第5話  運命の出会い?

 2人の(巨乳)美女から打撃を喰らった頬は赤くはれ上がり、ズキズキと鈍く痛む。



「あ、これタオルで巻いた保冷剤です」

「……ありがとう」

「『コーポ夜桜』はセキュリティが緩いから、防衛本能が解放されちゃうんです」

「防衛本能ねぇ……」



 あの後、俺は花栗にガッツリと殴られた。

 ゆるるが事情を説明してくれたおかげで辛うじて1発で済んだが。


 ややあって花栗親子が部屋へ戻ったので、今101号室にいるのは小桜と俺の2人だけ。



「まぁまぁ。『コーポ夜桜』は現在女性しか住んでいないので、許してくださいって」

「それより、俺はいつ102号室の住人兼管理人見習いになったんだ?」

「さっきです」

「……絶対引き受けないからな」



 頬の痛みが治まったら、こんな物騒な場所からさっさと脱出してやる。



「でも、もうゆるるママに言っちゃいましたよ?」

「それがどうした?」

「住人でも管理人見習いでもないなら、なんて説明するんですか?」

「……」



 やっぱりこいつは狡猾だ。

 あれはきっと助け舟じゃなく、俺が住人兼管理人見習いにならざるを得ない状況に追い込むための作戦だったんだ。


 ……性格悪っ。



「とりあえず、腫れが落ち着いたら契約書にサインしてくださいね」

「小桜さんはなんでそんなに俺に住んで欲しいの?」

「えっ……そんなのどうでもいいじゃないですか。ははは」

「狡猾なくせにごまかすのは下手なんだな」

「また、ひどい‼」



 俺と小桜の間に火花が散る。しばしの膠着こうちゃく状態が続いた。


 しかし、ややあってから彼女は俺からすっと視線を外した。

 そして、虚空を見つめながらボソッと呟いだ。



「残したいんです、ここ」



 それは、意思のこもった切実な声だった。

 先程までとは様子が違う。たぶん、演技じゃない。



「『コーポ夜桜』、取り壊されるの?」

「……私はそんなの認めない。だから、ここに来たの」

「え、どういうこと?」



 小桜は膝の上に置いた拳をぐっと握りしめている。

 詳しいことはわからないが、どうやら小桜は『コーポ夜桜』の取り壊しを阻止するために管理人になったようだ。


 すると、小桜は俺に力強い視線を向けた。



「今、『コーポ夜桜』は管理人室を除く7室中2室しか埋まっていません」

「そんなに少ないの?」

「はい。おじいちゃんの入院が決定してから、親……オーナーが取り壊しを決定したので、不動産屋での新規募集を停止しているんです」



 小桜は歯を食いしばった。親が『コーポ夜桜』のオーナーで、揉めているということだろうか?



「でも、私はある理由でどうしても『コーポ夜桜』を残したい。だから取り壊しに強く反発したら、オーナーが私に3つの条件を出したんです」

「3つの条件……?」

「はい。1つ目は管理人になってここに住むこと。2つ目は入居率を50%以上に引き上げること」

「3つ目は?」



 俺が問いかけると、小桜は困った顔をした。



「……それは追々の話です。とにかく、今は2つ目をクリアしないといけない」

「なるほど……それで俺を勧誘したんだ?」

「はい。オーナーが仲介業者を使わずに自力で新規住人を獲得しないと認めないというので」

「それはなんというか、無謀だね」

「はい。だから成人記念でヤケ酒してました。パパは取り壊しを強行するつもりだから腹立たしくて! ……あ、オーナー」



 泥酔の真相は親子喧嘩か。


 まあ、小桜はただ狡猾でだらしないわけではなく、目的に沿って行動する真面目な一面もあるようだ。初めての酒には失敗したが、まったく無責任な人間ではないのかもしれない。



