エピローグ 告白 ~葉桜の下で~

「なめろう、タスクです!」



 早朝、いきなりインターフォンが連打されたので慌ててドアを開けると、美葉がどこか焦った様子でお決まりのセリフを発した。


 チャットアプリの指示じゃないということは、わりと緊急事態なのかもしれない。


 だとしても――



「5時半なんだけど……ふわぁああ」

「あくびをしている場合じゃありません! とにかく、早く来てください!」

「あ、ちょ、ちょっと!」



 美葉に手を引っ張られ、俺は強引に外へ連れ出された。

 寝癖でボサボサの髪に、ヨレヨレの部屋着。


 正直こんな格好は見られたくないが、こうなってしまった美葉はもう誰にも止められない。


 俺は仕方なく彼女についていくことにした。



「それで、どこへ行くんだ?」

「……桜並木です」



 美葉は俺の方を振り向くことなく、小声でそう答えた。

 彼女の手汗が、俺の手首にじんわりと広がる。というか、握力が強すぎて痛い。


 だが、美葉は俺の手首を離そうとせず、ズンズンと先へ進んだ。


 それから約10分。俺たちは桜並木へ着いた。

 5月も下旬なので、木々はすっかり新緑に染まっている。


 

「タスク内容は?」

「……探し物です」

「何を?」

「……とにかく、探してください」



 探し物の依頼なのに、探して欲しい物を言わないなんて、どうかしている。

 だけど、美葉の血色が悪いことに気づき、何か事情があることを察した。


 ……とりあえず、探そう。


 俺は桜並木の隅々を探した。ベンチの下や、落ち葉の裏まで。

 しかし、これと言った落し物は見つからない。



「なぁ、そもそもなんでここで落とし物をしたんだ?」

「……昨日、ここでやけ酒……花見をしていたら、朝ベンチで起き……朝なくなっていて」

「ばか。ここで1人で寝たのか⁉」

「……い、いや……」


 

 俺は血の気が引いた。

 美葉は泥酔すると人格が変わってだらしなくなるし、何より夜に1人でここで寝るなんて危なすぎる。


 もし男にそんな姿を見られていたら――



「美葉、襲われてないよな⁉」

「まさか! そんなわけないじゃないですか」

「それはよかったけど……今度同じことをしたら怒るぞ」

「なんでなめろうが怒るんですか? 保護者でもないのに……」



 そんなの決まってるだろ。



「美葉のことが、心配なんだよ。保護者じゃなくても心配するのは自由だろ?」

「それは……」

「やけ酒したということは親と何かあったのはわかる。でも、1人でここは危険だ。現に落とし物をしてるし。だから、やけ酒したいときは必ず俺を誘え」

「……え?」

「あ、や……へ、変な男に襲われないようにするためだ! いいな!」

「……は、はい」



 これじゃまるで、美葉にめちゃめちゃ気があるみたいじゃないか。

 ……いや、事実だが。


 俺は羞恥を霧散させるため、必死に捜索をした。しかし、見つかるのはゴミやBB弾のオレンジの玉。美葉の私物らしき物は見つからない。


 体感では、30分以上が経過していた。



「なぁ美葉、そろそろ落とし物がなんなのか教えてくれな……え、大丈夫?」



 俺が振り向くと、なんと美葉が泣いている。



「な、なんでもないです……」

「なんかあるだろ」

「なんでもない」

「なんかある」

「なんでもな――」

「俺じゃ、力になれないか?」



 俺は俯く美葉の顔を覗き込んで真剣に尋ねた。

 美葉は泡を食ったような表情をしたが、涙を拭って小さく答えた。



「……鍵です」

「鍵?」

「家の、鍵」

「なんでそれを早く言わなかったの?」

「だって……管理人失格って、なめろうに思われたくなかったから……」



 なんだそんなことか。

 鍵の在処なら、知っている。



「その……触ってみなよ」

「な、何をですか?」

「ほら、だからその……胸を……」

「なめろうの、変態!」



 美葉は顔を桜色に染め、眉根を寄せている。



「ご、誤解だよ。ほら、俺と初めて会った日を思い出してみろよ。ゆるるに何か言われなかったか」

「えっと……あっ」



 美葉は口をあんぐりと開けた後、Tシャツの襟に手を突っ込んで胸元でもぞもぞし始めた。


 その光景が妙にエロいので、思わず視線を逸らす。


 ……こういう時、俺が男であることを認識して欲しい。



「ありました……よかった……」

「だ、だろ? というか硬いからわからないか?」

「パットの裏に入れてあったので、気づきませんでした」



 パット……こういう時、俺が男であることを認識して欲しい。



「私、多分酔い始めの頃に鍵だけはなくしちゃいけないって思ってここにしまっちゃうんですね」

「そ、そうか……」

「でも、ほんとによかった」



 美葉は脱力して、深いため息をついた。

 だけど、なんで泣くほど悩んでいたのだろう?



