第258話
「『あの人が、ラックが寝入ったまま、消えた』ですって?」
エレーヌとリティシアが血相を変えて走った先は、正妻であるミシュラの寝室。
二人は、「ラックは明らかに眠っていたので、本人の意思で姿を消したのではない」と断言できてしまう。
それだけに、事態は深刻であった。
起きた現象の結果だけから判断するなら、それは神隠しと同じ。
しかし、これまでにファーミルス王国で確認されている神隠しは、その全てが空間の揺らぎに吸い込まれる形であり、その対象は人だけではない。
今回のケースで言えば、「薄手の掛布団代わりの布が、その場に残っているのはおかしい」のだ。
なんなら、通常の神隠しだとベッドごと消えてもおかしくはない。
つまるところ、起きた現象は神隠しと似て非なるモノであった。
もっとも、どのみち「残された者にできることがない」という点は共通しているのだけれど。
尚、冒頭の発言が、二人の報告を受けたミシュラの言であるのは言うまでもないであろう。
「ラックが円柱状の光の中心にいて、ラックだけが消えた。ベッドを含む寝具の全てが残されている点を鑑みても、以前に起こった神隠しとは違う気がするんだ。どうしよう? 私はどうしたら良い?」
「落ち着け、リティシア。あのラックが死ぬようなことは考えられない。私たちにできることは、ラックが戻るまでゴーズ家を維持し、彼が帰る場所を守ること。それだけだ」
一部冷静な部分があるような、それでも取り乱しているリティシアの言葉に、エレーヌが現実的な話をする。
もっとも、彼女の言葉も都合の良い願望込みの話でしかないのが、悲しいところである。
「(いえ。あの人の唯一の弱点。睡眠中の無防備なところで攫われたのですから、『最悪の事態がない』とは言えません。しかし、この事実に言及しても、誰も幸せにはならない。ならば、ここでわたくしが言うべきことは決まっていますわね)」
ミシュラは慌てふためいているリティシアと、それを抑えようとするエレーヌのやり取りを見て、少しばかり冷静になる。
今のミシュラには、範囲を広げてゴーズ家の全ての関係者には、どこに行ったのか定かではないラックの現在位置を特定する術はない。
ましてや連れ戻すことなど、どう足掻いても不可能である。
ミシュラにできることはラックに対して限定だと、生存を信じ、自力で帰還してくることを信じて待つのみ。
しかし、ラックの正妻である以上、彼女はラック不在のゴーズ家を守らねばならないのだった。
「全てをあの人のように。そんなこと、わたくしにはできません。それでも、あの人が戻って来るまでの間、ゴーズ家を守るのはわたくしの義務。皆の協力も求めます」
ミシュラは言葉を一旦切って、エレーヌとリティシアの様子を確認する。
異論があれば、この場で発言してもらうのが楽だからだ。
まぁ、そうした配慮は秒単位の僅かな沈黙の時間を経て、無意味であったことが確定するのだけれど。
「前回のように他の世界へ行ったとは限りません。その場合は、あの人が起きてからテレポートで帰って来る可能性があります。なので、差し当たって朝までは様子見。あの人がそれまでに戻らなければ、早朝から飛行船を動かし、早急にシーラを除く夕食会の参加メンバーをトランザ村に集合させます。それに加えて、今回は妾の三人とドミニク叔母様にも参加してもらいます。それでよろしくて?」
いきなりラックを失った形のミシュラは、気丈にも自身がトップに立ってゴーズ家を回していく決心をしたのであった。
大黒柱であり、精神的にも物理的にもゴーズ家の根幹を支えるラックの消失事件の直後から、ゴーズ家側の事態はこのように推移していた。
「お前、誰だ? それと、ここはどこだ?」
ラックはうつぶせの身体の前面から柔らかい寝具ではなく、冷たく固い石床のような感触を得て意識を覚醒させた。
とは言っても、寝起きで少々ボケている部分だってある。
それでも、現状が寝ていたはずのベッドの上でないことや、夫婦の寝室ではないことを悟ると、半ば無意識にサイコバリアを展開する。
続いて、壁もなく床以外は開放された、白一色の異常な状況と、そこに佇み、自身に視線を向けている存在を確認すると、ラックは即座にテレポートで背後を取った。
そこから更に、対象の両腕を後ろからねじり上げる。
そこまでやってから、ようやく口を開いて飛び出したのが、前述の発言であった。
ちなみに、今のラックはほぼ裸で、トランクスタイプのパンツだけを身に付けている。
ことを致した事後、そのまま寝てしまったのだから、それも当然である。
寧ろ、完全に意識が落ちる前に、慣習でパンツだけは身に付けたのを褒めるべきかもしれない。
若い女性の容姿を持つ対象を相手に、後ろから両の手をねじり上げている絵面は、この瞬間だけを切り取って第三者が見たならば大問題になりかねない状況だったりするのだが、そんなことは些細なことであろう。
「いきなり、無礼でご挨拶な感じですねぇ」
「無駄口は要らない。質問に答えろ」
