五枚目 『語り』

 ダンジョン内を走り続ける事一時間半。

「はあはあ……や、やっと出口だ……」

「何度かモンスターに遭遇しかけたけど、上手く撒けたみたいで良かったよ」

 激しく疲弊しながらも、俺達は何とかダンジョンの出口付近まで帰ってこられた。

 不幸中の幸いと言うべきか、あの男達はまだ追ってきていないようだ。

 勿論、俺達が気付いてないって可能性もあるが、だとしたらここまで野放しにしておく理由がない。

 きっと、俺の使った魔道具の副作用が効いているのだろう。

 そのまま永久に忘れてくれるのを願うばかりだ。

「ふう、流石に疲れたね。本当は道草を食わずに、真っすぐアクセルに戻った方が良いんだろうけど一度休憩しようか」

「そうしてくれると助かる。もう、足がパンパンでこれ以上走れないんだよ」

「これぐらいで情けないな、日頃からもっと身体を動かしなよ」

「だって動いたら疲れるじゃん」

「……キミにはもう何も言わないよ」

 なぜかさっき以上にぐったりした様子のクリスと共に、俺は洞窟から明るい外へと足を踏み出し……。


「『ライト・オブ・セイバー』ッッ!」

「あっぶ! こ、今度は何だ⁉」


 いきなり足元に魔法を打ち込まれ、数歩後ろに後ずさる。

 まさか、外に奴らの仲間がいたのか?

 いや、でも今の声には聞き覚えが……。

 魔法の衝撃で立ち込めた砂埃が風に流され、太陽を背にして現れたその少女は声高々に。

「わ、我が名はゆんゆん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、悪しき魂を打ち滅ぼさんとする者! この国を脅かす悪人達。あなた方の愚行は、いずれ紅魔族の長となる私が決して見逃しません。抵抗するようでしたら、私が相手に……」

「ちょ、ちょっと待ってくれゆんゆん! あれはカズマとクリスではないか?」

「そうですね、あれは間違いなくカズマとクリスです。まったく、あなたはいつもどこか抜けてますね。攻撃を仕掛けるならちゃんと相手を確認してからにするべきですよ」

「わ、私、抜けてなんかないからっ! と言うか、『敵だと思われる相手には先手必勝、間違ってたらその時はその時』って言って私をけしかけたのはめぐみんじゃない!」

 そこでは何故か、俺のパーティーメンバーにゆんゆんを加えた四人が揉めていた。

 訳も分からないまま俺とクリスは四人の方に近付き……。

「カズマー! ちゃんと生きてる⁉ 足透けてたりしてないわよね! 怖い目に合ったりしなかった? 怪我とかしなかった? 今までにこんな展開は一度もなかったから本当に、本当に心配したのよ!」

 アクアが半泣きになりながら、いきなり俺に抱き着いてきた。

「おい、くっつくな鬱陶しい! と言うか、お前らが何でここにいるんだよ。ゆんゆんまで連れてきて、俺達の凱旋をお出迎えって訳じゃないんだろ?」

 未だにぐずるアクアを何とか引き剥がした俺は、ここにいる経緯を尋ねてみる。

 するとダクネスが、少し冷静さを欠いた様子で俺の肩に両手を置いてきた。

「そ、そうだ! おいカズマ、ダンジョン内で何か起こらなかったか? 誰かに襲われたとかそう言うのは?」

「そうなんだよ。実は巻物を手に入れた途端、素性の分からない男達にバインド食らって、危うく戦利品を奪われかけたんだよ。まあ、俺の華麗な立ち回りが功を奏して、無事に取り返して逃げ切ってやったけどさ」

 ちょっと自慢げに俺は自分の武勇伝を話してやった。

 皆が関心の眼で刮目してくれるのではと期待し様子を窺うと、しかしダクネス達の顔からは血の気が引いていた。

「お、おい、何だよその反応は? 問題があるならハッキリ言ってくれよ。でないと俺達まで無駄に怖くなるじゃないか」

 アクア達は俺の前で誰が言うかを押し付けあい、最終的にダクネスが渋々と言った体で重い口を開いた。

「実は最近、実家に王都からの手紙が届いたんだ。何でも二週間ほど前、隣国の上層部が隠密に、数名の使者をベルゼルグ王国に派遣したという情報が入ったらしくてな。詳細は不明だが、そいつらの動きから推測するに、アクセルへ向かう可能性があるようなので警戒するよう、との伝令だったんだ」

