高校生編 後編

 バレンタイン当日。藍が優斗との待ち合わせ場所である自宅近くの公園に着いた時、そこには既に彼の姿があった。


「ごめん、待った?」

「いいや、今来たところ。それに、たまたま早く来たけど、約束の時間まではまだあるだろ」


 そうなのだ。藍だって、優斗を待たせてはいけないと思い、余裕を持って家を出た。とはいえ、わざわざ呼び出してきながら結果的に待たせてしまったというのは、藍としては申し訳ないと思わずにはいられない。

 だけど優斗は全く気にしたそぶりもなく、公園を見回しながら懐かしそうに言う。


「ここに来たのも久しぶりだな。前は、何度も来ていたのにな」

「そういえばそうだね」


 優斗の言っているのは、藍がまだ小学生の頃の話だろう。当時の藍は、一緒に遊んでとねだっては、優斗をしょっちゅうここまで連れ出していた。


「雨が降った次の日、藍が水溜まりで転んで泣き出したことがあったっけ」

「な、泣いてはいないよ。ちょっとビックリしただけだもん。って言うか、どうしてそんなの覚えてるの!?」

「ごめんごめん。けど、そんなに恥ずかしがるようなことでもないだろ?」

「恥ずかしいよ!」


 思わぬ形で掘り起こされた恥ずかしい過去に、顔を赤くしながら抗議する藍。だけどそれを話す優斗に、バカにしたりからかったりする様子はない。きっと、純粋に懐かしんでいるのだろう。


 思えば、七つも歳の離れた優斗にとって、藍の遊びに付き合うというのは、ほとんど子守りに近かったかもしれない。だけど記憶の中にある優斗は、いつも優しくて、決して不満を言うことなく面倒をみてくれた。

 そんな優斗だから、藍は彼に憧れた。大好きになった。そんな気持ちが、大人になるにつれ、恋へと変わっていった。


 改めて、自らの恋のルーツを思い出して、なんだかこそばゆい気持ちになっていく。


「藍、どうしたんだ。急に黙りこんで?」

「な、何でもない。ちょっと、昔のことを思い出してただけだから」


 不思議そうに訪ねてくる優斗に、曖昧なことを言って誤魔化す藍。小さい頃の思い出も、優斗を好きになった経緯も、もちろん大事。だけど今は、それに思いを馳せるよりも、やらなきゃいけないことがある。

 鞄の中からチョコの入った包みを取り出すと、それを優斗に向かって差し出した。


「これ、チョコレート。受け取ってくれる?」

「えっ?」


 優斗は驚いた顔をしながら、すぐにはそれを受け取ろうとしなかった。それよりも先に、不思議そうに聞いてくる。


「これ、手作りだよな。でもなんで? 今年は、作らないんじゃなかったのか?」


 だけど、それも仕方ないことかもしれない。藍は忙しさを理由に、チョコ作りは無理だとハッキリ言ったのだ。なのにまさか、こうして手作りを渡されるとは思ってもみなかっただろう。


「ごめん。忙しいとか、部活があるからとか言ってたけど、あれは嘘。本当は、わたし一人で作って、それをユウ君にプレゼントしたかったの」

「なんでまたそんなことを?」

「それは、その……お、驚かせたくて……」


 本当はそうすることで、少しでも女の子として意識してもらえるのを期待していた。だけど本人を前に、そこまでハッキリ言うなんてできなかった。


「そうだったのか。ビックリしたけど、嬉しいよ。ありがとう」


 そう言うと、優斗は今度こそ、藍の手からちゃんとチョコを受け取ってくれた。


 よかった、渡せた。そう思い、ホッと息をつく。だけどそれも束の間。受け取った優斗の反応を見て、思う。


(これ……多分、私の気持ち、伝わってないよね)


 驚いたというのも、嬉しいというのも、間違いなく本当なのだろう。だけどそこに、藍が感じているようなドキドキがあるようには、とても見えなかった。

 優斗にとっては、未だに藍は、可愛い妹分のままなのだろう。


 だけどそれだけじゃダメなんだ。妹のように可愛がってくれるのだって、もちろん嬉しい。だけどそこから一歩進みたいから、自分を一人の女の子として意識してもらいたいから、わざわざこの計画を立てたんだ。

 なら、このまま終わっていいはずがない。


「えっと……ユウ君!」


 張り上げた声は、自分でもわかるくらいに震えていた。それは、当然優斗にも伝わったのようで、普段とは明らかに様子の違う藍を、まじまじと見つめる。


 しかし藍からは、なかなか続く言葉が出てこない。このままじゃいけないと思い声をあげたけど、それから何て言えばいいかなんて、ちっとも考えていなかった。


(ハッキリ好きだって言う? でもユウ君のことだから、それだけじゃ恋愛としての好きだって気づいてもらえないかも。なら、なんて言えばいい?)