「そうですか。ここは、世界と世界の狭間の空間。私の力で、ちょっと手を加えていますけれどね。私は、カルダーレ。貴方の知る言葉で表現するなら、『神』とか『女神』でしょうかね? もっとも、それが『一番近い』と言うだけで、全知全能とは遠い存在でもありますけれど」
「そうか。僕を元の場所へ戻せ。そうすれば、これ以上の危害は加えない」
「怖いことをあっさりと言いますのねぇ。ま、私の本体は神界に在ってここにいるのは分体のようなものですから、危害を加えられても、どうということもありませんけれど。それをして一番困るのは、貴方でしょうし。ところで、そろそろ名乗っていただいても?」
「名はラック。僕が一番困る? その意味を説明しろ」
「単純に、『この空間から出ることが叶わなくなる』からですよ。まさか、『自力でどこかへ行ける』とは考えておられませんよね?」
ラックは押し黙るしかなかった。
残念なことに、ラックには異なる世界へ渡った経験がある。
そしてさらに残念なことに、その経験が残酷な現実を突き付ける。
超能力者は自身の持つ超能力を行使しても、元の世界へ帰還することが叶わないことを知り過ぎるほどに知っていた。
「多少は落ち着いてお話ができる状態になったでしょうか。ラックさんは、今回の召喚で私がお世話をする最後の一人。他の九人はもう召喚先へ送り出しました。とは言っても、ここは時間の流れが向こうとは違うので、到着時刻に大差はありませんけれどね」
「僕はその『召喚』とやらで『拉致された』と解釈して良いのか?」
拉致は犯罪であり、自身や身内に危害を加えた犯罪者相手に寛容な対応をする気分にはなれない。
それが故の確認であった。
「ですね。ですが、召喚した側は、自力でなんとかすることが不可能になって、やむにやまれず行った行為であることは知っておいて欲しいですね。それと、召喚対象になるのは、『今いる状況から逃げ出したい』と、少しでも考えている者に限られています。ラックさんに心当たりはありませんか?」
召喚対象となる条件を、実のところ全て語る気がない人を超越した存在は、最も無難な部分だけを語った。
実際は、健康寿命的な意味での生命力に溢れ、「才能値」とでも言うべき部分が異常値レベルで突出している者のみが対象となる。
ラックが召喚されてしまったのは、偶然ではなかった。
但し、初の事例になる問題点も抱えていたりするのであるが。
「ちょっと現状が嫌になって、少しばかり『一人旅にでも』と思ったことは認める。だからと言って『拉致されたことを許すか?』は話が違うぞ」
「安心してください。召喚者には、私が管理する世界に、勝手に召喚されたことへのお詫びもあって、召喚された先で生き抜ける飛び抜けた力を授けます。ま、これは本人が持つ潜在的な力。元々持っていた、使いきれていない才能の枠に新たな力を発現済みの形で押し込むやり方なので、そう聞かされると微妙な気持ちになるかもしれませんが」
「論点をずらすな。何故勝手に拉致を行った輩を、僕が助けなくてはならない?」
全く安心できない説明に、苛立ちを感じながらラックは問い質す。
かけがえのない半身であるミシュラと引き剥がされた超能力者の対応は、喧嘩腰ではあっても、これでもまだ抑えている方であるのだけれど。
ちなみに、この時のラックは知る由もないが、カルダーレの発言には一部嘘が混じっている。
ラックが召喚される世界は、カルダーレと邪神レイガーが管理権を争っている状況だったりするのだ。
実のところラックは接触テレパスをしっかりと行使しているのだが、悔しいことにカルダーレからは発言内容以上のことが読み取れはしなかった。
厳密に言えば「思考速度が速すぎて、ラックの読み取り能力を超越しているため、刹那に流れ込んで来る情報を上手く処理できない」が正しいのだけれど。
但し、これについては、「さすが神レベルの存在」と、相手を褒めるべきかもしれないが。
「その点、ご不満に思うのはよく理解できます。ですが、私から授けられる特別な力があれば、現地での困りごとの解決は、そう難しくありません。過去の事例を鑑みても、解決までに要する時間は最長で十年程度でしょうか」
「いや、待て。十年って長すぎるだろ!」
「そこだけ言葉を切り取るとごもっとも。ですが、最後まで聞いてから判断してくださいね。召喚された者はこの世界にとっての異分子であるせいで、老化の速度がかなり遅くなりますし、仮に十年掛かったとしても、肉体年齢の加齢は個人差がありますけれど、最大でも一年に届きません。また、元の世界へ戻る送還ができるようになるには、最短で五年くらい掛かりますが、召喚者の切実な願いを叶えれば、確実に元の世界へ戻れます。時の流れが違うので、仮に十年掛かって元の世界に戻った場合、召喚時からの時間の経過は、多少の誤差はありますけれど、概ね三十日程度に。また、特別な力を持ち帰ることだってできます。困っている人を助け、報酬を得て元の世界へ戻る。ついでに、長期休暇もある。此度の件、そのように受け止めていただけないでしょうか?」
そんなこんななんやかんやで、半ば言いくるめられた形のラックは、渋々ながらも召喚先でのできる限りの協力を約束した。
