第10話 優しく抱きしめた

 ガチャガチャを終えた俺たちは、ようやく家電売り場に足を踏み入れた。

 

 舞音とゆるるはテレビコーナーで世界遺産の映像を真剣に観ていたので、まずはアウトレットコーナーで小桜の家電を選ぶことにした。



「なめろうさん、1人暮らしの家電って何が必要なんですか? メイドが低温調理器を絶賛してたから、それはマストとして。あと喉が痛くなるから空気清浄機も」

「あほか。そもそも料理をしたことがない人がいきなり低温調理器を使うのは難易度が高すぎる。空気清浄機も後回しだ。まずは、電子レンジ・冷蔵庫・洗濯機」

「私は聡いのであほじゃない」

「あーはいはい、ごめんなさい」



 小桜は頬を膨らませた。どうやら機嫌を損ねたらしい。

 やはり2人きりになると話がかみ合わない。


 だが、これ以上言い合っていてもらちが明かないので、俺は気持ちを切り替えて必要なものを揃えることにした。



「アウトレット品はわりと1点物が多い。だから、いかにコスパの良い掘り出し物を探せるかが鍵だ。例えば電子レンジ。この売り場だとシャーピのUE-F18Sが目玉商品として売られているし割引率も高いが、料理をしない人に過熱水蒸気機能は必要ない。1人暮らしならマイクロ波の温め機能のみで十分だ。だとしたら、アイメルオーカワの IMC-Y152がいい。これは傷アリのディスプレイ品だから破格の値段で――」

「あああ……説明はいいです。それにしますから」

「いや、家電は自分で納得することが大事だ。例えば同じ単機能レンジでも出力6段階のものとか、22Lの容量とか、それぞれ個性が――」

「ストップ――‼」



 俺が丁寧に説明していると、突然、口が塞がれた。

 小桜が自らの手で俺の口を覆ったのだ。


 桜の甘い香りがする。ハンドクリームだろうか。

 そしてひんやりとした冷たさを感じ、肌の触れ合いを意識してしまった。


 心臓が少しざわつく。



「細かな説明はいりません。興味な……わからないので。舞音子にもしちゃダメですよ」

「……」



 せっかくの厚意を無碍にされ、少し苛立ちを覚えた。

 それに、ずっと口を覆われていると流石に苦しい。



「なめろうさん、そもそもなんでそんなに家電に詳しいんです?」

「まふぇおあいさあぱうそあっう……」



 俺が喋りずらそうにしていると、小桜が「あ、手ですね」と言ってようやく手を離した。



「ふぅ、苦しかった……前の会社がエレクトリマだったから」

「え、大手じゃないですか! 営業?」

「いや、SE」

「PC強いんですね」

「まぁ」

「無職界の頂点じゃないですか!」

「ぷっ……」



 『無職界の頂点』。

 その響きがおかしくて、思わず吹き出してしまった。



「なめろうさんって笑うんですね」

「え?」

「苦笑いしかしてなかったから」

「ああ……」



 そういえば、俺は久しく笑っていなかったような気がする。

 テレビも見ないし、趣味もない。職場に居場所もなければ、七香を失ってから人と会っていなかった。


 だから、笑う機会がなかった。


 だが、小桜の前では怒ったり笑ったりと、今までになく感情を露わにしてしまう。

 ウマが合わないからこそ、だろうか。



「私にもありました。

「え?」



 小桜の目に一瞬だけ影が宿った。

 もしかしたら、彼女にも暗い過去があったのかもしれない。



「ま、今も大ピンチで笑えないんですけどね。おじいちゃんの宝物をパパがぶち壊そうとしてるし。……あ、オーナー」

「そうだな」

「だけど、人生どんなに大ピンチだとしても、1ミリでも前向きになれば何とかなるもんですよ」



 ――1ミリでも前向きになればなんとかなる。


 この言葉が、心の奥に響いた。


 思えば、小桜も舞音もゆるるも問題を抱えている。

 だけど、今日ここまで来る時も3人は談笑していた。

 ガチャガチャでもはしゃいでいた。


 俺は……その輪の中に入ることなく、ただその光景を傍観者として眺めているだけだった。

 笑う機会がなかったのではなく、自分から捨てていたのだと気づく。


 俺はこれから、1ミリだけでもいいから、前向きに物事を考えられるようにならなくちゃいけない。


 ――なんだか、小桜の方が大人だな。



「……無駄話をしちゃいましたね。じゃあ、電子レンジはアイメルなんちゃらだとして、次は冷蔵――」



 その時、突然床がぐわんと揺れた。思わずよろけてしまう。


 ……地震だ。しかも揺れがかなり大きい。


 そして、小桜の隣の棚にディスプレイされていた電子レンジがぐらつき、落下寸前――



「危ない‼」



 俺は咄嗟に小桜を抱きつき、瞬時に彼女をその場から遠ざけた。


 ガッシャ―ン――


 アイメルオーカワの IMC-Y152が、凄まじい音を伴って落下した。

 ……先程小桜がいた場所に。

 最悪の状況を想像して、肝が冷える。まさに間一髪。


 そし数秒後、揺れが終息した。


 恐怖と安堵が綯い交ぜになり、心臓が過剰に高鳴っている。

 呼吸も乱れてしまい、気づけば肩で息をしていた。

 


