気で傷つくような事言って来る鬼畜なのに、本気で落ち込んでたり苦しんでる時は、知らない所で凄く頑張ってくれて。相手の嫌がる事を見抜く目だけは一流なんだから、その小狡さをいい方向に向けとけば、変な噂も立たなかったでしょうに」

 こ、この野郎!

 俺なりに励ましてやってるのに舐めた態度とりやがて。

 恩知らずなこいつをどんな目に合わせてやろうかと画策していると、クスクス笑っていたアクアは随分とスッキリした顔で。


「しょうがないわね、あんたがそこまで熱烈に頼んでくるんだもの。カズマの要望にお応えして、私は私らしく、やりたい事だけをやりたい様にやって生きていくわ!」


 トレードマークである煌びやかな青髪をファサッと搔き上げる、いつも通りの自信たっぷりで心底楽し気なアクアがそこに居た。


 …………やっと笑ったか。


 …………………。

 って、俺は一体何を考えてんだよ。

 別にアクアの為にここまで動いていた訳じゃない。

 単にあいつがいつも通りじゃないとめぐみんやダクネスが心配するし、やっぱりどこか落ち着かないからやったに過ぎない。

 そう、全ては俺の平穏な生活を守る為だ。

 決してアクアを元気付けようと思ったからではない。

 自分の中でそんな言い訳を並べ立てながら、気分を変えようと俺は酒瓶を掴み取った。

「ほら、晩酌の続きをしようぜ! まだこんなに余ってんだ、ガンガン飲まねえと朝になっちまうぞ!」

「さっすがカズマ、偶にはいい事言うわね! そうよ、一度晩酌用に開けたお酒はその日のうちに飲み干さないとお酒に失礼って物だわ! だけどその前に……」

 そう言ってアクアは俺から酒瓶を受け取るとそれを脇に置き……。

「…………お、おいアクア?」

「カズマが言ったのよ、これからは私の好きな事をすればいいって」

「いや、確かに言った、言ったけどさ⁉ だからって……何で俺の肩に頭乗せてくんだよ!」

 お、おかしい。

 今までならこいつがどれだけ密着してきても、唯々暑苦しいだけだったはずなのに。

 抱き着かれてもうざったくて早く引き剥がしたかったはずなのに!

 なのになぜだ……。

 なぜこんなにも俺は動揺してるんだ⁉

 突然の事で色々とパニックになり、金縛りにあったかの如く身動きを取れない俺を見て、アクアがニヤッと笑い。

「あら? カズマさんてば、急にどうしたんですか? まさか美しい私に寄り添われたからって興奮してるんですか?」

「そそ、そんな訳ないだろ‼ 誰がお前みたいな色気のないヤツに興奮するか、勘違いもいいとこだ!」

「その割には、随分と心音が速い気がするんですけど?」

「お、俺は生まれつき高血圧だからな、心臓は大体いつもこれぐらいのスピードだ!」

 我ながら、言い訳が苦しすぎる。

 クソ、俺の身体は本当にどうしちまったのだろう。

 今日の夕方くらいまでこんな異常は起こらなかった。

 そこから逆算するに、夕方から今に至るまでの数時間の間に、俺の身体が変化を起こしたという事になる。

 なんだ、何が発端でこんな異常が発生しているんだ。

 疲れが溜まって冷静な判断力を欠いているとか。

 もしくはムラムラしているとか。

 ……いや、最近はしっかり十時間は眠っているし、昨日も外泊して来たからそれもない。

 そもそもアクアに対してそれだけは俺の名誉に賭けてあってはならない。

 となれば、この昂りの出所は何処だ?

「お、お前なんか変だぞ。何でいきなり俺に寄りかかってくるんだよ? 今までそんな素振り一回も見せてなかったけど、実は俺の事好きなの? 恋焦がれちゃってるの?」

 俺の言葉に、アクアはうーんと少し悩んでから。

「そう言えばまだ面と向かっては言ってなかったわね。……ねえ、カズマさん」

 何で耳元で囁くんだよ、なんか変にぞくぞくするじゃねえか!

