最終話 無限の幸福

 花栗と別れて階段を降りると、舞音が後ろで手を組んでソワソワしていた。



「あ、な、なめしゃん」

「舞音、どうしたの?」



 舞音は身体をくねくねと揺らしながら口をパクパクさせている。



「もしかして、具合悪い?」

「ち、違うばい! こ、これをなめしゃんに食べて欲しか!」



 舞音はそう言うと、両手でピンクのハート形の箱を差し出してきた。

 よく見ると、ピエールマルコリーニと書いてある。


 これはまさか、バレンタイン⁉


 でも待てよ。今は5月だが……?



「あの、これって何?」

「今開けて!」



 俺はハート形の箱を受け取ると、その場で開封した。

 

 中身は綺麗なチョコ……ではなく――



「や、焼き鳥⁉」



 俺は思わず絶叫した。なんとねぎまが2本入っているのだ。


 ……新種のドッキリか?



「舞音が作ったけん、食べてくれん?」



 頬を赤らめながら上目遣いで俺に懇願する舞音。

 あまりにもぶっ飛んだシチュエーションだが、その可愛さに押し負けてねぎまをひとくち食べた。



「……うまっ!」

「ほんと⁉ 良かったばい!」



 鶏肉が柔らかく、ネギが甘い。そしてタレの甘辛さが絶品だ。

 きっと舞音は料理上手なのだろう。



「うん、お店の味みたいだ。でも、どうして俺に?」

「舞音、実は昨日が誕生日ばい」

「そうなのか? おめでとう!」

「ありがとう! それでね、友達にプレゼントを貰ったときふと思ったと。なめしゃんには前にガチャガチャしてもろうたんに、舞音はなめしゃんにお返ししとらんって」



 ガチャガチャなんてたかが200円だ。

 それにお返しなんて考えてもみなかったけど、そこまで気を使えるなんて本当に優しい子だ。



「そんな、気にしなくていいのに。でも嬉しいよ、ねぎま」

「良かったばい! ガチャガチャのねぎまキーホルダー、スクバにつけとーよ!」



 ねぎまキーホルダー……なるほど、舞音がガチャガチャで当てたのはねぎまだったっけ。


 それを再現してくれるなんて、面白い。

 やっぱり舞音は舞音だな。



「あ、なめしゃん、舞音のこと笑ったと⁉」

「いや、舞音がかわいくてさ……あ、へ、変な意味じゃないよ」

「……嬉しかばい」



 舞音は両手で顔を覆ってもじもじし始めた。

 もしかして、セクハラだと思われたのだろうか……。



「ご、ごめん舞音、変なこと言って」

「……好いとーよ」

「え? 何か言った?」

「……何でもないばい! 舞音、宿題やってくるばい!」



 舞音は両手で顔を覆ったまま、203号室に走り、ドアに激突した。



「大丈夫か⁉」

「いたたた……だ、大丈夫ばい!」

「それは良かった」



 すると舞音は俺の方へくるっと振り返り、恥ずかしそうに言葉を発した。



「……また、舞音のお料理食べてくれん?」

「もちろん。いくらでも食べるよ」

「なめしゃん、ありがとう! 舞音、胃袋から掴めるように頑張るばい!」



 舞音はそう言うと、部屋に戻っていった。


 『胃袋から掴む』というワードに引っ掛かりはしたが、舞音の次の料理も楽しみになってきた。



「あ、なめろう、いたいた」

「み、美葉?」



 背後から声を掛けられたので、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 

 なんせ今日は、心愛の部屋で結婚について考えている時、美葉の顔を思い浮かべてしまったから……恥ずかしい。



「はい、これ!」

「え?」



 美葉は俺に向けて、ピンクのハート形の箱を差し出した。

 ……あれ、これもピエールマルコリーニ⁉


 今度こそ遅めのバレンタインなのか……?

 淡い期待を抱き、心臓が高鳴った。



「あれ? なめろう、なんでもう持ってるんですか?」

「あ、や、こ、これは……」



 どうしよう。もしバレンタインをくれるのだとしたら、舞音と全く同じものを買ってしまったことに落ち込んでしまうかもしれない。


 ここは誤解されないような言い回しをしないと!



