第43話 ある可能性が確信に

「あれ、悪い人さん、倒れちゃった……」



 ゆるるは俺のために、レオンにアッパーカットを見舞ってくれた。

 だが、あの花栗の血を引くゆるるの攻撃は想定以上の威力を発揮したため、レオンは蹲って悶えてしまった。


 そんなレオンに舞音が駆け寄って肩を思いきりゆすった。



「悪い人さん、大丈夫と⁉」

「や、や、やめてくれ……ただでさえ世界が回って……」



 レオンは苦しそうに声を絞り出した。どうやら目眩が起きているらしい。



脳震盪のうしんとうですね」

「え?」


 

 美葉はそういうと、レオンに近づいて脈を測り始めた。



「顎に攻撃をくらうと脳が揺れるので、脳震盪を起こすことがあります。視界が揺れているということは目眩が酷いのでしょう。でも、脈は比較的正常ですし、意識も呂律もしっかりしているので、重症ではないと思います」

「で、でも、小2の攻撃だぞ? 脳震盪なんて流石に……」

「人体の構造上、下から上への攻撃はダメージが予想以上に大きいものです。それにゆるるママの……」



 美葉はそこまで言って口を噤んだ。俺はその先の言葉を察した。


 そして、恐らく俺と美葉が同時に花栗の顔を思い浮かべた時、突然襖が開いた。



「いやぁ、遅くなってわりぃ。仕事ダッシュで切り上げてきたわ」


 

 花栗は乱れた髪を掻きながら登場した。そして俺たちを見回すと、不思議そうな表情を浮かべた。


 無理もない。花栗の目線の先には、大の大人がダンゴムシのように蹲って悶えているのだから。



「なめ公、あたしがゲス野郎を殴るつもりだったが、もしかして先にヤッたのか?」

「あ、いや、俺じゃなくて、その……」



 花栗に問われたので、あたふたしているゆるるを恐る恐る指さした。



「ゆるる?」

「ママ~、どうしよう! ママに教えてもらったゆるるアッパーで悪い人さん倒れちゃった!」



 この場合、花栗はどんな対応をするのだろう。教育的には暴力に対して叱る方が良い気がするが、教えたのは花栗自身だ。まずはレオンへの謝罪を促すのだろうか。



「お~、よくやったな、ゆるる! 悪い人は懲らしめるのが正解だ」



 俺は思わずっこけそうになった。まさか褒めるとは。

 花栗はしゃがんでゆるるに目線を合わせ、ゆるるの頭をわしゃわしゃと撫でている。


 心なしか、ゆるるの表情に安堵の色が見えた。


 いいんだか、悪いんだか……俺にはわからない。



「それで、こいつは今どんな状態なんだ?」

「脳震盪です。今は目眩の症状がありますが、意識は正常なようです。軽度の可能性が高いので、数分から数十分で目眩は収まるかと。もし30分以上続くようであれば、病院を検討するのが良いかもしれません」



 美葉の流暢な返答を聞き、頬をぽりぽり掻く花栗。



「脳震盪とはこれまた、ゆるるの攻撃力も侮れないな。まぁ、後処理は親の役目だ。ゲス野郎でも謝っとくか」



 花栗はそういうと、床に転がっているレオンに近づき、舞音に代わってレオンの両肩を持った。思いきりぶんぶん揺すっているが、大丈夫なのだろうか。



「おい、ゲス野郎。アッパーカットした子どもの母親だ。さっきは悪か――」



 花栗はレオンの身体を起しながら謝罪するも、急に言葉を詰まらせた。


 そしてレオンの両肩からいきなり手を離した。レオンは思い切り倒れ、「ぐげっ」とヒキガエルのような鈍い悲鳴をあげた。


 舞音は「ひゃっ」と短い悲鳴をあげ、再びレオンの両肩を持ってぶんぶん揺すり始めた。

 

 しかし、それでも花栗は硬直している。何かあったのだろうか?



「どうしたんだ、よるる?」



 問いかけてみると、花栗は身体をピクッと震わせ、ぎこちなくこちらへ振り向いた。



「い、いやぁ……そういえば、用事思い出しちまって。ほら、ゆるる、帰るぞ」

「え? でもママ、まだイセイイイエビ食べ終わってなくて……」

「イ、イセイイエビ? そ、そんなのいつでも食わしてやっからよ。ほら、明日からGWで地元に帰る予定だったろ。もっとうまいエビ、いくらでも食えるから」

「でも……」

「……行くぞ」



 花栗は焦燥感すら感じる声色でゆるるを急かすと、ゆるるの腕を引いて部屋の外へ出ようとした。



「よ、よるる、一体どうしたんだ?」

「すまんな、なめ公。あとは頼んだ」

「ちょっと……」



 引き留めも虚しく、花栗はさっさと部屋を出て襖を思いきり閉めてしまった。



「ゆるるママ、どうしたんでしょうか」

「さぁ、どうしたんだろうな……」



 俺と美葉は顔を見合わせて小首を傾げたが、とりあえず舞音の元へ駆け寄った。



「舞音、ありがとう。こいつはどんな感じだ?」

「それが、さっきからなんか言ってるばい」

「なんて?」

「るるる……?」



 るるる……?

 こんな時に童謡でも口ずさんでいるのだろうか。


 気になった俺は、(あまりいい気分ではないが)レオンの顔に耳を近づけた。


 すると――



「……るる……よるる……」



 よるる……?

 なんでレオンが花栗を知っているんだ?


 俺の頭は疑問符で埋め尽くされた。

 しかし、ある可能性が確信に変わった瞬間、その疑問符は霧散した。



 花栗の焦りよう、レオンの年齢、そして前に見たゆるるの生え際の金髪。


 ……俺は、察してしまった。



 レオンが、ゆるるの父親であることを――



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