第114話

「死病級の危険な伝染病がバーグ連邦で蔓延しているだと?」


 前北部辺境伯は、いつもながら唐突に訪ねて来る娘婿の発言内容に驚いていた。

 知らされた情報通りの危険な病であるなら、ファーミルス王国の宰相の情報伝達に問題があると判断せざるを得ないからだ。

 もっとも、結果から言えばそれは杞憂でしかないけれど。

 何故なら、シス家の新たな当主となったルウィンは、前当主で頼れる相談役を抜きに、今まさにその情報を持った王都からの使者への応対を始めたところだったりするのだから。


「ええ。千里眼で視た状況では、連邦の総人口に対して、推定で5割を超える人間が既に死亡していると思われます。ゴーズ家に情報が早く届いたのは、妹が息子を連れて疎開したいと打診してきたせいなのですよ。それについては受け入れを是として返答済み。おそらくですが、近々に母子が従者を連れてトランザ村へやって来ることになります」


「そうか。この国で最初に病が入り込むのはおそらく西部辺境伯領だろう。スピッツア帝国の感染状況についての情報はないのか?」


 北部辺境伯領に伝染病が入り込む経路を想定するなら、王都経由、西部辺境伯領経由、スピッツア帝国経由の3つのルートがある。

 時間的に考えれば、王都からの伝播は可能性が最も低い。実質的には2つのルートへの警戒を高めるべきであり、シス家の前当主が行ったラックへの質問は、彼が新当主へ助言するには情報が足りていないが故の確認となる。


「えっとですね。バーグ連邦内の感染分布をざっくり言うと、大きな街はほぼやられています。ご存じだと思いますけど、連邦は17の大公家が寄り集まった国ですからね。いわゆる公国の首都的なところが全て壊滅的被害を受けています。街の人口の8割方が死亡していると思っていただいて良いかと。スピッツア帝国や西部辺境伯領に近い小さな集落は、まだ感染者が出ている節がないですね」


 ファーミルス王国以外の国には、移動手段となる王国産の魔道具は存在しない。

 厳密にはそれぞれの国産で、高速移動の手段となる使い捨ての魔道具があるにはあるが、それは滅多なことでは使用されない。

 要は、通常の移動と言うか輸送と言うかに用いられる手段は、徒歩か馬の力に頼っているのが現状なのである。おそらくはそれが理由で、伝染病の広がりに時間差が生じているのであろう。

 ラックはそうした推測も踏まえて、義父に情報を伝えて行く。


「ふむ。まぁ感染が発覚してから物流や人流を止めても、手遅れになる可能性が高い。今の段階で情報が入って来ているのを、喜ぶべきなのだろうな。先にルウィンにこの件を伝えて、領内に感染症対策の指示を出させる。少し待っていてくれ」


 相談役は娘婿にそう言い置いて中座し、新当主である息子の元へと急いだ。

 そうして、彼は王都からもちゃんと情報が届いているのを知り、宰相の対処に安堵するのである。




「わかりました。直ぐに領内への出入りに制限を掛ける指示を出します。しかし、父上。父上の話は、王都からもたらされた情報より、内容の詳細が判明しているのは何故なのですか?」


「ルウィン。私には私の、独自の情報収集の手段があるというだけの話だ。それについては、今話すべきことではない」


 父と子の、相談役と現当主との短い情報交換の時間はそうして終わる。間髪入れずに、彼らはそれぞれに目的を持って動き出して行く。


 相談役を務める父親からすれば、娘婿ラックが持つ異能の力を勝手にルウィンへ伝えることはできない。

 嫡男が北部辺境伯の爵位と役割を継いだことと、ゴーズ家の当主が持つ独自の能力を知ることは全く別の話なのだからそれは当然である。

 新当主は、個人的にゴーズ上級侯爵との間に重厚な信用或いは信頼関係という物を、築き上げねばならない。だが、本人がそこに気づくのは果たしていつになるのか?

 義妹フランの夫であり、義弟であるという関係性と、以前からのサエバ領の代官時代での係わり方。

 要は、既に構築している現況だけで満足している息子を見ると、重視しなくてはならない部分への判断力に、前当主は少々不安を覚えてしまう。


 相談役自身が娘婿ラックから彼が持つ能力を明かされたのは、超能力者が自主的に行ったことではない。それは、辺境伯から水を向けて、初めて実現したことであった。

 そうした当時のことを考えると、当主交代が済んでいる今の段階でそれを知らされていない現在のルウィンは、自身と同じレベルの信頼関係がないと上級侯爵から通告されているも同然なのである。