「へー、お前ん家ってそんな事までやらされるんだな」

 まあ、こいつはともかくダクネスの親父さんはやり手の貴族らしいし、そういう事もあるか。

「そんな折に、最近見慣れない者達がアクセルの街に住み込んでいるという話が出てきた。それを聞いた時、ふと先の伝令の内容が頭を過って離れなくなってしまい……」

 やめろ。

「実は私、その人達が街中を歩いているのを一度だけ目撃した事があったんです。それをダクネスさんがめぐみん経由で聞いたらしくて、その人達の特徴を教えて欲しいって訪ねて来たんです。そして、私の証言を基にアクアさんに似顔絵を描いてもらい、それを関所に送ってみたそうなんですけど…………その……案の定……」

 やめろ、それ以上聞きたくない。

「関所の門番が言うには、その人達は最近発掘されたダンジョンに潜りに来た冒険者だと申告したらしいんです。勿論、冒険者カードで裏もとってます。なので、その人達が本当に探索が目的なんだとしたら問題はなかったのです。ですが、その人達の本職は……」

 めぐみん含め、四人があまりに深刻そうな顔をするので、無意識の内に俺とクリスはゴクリと息を呑みこんでいた。

「その……いわゆる仕掛人と呼ばれる部類に入る人達らしいわ。それも、国内でもトップクラスの凄腕なんだそうよ」

 アクアの言葉に、今更になってぞわぞわっと背筋が凍り始める。

 えっ、なに。それってつまり、俺って本気でヤバい連中と交渉してたって事?

「私も話を聞いた時は心臓が止まりかけました。そこで大慌てでここまで来たのですが、中に入ろうにもカズマ達とすれ違っては元も子もありませんので、仕方なくここで待機していたのです。因みにゆんゆんは暇そうにしていたので戦力として連れて来ただけです」

「ひ、暇じゃないわよ! ただ、カズマさんとクリスさんの事が心配だったから同行を受け入れただけで……ちょっと、めぐみん! ちゃんと聞いてよー!」

 興味なさげにそっぽを向くめぐみんに涙目で訴えかけるゆんゆん。

 そんなゆんゆんに、クリスはニコッと笑いかけ、

「ゆんゆん、心配してくれてありがとう。正直、あたし達だけだと戦力的に不安だったからさ。紅魔族のアークウィザードが味方だなんて心強いよ」

「い、いえ別にその、私なんかまだまだ未熟ですから……」

 褒められ慣れていないのか、ゆんゆんは恥ずかしそうにモジモジしていた。

「ねえ、そんな事よりも早くここを離れましょう! そのおっかない人達はまだこの洞窟の中にいるんでしょ? 嫌よ、私はそんなのを相手にするのは。今日はゼル帝と一緒にお昼寝するって決めてるんだから」

 と、少し気が緩みかけた所にアクアが不満そうに告げてきた。

 アクアに同意するのはなんか癪だけど、いつまでもこんな所でもたついていてもいい事は何一つない。

 あいつらもいつ正気を取り戻し追ってくるか不明なのだ、ここは一刻も早く街に戻るべきだろう。

「それはそうですが、このまま放置しても大丈夫なのですか? そんな極悪人に近所をうろつかれては気が気でないですよ」

「それは大丈夫だ。出発前に王都から援軍を送ってもらうよう要請してあるから、もうそろそろ到着するはずだ。各所に検問も張り巡らせているし、直に捕まるだろう」

 その言葉に、俺達は大きく安堵のため息を吐いた。

 そっか、それならもう何の心配もいらないな。

 後は回収した物をちゃんとダクネスに預ければ……。

「どうしたの、カズマ? そんなとこでボーっと突っ立ってないで帰りましょうよ。もしかして、今頃足がすくんで動けないの?」

 皆がぞろぞろと街へと向かう中、俺が付いて来てない事に気が付いたらしい。

 不思議そうにこちらを見てくるアクア達に、俺は。

「悪い、ちょっとやり残した事があるから先に行っといてくれ。すぐ追いつくからさ」

「はあ、あんた何言ってんのよ? ダンジョンに忘れ物でもしたの? そんなの今更取りに帰れる訳ないでしょ。そもそも、今そのダンジョンはとっても危ないんだから、早くこっちにいらっしゃいな!」

