第2話 ボロアパートで添い寝
「『コーポ夜桜』……?」
銀髪少女に連れてこられたのは、閑静な住宅街の中でひときわ異質な雰囲気を放つボロアパート。街灯の明かりがやたら明るいので、塗装が剥がれかけた看板の文字でも辛うじて読むことができた。
「ここ、ゆるる達のお家。その人が新しいカンリニンさんだよ」
「ゆるる……」
「こっちに来て」
妙に大人びた少女だと思っていたけど、自分をあだ名で呼ぶところは子どもらしい。そんなことを思いながら、敷地内に恐る恐る足を踏み入れた。
2階建てのアパートには上下に4つずつ部屋がある。
ついたり消えたり忙しない廊下の電球や伸び放題の雑草、
このボロアパートの管理人が俺の背中に乗っている童顔の泥酔女子だなんて、わかには信じがたい。
「カンリニンさんのお部屋、しまってる……」
銀髪少女は『101』と書かれた部屋のドアノブをガチャガチャと動かしているが、ドアはびくともしない。
俺の腰は泥酔管理人の重さに耐えかねて砕ける寸前。早く帰りたいが、流石に玄関の前に放置するわけにもいかない。かといってピッキングの技術もない。
俺は嘆息しながら、とりあえず泥酔管理人を下におろした。
「もしかしたら管理人が鍵を持っているかもしれないから、彼女のポケットを探ってくれないかな?」
「おじさんはしないの?」
「い、いや、俺がそれをしたら流石に……」
「そっか、ゴウカンマ!」
「……」
銀髪少女は悪びれる様子もなく、ため息が止まらない俺の横を素通りして泥酔管理人のジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「おじさん、スマホはあるけど鍵はないみたい」
「嘘だろ……」
言われてみれば、人気のない場所で泥酔するような人がちゃんと鍵を管理できるとは思えない。
俺が途方に暮れていると、突然銀髪少女が泥酔管理人の胸を鷲掴みし、揉み始めた。彼女の手があまりにも小さいためか、はたまた泥酔管理人の胸が大きすぎるためか、半分も掴めていない……ってこんなところを誰かに見られたら、俺がいよいよ変質者になってしまう。
「お、おい、何してるんだ。や、やめよう」
「ママのとどっちが大きいかなって。でも、やっぱりママのが大きいよ」
これよりも大きいって……君のママ、何者?
「そ、そっかぁ……とにかくもうやめ――」
「あった!」
「……え?」
「お胸にかたいのあったよ」
銀髪少女は小さな手を泥酔管理人の服の中に突っ込んだ。あまりの異様な光景に、俺の額から汗が吹き出る。
「な、なにをやって……」
「ほら、ぶらじゃあの中に、これ!」
銀髪少女は唖然とする俺の手に鍵を置いた。まだ生温かい……。
「おじさん、はやく!」
「……う、うん」
俺は急かされるがまま、101号室の鍵を開けて恐る恐るドアを開いた。ギィギィという不気味な音が鳴り響き、
そしてドアの先には、闇。
今のところ、かなりだらしない泥酔管理人。一体どんな部屋なんだろう。そこら中に弁当箱が散らばっていたり、飲みかけのペットボトルが多数放置されていたりするのだろうか。
比較的綺麗好きな俺は、汚部屋を想像するだけで背筋が凍った。
「おじさん、どうしたの?」
「え、あ……何でもない。電気はどこかわかるかな?」
「うん、ここ!」
銀髪少女はドアの隙間をすり抜け、電気をつけた。
そして視界に入ってきたのは――
「……え? なんで……」
古びた6畳の和室には、何もなかった。
「新しいカンリニンさん、今日からなんだ」
「新しい管理人……ってことは前の人は?」
「うんとね。白髪のおじいちゃん。でも病院に行っちゃったって」
「そ、そうなんだ」
なんとなく事情を察した俺は、勤務初日から仕事を放棄しているであろう泥酔管理人に視線をやり、肩を落とした。
こいつ、自称成人のくせに無責任だ。小学生の方がしっかりしているなんて。
……そういえば、このやたらしっかり者の銀髪少女が何故あんなところにいたのだろうか。
「ねぇ、君。ママは?」
「ママはお仕事」
「じゃあ、なんで外にいたの? 危ないよ?」
「お家の電気が切れちゃって怖くて……でもカンリニンさんの家、ピンポンしてもいなかったから探しに来たの」
まだ小さいのに母親は仕事、家は真っ暗、唯一頼れる存在の管理人は不在……さぞ心細かっただろう。ここまで案内してくれたのだし、お礼に何か手伝えることはないだろうか。
「……そうだ。家が暗いなら、俺が電球を替えてあげようか?」
「ママが知らない人を家に上げたらダメって。ドロボウかヘンタイかゴウカンマだからって」
「……なるほど」
そういう教育だったのか。最後は極端な例だけど、一応理にはかなっている。