 むろん、ゴーズ家の当主にシス家を軽んじる気がないのは、彼自身が未来の相談役として彼の家に求められていることからも明確になっている。

 だが、今のままでは相談役としてゴーズ領に居を移した後に、ファーミルス王国内での力関係が更にシス家からゴーズ家へと傾いてしまう。

 爵位的に考えれば、それは間違いとは言えない。

 爵位の序列で言えば、辺境伯は上級侯爵の下であるからだ。けれども、そうなればシス家の北部の要としての立場は弱体化してしまう。

 それはシス家視点では勿論だが、これまでの王国の体制からしても好ましい話ではないのだった。




「待たせたな、婿殿。北部辺境伯領の対応については現当主に任せてきた。それはそれで良いとして、今回の案件に個人の力で内密に介入するのか否か。その部分の話をまだ聞いていない」


 ラックの義理の父は真剣な眼差しを超能力者へと向けた。

 超が付くような危険な伝染病への対応とは、治療方法がない場合、陰惨な方法を取らざるを得ない。そのことを彼は熟知していたからである。


「ゴーズ家の未来を守るために、力が及ぶ範囲のことはします。絶海の孤島に当てがあります。なので、この後準備をしてからそこへ隔離するつもりですよ」


「そうか。すまんな。『任せる』としか言えん」


 そうして、北部辺境伯領の相談役は、静かに頭を下げた。


 過去の事例からの相談役の判断では、この問題を放置すればどのような未来を招くのかの予測はつく。

 いずれはスピッツア帝国からの要請を経て、ファーミルス王国がバーグ連邦の国土全域を文字通り焦土とする可能性は極めて高い。そしてそこには、多くの機動騎士が動員されるであろう。


 ラックの力の一端を知っている彼の義父は、娘婿が力を振るうことでそこまでの事態には至らないことを直感的に理解していた。力の全容を知らなくとも、個人の力で介入することを否としない以上は、そういうことなのだろうと考えるしかない。

 そして、同時に。

 眼前の異様に若く見える細身の男が、全てを救うことは不可能であり、切り捨てざるを得ない部分が出てくるのも悟らされてしまう。


 ゴーズ上級侯爵がこの後受ける精神的苦痛は、如何ほどのものであるのか?


 その部分を慮れば。

 シス家の前当主は、半ば無意識にラックに向かって頭を下げていたのである。


 前話113話で、ラックがスティキー皇国へ向かう前。

 超能力者は北部辺境伯領の領都で、このような話をしていたのであった。




 ラックはバーグ連邦で人の選別を終えた後、即座に水と食料の供給を行う。

 続いて超能力者が行ったのは、発症はしているがまだ生きている者への聞き取り調査だ。

 それは感染経路を割り出し、対策を考えるのに必要な事柄である。


 そうして話を聞きつつ、罹患者の容態を観察していると、ゴーズ家の当主はおかしな点に気づく。

 彼らが罹患している病が、全員同じ物だとはとても思えないという事実にだ。

 外観からでもわかる腹部に異常な膨らみがある者と、黒い大きな痣のような物が全身の随所に浮かび上がっている者、両方の特徴をあわせ持つ者。

 罹患者はそうした3つの容態に大別できる。だが、前の2つが同一の病から出る症状だとは、ラックには考えにくかったのだ。


「つまり、腹部が膨れている者は感染経路に思い当たる部分がないが、黒い痣が全身に出ている者は、腹部が膨れる症状が出ている者か、黒い痣が出ている者に接触している。そういう話なわけか」


 情報は得られた。

 ラックは意を決して、腹部が膨れている者への透視を行う。

 罹患者の体内で一体何が起こっているのか?

 魔獣の解体経験で、生物の内臓の特徴にはなんとなく詳しくなってしまっている超能力者。彼は、肥大化している肝臓に注目し、更にそこを詳しく視て行く。


「うげぇ。これ、寄生虫か?」


 肝臓に大量に巣食っていたのは、極小サイズのワームのようなモノだ。

 そして、全身を同種のモノが存在して居る部位がないのかの調査に移る。

 そうして分かったことは、血液中にも潜み、全身の各所にもそれらが存在しているという事実であった。

 肝臓は、単に寄生虫が大量に巣食っていて、身体がそれに反応して肥大化してしまっただけなのであろう。そう結論付けた後の、ラックの決断は早かった。


「腹部に異常が出ている者は寄生虫が原因。だけど、ここには寄生虫を駆除する薬なんてない。もっとも、聞いたことがないような寄生虫だから、薬とか有効な治療方法が存在するのかはわからない」