「マスターキーとかがあれば、部屋に入れたんじゃないか?」

「……それは、パパ……オーナーに奪われました」

「そうなの?」

「はい。昨日呼び出されて色々口論になって、結局マスターキーも奪われたんです。だからやけ酒してたんですが……もし鍵をなくしていたら、それこそ管理人失格で即取り壊されてました」

「そんな……なんでそんな酷いことを」



 美葉の父親は、あまりにも無茶苦茶だ。

 美葉がこんなにも頑張っているのに……。



「私、前に言いましたよね。『コーポ夜桜』を存続するために課された3つの条件」


 

 確か、1つ目は管理人になってここに住むこと。2つ目は入居率を50%以上に引き上げること。だが、3つ目は聞いていなかった。



「その3つ目が、パパの事業を引き継ぐことなんです」

「え……」



 レオンと同じ、父親の呪縛だ。



「でも、私には夢があるんです」

「夢?」

「はい。私、建築士になるのが夢なんです」



 美葉はそういうと、葉桜を見つめた。

 風に揺れた葉同士がこすれる微かな音がわずかな沈黙を埋める。



「『コーポ夜桜』は、ボロボロです。おじいちゃんが資金不足でコストカットをした結果、かなり深刻な欠陥もあります。だから私は、自分で設計して『コーポ夜桜』をリノベーションしたいんです」



 古くなったものは捨てるのではなく、新たに生まれ変わらせて継承していく。

 それも、自分の力で。


 俺は美葉の夢に、心から感銘を受けた。



「それだけじゃない。お金がない人が理想の家に住めるように、低予算高品質の家を設計したいんです。そうすれば、長く住めて、次世代にも継承できる。だけど、その夢を叶えると、パパの事業が継承できない。だからパパは、私の夢を邪魔するためにあれこれ条件を出すんだと思います……あ、オーナー」



 美葉の瞳に影が差した。


 彼女は、『コーポ夜桜』を守り通せば夢を断念せざるを得なくなるというジレンマと戦っている。


 俺は、美葉、美葉の夢、『コーポ夜桜』を全部守りたいと思った。


 だから、無意識のうちに口が動いた。



「俺が継げば、美葉は建築士の仕事ができるんじゃないか?」

「……え……」

「あ……や……な、なし! ごめん、今のなし!」



 やってしまった!


 最近美葉との将来のことを考えすぎて、先走りすぎた失言をしてしまった。

 俺の今の発言は、結婚も匂わせてしまっている……ダメだ、完全に引かれた。


 細心の注意を払って流し目で美葉を見ると、俯いてしまっている。


 ……終わった。



「い、いいかもしれませんね、それ」

「……へっ?」

「な、なめろうが継いでくれれば、私は夢を叶えられますし、なめろうは無職を脱出できますし」

「……ひ、ひとこと余計だ」


 

 そして訪れた、長い沈黙。


 まさか、美葉がこの話に乗ってくるなんて思いもよらなかった。

 ということは、美葉もあながち……。


 心臓が小刻みに鳴り響き、胸板を突き破る勢いで暴れている。


 沈黙が、痛い。歯痒くて恥ずかしくてこの空気感に堪えられない。


 ……美葉、何か喋ってくれ!


 ……いや、きっと美葉も気まずいんだ。


 俺から話そう。



「み、美葉」

「は、はいぃ」

「俺、ずっと言いたかったんだ」

「は、はいぃ……」



 美葉と向き合い、辛うじて視線を合わせる。

 俺もガチガチだが、美葉も硬直して表情がぎこちない。


 頬は桜色を通り越して、真っ赤に染まっていた。


 俺は小さく深呼吸をして、腹を括った。



「お、俺、美葉のことが好――」

「へ、へくちゅっ」



 人生初の告白は、ゆるるの登場で中断。

 人生2度目の告白は、美葉のくしゃみで上書き。


 ……まったく、俺はとことんついていない。



「す、すみません。寒くて……」

「まぁ、一晩ここで寝ていたら風邪をひくだろう」

「は、はいぃ……」


 

 美葉は俯きがちになりながら、両手で腕をさすっていた。


 ……まったく、美葉は。


 その時、心の底から猛烈に美葉が愛おしくなり、俺の身体に衝動が走った。



「ひゃっ……な、なめろう?」

「これで、あったかいだろ?」

「……うん……」



 俺は、美葉をきつく抱きしめた。

 彼女の体温が素肌を通して伝わる。


 俺は確かに、『無限の幸福』を感じた。



「あ、なめろう、葉っぱが……」

「え?」


 美葉に言われてゆっくり身体を離すと、1枚の葉がひらひらと俺たちの間に落ちて行った。


 美葉はそれを拾い上げ、まだ新鮮な日の光に照らした。



「きれい……」

「ああ、桜の花よりきれいだ」

「桜の花より?」



 美葉はきょとんとして小首を傾げた。


 俺は、そんな美葉をまっすぐに見つめた。



「うん。桜の花より、葉の方が美しい。俺は何よりも1番、好きなんだ」



 それが俺の、3度目にして初めての告白だった。




―終―



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 最後までお読みいただき本当にありがとうございました!

 皆様の応援があったので完結することが出来ました。


 『ボロ美女』の2章については、公募結果を見て検討しようと思います(そのため、フォローはそのままだと嬉しいです)。


 改めまして、本当にありがとうございました🌸

 今後もよろしくお願いします(*^^*)

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