小学生編 後編

「お邪魔します。こんにちは、藍」

「ユウ君……」


 部屋の中へと入ってきたその人は、藍よりもずっとずっと背が高く、大人びていた。というか、実際藍よりも大人だ。

 ユウ君と呼ばれた彼の名前は、有馬優斗。近所に住んでいる高校生で、藍にとっては、よく面倒を見てくれるお兄ちゃんのような人だった。そして、誰よりも大好きな人だった。


 いつもなら、彼の姿を見たとたん、満面の笑顔を浮かべながら駆け寄っていくところだが、今は近づくどころか、部屋の隅で身を隠すように小さくなっていた。


「どうしたんだ? かくれんぼ……じゃないよな」


 普段は見せない藍の反応に、怪訝な顔をする優斗だが、藍はしょんぼりしたまま、何も答えない。


「それがね。ほら、今日ってバレンタインでしょ。少し前までお菓子を作ってたんだけど……」

「やめて。言わないで!」


 悲鳴のような声をあげ、母親が説明するのを遮る藍。せっかく作ろうとしたチョコブラウニー。それを失敗したんだと、優人には知られたくなかった。

 だけど既に伝えた言葉と、そばに置かれた失敗作。そして藍自身の様子から、何があったのか、優斗もすぐに察したようだ。


「チョコ作るの、うまくできなかったのか?」

「……うん」


 小さく、力のない声で頷く藍。


 優斗は自分よりずっと歳上で、大人で、とっても頼りになるお兄ちゃんだった。

 だからこそ、そんな彼に、自分だってこんなことができるんだというのを見せたかったのに。ビックリさせて、凄いねって、ほめてもらいたかったのに。


 悔しさと悲しさがこみ上げてきて、いつの間にかその目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 するとそれを見ていた優斗が、藍の母親に向かって、小声で何かを話す。それから、藍の頭にそっと手を置いた。


「せっかく頑張ったのに、残念だったな」


 慰めるように、優しく頭を撫でる優斗。藍は返事をすることなく、一度大きくしゃくり上げるが、そこでさらに、優斗が言う。


「なあ。どうしても完成させたいなら、もう一度作ってみないか。今度は、俺と一緒に」

「えっ……?」


 その言葉を聞いて、それまで俯いていた藍の顔が、少しだけ上を向いた。


「藍が頑張って作るとこ、近くで見たいんだ。ダメかな?」


 にっこりと笑いかけられ、沈んでいた心が、揺れる。


 幸い、材料は多めに用意していたので、今からでも作ろうと思えば作ることができた。

 もちろん、今もまだ失敗したことの悲しさはある。けどだからこそ、またチャンスがあるのなら、やってみたいと思った。何より、優斗と二人で作る場面を想像すると、とたんにワクワクしてきた。


「どうする?」


 もう一度優斗が訪ねた時には、溢れてくる涙は、すっかり止まっていた。そして、大きく頷く。


「やる。ユウ君と一緒に作る!」


 泣いたカラスがもう笑う。終始様子を見守っていた母親は、娘の変わり身の早さに苦笑するけど、あのまま泣かれるよりはずっといい。

 ただ、優斗に対して申し訳なさそうに言う。


「ごめんねユウ君。藍のワガママに付き合わせて」

「かまいませんよ。それに、藍がせっかく頑張ったんだから、ちゃんと成功させてやりたいんです」


 そう言って、またも藍の頭を撫でる優斗。藍は嬉しそうに顔をほころばせると、それから再び、チョコブラウニー作りに取りかかる。ただし、今度は一人ではなく、優斗と一緒にだ。藍がパウダーをふるっている間に、優斗はチョコを溶かしていく。

 それと、クルミはちゃんと砕いておく。もう、あんな失敗をするのはごめんだ。

 そして──


「できた!」


 焼き上がったチョコブラウニーは、今度こそ、ちゃんと中まで火が通っていた。これで完成だ。


「よくがんばったな」

「うん。手伝ってくれてありがとう」


 優斗にほめられ、元々嬉しかったのが、さらに嬉しくなる。

 それからみんなで食べたチョコブラウニーは、今まで食べた何よりも美味しいような気がした。


 一人で作るのは、失敗した。優斗を驚かせようとするのも、失敗した。最初に考えていたのとはずいぶん違う、なに一つ思い通りにいかなかったバレンタイン。

 だけど例え思っていたのとは違っても、藍にとっては最高のバレンタインになっていた。



※なんだか今回で終わりっぽくも見えますが、本作はまだ続きます。次回からは、成長した二人のお話となっています。

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