「そうですか。助からないのであれば、病を広める原因にはなりたくありません。殺して、焼いていただけませんか?」


 ラックの通告を受けた罹患者は、諦めてしまえば意思の決定は早い。


「うん。悪いけど、最後の手段はそうなるかもしれない。でも、どうせ死ぬのなら、寄生虫を死滅させることができるかもしれない方法に賭けてみないか?」


 患者の了解を得て、ラックは電撃を叩きつけた。

 人が耐えられるギリギリと思われる電気的なショックに、小さな寄生虫が耐えられるとは思えない。

 そのような理屈から、超能力者はそうした行為に出たのである。


 人が耐えられる限界の電撃。

 それには個人差という物が当たり前のように存在する。

 そこに介在しそうな要因とは、年齢、体格(体重)、性別、罹患者本人に残されている体力などであり、それらを含めての個人差は千差万別と言って良い。

 ラックにはそうした微妙な差を、個々に見分けることなどできはしなかった。

 それ故に。

 超能力者は、寄生虫を殲滅できる威力を見極める方向に舵を切る。


 そうした行動の結果、残念ながら、必要な威力の見極めがつくまでの間の人体実験で、亡くなった者は出ていた。更に言えば、見極めがついた後でも、必要な電撃の威力それ自体に耐えることができずに命を落とした者も存在した。

 それは、純粋な数だけを見ればそれなりに大きな数字となる。だが、割合という観点で見れば5%に満たない数字。

 しかしながら、確実に存在するそれはラックの心へ蓄積して行く澱でもあった。


 ラックは、発症済みの者へのそうした一次措置を終えた後、更に非情な決断へと踏み込む。

 超能力者は、隔離済みで未発症の全ての人間に対しても、同様に電撃を浴びせた。

 何の僥倖か、そこで死者が1人も発生しなかったのは単なる偶然であり、運だけの問題であろう。


 そうした寄生虫対策を終えたラックは、続いて黒い痣を持つ者へと着目する。

 聞き取りの結果から言えば、おそらくは接触感染。皮膚や粘膜にウィルスが付着して、体内に入り込んでの発症なのだと予測はできる。


 ウィルスはどこから来たのか?


 それが問題なのだが、それに対する確度が高いと思われる答えに、超能力者は既に行きついていた。

 寄生虫がそれを保有していたのであろう。


 では、寄生虫に身体を侵されながらも、黒い痣が出た者と出なかった者の差はどこから来るのか?


 それに対しては残念ながら、個人差で持って生まれた体質、平たく言えば「遺伝子の問題である」というくらいの推論しか、ラックは組み立てることができなかった。

 しかしながら、もしその推論が的を射ているのであれば、医師ではない超能力者にも対抗する手段が存在する。寧ろ、超能力による治療でなければ、有効な薬剤がない現時点に置いては助からないまである。


「これで、なんとかなってくれ」


 ラックは祈るような呟きと共に、超能力を行使した。

 彼は寄生虫の駆除が終わっていて黒い痣が発生していない人間をお湯で洗い、全身にアルコールでの消毒を施したあと、遺伝子をコピーしたのだ。

 これは、超能力の行使に接触が必要なため、ここまでサイコバリアで完全に身を守っていた超能力者が初めて冒した危険行為である。

 但し、確証がなかっただけで、感覚的には自身に危険が及ぶと感じられなかったための行動であり、ここで根治させる治療方法を得られるかどうかを天秤に掛けたが故の判断でもあった。


 その賭けにラックは勝利する。


 黒い痣がない正常な皮膚の部分に触れ、コピーした遺伝子を元にして遺伝子治療を行う。厳密に言えば、治療とは名ばかりで、ウィルスに対抗できる因子を持つ遺伝子へと作り変える乱暴な方法なのだけれど。

 ここでは、ゴーズ領を預かる責任者として、これまでに行った治療経験が生きる。

 ラックはゴーズ家統治下の村々で、医者の真似事をしており、遺伝子異常で生まれて来る赤子の治療を超能力を用いて行ってきたからだ。

 但し、この超能力を行使して治療するには、1人1人にかけなければならない時間が電撃を行使した時とは比較にならないほど長くなる。

 病の進行度合いを見て優先順位をつけても、治療を必要とする人数は多過ぎた。

 結果的に治療が間に合わず、命を落とした者はやはり存在してしまったのだった。


 そんなこんなのなんやかんやで、ミシュラに今夜は戻らないことを合図で伝えた上で、超能力者は夜を徹しての治療行為に挑んだ。その結果、ラックがバーグ連邦に訪れてから発生した死者数は、4桁の範囲に収まったのである。


 こうして、ラックは謎の奇病を根治させる手段を得た。治療を終えた人間の全てを、偏見による迫害を防ぐために用意していた島へと逃がし、超能力者はやるべきことをやり切ったのだった。


 バーグ連邦の消滅の危機を救ったゴーズ領の領主様。超能力者が力を尽くしても、少なくない死者の発生を完全に止めることは叶わなかった。そうしてこぼれ落ちる呟き。「ファーミルス王国では、魔獣災害で村ごとなくなることだってあるんだから」と、自分自身でもよくわからない理屈を振りかざして、なんとかざわつく心を鎮めようとするラックなのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る