 こっちに向かって手招きしてくるアクアだったが、俺はそれを手で制し、

「大丈夫だ、そんな奥には入らないって。あいつらに怖い思いをさせられたから、その仕返しにダンジョンの入口に罠の一つでも仕掛けてやろうと思ってさ」

「相変わらずいい性格してますね。いくら相手が悪人だとしても程ほどにしてあげて下さいよ」

「ん、カズマの仕返しは、並の人間では泣いて許しを請うような卑劣な物に違いないからな。ど、どうせなら、私の部屋にも仕掛けて欲しいものだが」

 普段通りの反応を示す二人。

「まあまあ、そういう事なら先に行きましょう! 心配しなくても大丈夫ですよ、アクアさん。助手君を信じてあげましょうよ」

 未だに俺をジーッと見ていたアクアの肩を叩きながら、クリスは皆が進む方へと促した。

 その甲斐あってか、アクアは頬を膨らませながらも。

「……分かったわ。カズマ、なるべく早く追い付くのよ」

「お、おう」

 こちらを何度も振り返りながら、漸くアクアが前進する。

 と、アクアが前を見た瞬間に、一度クルッと振り返ったクリスがこちらに親指を立ててくれた。

 ……こりゃバレてるな。

 だが、折角乗っかってくれたんだ、この機をありがたく使わせてもらうとしよう。

 俺は今一度念入りに周囲の確認をした後、ダンジョンに少し入った場所で懐に手を伸ばし――



 その日の夜。

「きょ、今日はお招きいただき、あり、ありがとうございますっ! こんな豪華な夕食までご馳走になってしまってっ!」

「何言ってんだ、感謝するのは俺の方だ。危険を承知で俺達を助けようと駆けつけてくれたんだろ、これぐらいさせてくれてくれよ」

「そうそう、ゆんゆんもあたしみたいに、もっと気楽に楽しめばいいと思うよ」

「は、はい、分かりました! えへへっ、こんなにたくさんの人とご飯を食べられるなんて幸せ」

 どうしよう、とろけそうなぐらい頬を緩ませて料理を頬張るゆんゆんを見てたら、目から変な汗が。

 今日はクリスとゆんゆんも交えての夕食だ。

 クエスト達成の祝いも含めているので、料理をいつもより請ってみた。

 初めて作ったメニューだったが反応は上々。

 これだけ美味そうに食ってもらえたら作った甲斐があるって物だ。

「そう言えばダクネス、カズマ達が見つけた巻物はどうなったのですか?」

 さっきまでガツガツと飯をかっ込んでいためぐみんが、皿から顔を上げてそんな事を言ってきた。

「ああ、あれなら既に王都へ届けたぞ。レインに直接渡してきたのだが、やはり相当困惑していたようだ。彼女の見立てでは、この件は国際問題として取り上げ、今後じっくりと国家間で議論を交わすそうだ」

「国際問題ってまた大げさね。たかが魔道具でしょ? そんなの自分達だけで使っちゃえばいいのに」

 フォークでくるくるッとパスタを巻き上げ軽口を叩くアクア。

「いや、あの魔道具の性能を加味すれば妥当な判断だ。我が国だけで内密に使用すれば、確かに隣国に牽制は出来るだろう。だがあれは元々、今回刺客を出してきた隣国の宝物だ、遅かれ早かれ絶対に気付かれる。そうなれば国家間戦争の勃発は避けられまい。ならば、初めから私達が所有している事を開示した方が幾分か建設的だろう」

 何かダクネスが真面な事言ってるんだけど。

 コイツの貴族っぽい所を久しぶりに見た気がする。

 そうだ、刺客と言えば。

「なあ、俺達が対峙したあいつらは結局どうなったんだ? 俺が洞窟を出発する時に騎士団の人とすれ違ったけど、ちゃんと捕まったのか?」

 結果的に、俺はあいつらから騙し討ちで巻物を奪った形になる。

 となれば恨みを買わないはずが無いので、もし捕まっていないならほとぼりが冷めるまで、屋敷に引き籠ろうと考えているのだ。

「ああ、その件はもう大丈夫だよ。さっき刑務所に問い合わせて来たんだけど、ちゃんと捕まえたってさ」

「へー、結構な数の騎士が来てたとは言えよく捕まえられたな。騎士と盗賊って相性悪いんじゃなかったか?」

 思い出すのは王城での逃走劇。

 騎士は小数人の素早い敵を相手するにはあまり向かない職業だ。

 俺達の様な前例がある以上、多少なりとも不安の種は残ってしまう。

「それなんですが、ダンジョンから出て来たその人達はずぶ濡れでふらついていた上に放心状態と、それは酷い有様だったらしいんです。そのお陰か、抵抗らしい抵抗も無くあっさりと捕獲出来たみたいですよ。事情聴取の時も、なんで自分達があんな場所にいたのかすら覚えてなかったみたいですし。一体ダンジョンで何があったんでしょう?」

