第115話

「ラックが今夜は戻らない。『いつ戻れるのか?』もわからないだって?」


 フランは夕食会でミシュラが最初に告げた言葉に驚き、思わず聞き返してしまっていた。

 勿論、驚いていたのは第2夫人だけではない。

 リティシアもエレーヌもアスラも同様に驚いていた。

 彼女たちはラックがテレポートを行うことができるのを知っている。それ故に、事前告知のない彼の不在という事態から受ける衝撃は大きい。


「ええ。あの人は今、バーグ連邦で伝染病への対処を行っているはずです。それに目処が立つまでは、」


「いくらラックに『色々なことができる』と言っても、彼は医者ではない。伝染病の治療などという高難易度の医療行為が、助手もなくたった1人で、しかも医療用魔道具を一切使えなくても可能なのか?」


 ミシュラの説明しかけた発言に、フランは言葉を被せた。

 彼女のその発言は、正妻以外の夫人全員の考えを代弁していた。

 そして、第2夫人の発言の後、アスラが何かに気づいたように表情を変化させる。


「治療方法が不明の死病というお話でしたわね? 『治療』ではなく『対処』と表現しているということは、伝染病がファーミルス王国に入り込む余地がない方法を選択したのですわね?」


「それって」


 リティシアはアスラの発言の意味するところに気づき、思わず声を上げた。

 フランとエレーヌは声は出さなかったが、それを悟ってしまったのは同様である。

 そして、悟ってしまえば、彼女たちはその内容が内容だけに、表情を一変させてしまう。


「ミシュラ。貴女は知っていてラックを送り出したのか?」


 フランは語気を強めた。

 厳しい表情で、正妻へ向ける彼女の眼差しは鋭いものへと変化している。


「あの人はこう言っていました。『どんなに厳重な防疫体制を敷いても、ファーミルス王国内にバーグ連邦の病が入り込めば、ゴーズ領に伝播するのは時間の問題だと僕は思う。比較的安全に調査と対処が可能なのは、おそらく僕だけだ』とね。フラン。貴女になら止められましたか?」


 フランはミシュラの発言を受けて、固い表情のまま首を左右に振った。

 彼女は自身が正妻のようにラックから内心を聞かされても、彼の行動を止めることはできなかったであろうことをその仕草で示す。

 そして、彼女は自嘲気味に、前日の夕食会での夫の秘めたる決断を推測して語る。


「そういうことか。つまり、昨夜の夕食会が終わった段階で、ラックは1人で全てを抱え込むつもりだったのだな? そしてミシュラだけが、それに気づいたと。そういうわけなのだな?」


 シス家から嫁いで来た才女は、正妻のみが気づいた点に自身が気づけなかったことを恥じた。

 そして、無辜の民を大量虐殺する可能性への覚悟を持つことへの精神的負担を、妻たちに拡散しないラックのやり方へに、フランは寂しさと怒りを、そして同時に愛されている嬉しさを感じてしまっていた。

 それは、もし質や量を問うたならば、ミシュラへ向けられるモノとは確実に大きな差が生じていることを、彼女は知り過ぎるほど知っている。当主と正妻の2人の間にある絆は深く、それほどまでに特別なモノだ。

 しかしながら、彼女自身が夫との間に築き上げた絆は、政略結婚で生み出されるはずの義務的な冷めた関係とは一線を画しているのもまた事実。

 彼女の中で時間を掛けて育まれた想いは、決して一方通行の代物ではない。

 そうした感情面の状況はリティシアやエレーヌも似たようなものであり、妻となってからの期間が短いアスラですらも、それは例外ではないのだった。


 正妻以外の妻たちは、魔力0の男の最愛の存在になることはできないし、仮にそれを望んだとしてもその座は得ることなどできない。

 それでも、ラックに大切必要不可欠だと思われる存在には、既になり得ているのである。


「わたくしたちに不要な、陰惨で重い精神的負担を背負い込ませないために、ラックは伝えなかった。決断に関与させなかったのですわね。そして、それを黙っているということは、公表する気がない。そういうことですわね」


 アスラはポツリと言葉をこぼす。

 エレーヌはほぼ無言のままで食事を終えたが、彼女は言葉には出さなくとも、態度で内心を露わにしていた。


 そうして、ラックが不在の夕食会は、他の事務的な情報交換を済ませてから、解散となったのである。




「食料は当然として、必要な物資の供給は可能な限り要望に応えて行う。多少の不便は甘受して欲しい」


 ラックは治療行為を終えた後、当面の物資が足りているかのチェックを行った。

 そして、病原を駆逐するために全てを焼き払った責任を取ろうとしたのが、前述の彼の発言に繋がっている。もっとも、それを告げられた側は、彼ではなく彼女と認識していたのだけれど。


