手作りチョコをあなたに

無月兄

小学生編 前編

「わたし一人で作るから、お母さんは何もしないでね」


 何度も口を酸っぱくして言ってきた言葉を、藍はもう一度繰り返す。その手には、『はじめてのおかし作り』と書かれた一冊のレシピ本が握られている。


「そう? それじゃお母さんは見てるだけにするけど、包丁と火を使う時には、よーく注意するのよ」

「うん。わかった!」


 了解を得て、嬉しそうに返事をする藍

 母親も、全く不安がないわけではないが、この子もあと少しすれば小学四年生。もうそろそろ、一人でやらせてみてもいい頃かなと思っていた。調理中は常に自分が見ておくし、少しでも危ないと思えばその都度止めれば大丈夫だろう。

 それに今回は、一人で作りたいという娘の気持ちも、わからなくはなかった。


 一方藍はというと、母親から許可を得られたことで、ウキウキしながらレシピ本を開く。

 今回作ろうとしているのは、チョコブラウニー。他にもチョコクッキーや生チョコなど、どれにしようか色々迷いはしたけれど、チョコがメインであるのはどれも同じだ。

 そもそもどうして、自分一人でお菓子を作ろうと思ったのか。理由は簡単。今日がバレンタインだからだ。


「ユウ君、喜んでくれるかな~」


 レシピを眺めながら、渡したい相手の名前を呟く藍。その人には、今日うちに来てほしいと、事前に伝えてある。

 やって来たところで、出来立てのチョコブラウニーを見せ、自分一人で作ったんだよと言ってやりたかった。驚く顔と、喜んでくれるのを見たかった。


 だから今回だけは、なにがなんでも一人で作る。そう意気込みながら、藍は調理をはじめていく。まずは、チョコを細かく刻むとろこからだ。


「手を切らないようにね。急いでやろうとせず、ゆっくりでいいからね」

「わかってるよ。でも早く作らないと、ユウ君が来ちゃうかもしれないじゃない」


 来るまでに完成させておきたい藍としては、作業もつい急ぎがちになってしまう。


 とはいえ、その手際はなかなか良い。全部一人で作ろうとするのは初めてだが、元々お菓子作りそのものは、何度かやっているのだ。

 母親も時折口を挟みはするが、特に大きな失敗もなく進めていく我が子を見て、しだいに、これなら大丈夫そうだと安心していく。そうしているうちに、藍はチョコを溶かし終え、パウダーをふるい、その他の材料と混ぜ込んでいく。

 するとその時、玄関でチャイムの鳴る音がした。


「もしかして、もう来ちゃったの?」


 まだできていないのにと、焦る藍。だが時計を見ると、来てほしいと伝えていた時間にはまだ余裕がある。


「違うんじゃないかな。お母さんが見てくるから、藍はここで待っててね。一人で勝手に作ろうとしちゃダメよ」


 そう言って、玄関に向かっていく藍の母。藍も、少しだけキッチンから出ていき様子を伺うが、母の言っていた通り、どうやらやって来たのは隣の家のおばさんのようだ。


 ホッとしながらキッチンに戻り、母親が戻って来るのを待つ藍。だが、なかなか戻って来ない。

 お母さん、一度話はじめると長いからな。そう思いながらなおも待つが、やっぱりなかなか戻って来ない。


「このままじゃ、作り終わる前にユウ君が来ちゃうよ」


 時計を見ながら、だんだんと焦りが出てくる。レシピを見ると、あとやることといえば、生地にクルミを加えてオーブンで焼くだけ。たったそれだけで完成なのに。


「やっちゃダメかな?」


 勝手に作っちゃダメ。さっき言われた言葉が頭をよぎる。だけど元々自分一人で作るんだし、危ないことになるとは思えなかった。


「ちょっとくらいなら、いいよね」


 一度そう思うと、それからの行動は早かった。予めローストしておいたクルミを生地に入れ込み、オーブンを予熱状態になるよう設定し、しばらく待つ。

 そこでようやく、話を終えた母親が戻ってきた。


「勝手に作っちゃダメだって言ったじゃない」

「ごめんなさい。でも、危ないことなんてなかったよ」


 言いつけを破った藍を見て眉をひそめる母だが、本人の言う通り危険もなかったようだ。もう勝手なことはしちゃダメだと注意はするが、あまりきつく叱ることはなく、残る作業をじっと見守ることにする。


 生地をオーブンに入れ、待つことしばらく。温め終わったことを告げる電子音が鳴り、いよいよ完成だ。


「うまくできてるかな」


 ワクワクしながらチョコブラウニーを取り出すと、一気にチョコの香りが広がった。

 一見したところ、見た目は問題なし。あとは生地に竹串を刺して、中まで火が通っていることを確認だ。

 だか、竹串を引き抜いた時、藍の表情が変わった。


「中、生焼けだ」


 引き抜いた竹串の先には、ドロッとしたままのチョコがついていた。表面はしっかり焼けているように見えるが、中までちゃんと火が通っていなかった証拠だ。


「どうして? ちゃんとレシピ通りにやったのに」


 クシャリと顔を歪ませながら、頼るように母を見るが、こちらも困惑しながら困った表情を浮かべている。


 とりあえず、もう少しだけ焼いてみようと思い、再びオーブンに投入するが、取り出した生地の中身は相変わらず生焼けのままで、表面を焦がしただけだった。

 そこでとうとう、母親が生地を二つに割り、中身を見る。そして、あることに気づいた。


「藍。あなた、クルミを入れる時ちゃんと砕いた?」

「えっ!?」


 砕いてない。ゴロゴロとした大きな塊のまま、生地に混ぜ込んでいた。けどレシピを見ると、確かに砕いてから入れるように書いてある。早く作らなきゃという思いから、うっかり見落としてしまっていたのだ。

 大きなままのクルミが、火が通るのを邪魔していた。


「そんな……」


 ちゃんとレシピを見ていなかったことを後悔するがもう遅い。これ以上焼こうとすると、今度は表面が焦げすぎてしまうだろう。


 もう一度、一から作り直そうかとも思ったけれど、もうその時間も残ってなかった。ほどなくしてチャイムが鳴り、今度こそ、思っていた通りの人がやって来た。

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