 クリスの言葉を引き継ぎ、ゆんゆんが補足をしてくれた。

 ……どうしよう、心当たりがありすぎる。

 いくら正当防衛とは言え、流石にやり過ぎただろうか。

「まあ、不自然な処だらけだったけど、どうやらあたし達の事も覚えてないみたい。だから、今後襲われる事はないと思うよ」

 俺を安心させようとしてか、クリスは爽やかに笑いかけてきた。

「そ、そうだな。あいつらはもう警察に捕まってるんだ、俺もサッパリ忘れるとするか」

「何でそこ棒読みなのよ」

 と、めぐみんが斜め向かいの席から悟ったような視線を送ってきた。

「な、何ですかめぐみんさん?」

「いえ、別に何も。ただ、悪評高い仕掛人達がどうしてそんな事態になったのでしょうね? でも、カズマは何も知らないんですよね?」

「あ、当たり前じゃないか! 俺があんなヤバい奴ら相手に何か出来る訳がないだろ。あはっ、あはははは!」

 乾いた笑いを上げる俺を、今度は全員が凝視してきて。

 いたたまれなくなった俺は、全てを洗いざらい白状した。



 食事会がお開きになった頃には、夜もすっかり更けていた。

 夜も遅いので、今日は二人共ウチで泊っていく流れに。

 今頃はそれぞれの親友の部屋で眠りについている事だろう。

 そして、俺はと言うと、


「おーいアクア、まだ起きてるよな? ここ、開けていいか?」

『へっ、カズマ? ちょ、ちょっと待ってて!』


 俺が尋ねてくるなど夢にも思わなかったのか、素っ頓狂な声が部屋の中から響いてきた。

 ドアの前で待つこと十数秒。

 パタパタとした音が近付いてきてゆっくりドアが開かれ、隙間から少し警戒気味のアクアが顔を覗かせた。

「どうしたのよ、こんな時間に? 人の部屋を訪ねるには遅過ぎるわよ。あっ、まさかよば」

「それだけはあり得ない」

「言い切る前に即答されるとそれはそれで腹立つわね。だったら何の用? 私、これから寝ようと思ってたんですけど」

 面倒くさそうに欠伸をするアクアの前に、俺は手に持った瓶を突き出した。

「いい酒が手に入ったんで酒盛りしようかと思うんだけど、よかったらお前も」

「いくわ」

「……わ、分かったからそんな乗り出してくんな。今からで問題ないよな?」

「当たり前でしょ! 高級なお酒が飲めるのよ、他の事なんか全部後回しに決まってるじゃない。ほらほら、早く行きましょう!」

 喜びに打ち震えているアクアに背中を押され、俺は広間へと向かった。



「――ったは! これすっごく美味しいわね! 口触りはまろやかなでありながら水の様な喉越し。それでいて、嫌みにならない程度に尾を引く濃厚な味わい! カズマにしてはいいやつ買って来たじゃない」

「そりゃどうも」

 謎に批評家の様な好評をするアクアは、それはもう美味しそうに酒を飲んでいた。

 今夜は満月。

 それも雲一つない絶好の月見日和だったので、俺達はバルコニーに座り込み優雅にグラスを傾けていた。

「こうやってカズマと晩酌するのなんか初めてじゃないかしら。でも、なんで今日は誘ってくれたの? いつものカズマさんなら、こういうのは絶対独り占めしようとするのに。もしかしてあれ、漸く私の有難みに気が付いてもてなしてくれてるとか?」

「んな訳ねえだろ。お前を奉るぐらいなら悪魔の信者にでもなってやるよ」

「なんでよっ⁉ ずっと一緒にいるってのにどうして私を信仰してくれないのよ! しかもよりにもよって悪魔の信者になるなんて!」

 床を叩いて激昂するアクア。

 実際は、とあるお店のお陰でこの街には結構な数の悪魔信者がいるのだが、コイツには黙っておこう。

「おい、騒ぐな。他の皆が起きるだろ。それよりほら、グラスこっちに傾けろよ。注いでやるから」

「むー、なんか誤魔化されたような気がするんですけど」

 ブツブツと文句を言いながらも、しっかりグラスはこちらに差し出してくるアクア。

 注いでやった傍からグイグイと喉に流し込むアクアを、俺はグラスを片手になんとなく眺め。


「前の俺達とは、こうして飲み交わした事はあるのか?」


 ピタリッと、アクアの動きが完全に停止した。

 そんなアクアを気に留めず、俺は酒を一口啜る。

 うん、やっぱりそれなりの値段を掛けただけあってなかなか美味い。

「……か、カズマったら何を言ってるの? もしかしてもう酔っちゃったとか? まったく、まだ全然飲んでないのに酔っちゃうなんて、お酒に弱いにも程があるでしょ。プークスクス!」

