第26話 毎晩の約束

 まだ温水が出ていないシャワーに当たり、頭を冷やす。


 ――お風呂、入る?


 俺はあの時、『一緒にお風呂に入る』ことだと思い込み、勝手に舞い上がっていた。しかし美葉は、階段から落ちて泥だらけの俺を気使って提案してくれただけだった。


 冷静に考えればそうだと気づけただろうが、なんせあの時は美葉と身体が密着し、吐息が耳にかかり、頭が完全に沸騰していた。恥ずかしい。


 でも俺はそれだけ、美葉を意識し始めて――



「なめろう」

「ふぁ‼」



 風呂場の外から声をかけられ、慌ててシャワーを止める。

 振り向くと、折り戸の向こうに美葉のシルエットが見える。


 心臓に悪すぎる……。



「ば、覗くなよ!」

「覗いてないです!」

「じゃあどうして」

「……」



 美葉はそのまま黙り込んでしまった。しばし返事を待ってみたが反応はない。

 俺は身体が冷えて若干震えてきたので再びシャワーを出そうとしたが、蛇口に手をかけた瞬間、美葉が喋り出した。



「……とられないかな、おじいちゃん」

「え?」

「桐井さんに……」

「ふっ……」



 俺は思わず吹き出してしまった。



「ひどい! なんで笑うんですか!」

「いや、だってさ、本気でとられると思ってるのかわいい……あ、いや……」



 思わず本音を漏らしてしまった。表情が見えないので、余計に気まずい。

 やっぱりなんか俺、美葉に段々弱くなってる気がする……。



「……お、おじいちゃん、見ず知らずの桐井さんの生活のお世話もしてたんですよ。1つ屋根の下で暮らしてたし、お茶もしてたし……」

「確かにおじいさんは親切な人だから困ってる人を放っておけなかったのかもしれない。でもだからって、今まで築いた絆が負けると思うか?」

「それは……」


 

 美葉は言葉を止めてしまった。

 俺は彼女の心に寄り添えるような言葉を選び、再び話し始めた。



「おじいさんにとって、美葉は大事な孫なんだよ。だから自分の息子からも美葉を守った。それに、『コーポ夜桜』を美葉が守ってること、おじいさんは知ってるんだろ?」

「うん……」

「じゃあ、なおさらだ。今のおじいさんが1番大事なのは間違いなく美葉だよ。それは絶対に揺るがない」



 その時、「ほんとに?」という言葉と同時に、風呂の折り戸がバッと開いた。



「うわああああああ」

「きゃああああああ」



 裸の俺と、赤面の美葉の悲鳴が重なる。


 美葉は自分で折り戸を開けたくせに、傍にあったバスタオルを俺に投げつけ、バンッ!と勢いよく戸を閉めた。


 理不尽だ……。しかも裸を見られてしまった……。



「きゅ、急になんだよ」

「だ、だって、ほんとかどうか不安になって、つい……」

「本当に決まってるだろ」



 俺は力強い声で肯定した。

 

 美葉は、父親からの愛情が希薄だった分、祖父に過剰な愛や依存心を持っている。だからこそ、他人から見ればありえないだろうと思っても、誰かにとられるんじゃないかと不安になってしまうのだろう。


 もし……もし俺が、美葉の支えになることが出来たら。

 祖父の代わりになれなくても、辛いときに寄り添える存在であれたら。


 美葉の脆い部分を垣間見るたび、俺は彼女を救いたくなる。



「美葉、俺――」

「じゃあ、私――」



 俺と美葉の言葉は同時に発せられた。



「さき、いいよ」

「あ、うん。私、なめろうの言葉を信じる。だから、いいかなって……」

「いい?」

「……桐井さんに、おじいちゃんのお見舞いに行ってもらうこと」

「え⁉」



 つい先ほどまで、犬猿の仲だった2人。

 最後は和解したものの、それでも桐井が祖父に会うことを良く思っていないはずなのに。



「どうして、そう思ったの?」

「だって、もし私がおじいちゃんに会えなくなったら嫌だもん。だから多分、桐井さんもそうなんだろうなと思って……」



 確かに管理人が変わったと告げた時、桐井は涙を見せていた。

 もう会えなくなってしまうことが相当辛かったに違いない。



「なめろうの言うように、桐井さんにおじいちゃんがとられないなら……1回くらいは会ってもらってもいいかなって」

「美葉……成長したんだな」

「せ、成長⁉ こ、子ども扱いしないで‼」

「そうじゃないよ」



 美葉は、変わろうとしている。

 他人の気持ちも、ちゃんと考えようとしている。


 俺は少し感動してしまった。



「大人か子どもかでいったら美葉は子どもだよ」

「う、うるさい!」

「でも、成長したのは心。そうやって自分の考えを変えて他人のことを思いやるのって、中々できることじゃないから」

「……」



 俺が発言したあと、またも美葉は黙ってしまった。不快感を与えてしまっただろうか?

 少し不安になったが、俺の身体の冷えは限界に達してくしゃみまで出始めたので、慌ててシャワーを出した。


 身体がじんわりと温まってゆく感覚が心地よい。



「……ろう」

「え?」



 ややあって外から声が聞こえたので、シャワーを止めた。



「なめろう」

「どうしたの?」

「……ありがとう」



 それを聞いて、心まであたたかくなった。

 俺の言葉が美葉に響いてよかった。



「それと……いいですよ」

「ん? なにがいいの?」

「……お風呂、毎日入りに来ていいですよ」

「……えっ‼ ま、前はだめって……」



 突然の発言に、驚いて言葉が詰まる。

 男は危険だからダメと言っていた美葉が、毎日入っていいだって?



「あ、あくまで……そ、そう、成功報酬だから!」

「せ、成功報酬?」

「そ、そう。家賃回収をしてくれた、成功報酬!」



 成功報酬……お金よりも、めちゃくちゃ嬉しい。


 だって、これから美葉に毎晩会えるから。



「じゃ、じゃあ私は自販行ってきます」

「あ、ああ……気をつけろよ」

「なめろうも……」

「え?」

「くしゃみしてましたよね? 風邪、気を付けてください」



 美葉の優しさが、心に沁みる夜だった。


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