 彼らが目にしているラックとは、顔形もその身に纏う衣装も、全てはスティキー皇国のモノ。

 そして超能力者は、実は性別までも偽っている。

 それ故に。

 彼は今回の件で超能力の使用を見られることについて、一切の躊躇をしなかったのだった。


 最低限の必要な対処を済ませた後、活動限界に近づいていたラックは食事と睡眠をとる。但し、超能力者はゴーズ領の領主の館へは戻らなかった。彼は伝染病を患っていた人間に直に触れているため、自身への病の感染の可能性を考慮したためだ。

 ゴーズ家の当主は、今夜も戻れないことをミシュラへ合図をすることで伝えた後、スティキー皇国から借り受けた孤島で誰も居ない場所を選び、1人休息の時を過ごしたのである。


 翌朝になって、ラックは人の移動と、復興作業の準備へと着手して行く。

 伝染病に罹患しなかった人間を中心に、罹患の疑いがあった者も含めて、予め候補先を絞り込んでいる居住先の中から希望を聞いた上で、纏まった人数でテレポートによる配置を行う。

 罹患していて治療により助かった者は、昨日の段階で全員問答無用で孤島へと運んでしまっていたため、彼は残った者への対処を始めたのであった。


 ラックは居住地の候補先を勝手に絞り込むことで、拠点として早期に復興する街を限定していた。

 そうしたのにはいくつか理由がある。

 まず、全員の自由に出される希望を、完全に叶えて送り届ける手間を省きたかったこと。

 続いて、復興に必要な労働力の分散を避け、少数でも良いので完全に機能する街を作り上げることを優先したこと。

 最後に、伝染病の再発生時の迅速な対応が可能となること。

 大まかに言えば前述の3つが理由としては大きい。

 勿論、細かな理由は別であるけれど。


 居住地の候補先は、具体的にはバーグ連邦の南西側から中央にかけての部分の公国7つの都とした。

 それは、その地を治めるそれぞれの大公家が居を構えていた場所となる。

 健康に問題がなさそうな人間の頭数をある程度纏め、復興が立ち行かないことがないようにそれなりの配慮はしているが、逆に言えば復興作業そのものには力を貸すつもりがあまりないラックだ。

 そこまでしなくてはならないほど、超能力者はこの地に住まう者たちへ責任を持つ気はなかった。


 これは、「幸い」と言って良いのかはラックからすると少々疑問だが、それら7つの公国の大公家は偶然にも当主或いはそのスペア、次期当主といった統治者層が健在であった。

 要は、大公家の頭を張る正統な血筋が、病で途絶えてはいなかったのだ。

 ついでに言えば、残りの10家も当主或いは男子の生存という条件に限定しなければ、全ての家で血を繋ぐ者が生き残っている。もっとも、残されたのが幼女或いは赤子のみだったりする家、それに加えて、譜代の家臣が軒並み死亡してしまっているような家が、”健在な当主とそれを支える信頼できる家臣団を擁して公国を統治していた頃のように、果たして機能できるのか?”は、別問題となるわけだが。


 ラックからするとバーグ連邦他国の上層部が誰であろうとも、本音を言ってしまえばどうでも良い。なんなら、「ファーミルス王国との関係が友好的な国でなくなってしまっても、構いはしない」とまで考えている。

 王国としては魔道具の輸出先であり、魔石の輸入元でもある連邦はそれなりに重要度が高い必要な国ではある。

 その程度ことは、彼も王国の上級貴族の一員である以上百も承知だ。

 しかしながら、「では、必要不可欠の存在か?」と、問われれば答えは否であるのだ。


 極めて利己的な話をしてしまうと、魔石の供給量がファーミルス王国で慢性的に不足している状況は、ラックの統治下の地域や北部辺境伯が睨みを利かせる地域には都合が良い。

 魔獣の領域は脅威ではあるが、北部地域全体で考えると、「金を生み出す資源」と言えなくもないからだ。


 ラックにはファーミルス王国の国是への絡みからくる理由が存在するため、自身が今回の件に関与しているのを知られたくない。それは勿論だが、それ以外でも個人的に持っている特殊な力超能力や、できることの規模を隠匿したままにしておきたい。

 それ故に、偽りの姿形を晒しているわけだが、全てを無償で行う必要はなかった。

 彼が聖人君子でもなんでもない以上、それは当然でもある。

 超能力者は、善意のみで動いたわけではない。寧ろ、そうした感情的な成分ははっきり言えば少ない。

 ゴーズ家の当主が動いたのは、あくまで自身の統治下地域に謎の死病を蔓延させる可能性を事前に摘み取ることが主目的であって、他国の民を救う救済行為自体が目的化してはいなかった。