 目を泳がせ無理やり笑顔を取り繕う、言葉までもたどたどしくしたアクアに、

「逆行物とかパラレルワールド物とかタイムトラベル物とか死に戻り物とか。これまでいろんなバージョンで人生をやり直す話は読んだ事があったけど、似たような事が現実で起こってるだなんて、想像もしなかったわ。いや、実際まだ全然実感沸いてねえんだけど」

 俺は誰に言うでもなく、そんな事を呟いた。

 と、隣からペタペタと地面を張る軽い音が聞こえた。

「さ、さっきから何言ってんの、カズマ? 前の俺達がどうとか、逆行物がこうだとか、言ってる意味がさっぱりなんですけど。もしかしてあれなの、最近いい感じになっためぐみんに毒されて、厨二心が再沸したのかしら? そ、そんな頭のおかしい事ばっかり言ってたら、ただでさえ際立ってるカズマさんの悪評に拍車が掛かっちゃうわよ?」

 そろそろ俺の悪評を広めてる当人を本気でしばき倒してやりたい。

 怒りが身体中を駆け抜けるのを、手をきつく握りなんとか抑え込んだ俺は。

 四つん這いでこちらに近付くアクアを直視した。

 その表情は尋常じゃない無いぐらい不安や恐怖の色が濃厚で、見ているこっちが心苦しくなる程にまで激しく動揺している。

 焦点は思うように定まっておらず、激しく乱れた呼吸は荒々しい。

 身体を硬直させ、それでも震える手を伸ばしてくるその姿は、そこに居るだけでもやっとな、少し小突けば砕け散ってしまいそうな華奢さを伴っていた。

 そんなアクアに、俺はふっと口角を上げ。

「落ち着け、そんな状態じゃ会話もままならないだろ。まずは深く深呼吸するところから始めてみ」

 アクアの肩に手を置き、こいつが崩れ落ちない様注意を払いながら、さっきまでの位置にそっと座らせた。

 なされるがままに成っていたアクアも漸く理性を取り戻したのか、ゆっくりと深呼吸を始める。

 それを五回ほど繰り返して何とか持ち直したアクアは、最後にもう一度大きく息を吸い。

 時間を掛けて全ての空気を吐き出した。

「ごめんなさい、ちょっと取り乱したわ」

「ちょっと?」

「細かいところに固執する男ってモテないわよ」

 どうやら軽愚痴を言えるぐらいには冷静さを取り戻せたようだ。

 と、足を抱え体育座りをしたアクアが、腕を枕に俺の様子を窺ってきた。

「それで、さっきのはどういう意味よ?」

「どうも何も、そのままの意味だよ。宿命論って言うんだっけか? あれを提唱した人は天才だな、凡そ宇宙の真理を見抜いちまってんだからさ」

「……あんた、私が聞きたい事を分かった上で言ってるわよね?」

 少し怒気を孕ませるアクア。

 ……………………。

「あの写真、すっげー前に撮られた物だったんだな」

「っ!」

 ビクンと身体を震わせるアクアに、

「けどさ、それを踏まえて考えると、お前ってやっぱり相当なババ」

「ふぁああああああっ!」

「ちょっ、グラス持ってんだからいきなり殴りかかってくんな! 俺は事実を言っただけだろうが!」

 涙目になって襲い掛かってきた年齢不詳女を、俺はドレインタッチで迎撃し黙らせた。

 そんな俺を、アクアは涙を浮かべたまま恨みがましそうに睨んでくる。

「……どこまで知ってるの?」

「全然知らねえよ。ちょっと概要を齧った程度。だから、これまでお前に何があったのかとかはサッパリだ」

「それって、あの陰険悪魔が口を滑らせたのよね? まったく、これだから悪魔って奴は信用出来ないのよ」

 イライラしつつも、どこか達観した様子でアクアが忌々し気に毒づいた。

「何でそこでバニルが出て来るんだ? あいつには何も聞いてないぞ?」

「えっ? でも、あんたが他にこんな事を知るルートなんかないじゃない。そう思ったからこそあいつには予め口止めしておいたのに」

「お前今口止めって言ったか?」

「言ってない」

「言ったろ」

 おい、耳を抑えて聞こえないフリすんな。

「でも、それじゃあ可笑しいわよ。あの変質仮面が出所じゃないんなら、一体どうやったって言うの?」

「今回見つけたあの巻物だよ、あれの真意を示すって機能を使ったんだ」

「カズマがあれを使ってる所なんか見てないわよ。私達と会う前に使ったって事? だけど、ダンジョンの中では怖い人に追われててそれどころじゃなかっただろうし……あっ! まさか私達と合流したあの時⁉」