 大混乱に陥りながらも、ゆっくりと頭をどけるアクアに視線を合わせる。

 すると、アクアはぺたんと床に座り込み足の上で手を組んだ。

 そして、月からの優しい光に包まれながら、満面の笑みを浮かべ――


「佐藤和真さん、私は貴方の事を心の底から愛しています」


 周囲から音が消え去った。

 音だけじゃない。

 周囲の景色も漂う香りも夜風の冷たさも身体の感覚さえも消え去り。

 女神のような温かく穏やかな笑顔を携えたアクアだけが、そこに居た。

 ……分かってた。

 なんでこいつがくっついてきた時あんなに動揺したのか、答えは明白だ。

 断っておくが、決してアクアに惚れた訳ではない。

 コイツとは長い付き合いなのだ、今更少し話した程度であっさり篭絡するほど俺はチョロい男ではない。

 ただ、それでも。

「アクア、お前の気持ちは嬉しい。凄く嬉しい。正直、お前がそこまで俺の事を想ってくれてたなんて思ってもみなかった」

 男なら一度は夢見る、異性からの告白。

 それも、軽いノリや曖昧な言い方ではなく、直接的で直情的な告白だ。

 おまけに相手は自分の想像も及びつかない程長い時間、ずっと俺を慕ってくれているときたものだ。

 これで意識するなと言われて出来るはずがない。

「知っての通り、俺って日本にいた時はモテた経験なんか一回もないからさ。こう、人から好意を示してもらえる機会なんか訪れないんだろうなって半ば諦めてた。でもこうして今、人間の女の子どころか、お前みたいな美しい女神様に好きだって言ってもらえてる。まるで夢の世界にいる気分だ」

 でも、だからこそ。

 アクアの気持ちに対し、俺なりに誠心誠意敬意を払い。

 今思っている事、感じている事を、素直に全部言うべきなんだろう。

「だけどさ。俺にとってお前は、この世界に来て一番長い付き合いで、いつも一緒にいてくれて、歩幅を合わせて隣を歩いてくれる大切な仲間で、俺が背中を預けたいと思える唯一無二の相棒。それに認めるのは癪だけど、パーティーの中で一番気が合う悪友でもあり、遠慮なく本音を言い合えるずっと一緒に暮らしたい家族。そんな風に考えてた。そして、お前の言葉を聞いた今でも、根っこの気持ちは変わらない」

 この答えでは、またアクアを傷つけてしまうかもしれない。

 愈々愛想をつかされるかもしれない。

 それでも、口に出さないのはもっと駄目な気がする。

「俺だって、お前の事は嫌いじゃない。どっちかって言えば…………す、好きなん……だと思う。でも、それはあくまで仲間として、家族としての親愛に近くて。お前の事を一人の女性として見れるかは、まだ分からない。それに、今気持ちを寄せてくれてるめぐみん、それと多分ダクネス、の事もある。だから……ごめん。特定の相手がいる訳じゃないし、お前の気持ちは本当に嬉しいけど……今すぐ付き合うとかそういうのは、出来ない」

 辛い。

 いくら相手が、今まで女としてさえ見ていなかったアクアとしても。

 こんなに思ってくれてる人の誘いを蹴るのは、本当に苦しい。

 畜生、俺がもっと経験豊富だったら。

 何時までも童貞拗らせてないモテモテの男だったら。

 こんな曖昧な理由で断る必要はなかったかもしれないのに。

 先ほどからずっと黙っていたアクアは、数度ぱちぱちと瞬きをし。

 キョトンと首を傾げた。

 …………うん?

 あれ、なんかアクアの反応が予想と違うのだが。

 何が起こったか分からず悩んでいると、アクアがゆっくりと口を開き。

「何か勘違いしてるみたいだけど、別に私、カズマに付き合って欲しいだなんて言うつもりないわよ?」

「…………はい?」

 えっ、どゆこと?