そうして、ようやく事態は次の段階へと進む。
カルダーレによる、「特別な力を授ける」の部分が始まるのだった。
「おかしいですね。ステータス表示機能が入りません。召喚される者は、全て多大な才能値を持っているから入らないはずがないのに」
基本中の基本であるステータス表示機能。
これが付与できなければ非常に困る。
今回はラックの習得言語が送り込まれる世界でも使われている日本語であるから問題は少ないが、そうでなければ自力での言語習得を強いなくてはならない。
それが避けられただけでも、不幸中の幸いなのかもしれない。
けれども、本来報酬の一部となるはずの、ステータス表示機能を始めとするお持ち帰り能力が全くなくなるのは、先に纏まった話の前提が覆るのであるから、それはもう大問題なのである。
「それが入らないとどうなるんだ?」
「『新たな特別な力が付与できない』ってことになりますね。ちょっと詳しく調べて見ましょう」
ラックの目の前で、カルダーレは何やら何もない空中で手を動かし、突然上皿天秤のような見た目の道具をその手に掴んだ。
続いて、ラックに対し、片側の上皿へ血を一滴垂らすように要求する。
カルダーレが持ち出した道具は神器であり、片方の上皿に血を垂らすことでもう片方の上皿に血の持ち主の情報が記された紙が出現するものであった。
「才能値の数字、ナニコレ。これまで見た中で一番大きい。あり得ないレベルで突出してる。なのに、全部使い切ってる? そんなこと、できるわけが。ああなるほど。魔力を持てないことをキーにして、他者から嫌悪感を持たれることと、基本的に女性から徹底的に嫌われる女難、常人には対処や解決するのが困難な事象が次々に降りかかる運命。困難に打ち勝つことで女難の一部が限定的に解除、反転されるみたいだけど。これって救いになるの? ただまぁ、これらで釣り合いをとることで才能値を使い切っている、使い切れているのね。しかも一つの能力だけで、これだけの才能値のほぼ全てを占めている? こんな神レベルの能力に人間の精神で耐えられるわけが。って、精神的苦痛に耐えることで精神耐性が上昇、能力もそれに伴って徐々に成長するのね。なるほど、上手くできてるわ」
ラックの持つ才能値は、「異常」の一言に尽きる。
なにしろ他の標準的な召喚者が持つ、ステータス表示機能の隠し項目でカルダーレのみが知ることができるそれを一とした時、その百万倍を楽に超えていたのだから。
文字通り、桁違いも甚だしいレベルで突出していたのだ。
カルダーレが驚くのも無理はなかった。
ステータス表示機能を含めた特別な能力が付与できなくとも、ラックの持つ自前の能力だけで召喚者に求められる義務の部分は、通常通りに事態が進めばおそらく達成できる。
寧ろ、能力だけから推測すれば超イージーモードすら考えられるだろう。
しかしそれは、あくまで「何の問題もなく、通常通りに事態が進めば」の話でしかない。
カルダーレが付与する特別な能力の基本的な部分に、「魔力量の増大」と「魔力回復速度の上昇」に加えて、「最大魔力量の成長率上昇」の三つがある。
これらは、魔力量の多さがそのまま戦闘能力に直結し、重視される世界でもあるために必須となっていた。
つまるところ、ラックが召喚された先の世界の価値観において、ラックは迫害の対象になり得てしまうのであった。
しかも、まず間違いなく、ラックの持つ固有能力の代償の部分が有効に作用する、作用してしまうのだろう。
そこまでの思考に至った時、カルダーレは自身にできることが何もないことに気づく。
加えて、「ラックの持っている元々の運命だから、仕方がないよね」と、自身に言い訳をして、「自分は悪くない」とばかりに全てをぶん投げた。
カルダーレは、無言の笑みを浮かべたまま、訝し気な表情へと変化したラックに対し、何も説明することなくさっさと召喚先へと送り出したのだった。
ラックにとって、ほぼほぼ無報酬に近い形が確定してしまった瞬間である。
こうして、ラックは自称神様から自身の存在の詳細を聞かされると同時に、新たに何の能力も得ることなく召喚先の世界へと放り出されることになった。
他の九名の召喚者や、召喚した側の人間たちと上手くやって行けるのかどうか?
本来であれば神のみぞ知るような未来の展開は、その神様が匙を投げた時点で、どう転ぶのかが完全に不明となったのだけれど。
説明を求めたはずなのに、自称神様からは結局スルーされて「敵地の中心」と言って過言ではない地に放り出されたファーミルス王国の元国王様。拉致加害者や、同じ境遇であるはずの九名の召喚者からも酷い扱いを受けることが確定した未来を知る由もない超能力者。見慣れない部屋で、見知らぬ人々に突如囲まれた状況で、「あれ? 僕まだステータスとか能力とか、カルダーレから何ももらってないよね?」と、茫然となるしかないラックなのであった。
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