 アクアにしてはなかなか察しが良いじゃねえか。

「感謝しろよ、お前が頑なに口を割らないせいで、俺はあんな面倒臭いダンジョンに潜る羽目になったんだからな」

「……ねえ、普段鈍らなカズマが、今回クリスに協力したのって…………もしかして、私の為?」

 少しだけ声を弾ませ、どこか期待したかのようにアクアがチラッと見てくるが。

「いや、あのダンジョンが発見されたのって元を辿れば、山に向かってめぐみんに爆裂魔法を打たせた俺のせいだからな。それの尻拭いをしただけだ」

 俺の言葉に、アクアがガクッと頭を垂れた。

 …………あれ、何かこいつ結構ガチ目に落ち込んでないか?

 まさか本気で俺が、お前の為にとか言うとでも思ったのだろうか。

 ……………………。


「……初めはそれだけのつもりだった」


「……えっ?」

 一拍遅れてから、ガバッと顔を跳ね上げたアクアの視線から逃げるように、俺は頭を掻きながら、

「でも、後からクリスにあの魔道具の詳細を聞いた時、これを使えばもしかしたら、お前の写真についても調べられるんじゃないかって思い至って……。で、でも勘違いすんなよ。俺はあくまでお前が何か厄介事を囲い込んだのに秘密にしてるんじゃないかって疑ってたからこそ確認しようと思っただけだ。本当にそれだけだかんな!」

 一方的に捲し立てる俺にアクアは目を見開き。

 そして肩を震わせ笑い始めた。

「……おい、何で笑う。今のは全然笑いどころじゃないぞ」

「ふふっ、カズマってば、本当に素直じゃないんだから。相変わらず不器用で口が悪くて周り諄いやり方で。でも、それがカズマらしいのよね」

「な、なんだよ、それ俺の事を貶してんのか? てかいつまでもムニムニすんな、鼻に酒のつまみ突っ込むぞコラ」

 クソ、いつまでもクスクス笑いやがって。

 居心地の悪さに凄んでみると、アクアは目尻に溜まった涙を拭いさり漸く笑いを納めた。

「貶してなんかいないわ。むしろこれでも褒めてるのよ? ……ねえ、カズマ」

 と、一転して気を引き締めたアクアは真っすぐ俺の事を見据え。

「聞いて欲しい、話があるの」

 ふと目を落とすと、いつになく真剣な表情のアクアは少しだけ拳を震えさせていた。

 そんなアクアに、俺は足の裏を合わせて身体を前後に揺する。

「別に話さなくていいぞ、それ程興味がある訳でもないし。面倒事さえ起きないんならどうでもいい」

 おどけた感じで言った俺の言葉に、しかしアクアは静かに首を横に振った。

「ううん、そこまで突き止めたあなただから話したいの。私の話、聞いてくれないかしら?」

 明かる気な声で、だけどその陰に寂しさを混ぜ合わせたような複雑な表情で笑ってみせた。

 そんな、普段のバカっぽい笑顔とは程遠い哀し気なアクアを前に、俺はそれ以上何も言えなくなってしまう。

 暫しの逡巡の後。

 グラスに残った酒を一気に飲み干し、頭に両手をやって寝っ転がった。

「聞こうじゃないか。でも、極力簡潔にしろよ。あんまり長いとこのまま寝るから」

 そんな俺の態度に、アクアは呆れたように肩をすくめる。

「本当にあんたって人は、それが決意を固めた女の子を前に話を聞く態度? でも、今日は特別に許してあげる」

 女の子って年かよって喉まで出かかった言葉を、俺は何とか飲み込んだ。

「何処から話すべきなんでしょうね。やっぱり、私が初めてカズマと出会った世界での話からかしら――」


 ほんのりと明るい月の光に照らされながら、その少女は壮大な物話を紡ぎ始めた――

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