 よく分からない事を言い出すアクアに、俺は首を傾げる。

「だからね、私は単にカズマが好きだって気持ちを伝えたかっただけで、それ以上の意味はないわよ」

 ………………。

「はああああっ⁉」

 コイツ何言ってんの?

 いや、マジで何言ってんの?

 あれだけ雰囲気醸し出して言うだけ言ってそれ以上の意味はないって。

「ふざけるな! お前あれだけ情熱的に口説いといてその後はないって、男心を何だと思ってやがる! そんなに童貞をいたぶってからかうのが楽しいのか? いつも空気読めない空気読めないとは思ってたが、今回のは流石に温厚な俺でもキレんぞコラッー!」

 激昂する俺を見て、アクアはニヤリと笑って手を口元に当てた。

「あら? もしかしてカズマってば、私と付き合いたかったの? そりゃ私ぐらいパーフェクトな容姿を持っていて、可憐で清らかな麗しい大人な女性とお近づきになりたいって言う気持も分からなくはないわ。劣情を催すのも仕方がない事よね」

「ッは! 誰がお前みたいな乙女らしい淑やかさの欠片もないグータラ女神と付き合おうとするか。俺にだって選ぶ権利ぐらいあるんだからな、お前なんかこっちから願い下げだ!」

 ああもう、コイツにちょっとでもときめいた俺が馬鹿みたいだ。

 憤りが収まらず肩で息をする俺を、アクアはまあまあと宥めてきて。

「そんなに怒んないでよ。景気づけにとっておきの宴会芸を見せてあげるから」

「いらんわ! それはまた日が昇ってる時間帯に見せてもらうから。そんな事より、謝って! 純粋な男心を傷つけた事を早く謝って!」

 子供じみた文言を喚きながら俺は腕を組んで、アクアに背を向けた。

 そんな俺にアクアははあーと溜息を吐き。

「まったく、カズマさんってば相変わらず拗ねると面倒なんだから。しょうがないわね」

 後ろで暫くごそごそとしたかと思うと、俺の背中に張り付いてそっと抱きしめてきた。

「……おい、これは何のマネだ? 俺は謝ってって言ったのに、なんで抱き着いてくんだよ?」

「男心が傷ついたってカズマが言うから慰めてあげようと思って」

「だからって、わざわざこの体勢をとる事ないだろ? さっきからその……」

 俺が言い淀むのを聞いたからだろうか。

 何か思いついたとばかりにアクアはふふっと笑い、俺の耳元に口を近付け。

「あててんのよ」

「お前、俺にその言葉を二度と使うな! 古いトラウマが蘇って来るだろうが‼」

 アクアの野郎、余計なマネを。

 ああクソ、記憶の奥底に封印してたのに浮上してきやが……。

 …………あれ。

 なんだろう。

 記憶自体は沸き上がってるのに、なんだろうこの安心感は。

 穢らわしいトラウマが優しく包まれて浄化されていくって言うか、上から塗り替えられるって言うか。

 不可解な現象に俺が戸惑っていると、アクアが優しく頭を撫でてきて。

「どう? 少しは心が休まったんじゃない?」

 そう言って、優しく微笑んだ。

 …………。

「なあ、アクア。お前、何で俺の事好きになったんだ?」

 どうしても。

 これだけはどうしても気になってしまい、気恥ずかしいのを堪えてボソッと尋ねた。

 するとアクアは少しだけ驚いたように声を漏らした。

「まさかカズマさんがそんな事を聞いてくるだなんて思ってもみなかったわ。自分で聞いてて恥ずかしくないの?」

「う、うるせー! お前は答えてくれりゃあいいんだよ!」

 畜生、顔が熱い。

 語気を強めて言う俺に、アクアはそうねと呟き。

「普段は当り強いけど、本気で私が落ち込んでたら不器用ながらも慰めてくれるところとか。偉い人相手でも強気なくせに、ちょっと脅されるとすかさずヘタレちゃって、自分の身の丈を理解してるところ。人の機微を見抜けるくせに普段は嫌がらせにしか使ってなくて。でも、大事な時はちゃんと誠心誠意受け答えしてくれる、そんなところが人間臭くて私は好きよ。他にも、内心では相手の気持ちを汲んでくれるところとか、自分の不利益を顧みずに相手を受け入れてくれる懐が深い所とか、悩み事があったら後ろからそっと支えてくれるところとか……」