「でも、ヤケ酒のおかげで、なめろうさんに出会えた」

「え?」



 小桜の真っ直ぐな視線を受け、不覚にもドキッとしてしまった。


 忘れていたが、彼女は童顔美女。

 そんな美女に「運命の出会いでした」的な言い方をされたら、男性なら誰だってときめいてしまう。


 俺は頬を搔きながら、ぎこちなくはにかんだ。



「ま、まぁ、確かに一般的には運命的シチュエ――」

「どんな行動をしても、必ず成果に結びつかせる。ヤケ酒したって新しい住人を獲得した私は、やっぱり聡いんだと思います」

「……」



 俺に出会えてよかったんじゃなくて、新規入居者が増えてよかったという意味か。


 そんなことを事も無げに言ってしまうということは、やはり根本的な性格はあんまりよろしくないのだろう。


 それに加え、先程の抱きつく行動や今の言葉をかんがみるに、天然な思わせぶり体質のようだから余計に厄介だ。



「それではなめろうさん、最初のミッションです!」

「……仕事の場合はミッションじゃなくて業務とかタスクって言うんだぞ。それにそもそも、俺は管理人見習いじゃ――」

「じゃあ、最初のタスクです!」

「……」



 小桜は俺の否定の言葉をあっさりと遮り、真剣な面持ちをした。

 20歳・社会人未経験の上司なんてごめんだ……。



「入居率50%以上を達成するために、もう1人住民を増やしてください!」

「はい? それは自分の仕事なんじゃないの?」

「私は既に1人クリアしているし、私の友人はオートロック付きマンションにしか住んでいませんから。なめろうさんの知り合いに、セキュリティに無頓着な男性とかいません?」

「……」



 1人クリアできたのは、紛れもなく俺のお陰なんだが。

 そして俺は絶賛人望喪失中だから、あいにく目ぼしい人間がいない。



「それに3年生からやっと希望の学部に入れるから、春休み中はしっかりと予習をしなければいけません。つまり、あまり探す時間がないんです」

「やっと希望の学部? 今までは?」

「私の大学は、2年生まではみんな教養学部なんで」

「へぇ……」



 随分珍しい大学だ。でも、そのシステム、どっかで聞いたことがあるような……。



「とにかく忙しいので、なめろうさん、お願いします。もちろん私もできる限りは探すので」

「んなむちゃな……」

「あ、私はこれから用事が。ははは」



 小桜はそそくさと立ち上がり、玄関のドアノブに手をかけた。

 きっとこんな朝から手ぶらで行く予定なんてないだろうに。相変わらず誤魔化すのが下手だ。



「ちょっと……あのさ、報酬は?」

「ホウシュウ?」

「これは仕事としてのタスクなんだから、ただ働きはできない」

「まぁ、確かにそうですね……」

「じゃあ、4月の家賃をタダにしてくれ」

「……‼ 強欲‼」

「それが仕事を頼む人への物言いか‼」



 小桜は目を丸く見開いた。

 今までの俺の給料からしたらそれでも破格なんだが、20歳の大学生にはその辺の相場はまだわからないのだろう。



「……せめて、半額の1万9500円です」

「それは低すぎる。じゃあ、3万」

「いえ、2万」

「2万9000円」

「2万1000円」

「2万8000円」

「……あ~、もう‼」



 小桜は値段交渉のやり取りに辟易へきえきとしたのか、頭を掻きながら投げやりに言葉を放った。



「じゃあ基本半額、1人契約成功したら1か月分無料‼ それでいいですか?」

「……まあ、それなら」

「交渉成立ですね」



 いくらウマの合わない者同士でも、折り合いのつけどころはあるらしい。


 小桜は嘆息すると、玄関のドアを開いた。



「……あ、ちなみに期限は3日後でお願いしますね。では」

「3日後って……無謀だろ⁉」


 

 俺の悲鳴に近い訴えもむなしく、老朽化したドアはギィギィと音を立てながらあっけなく締まった。


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