「ま、舞音からもらったんだけど……箱だけで……」

「なーんだ。よかった、舞音子がチョコ嫌いじゃなくて」

「え? どういうこと?」

「これ、おじいちゃんから皆への差し入れなんです。なめろうの分もあるから渡しました」

「な、なーんだ。はは……」



 誤解していた自分が死ぬほど恥ずかしくて、耳まで熱くなってくる。


 まあ、こんな季節外れにバレンタインなんて、貰えるわけないもんな……。



「あ、なめろうにぃ、いた~!」



 俺が肩を落としていると、背後からゆるるの声が聞こえた。

 振り返ると、ゆるるがいきなりぎゅっと抱きついてきた。

 


「お、おい、いきなりどうしたんだ?」

「あのねあのね! これ見て~!」



 ゆるるは俺から離れると、身体を弾ませながら右手を差し出してきた。



「1、2、3、4……え、7つ葉のクローバー⁉」

「うん! すごいよねぇ。『コーポ夜桜』のみんなと同じ数なの」



 美葉、舞音、花栗、ゆるる、心愛、俺……これで6人。そして、幹夫さんだ。


 クローバーの葉の数と俺たちを重ね合わせるなんて、ゆるるの発想の豊かさには感心してしまう。



「それでね、これ、なめろうにぃにあげる!」

「え、いいのか? こんなに珍しいクローバー」

「うん! 7つ葉のクローバーはね、『無限の幸福』って意味があるって、パパが言ってたの!」



 確かあの公園の日以来、1度だけレオンとゆるるが会ったと聞いている。恐らくその時にレオンが教えたのだろう。


 それにしても、奴はどんだけロマンチストなんだろうか。



「ゆるるね、好きな人に幸せになって欲しいんだぁ」

「……え……俺でいいの?」

「うん! ゆるる、なめろうにぃがだーい好きっ! だから……」



 ゆるるはそういうと、再び俺にぎゅっと抱きついてきた。

 そして上目遣いで、満面の笑みを浮かべた。



「ゆるるをお嫁さんにして、幸せにしてねっ」



 ストレートで純粋な想い。

 そして爆発的なかわいらしさ。


 思わず鼓動が加速する。


 ……きっとゆるるの将来の旦那は、幸せになるだろうな。



「だ、ダメ!」

「……え?」



 すると突然、美葉が俺たちの間に割って入った。

 ゆるるはきょとんとした顔で小首を傾げている。



「ゆるる、なめろうにぃのお嫁さんになっちゃダメなの?」

「ダメ……」

「美ねぇ、どうして?」

「ダメなものは、ダメ……」



 地震のときと同じように、ダメなものはダメと言う美葉。

 相手が小学生でも大人でも関係なく、素直な気持ちを表に出す美葉。


 それって、つまり――



「お~いゆるる、買い物行くぞぉ!」

「あ、ママ! 心ねぇもいる~」



 俺が淡い期待を抱き始めた時、階段から花栗と心愛が下りてきた。

 

 美葉は我に返ったような表情をすると、俺の元から逃げるように去り、2人の元へ駆け寄った。



「き、き、桐井さん。外出、大丈夫なんですか?」

「はい。少しずつリハビリをしています。でも1人は怖いので、花栗さんが一緒についてきてくださったんです」

「まぁ、この前は世話になったからな。それに心愛とはもっと話してみたいしな」



 美葉の口から肝心なことが聞けなかったのでモヤモヤが残るが、住人同士の仲が日に日に縮まっていることを実感し、心があたたかくなった。



「あー! お外騒がしいと思ったらみんないるばい! 舞音だけ仲間外れ嫌ばい!」

「いや、たまたまだよ、たまたま。なんなら舞音も買い物ついてくるか?」

「嬉しか! で、でも……」



 舞音は一瞬明るい表情を見せたが、すぐに俯いてしまった。



「舞ねぇ、どうしたの?」

「実は……焼き鳥50本作っちゃって食べきれんけん……げぷ……」

「50本⁉」



 いくらなんでも張り切りすぎだぞ、舞音。

 でも、それが舞音らしくもあって微笑ましい。



「ゆるる、焼き鳥食べたい!」

「いいじゃねえか。心愛、買い物はあとでもいいか?」

「はい。私もお腹が空いていたので」

「私もお腹空いてます」

「じゃあ、舞音の家、上がって欲しか!」



 舞音は表情をぱぁと明るくさせ、玄関のドアを大きく開いた。


 すると、舞音の付近にいた住人全員が俺の方を向いた。



「なめしゃんは?」

「なめ公は?」

「なめろうさんは?」

「なめろうにぃは?」

「なめろうは?」



 多種多様の『なめろう』と呼ぶ声が、綺麗に重なった。


 そして、俺は強く実感した。


 ――ここが、俺の居場所だ。



「もちろん、食べるよ!」



 俺は急いで皆の元へ駆け寄った。

 

 『無限の幸福』を、大切に握りしめながら。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る