「ちょ、ちょっ、ちょっとターイムッ!」

 声を張り上げた俺に、アクアが不思議そうな顔で。

「どうしたの、急に大声なんか上げて?」

「い、いや、その……もう分かったから、これ以上は止めて下さい」

「なんで? カズマが自分の好きな処を言えって言ったんじゃない。まだ百分の一も言えてないし、もっと言わせて欲しいんですけど。言いたくても長い間ずっとずっと我慢してたんだから、思う存分言わせて欲しいんですけど」

「ほ、本当に、本当にもういいから! お前の気持ちは十二分に分かったから! てか、お前はそんなにポンポン言ってて恥ずかしくないの⁉ 何でそんなにケロッとしてんの?」

 なんだろう、甘酸っぱい。

 胸がドキドキして堪らないんですけど。

 今日の俺は本当にどうしたというのか。

 何度も言うが、相手はあのアクアだぞ。

 宴会大好きなのんべいで自堕落で欲望のままに生きている自他ともに認めるあの駄女神アクアだぞ!

 いくら告白染みたというか告白そのものって言うか、アクアの気持ちを聞かされたからってなんでこんなにどぎまぎしないといけないんだ?

 昨日までのクールな俺は何処行ったんだ?

「どうして自分の気持ちを言うのに恥ずかしがらないといけないのよ? 人を好きになる気持ちは恥じる物ではないわ。逆に取り繕った方が失礼って物よ」

 こ、これは天然で言ってんのか狙って言ってんのか?

 さっきから何なんだよ、このめぐみん以上にド直球でダクネスみたいな恥じらいを一切見せないセリフの数々は。

 ああもう、さっきからコイツに主導権を握られてる気がする。

 どこかこそばゆい感覚に襲われる俺を見かねてか、アクアは惜しみながらも余裕のあるお姉さんぶってすっと離れてくれた。

「ちょっと残念だけど、カズマが辛そうだから今はこれぐらいで許してあげるとしましょう。それと、もう一つだけ言っておくわ」

「な、なんだよ、まだなんかあんのか?」

 若干警戒色を見せる俺に、アクアは朗らかに笑い。

「これからあなたがどのような選択を取ったとしても、私はカズマの意思を尊重する。世界軸の事なんか気にしなくていいから、カズマはカズマのしたいように生きなさい。どんな事になろうと、私が全力でサポートしてあげるから」

 月の光を浴びながら微笑むアクアに、ふと俺はこいつと初めて会った時を思い出した。

 その立ち姿は、目を覆うほど美しくて。

 その瞳には慈悲深さと優しさが詰まっていて。

 やっぱり、こいつはまごう事なき女神様なんだなと改めて納得した。

「さて、それじゃあそろそろ寝ましょうか。時間もだいぶ遅いし、こりゃ明日も昼起きは確実ね。朝ご飯はいらないってメモでも残しておこうかしら」

 いそいそと立ち上がり部屋に戻ろうとするアクアに、俺は意を決して声を掛けた。

「なあ、アクア」

 背中越しにアクアはこちらを振り向き。

「…………なに?」

 俺は大きく深呼吸をした後、身体ごと振り返りアクアを正面に見据えた。

「アクア、今まで俺はお前を女として見てこなかったし。さっきも言ったが、お前は俺にとって仲間であり家族であり相棒だと思ってた。だから、今この場でお前の想いにハッキリ返事をしてやれない。そこは、本当にすまん」

