第11話 「大好きなんだもん……」

 地震が起きてから5日目。

 俺はたった今、『コーポ夜桜』への引っ越しを完了させた。


 タワマンには馴染んでいたドラム式洗濯機や50V型のテレビも、ボロい和室の中にあると違和感しかない。


 また、七香と一緒に選んだダイニングテーブル、ソファ、セミダブルベッドはすべて処分した。

 気持ちが吹っ切れたわけではない。単純に6畳の部屋には入りきらなかった。


 だけど、2人の思い出の品を処分したことで、少しだけ前向きになることが出来た気がする。


 小桜の言うように、1ミリだけでも前向きに――



「なめろうにぃ~~!」



 その時、突然俺の部屋の扉が開いた(引っ越し直後だったから鍵をかけ忘れていた)。

 現れたのは、ランドセル姿のゆるる。この前と同じフリルワンピースを着ている。



「ゆ、ゆるる、どうしたの?」

「遊ぼっ!」

「へ?」



 ゆるるはランドセルを玄関に置き、「お邪魔しま~す」と言って当たり前のように俺の部屋に入ってきた。



「こ、こら。俺はたった今引っ越しが終わったばっかりで――」

「や~っと、一緒に住めるね!」



 ゆるるはそういうと、俺にぴょんっと抱きついてきた。

 俺の腰辺りに小さな腕が回っている。


 気恥ずかしくて、どうすればよいのかわからない。



「ちょ、ゆるる」

「ゆるるね、ずっと数えてたの」

「数えてた?」



 ゆるるは、俺に抱きついたまま上目遣いで呟いた。



「なめろうにぃが引っ越してくるまで、あと何日か!」


 

 再び気恥ずかしくなる。

 もしかしてゆるるは、俺が引っ越してくることを楽しみにしていたのか?


 俺なんかに懐いていいのだろうかと思う反面、純粋に嬉しい。



「そ、それはありがとう」

「今日から学校が始まったから会うのが遅くなっちゃったけど、舞ねぇに勝ったの!」

「勝った?」

「うん! なめろうにぃに、どっちが早く会えるかショーブしたの!」



 どっちが早く会えるか勝負?


 ……舞音と?



「な、なんでそんなことを競ったんだ?」

「だって……」



 すると、ゆるるが急にもじもじし始めた。ほっぺが赤く染まっている。

 その仕草がかわいくて、頭を撫でたい衝動に駆られる。



「だってね、大好きなんだもん……」

「え……」

「ゆるるも舞ねぇも、なめろうにぃが大好きなのっ……! 毎日なめろうにぃのお話してたんだよ。早く会いたいねって。だからショーブしたんだっ」



 その言葉を聞いた途端、俺はあまりの恥ずかしさに顔が上気した。


 ゆるると舞音が俺を好いている……?


 恋愛感情でないことはわかっているが、出会って1週間足らずで人から好意的に見てもらえるのは初めての経験。例えようのない淡い高揚感が沸々と湧いてくる。


 ……これは照れ、か。



「あ~なめろうにぃ、顔真っ赤だよぉ」

「そ、そんなことない……」

「なめしゃ~~ん! はぁ、はぁ」



 その時、玄関の扉から舞音が現れた。

 走ってきたのだろうか、かなり息が乱れている。



「せっかく始業式で学校早く終わったんに、ゆるるに先越されてもうたぁ。しかも、ハグしとーと⁉」

「いや、これ――」

「ぎゅ~しちゃった! 勝ったトクテンだもん」



 ……え、『特典』ってなに?



