第122話

「陛下が脅えて寝所から出てこないですって?」


 スピッツア帝国の皇帝補佐官は、困惑した表情を浮かべている女官長からの報告に驚いていた。

 発端は、今朝陛下を起こすために寝所へ入った侍女が、驚きの叫び声を上げたことだ。

 彼女は帝国の至尊の存在が寝息を立てていることを確認した後、まず声を掛け、それでも起きなかったために、身体を揺すって皇帝の意識の覚醒を促そうとした。

 そうして、彼女は彼の顔に”私はいつでもお前を殺せる!”と、どす黒い色で書き込まれているのを見てしまったのである。

 彼女が叫び声を上げたのも無理もない話だ。


 ちなみに、女官長が補佐官にした報告の段階では、文字を書くのに使われたのが何かの血液らしいことがわかっている。

 それは、彼女の指示で調査済みの事柄であるからだ。

 事件現場に駆け付けた彼女は、犯行に及んだ人間が書き込んだ時に寝具に付着したと思われる部分を、放置してはいなかったのである。


「はい。今朝、最初に寝所へ入った侍女がご尊顔を確認して悲鳴を上げたことで、陛下は目を御覚ましになられたのですが、寝所にある姿見の鏡へ視線を向けた後、掛布団の中で蹲ってしまっています。変色した枕を回収し、調べた結果、付いている汚れは何かの動物の血ではないかと思われます」


 そうした話をしているところへ、更に息を切らせて駆け寄って来た1人の女性によって新たな情報が追加された。

 一夜のうちに、スピッツア帝国の皇帝が使用する玉座にも、落書きをされていたのが発見されたのである。

 そこにはこう書かれていた。

 ”バーグ連邦への軍事侵攻を向こう10年行うな! これは警告である!”と。


 新たな追加情報を得て、補佐官は天を仰いだ。

 何者かが血文字でスピッツア帝国に告げていることは、ブラフではないことを悟ったからだ。

 誰にも知られることなく、陛下の顔や玉座に警告文が書き込める以上、城内での暗殺行為が容易であるのは馬鹿でもわかる話。

 勿論、内部の人間による犯行の可能性を捨て去ることはできない。だが、そうした疑いを持つのであれば、”犯行に及んだ人物は、いつからこの城に潜り込んでいたのか?”が、問題となる。

 城の内部で働く人材は、背後関係の調査が綿密にされていることは当然であるのに加え、ホイホイと新規の人間が入れられることはない。

 補佐官が知る限り、最も新顔と呼べる人間でも、勤め始めたのは3年以上も前の出来事となる。

 そして、彼が知らない人間が、夜間に城内へ入り込んでいるはずはないのだ。


 万一、バーグ連邦の手の者が城内に入り込んでいると仮定した場合でも、犯行に及んだ時期がおかしい。

 補佐官の視点からすると、内部犯であるなら、2年前の侵攻時や今回の件の事前にそれが行われていた方が、より効果的な事案だと思われるからである。

 特に、今の連邦は外部から容易にわかるほどに国力を低下させている。

 その状況下では、侵攻を受けてから対処するより、事前に脅すことで阻止が可能であるなら、その選択をしない理由はないと思われた。


 そこまで思考を進めた補佐官は、帝国の侵攻軍が受けた被害との共通点に気づく。

 夜間に何をされたのかがわからないという点と、手段が不明な人の移動がある点がそれだ。

 常識的に言えば、兵士が前線の陣地から遠く離れた帝都近郊に、瞬時に不可思議な方法で運ばれたのと、陛下の寝所に侵入者が居たことは全くの別物であり、結び付けて考えることではない。だが、寝所への侵入者が不可思議な方法で入り込んだのだと考えれば、”人間が他者に悟られることなく移動している”という部分は共通なのである。

 彼は、その部分を見落とすことはなかった。


「私が寝所へ出向いて、陛下と直接話します。場所が本来私が立ち入ることができない後宮ですから、罪人用の拘束具を使用します。急いでその準備を。それと貴女を含めて、複数の監視を私に付けて下さい。内密な話をするので、監視役は特に口が堅い信用がある者を頼みます」


 補佐官から明確な指示が出されたことで、女官長は即座に動き出した。

 そうして、10分と経たずに準備は整えられる。

 スピッツア帝国の皇帝は、布団に包まった体勢のままで行われた補佐官との話で、彼自身と自国の状況を理解するに至る。だが、皇帝にとってそこは重要な点ではなかった。

 彼にとって最も重要なのは、向こう10年バーグ連邦に手出しができないことが確定してしまったこと。その間に連邦は国力を回復させることは明白なのだ。

 その上、警告者が期限を切ってきているのは、帝国が南への侵攻を未来永劫諦めることを絶対にしないのを理解しているのと同時に、連邦に必要な時間と約定を帝国に従わらせることができる期間を見極めていると思われる部分である。


