第17話 告白 ~夜桜の下で~


 はっと目を覚ました。


 辺りは暗い。目が慣れてから周囲を見回すと、部屋の端で花栗とゆるるが布団を敷いて寝ている。そして、俺の下半身にもタオルケットがかけられていた。


 ……寝てしまったのか。


 花栗が小桜の部屋に行っている間、俺は晩酌を楽しみながら色々なことを考えていた。


 過去の自分のこと、今の自分のこと、『コーポ夜桜』のこと、七香のこと……だが、七香のことを思い出しても前ほどの強烈な胸の痛みはなく、むしろ酒に酔って気持ちの良いまま寝てしまったようだ。


 花栗とゆるるは俺に気を使ってくれたのだろう。起こさずにタオルケットまでかけてくれて……悪いことをした。


 俺は2人を起こさないようにそっと部屋を出ると、廊下の明かりを頼りに腕時計を確認した。


 午前1時30分。


 今からネットカフェのシャワーを利用しに行くわけにもいかないので明日の朝行くことに決め、階段を下りた。


 すると驚くことに、101号室の前で小桜がしゃがみこんで寝ていた。

 服は薄手の部屋着で、足元には2本の缶が置いてある。


 また泥酔か……。


 俺は嘆息しながら、小桜の肩を叩いた。



「お~い、小桜さん」

「……むにゃ……はっ」



 パッと目を開き、周囲をきょろきょろしたあと、俺に目を向けて瞠目する小桜。

 その一連の動作が小動物のようで思わず笑ってしまった。



「な、なんで笑うんですか」

「なんでもなにも、あんだけ注意したのにまた泥酔してたのか。風邪ひくぞ」

「ち、違うもん……」



 怒るかと思いきや、俯いて口を噤む小桜。

 どうやら泥酔はしておらず意識は正常なようだが、いつもの彼女らしくはない。



「じゃあ、どうしてここにいたの?」

「そ、それは……」



 小桜は口をパクパクさせながら、目を泳がせている。

 最近俺とすれ違うたびに良く見せる仕草だ。


 俺は酔いに任せ、単刀直入に聞くことにした。



「前から思ってたんだけど、もしかして俺に何か言いたいことがあるの?」

「うっ……」



 あからさまに言葉を詰まらせる小桜。どうやら図星のようだ。



「もしかして、それで待ってたの?」

「……これ」



 小桜は俯きながら俺に1本の缶を渡してきた。

 桜の絵柄が施された、春限定のノンアルコールカクテルのようだ。



「あ、ありがとう」

「……ちょっと、ついてきてくれますか?」



 小桜はそういうと、立ち上がって駅とは反対方面へスタスタと歩き始めた。

 俺は慌てて彼女の後をついていく。


 3歩分。それが俺と小桜の距離。その微妙な距離を保ちながら、俺たちは無言で歩く。何となく、話は目的地に着いてからの方がいい気がした。


 そして10分後。たどり着いたのは、小桜が泥酔していたあの人気ひとけのない桜並木だった。


 俺たちはぽつんと寂しそうに佇む、塗装の剝げかかったベンチに腰を下ろした。


 辺りが暗いので、桜は空の色と同化してしまっている。



「飲みましょう、桜カクテル」

「あ、ああ」



 俺と小桜の缶を開ける音が重なる。

 それがなんだか少し気恥ずかしくて、桜カクテルを一気にぐびっと飲んだ。



「ぬるい……」

「それ、毒入りですよ。まんまと引っ掛かりましたね」

「ぶっ……嘘だろ?」

「嘘です」



 人を呼び出しておいて嘘をつくとは何だ、とクレームを言おうとしたが、小桜の顔がやけに曇っているので黙っておいた。


 両手で持った桜カクテル。彼女の小指が、しきりに缶をこすっている。

 あのハチャメチャな小桜の面影はない。


 一体、どうしたのだろうか?