 ラックの成し遂げた結果だけを見れば、その英雄的行為に「善意が全く含まれていない」とはさすがに言えない。が、それでも割合を考えると、それはかなり少ないのが現実。感覚的なモノを数値で表したならば、善意と呼べる成分は多めに見積もっても2割未満なのである。


 敵対していた国の民ではなく、ゴーズ領に故意に損害を与えた存在ではないバーグ連邦の人々。その多くが寄生虫と伝染病で死亡したことや、超能力者が助けるつもりで動いて助けられなかった失われた命の存在。

 それは、ミシュラが事前に悟っている通り、彼女の夫の心に確かな澱を残してしまっている。しかしながら、それがその程度で済んでいるのは、対象がゴーズ家の当主が責任を持たねばならない範疇の人々ではないからだ。


 命の価値が軽い日常があるとは言え、目の前で起こる人の死に感じるモノがないはずがない。

 これはそんな話でもある。


 そんなこんなのなんやかんやで、人の配置が済んだ後、ラックは対価の交渉と今後の対応についての話し合いの場を持つ。

 7つの都の代表者は、当然のように大公家の当主クラスの人間が補佐をする人員と共にその集まりへと出席していた。


「貴君たちを集めたのは、今後の対応と対価の話を纏めるためだ」


 発言したラックへ向けられる当主たちの視線には、人外の者へ向けられる恐怖が含まれている。それでも、彼らは設けられた場の意味を考えざるを得ない。


「病の治療と人の隔離。そこは感謝しているが、私の公国はボロボロだ。焦土化されたのは必要なことであったのだろうから、そこに文句を言うつもりはない。だが、今の状況で対価を求められても、出せるものなどないぞ?」


 最年長と思われる男の1人が、口では「文句を言うつもりはない」と言いながらも、非難を浴びせるかのような視線をラックへ向けていた。

 彼には恐怖に負けない胆力もあったのだろう。


「それは承知している。今すぐに支払えと求めはしない。そもそも、この地にはまだまだ追加援助が必要な状況だろう? そんなことはあり得ないさ。けれどな、全てを無償援助する理由は当方にはない。また、貴君らにそれを求める権利がないのは、理解できるな?」


「理解している。だが、要求されるものとその物量が示されなければ、それが『妥当な対価であるのか?』の判断すらできない。貴女の見慣れない服装はこの国や帝国、王国のものではないだろう? 供給されている食料もそんな感じだ。物資の出所もだが、貴女の出自を明らかにして欲しいものだな」


 ラックは疑問に答えたが、助けられた側であるはずの人間からは要求を突き付けられた。

 彼の言葉の意味は、「どこの誰だか知らんが、お前がしたのは我々に求められての助けではないぞ。援助の押し売りで対価を請求し、この国を食い物にする気か?」であった。

 

「この大陸では、私の服装は珍しいでしょうね。デザインは勿論、使用されている糸や生地も違うでしょうし。それはそれとして、私が出自を明かさなければならない理由はない。試みに問うが、貴君らの国では同じものを売りに来ても、出自で買値を変えるのか? 対価として求めるものは、この国の金を貰っても仕方がないのでな。それを相談するための場を、私は設けたつもりなのだがな?」


 ラックは出自も含めて、物資の出所を明確にすることをはぐらかす。

 彼がファーミルス王国の上級貴族の地位にある以上、そうするに足る必然の事情があったとは言え、当事国の要請も王国の決定もなしに、勝手に他国の領土を焦土化したのがバレるのは非常に不味いからである。


 こうして、ラックはバーグ連邦の復興への足掛かりを作り出し、今後に向けての話し合いを始めた。

 出自を悟らせないためにやむを得ないとは言え、超能力者の今の女性の姿では、相手から多少舐められる部分が出てくるのは避けられない。が、それでも、”将来、何をどこまで差し出してくる気があるのか?”の落としどころの探り合いは開幕したのである。 


 ファーミルス王国の人間ではないと誤魔化すために、スティキー皇国人の体裁を装い、物資の調達も皇国産に頼るゴーズ領の領主様。何気に彼の国の戦後で疲弊した経済状況に、超有効なカンフル剤を自覚なく打つ超能力者。張本人は、「小用を足すのだけは面倒だけど、女体化って意外と楽しいかも?」と、呑気に意味不明な感想を呟いていた。ミシュラに知られたら不味い、癖になったらやばい考えが、頭を過っているラックなのであった。 


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