 補佐官は先じてその点に気づいており、丁寧に説明することで自身が仕える皇帝にそれを認識させることに成功していた。

 それによって、必要以上に未知の力を恐れることが、如何に無意味であることかを彼は君主に理解させたのであった。


 補佐官の考えでは、今回の警告を行ったのは連邦の人間ではない。

 連邦の人間が帝国を侵攻を止めるのに最も簡単で確実な方法とは、警告で何人でも帝国の皇帝を殺し続け、なんならスピッツア帝国という国そのものの存在を維持できなくすることなのだ。しかしながら、連邦の人間ならば誰にでもわかりそうなそれを行っていない。その時点で、警告者が第三者の立場であることが理解できる。

 勿論、彼の考えの中には、そうであって欲しいという願望の要素も若干入っていたりもするけれど。


 有能で異質な力を持つ敵が連邦に”居る”のと”力を貸しただけ”には、魔獣で例えて言えば小型と災害級くらいの大きな差がある。

 そして、その差を巨大な物だと悟れる程度には、補佐官の力量は優れていたのであった。


 バーグ連邦に忠誠心や帰属意識を持たず、かと言ってスピッツア帝国を滅ぼすことも良しとしない存在。

 それは、単純に考えれば、有力な候補はファーミルス王国の人間しか居ない。だが、彼の国には長きに渡って堅守されている国是がある。それを明確に破った初の事例が先頃あるにはあったが、それは彼の視点からすれば、意図して行われたものではなく不幸な偶然の重なりによって引き起こされたものであった。

 そうである前提の状況から想定されるのは、今回の件は王国以外の人間の関与だ。

 そして、その考えを補強する材料もある。

 王国に今回のような不可思議な現象を起こす力があるならば、彼の国がそれを秘匿する理由がないのだ。


 補佐官が知るファーミルス王国とは、この大陸内で他国に絶対の力の差を見せつけることで、周辺国を緩やかに従属させる存在であるのだから。




「そんな感じの脅しを、僕が昨夜行った。今朝からチラチラと様子を確認していたんだけど、効果は想像以上だったね。結果的に、今の皇帝と補佐官のコンビでスピッツア帝国が運営されている限り、10年間のバーグ連邦への武力行使はないだろうと思う」


 ラックは夕食会で、報告を行った。

 超能力者は昨夜のアレコレの後に、心地よい疲労で寝ている妻たちを置いてコッソリとベッドを抜け出し、スピッツア帝国の期間限定南進防止策を実施していた。

 千里眼での事前の確認にはそれなりに時間を要したものの、現場での犯行時間は短い。

 原案の皇帝の顔への落書き警告文は、ゴーズ家の当主が考えた物。

 書くための塗料を、普通のインクの代わりに動物の血を使うのと、玉座への警告文を書き込む案はフランによって追加された。


 尚、ラックは行きがけの駄賃にと、コッソリと城内の宝物庫の中から、足が付きにくそうな金品、宝石の類を選んで、少々失敬している。

 盗みを働いた名目は、迷惑料という実に身勝手な物だったりする。


 ラックが盗んだ物量は少なく、直ぐにバレるような派手なことをしなかった。そのため、後日それが発覚した時点で、スピッツア帝国の城内では”盗難か? 或いは内部の横領か?”と大騒ぎになる未来があるのは些細なことだ。

 その一部を、船長たちへのお詫びの意味で贈ったのがバレた時には、正妻が魔王化し、フラン以下の妻たちの顔が般若と化したのも些細なことなのである。

 勿論、今後何かあった時に流用しようと隠していた残りの全てが、正妻に供出させられ、分配されたのは言うまでもない。

 超能力者はそういう点では、お間抜けな一面も持っているのだった。




「方法の説明は割愛させて貰いますが、バーグ連邦で発生した伝染病の蔓延を抑え込むことには成功したと考えています。半年ほど警戒態勢を継続するのが現実的な対処だと思います。ゴーズ領はそうする予定ですね。病は2つありまして、未知の寄生虫による死病と、寄生虫が媒介すると思われる病原菌による死病です」


 ラックはお義父さんに状況を説明するため、北部辺境伯の館の隠し部屋に赴いていた。


「そうか。それは重畳。北部辺境伯領の警戒態勢の期間は、ゴーズ領に倣うとしようか。で、肝心な部分の確認だが。原因を突き止めたのは良いとしてだ。治療方法はあるのか?」