 深々と頭を下げる俺を、アクアは黙って見続ける。

「でも、だからこそ。これからは自分の心とも向き合って、ちゃんと考えようと思う。その結果がどうなるかは分からないし、優柔不断な俺の事だ、絶対に時間がかかる。それでも、お前との未来も、思案したいと思えるぐらいには、お前の事が気になり始めてる。だから……」

 緊張の為、俺はゴクリと息を呑み込む。

「だから、返事は保留させてくれないか? お前にその気がないのは理解したし、これは俺の一方的な我侭だ。そんなの知るかって切り捨ててくれてもいいけど、出来るなら、俺がそう言う道を進むかもしれないって事は覚えておいて欲しい」

 言ってしまった。

 自分でも何を言いたいのかいまいち分からないけど、今思ってる事は全部伝えた。

 これでアクアとの関係がどうなるのか分からないけど、後悔はない。

 俺は恐る恐るアクアの顔を覗き込み……。

 アクアは目を見開いて瞳を潤ませていた。

 それを見て一瞬、やってしまったかと胸が騒めく。

 と、アクアはこれ以上にないってぐらい可笑しそうに、そして嬉しそうに笑った。

「あっははははっ! カズマってば、真面目な顔して真面目な事言っちゃって! 私は気にしないって言ってるのに、本当に変なところで生真面目よね」

「…………お前、何なの? こういうのは大事だと思うから恥を忍んで頼んでるってのに。お前は本当に何なの?」

 クソ、コイツを選択肢に入れてしまった自分を早くも絞めてやりたくなってきた。

「だけど、そう言うここぞって時は相手に気を遣う所も、カズマの好きな部分だからね。でも残念でした。そんな事言ってももう遅いわよ」

 トテトテと俺の前まで戻ってきたアクアは、

「だって、カズマが本気で私を求めてくれたら、私が断る訳ないんだから!」

 屈託のない笑顔で言ってきた。

 …………これはもうドキッときてしまっても仕方ないのではないか。

「それじゃあ、この私を待たせるんだもの。その分の対価を貰うわよ」

「は? お、俺に何をしろと? 流石に魂とかは勘弁して欲しいんだけど」

「あんた私を悪魔とでも思ってるの⁉ そうじゃなくて……ちょっとそのままでいて」

 そう言って、アクアは俺に前から抱き着いてきた。

「……アクアさん、アクアさん。さっきからなんでこんな積極的にくっ付いてくるんですか?」

「私はアクシズ教のご神体よ。信徒の為にも、私自身がやりたい事を全部やらないと示しがつかないでしょ。今までずっとこうしたかったんだから、ちょっとぐらいいいじゃない」

 そう言われても、ほんの半日前まではこんな事になるなんて微塵も考えてなかったし。

 なんか、皆に隠れてコソコソやってるって考えると妙な気分になってきたんですけど。

「……な、なあ、もういいだろ。今日はお開きにして寝ようぜ」

「いやよ、折角の素敵な日なんだもの。今日ぐらいは私が満足するまで付き合ってもらうんだから」

 聞く耳持たずかよ。

 てか、コイツ俺の胸に頬ずりし始めやがったし。

 いつまで経ってもじゃれるのを止めないアクアに、俺は抵抗するのを早々に諦め、されるがままに流されようと開き直った。

「カーズマ!」

「はいはい、カズマです」

「えへへ、呼んでみただけ」

 なんだそりゃ。

「カズマー!」

「カズマだよ」

「なんでもなーい」

 ……。

「カズマさーん」

「イエス、カズマ!」

 何が楽しいのやら、ひたすらに俺の名前を読んでくるアクア。

 それに対し、俺も適当に返事をする。

 一見すると何気ないやりとりなのに、何故か心が穏やかになるから不思議だ。

 そんな事をどれだけ繰り返しただろうか。

「ねえ、カズマさん」

「何だい、アクアさん?」

 今度は顔をひょこッと上げてからアクアが。


「大好き!」


 とびきりの笑顔を見せた。

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