「ぐす……うぅ……」



 すると、俺の顔の下からすすり泣く声が聞こえた。


 ……あ。

 あまりに突然のことで無意識の行動だったが、俺は今、小桜を抱きしめてしまっている。しかも、かなり力強く。


 そして俺の腕の中で、小桜が身体を震わせながら泣いている。

 俺は、自分の抱擁ほうようが小桜を不快にさせて泣かせてしまったのだと思い、「ごめん、急に」と呟いて腕をゆるめようとした。


 しかし――



「……このまま……」



 小桜は、消え入りそうな細い声でそう呟いた。


 一瞬、動揺した。いくら地震直後とはいえ、ここは家電量販店。

 ずっとこの体勢でいるのはまずい。


 それに……女子と抱き合っている状態は緊張する。


 だが、一向に泣き止まない小桜を見ていると、ほっとくわけにはいかなかった。

 俺は一旦緩めた腕を元に戻し、彼女を優しく抱きしめた。


 身体はまだ少し震えている。



「……大丈夫?」

「……ダメ」



 その言葉に泡を食った。

 俺は今まで、他人に大丈夫かと尋ねて『ダメ』と返答されたことは1度もなかった。


 だが、強い人だと勝手に思い込んでいた小桜の、脆くか弱い姿を見て思い至る。


 本当にダメな時は、『ダメ』と素直に口に出してもいいんだ。

 他人に弱い姿を見せて、頼っていいんだ。


 そんな簡単なことに、何故今まで気づくことができなかったのだろう。

 


 その後しばらく、俺は何も言わずに小桜を抱きしめ続けた。



***



 ネットニュースの速報によると、先程の地震は震度5弱。

 大きな揺れではあることは間違いないが、ディスプレイが落下するほどの規模ではなかった。実際、他の家電は全部無事なようだった。


 つまり、先程のアイメルオーカワの IMC-Y152の落下はディスプレイの不備。

 落下しやすい不安定な状態になっていたのだろう。


 小桜が泣き止んだ後、俺はすぐに店員を呼んで落下の事実を報告した。

 店員は平謝り。お詫びにと、本部から直々に謝罪の電話が入り、今日の買い物については特別割引を適用してもらえることになった。


 不幸中の幸い、とはこのことだろうか。

 

 ややあってから合流した舞音もゆるるも無傷だった。

 全員に怪我がなかったことに安堵する。


 その後、俺はものの10分で小桜と舞音に最適な家電を選び、後日配送の手続きを終えて家電量販店を後にした。


 外に出ると、街はいつも通りの様相だった。

 ネットニュースによると電車は止まっているらしいが、今のところけが人や死者のニュースは1つもない。


 もし、他の国で同規模の地震があればもう少し被害は大きいと思う。これは、地震大国日本の防災対策の賜物なのだろう。



「うちとゆるるるはテレビを観た後にマッサージチェアで寝とっちゃけど、その振動より大きか揺れにびっくりしたばい」

「ゆるるもびっくりしたばい」

「……」

「あれ、美葉しゃん大丈夫と? 顔色悪か」


 

 小桜は電子レンジの落下以来、ずっと俯いてほとんど言葉を発していない。

 気落ちするのも無理はないだろう。もし直撃していたら、大けがをしていたのだから。


 だが、この怯え様……もしかしたら、何らかの問題を抱えているのかもしれない。

 地震にまつわるトラウマでもあるのだろうか?



「ありがとう、舞音子……さっきよりは……」

「美ねぇ、無理しないでね」

「ありがとう、ゆるる……」



 すると、ゆるるは小桜の右手をぎゅっと握った。

 それを見た舞音も小桜の左手を握る。


 そして3人は手を繋ぎ、並んで歩き始めた。



「2人とも、ありがとう」



 ここにいる『コーポ夜桜』の住人は、出会ったばかり。

 まだそれぞれの人間性も生い立ちも趣味も特技も、ほとんど何も知らない。


 だけど、この3人の間には『絆』と呼べる繋がりが確かにあると確信した。

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