 ラックの義理の父はシス家当主のルウィンと相談の結果、現時点では北部辺境伯の領内に病が侵入した場合の対処方法を、隔離と焼却処理と定めている。

 治療方法がない死病である以上、蔓延を防ぐには非情と言われてもそれ以外の選択肢などないからだ。

 もっとも、幸いなことにこれまで、それが実施された例はないのだけれど。

 それ故に、治療方法が存在するのであれば方針の変更が必然となるため、その点の確認は避けて通れない。


「治療方法はゴーズ家独自のものが確立されています。が、寄生虫に関しては、治療方法自体が身体に負担が大きいため、所謂、『治療行為自体は成功しても、患者は死にました』という状況は発生します。但し、それに耐えられれば、どんなに重症であっても完治して助かります」


 ラックは一度言葉を切って、お義父さんからの質問がないかを待つ間を入れた。

 寄生虫と病原菌の話は別物であるためだ。

 そうして、質問が出ないことを確認した後、更に説明を続ける。


「病原菌由来と思われる伝染病は、詳細を明かすことはできませんが、私にしかできない治療方法があります。治療に着手した例から言えば、全身の五割程度が黒色化した進行度までは100%助けられます。それ以上の症状の進行だと、助かるかどうかは運次第。『九割を超えていても助かった例は一応ありますが、八割を超えた時点でほぼ助からない』と思った方が良いですね」


「ふむ。婿殿が持つ『異能の力が必要な治療方法』というわけか。だが、そうなると当然、患者のいる場所が問題となるし、時間当たりに処置を施せる患者の数は限られるな? それに、『未来永劫可能な治療方法』とも言えぬ」


 未来にゴーズ家の相談役に就任予定の人物は、即座に問題点に気づく。

 そして、気づいた以上は、それを直ぐに確認する。


 対処可能な方法が、個人の技量に依存する物である以上、その人物が居なくなれば方法自体が失われるのは至極当然の理屈だ。

 娘婿も人間である以上は、いくら若く見える外見であっても、寿命という全ての生物が持つ定めからは逃れられない。

 相談役に退いたシス家の前当主は、そのように判断を下していた。


「ええ。ですから治療方法の公表はできません。けれど、知った範囲で助けられる者は助ける方針ですね」


 ラックの言葉に、シス家の相談役を務める身としては満足する。

 娘婿は明言してはいなくとも、「外部には公表しない」と断言した事実を自身には語った。

 それはつまり、「要請されれば、可能な限り治療します」と宣言されたも同然なのである。彼の言う「知った範囲」とは、ゴーズ家の支配下の範囲に限定されてはいない。

 そのような物言いは、義父の立場からすれば好ましく映るのであった。


 そんなこんなのなんやかんやで、ラックはバーグ連邦から帰還した後の事後処理を淡々と熟した。

 些細な嫁、妾たちの問題と、実妹と甥っ子関連のアレコレ以外には、さして大きな問題は起こらなかったのだった。


 尚、運も絡んでの話にはなるが、時系列が飛ぶ未来の結果から言うと1年という時間が経過した後でも、バーグ連邦内で危険な病が再度発症した例はない。

 超能力者により運ばれる連邦への支援物資も、その頃には必要がほぼなくなっていた。

 一旦南の孤島へ隔離された人々も、時を経て連邦の国内へ戻す作業が行われたのだった。

 そうして、バーグ連邦は落ち着き、ラックは時折思い出したように千里眼で眺めるだけの対応へと移行して行く。

 治療可能な人間が超能力者ただ1人という、実は深刻な大問題も、顕在化することなく忘れ去られる過去の物へと風化することになるのである。


 この案件で、濡れ手に粟でウハウハな思いができたのは、結果だけからするとスティキー皇国だけだった。だが、彼の国は自業自得とはいえ、その前の段階でフランの手による悪辣な戦略と超能力者の攻撃により、甚大な被害を被っている。皇国は棚ぼたの利益で一息ついたが、未だに苦しい再建期なのに変わりはないのであった。


 こうして、ラックの統治下の地域と、北部辺境伯領は死病級の伝染病という重大な危機を事後処理も含めて完全に克服した。

 西部辺境伯領や、王都では、気が休まることのない伝染病への警戒態勢が長きに渡って続けられ、疲弊することになるのは、超能力者は関係のないことだったのである。


 ミシュラの5人目の子の妊娠が発覚し、これまでに子を1人、或いは授かっていない夫人たちから夜の当番の増加を求められるゴーズ領の領主様。そっち方面の生理的欲求は強めの超能力者に、それを拒む理由などない。伯父の娶っている妻の多さに驚く甥っ子フォウルからは、「だからって、毎晩3人も相手にするのは身体が持つの?」と、妙な心配をされるラックなのであった。



◇◇◇感謝◇◇◇


 最近、もう一作の長編の【勇者やってたはずが宇宙へ】を読んで下っている方が増えています。投稿を止めてしまってからかなりの期間が空いているのに有り難いことです。

 ということで、感謝。ありがとうございます!


 こちらの連載の完結を優先していてあちらの続きに手を付けていないのですが、何処かの段階で着手しなくてはいけないと思いました。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る