 正解なんてわからないし、最悪の場合、例え何を言っても、望んでいる結末にはならないかもしれない。それでもやっとの思いで、自分の気持ちを言葉にする。


「それ……ほ、本命だから!」


 伝えたのは、そのたった一言。だけど、ちゃんと言えた。そして、ちゃんと届いた。


 優斗は一瞬石のように固まり、それから少しずつ、信じられないものを見るように、目を丸くしていく。

 そしてそれが限界まで達した時、驚くほどに狼狽えはじめた。


「本命って、どういうこと? いや、もちろん意味は知ってるけど、でも……えっ? えぇっ!?」


 優斗のこんな姿、長年近くにいた藍でさえ、初めて見たかもしれない。

 だけど、ずっと妹のように思っていた相手から告白されたのだから、驚くのも無理はない。返事どころか、きっと受け止めることで精一杯なのだろう。


 けどそれでいい。元々、すぐに答えを聞きたくて、想いを告げたわけではないのだから。


「返事は、今すぐでなくてもいいから。ただ、知ってほしかっただけ。妹としてじゃない私も、見てほしかっただけだから」


 そう言って、藍はイタズラっぽく笑う──つもりだったが、実際は緊張から、その笑顔はかなりぎこちないものとなっていた。


「それじゃ、今日はもう帰るね」


 すぐには答えが出せないのなら、このままここにいても、優斗を困らせるだけだし、何より藍自身、これ以上どんな顔して優斗と向き合えばいいのかわからない。別れの言葉を告げ、そそくさと退散しようとする。

 だけど、背を向け歩きだろうとしたその時だった。


「待って!」


 優斗の声が飛び、止めるように手を握られる。


「ごめん。あまりに急で、なんて言ったらいいのか、今はまだわからない」

「うん。いきなりだったからね。だから、返事は今でなくてもいいって──」


 だからこそ、こうしてこの場を立ち去ろうとしたのだ。だけどそれを聞いてもまだ、優斗は藍を放そうとはしなかった。


「けど、ちょっとだけ待って。渡したいものがあるんだ」

「えっ?」


 そう言うと優斗は自らの鞄を開き、中から一つの包みを取り出した。そして、それを藍へと差し出す。


「俺からもあるんだ。バレンタインのチョコレート」

「えっ…………えぇっ!?」


 その構図は、ついさっき藍が渡した時の再現のようにすら見えた。おまけに、どうやらチョコが手作りというところまで一緒のようだ。


「な、なんで?」

「毎年作るのが当たり前みたいになってたからな。今年は、藍と一緒には作れなかったけど、それなら一人でもやってみようと思ったんだ」


 経緯は違えど、藍が一人でチョコを作っている間、優斗も同じようなことをしていたのだ。


「今の俺には、藍と同じ気持ちでこれを贈ることはできないかもしれない。さっきの返事もまだだし、本当はこんなことしてる場合じゃないかもしれない。だけど、藍のこと、大事に思っているってのは、変わらないから。受け取ってくれないか?」


 想いを伝えて、あとは帰るだけだと思っていたのに、こんなことになるなんて全くの予想外。だけど、受け取らないなんて選択はなかった。


「ありがとう。本当に、ありがとね」


 そっと包みを手に取り、大事にそれを胸に抱く。頼まれたわけでもないのに、わざわざ自分のことを想って作ってくれた。そんなの、嬉しいに決まっている。

 こんな優斗だから、好きになったんだ。


「藍の気持ちに何て答えればいいのか、今はまだわからない。けど、ちゃんと答えるから。だから少しだけ、待っててほしい」

「うん。待ってるから」


 果たしてその答えが、藍の望むものになるかどうかはわからない。だけど今までずっと続いてきた兄妹のような枠組が、確実に変わっていくのを感じていた。

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