「そしたら俺は帰るよ。君の家は暗いから、今日はこの管理人の部屋にいたらどうかな?」
「……うん」
銀髪少女は先程とは違い、そわそわしながら俯いている。
小学生を1人にしてしまうのは酷だけど、泥酔管理人がいるからなんとかなるだろう。それよりも、男の俺がいた方が怖がらせてしまう。
「夜、気をつけてな」
「……うん」
俺は泥酔管理人を引きずって家の中に入れたあと、ドアノブに手をかけた。
すると、シャツの裾がぎゅっと引っ張られた。
「……やっぱりここにいて」
「え……」
「ママ、朝まで帰ってこないから……」
銀髪少女の目にはわずかに涙が溜まっている。
……どうしよう。
俺は女子の儚い涙にはもっぱら弱いく、思わず足が
「で、でも、家に知らない人がいたらダメなんだよね?」
「ここ、ゆるるのお家じゃないもん」
「……そ、そうだね。でも布団もないし」
「もしかしたら押入れにあるかも」
銀髪少女はそういうと、すぐに押入れに駆け寄り、手際よく襖を開けた。
埃っぽい臭いが部屋に充満する。
「やっぱりあった!」
「……そ、そうなんだ」
「ね、だから一緒にいて? ……お願い」
「……」
色素の薄い澄んだ瞳が、俺に何かを訴えかけている。
あまりにも綺麗で、純粋で、脆そうな瞳に見つめられると、助けてあげたいと強く思ってしまう。
だが、翌朝ここで俺が寝ている姿を誰かに見られたら、犯罪者認定は免れないだろう。
……いや、自分の保身のために彼女の願いを
それに俺はもう、全てを失ったんだ。いまさら何を恐れることがあるだろうか。
「わかった。朝まで一緒にいるよ」
「ほんと‼」
銀髪少女は声を弾ませ、布団に手をかけた。俺はその手を制し、2組ある布団を押入れから引き出した。
「そういえば、おじさんのお名前は?」
「あ、俺?
「なめ……なめる……?」
「ち、違う。なめかわゆきろう」
「なめ……ろう……あっ! なめろう! 知ってる!」
「え……」
「なめろうさん!」
小学生がなめろうなんて渋い食べ物を知っていることに驚く。
銀髪美少女は嬉々として『なめろうさん』を連呼しているが、先程の不安げな様子とは打って変わって無邪気にはしゃいでいる彼女を見ると、名前を訂正する気にはなれない。
「……ああ、なめろうだよ。そういえば君の名前は? 何年生?」
「
「……え、ゆるるってあだ名じゃないの?」
「名前だもん! ……だから君じゃなくてゆるるって呼んで」
「わ、わかった」
頬を膨らますゆるる。随分なキラキラネームだ。
ますます親の顔が気になる。
ギャルだろうか、ヤンキーだろうか……とゆるるの母親像を想像しているうちに、2組の布団を敷き終わった。そのうちの1つに泥酔管理人を移動さる。
しかし、動かしている最中にニットの胸元が緩んでピンクのブラジャーが見えてしまった。慌てて視線を逸らす。
「お、俺は部屋の端っこで寝るから、ゆるるが布団で寝な」
「え、一緒って約束したじゃん」
「いや……」
「ゆるる、パパいないから……」
「そ、そっか……」
いくらなんでも、同じ布団に寝るのは流石にまずい。完全に犯罪者になってしまう。
しかし、ゆるるは今にも泣き出しそうな顔をしている。それに、パパがいないということにどうしても同情してしまう。
ここはゆるるが寝付くまで隣にいるしかなさそうだ……。
「わ、わかった」
「やったー!」
「でも布団には入れないから、隣の畳で寝るよ」
「……お風邪ひかない?」
「大丈夫」
ゆるるはこくりと頷いてリボンを外すと、布団に潜り込んだ。俺はその隣の畳の上に横たわった。
女子2人がいる空間での静寂はこたえる。俺は気を紛らわすため、鼻歌を唄った。無意識に選曲していたのは、七香が担当したとコラボCMのテーマ曲『湯吞みゃあとテレビっ子』だった。
はぁ、また七香を……。
咄嗟に鼻歌を止めると、ゆるるのすぅすぅという寝息が聞こえてきた。ちらっと寝顔を見ると、子猫のようにかわいい寝顔に目を奪われた。
銀髪の繊細な髪、小学2年生とは思えない整った顔立ち……完璧そうに見えるこの子にも、苦悩はある。
完璧に見えていた七香にも、本当はもっと苦悩があったのではないだろうか。
俺がそれに気づけなかったから、あんなことになったのだろうか。
俺に非があったんだろうか。
……だめだ。
泥酔管理人を見ても、銀髪美少女を見ても、七香に発想を飛ばしてしまうなんて重傷だ。
もう全部、失ったんだ。
そう思ったらどっと疲れが押し寄せ、俺はあっけなく意識を手放した。
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