「毒は、私の方なんです」



 夜桜を見つめながら、小桜は確かにそう呟いた。

 


「美葉って名前、美しい葉って書くんですけど、どう思います?」

「え?」

「美葉って名前の印象です」



 まるで脈絡のない話に理解が追いつかない。

 だが、自称・聡い小桜の思考が飛躍するのは自然なことのようにも思える。そしてなんとなく、俺もしっかりと答えなければいけない気がした。



「うーん……綺麗なイメージ。葉っぱが美しいから、自然の美というか、クリアというか」

「みんな、だいたいそう答えるんですよ」



 小桜の声には、少し怒りがこもっていた。

 だが、それは俺に対してというより、世間全般に対してという投げやりな感じだ。



「私の名前、小桜美葉、桜の葉。確かに字面は綺麗です。でも、桜の葉に毒があることは知ってますか?」

「いや、知らない……というか、食べられるよな? 桜餅とか」

「はい、多少なら人体には影響もないので食べられます。でも、人間以外には違う」



 小桜はベンチから立ち上がり、1番近くにあった桜の木の下に移動した。



「桜の葉には『クマリン』という毒があります。この毒は、雨によって地面にまき散らされ、周囲の植物の育成を阻害します。だから、桜の木の下には雑草がないんです」



 俺は驚いて、周りの桜の木を見渡した。暗くてよく見えないが、少なくとも長い雑草などが生い茂っている様子はない。



「私のパパは、それを知った上で私にこの名前をつけました」

「……え?」

「つまり、表向きは桜の葉のように美しく、内実は、桜の葉のように自分が毒を持つことで周りを蹴散らして勝ち上がれ、という意味を込めていたんです」

「……ひどいな」

「はい。だから、本当に狡猾なのは私じゃなくてパパです」



 今まで小桜から聞かされた父親の話も鑑みると、彼女の父親は結構な『毒親』ではないだろうか。


 小桜のずけずけという物言いや自信過剰な性格、時折見せる脆さは、全て家庭環境が影響して形成されたのかもしれない。



「でも、おじいちゃんは違った。小学生の頃、学校の宿題でパパに名前の由来を聞いてショックでひっそり泣いていたら、おじいちゃんは優しく私の頭を撫でてくれた。『美葉は優しい子だから、誰かを傷つけて勝ち上がらなくてもいいんだよ』って言ってくれて……」



 小桜は、いつしか涙声になっていた。

 そして、俺の心は痛み始めた。自分が病んでいる時とは違う、別の痛み。


 他人に感じる、痛み。他人を想う、痛み。



「この桜並木は、おじいちゃんとおばあちゃんが出会った場所なんです。結婚した2人は、いつかここの近くに住みたいと考えて、あのアパートを建てた。最初はお金がなかったから造りはイマイチになったけど、幸せだったって。それで、不動産の事業が成功してからも、おじいちゃんはであの管理人室に住み続けたんです。だから私も、絶対にあの場所を残したい」



 小桜は虚空を見つめている。

 俺の胸は嫌な予感で支配された。



「あの……1人でってことは、小桜のおばあさんは……」



 夜桜の下、小桜は静かに呟いた。



「死んでしまったんです……地震で」

「地震……」

「はい……大地震ではなく、ちょうど家電量販店に行った日くらいの規模だと思います。運悪く、倒壊物の下敷きになって……」

「そんな……」

「だから、この前の地震、すごく怖かった。私が言った『笑えない時期』っていうのは、おばあちゃんが死んじゃった時のこと……その、思い出しちゃって……」



 まさか、そんなことがあったなんて……。

 俺の心の痛みはさらに強くなった。自分のこと以外でこんなに胸が締め付けられるのは、初めてだった。


 すると、虚空を見つめていた小桜が俺の方に向き直った。


 真っ直ぐな視線が、俺の瞳の奥まですっと入り込んでゆく。



「この前の私は、運が悪かった。私の傍の電子レンジだけが落下したし、打ち所が悪かったら危なかった。おばあちゃんと同じだった……でも」



 小桜が一呼吸置いた。俺は、何故か呼吸をすることが出来なくなっていた。



「でも、なめろうさんが助けてくれた。なめろうさんがいたから、私の運の悪さも吹き飛ばしてくれた」

「あれは、咄嗟に……」

「うん、咄嗟に助けてくれたから。だから私は、今ここにいる」


 

 小桜に見つめられ、俺の鼓動は加速した。



「だから私、ずっとなめろうさんにお礼を言いたかったんです。中々言えなかったけど、さっき謝りに来てくれた舞音子とゆるるを見て、私も今日なめろうさんに言うことにしました」



 その時、強い突風が吹いた。

 小桜の繊細な髪と部屋着がふわりと揺れる。



「ありがとう、なめろうさん。私……」



 桜吹雪が俺たちの間を埋める。

 この微妙な距離を、鮮やかに埋める。



「初めて、好きになりました」



 夜桜の下の小桜は、ただただ美しかった。

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