「しー。なめしゃんにはナイショって約束やけん、しー。」



 舞音は人差し指を唇に当て、ウィスパーボイスで呟いた。

 だが、いくら小声で囁いてもその会話は俺にも丸聞こえ。


 なんだか女子の秘密の会話を盗み聞きしているような罪悪感がうまれ、いたたまれなくなってきた。


 ……でも、やっぱり『特典』のことが気になる。



「ナイショの約束だったの忘れてた! ゆるる、なめろうにぃに言っちゃった……」

「えっ⁉ どこまで言ったと?」

「ゆるると舞ねぇが、なめろうにぃのお話を毎日してて、大好きってことだよ」

「……!!」



 ゆるるの言葉を聞いた舞音は、トマトのように真っ赤になった顔を両手で覆った。

 そして、その場でぴょんぴょん飛び跳ねたり右往左往したり忙しなく動くと、ついにはしゃがみ込んでしまった。


 パ、パンツが丸見えだ……黄色……。


 俺は慌てて視線を逸らした。

 女子高生のパンツを見てまったことへの罪悪感と、もっと見たいという欲求がせめぎ合う。



「舞ねぇ、パンツ見えちゃってるよ」



 ゆるるの言葉を聞いた舞音は、「きゃー!!」と小さい悲鳴をあげながら飛び上がり、前かがみになって股間辺りを両手で抑えた。


 それ、男が非常事態の時にとるポーズなんだけど……。



「な、なめしゃん! 見たと? 見てなかと?」



 いきなり話を振られて、心臓が跳ねる。



「み、見てない。黄色いパンツなんて見て――」

「見たとね! やだ! なめしゃん、いっちょんすかん……やのうてほんまは好いとう……やけど違くて……ああ!」



 間違って色まで言ってしまった……。完全に失態だ。


 俺の言葉を聞いてパニックになった様子の舞音は、そのまま玄関を飛び出してしまった。



「舞ねぇ、いっちゃったね」

「……今のは俺が悪い」

「そうなの?」

「ああ……」

「そしたら、ごめんなさいした方がいいね」

「え?」



 ゆるるは俺からすっと離れると、何故か外へ出て行ってしまった。


 ……俺、2人から同時に嫌われたのか。


 さっきまで出会ってすぐの人に好意を寄せられたことを喜んでいた自分が恥ずかしい。俺はやっぱり、人に嫌われる人間なのかもしれない。

 

 悄然しょうぜんとした俺は、脱力してその場に寝転んだ。


 天井には染みが点在している。

 きっと俺の心もこんな感じなのだろう。


 七香との思い出の品を処分して1ミリくらいは前向きになったと思ったけど、結局はこの天井の小さな染みが1つ消えたに過ぎない。まだまだ染みは無数にあって、いつまでも残り続ける。


 今みたいに、また人間関係でマイナスなことがあれば、俺は一生傷が癒えないままで――



「なめろうにぃ」

「わっ!!」



 染みだらけの天井を遮るようにして現れたのは、ゆるる。

 上から俺の顔を覗き込んでいる。


 俺は慌てて起き上がり、体勢を整えた。



「お待たせ。はい、これ」

「え、これなに?」



 ゆるるが差し出してくれたのは、2つの葉っぱがついた小さな植物だった。

 雑草だろうか?



「クローバーだよ」

「クローバー? それって3つ葉とか4つ葉じゃなかったっけ?」

「うん。でも、1つ葉も2つ葉も7つ葉もあるんだよ」

「へぇ、多様性があるなんだな」



 俺の知らない知識を小2のゆるるが知っていることに、素直に感心する。

 世の中知らないことだらけだ。



「それで、この2つ葉のクローバーをどうして俺に?」

「2つ葉のクローバーはね、『平和』って意味があるんだよ。仲直りする時に相手に渡すといいんだって。だから舞ねぇにごめんなさいする時、一緒にこれもあげてね」


 

 ゆるるはそういうと、2つ葉のクローバーを俺の掌にふわっとのせた。

 小さいけど、生命力のある鮮やかな緑。仲睦まじく並ぶ2つの葉っぱ。



「まさか、俺のためにこれを取ってきてくれたの?」

「うん! 『コーポ夜桜』の裏庭にクローバーがたくさん生えてるから見つけてきたの。ごめんなさいして、舞ねぇを元気にしてあげてね! みんなでずっと仲良ししたいから」



 にこっと微笑むゆるるは、天使に見えた。

 なんて心が綺麗で優しいんだろう。


 勝手に嫌われたと思い込んで病んでいたことが、死ぬほど恥ずかしい。


 ……もしかしたら会社でも、ごく一部の人は俺を嫌わずにいてくれたのかもしれない。全員に嫌われたと勝手に思い込んで、すぐに諦めてしまってたんだ。


 俺は、人間不信を拗らせた自分を恥じた。


 そして――



「ありがとう、ゆるる」


 

 俺は自然にゆるるの頭を撫でていた。小さいのに心は広くて思慮深いゆるる。

 人間力に年齢は関係ない。俺も見習わなければいけない。



「なめろうにぃ……ゆるる、なでなで、好きっ。またしてね」



 頬を赤く染めてはにかむゆるるに微笑み返し、俺は立ち上がった。


 舞音に謝るために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る