浮気されて職も失った俺、ボロアパートに引っ越してから住人の美女・美少女たちと生活を共にしています。

花氷

第1話 全てを失った日、泥酔美女と……

 俺のそばでは桜なんか咲かない。

 

 2年間付き合った社内恋愛の彼女・都城七香みやしろななかが、去年のクリスマスに他の男と街を歩く姿を目撃してしまった。


 後日彼女に電話で問いただしたところ、すぐさま音信不通に。そして年明けには、何故か逆に俺が浮気しているという噂が社内に流れていた。しかも人妻と。


 もちろんそんなことは一切していない。

 しかし、不倫が有無を言わさず糾弾きゅうだんされる昨今、弁解の余地はなかった。


 社員の俺への視線は氷柱のように鋭く、ドライアイスのように冷ややかだった。割と仲の良かった社員や尊敬していた上司も俺を避けるようになり、ランチタイムには女性社員が俺の噂話に花を咲かせていた。


 いたたまれなくなった俺は、本日3月31日付で会社を退職した。


 皮肉にも27歳の誕生日。


 俺は、才色兼備の彼女、大手家電メーカーSEの職、タワマン高層階の部屋、辛うじてあった人望……とにかく全てを失った。


 そして今、行くあてもなく辿り着いた知らない土地で、夜桜を見上げながら歩いている。だが、月が雲に覆われているため、真っ暗で何も見えない。


 何も見えないなら、何もないことと一緒だ。


 俺のそばでは桜なんか咲かない。



「……ッづァァァァ!!」



 一滴の液体が頬を伝った瞬間、突然RPGのラスボスの鳴き声のような厳つい悲鳴が鼓膜をつんざいた。驚いて視線を落とすと、俺の真下でなにやら黒い物体がうごめいている。


 そういえば何かを踏んだ感触があったような……。



「ッづァいってイッッてんダけどォォ‼」

「……え?」



 何やら怪しげな奇声を発しながら、黒い物体の触手のようなものが俺の足をきつく掴んだ。もしかしたら、俺はいつの間にか流行りの異世界とやらに転移して、今まさにバケモノに食われようとしているのかもしれない。


 だが、全てを失って新たな人生を歩む気力さえない今、あっさり死ねるのは寧ろ好都合なのではないのだろうか。


 現実の汚れた荒波に揉まれ続けるくらいなら、異世界の訳のわからないバケモノに真っ暗闇の中で食われた方が楽に逝けるだけマシだ。


 俺はやけにいだ心境で再び空を仰ぎ、ゆっくりと目を閉じた。


 ――さよなら世界。



「だから何回言ったらわかるのよおおお‼ いい加減に足をどけてえええ‼」

「……え?」



 今度ははっきりとした口調だった。

 再び視線を落として凝視すると、片手で俺の足を掴んで見上げている女の子が目に入った。


 ……人間だ。



「私の右手‼ あなたが踏んでるんだってば‼ 骨が折れてたらどうするの‼」



 よく見たら、俺は彼女の手を思いきり踏んづけていた。慌てて足を上げる。



「す、すみませんでした……」

「女子が花見をしてるんだから気を付けてよ‼ ……あ~右手折れてる、絶対」

「……え、花見? ここで?」



 確かにここは桜並木だが、人気ひとけも街灯もないひっそりとした場所でかなり暗い。花見をするなら、上野公園のような大規模で明るい場所が適切だ。

 ましてや女性1人なんて危険すぎる……本当に花見が目的だろうか?


 

「別にいいでしょ‼ やけになってるんだから‼ あ~、手に異常があったら慰謝料ね」



 彼女はそういうと、右手をぶんぶん振りながら左手で身近にあった缶ビールを掴み、ぐびぐびと喉を鳴らしながら一気飲みした。

 

 それと同時に、曇っていた空が晴れ、月明かりがぱっと辺りを照らした。


 そして、美しいけどまだあどけない彼女の顔と、周りに大量に転がっているビールの空き缶が目に映り、血の気が引いた。



「き、君、もしかして未成年じゃないの? 1、2、3、4……ざっと10本以上あるみたいだけど……」

「ひどい‼ 子供扱いしないで‼︎ 私もう成人してるもん‼」


  

 俺の言葉に明らかな不快感を示した彼女は、突然立ち上がって右手を腰に当て、もう1本追加で缶ビールを一気飲みした。

 しかし足元は覚束ず、缶を持つ手が震え、顔はゆでだこ状態。間違いなく泥酔している。


 彼女が今にも転倒しそうなので、咄嗟に正面から両肩を持って支えた。



「あ、危ないよ」

「きゃー変態‼ 離せぇ‼ ……つぁ」

「……え?」



 すると彼女がいきなり俺の胸になだれこんできた。


 身体が密着する。あたたかで懐かしい感触。酒臭さはありながらも、髪からほのかに香る桜の香りが鼻孔をくすぐる。


 その時ふと、俺の元から突然去ってしまった七香の顔が脳裏をよぎった。


 ……って、少なくとも今はそんな場合ではない。



「あの、もしもし。大丈夫⁉」

「……」



 肩をゆすっても何度声をかけても、全く反応がない。完全に意識を失っている。


 もしものことを考え、救急車を呼ぶためにズボンのポケットからスマホを取りだした。しかし、あいにくの充電切れだった。


 病院を探すにも、最終出社を終えて失意の中あてもなく訪れた場所だから、土地勘が全くない。


 ……どうしよう。


 俺は途方に暮れた。しかし、少し逡巡しゅんじゅんしたのち、とりあえずこの場から街の方へ向かうことが望ましいと判断し、泥酔した彼女を背負った。

 

 意識のない人間はいくら女子でも重くてしんどい。


 だが、彼女が身体を完全に重力に預けているせいで(おかげで)、童顔に見合わない胸のふくらみが背中を圧迫してくる。これも懐かしい感触だ。


 また、思い出してしまう……七香。


 初めての彼女だった。同い年で、でも俺が院卒だから2つ上の先輩。


 社内でも評判の美女で、広報部のエース。彼女の担当した、新型テレビと人気漫画『湯呑ゆのみゃあ』のコラボCMは評判となり、一躍ブームにもなった。


 そんな七香との2年間はどこか夢みたいで、周りから羨ましがられる度にむず痒く、でもどうしようもなく幸せだった。


 それがあんな形で……しかも最悪な手を使って俺を会社から追い出すなんて……。


 鬱思考に支配されながらもなんとか歩き出すと、泥酔女子のふくよかな胸がより一層背中を押してくるようになった。

 普段なら喜ばしい展開だが、このせいで妙に七香を思い出してしまって、ここ数ヶ月き止めていた感情が崩れてゆく。


 好きだった。たとえ変な噂を流されても。

 そして今も――


 ……だめだ。感情の決壊はもう止まらない。涙が飛瀑ひばくの如く激しく流れ出して頬を濡らす。


 視界は涙でぼんやりと霞む。それでも進まなければならない。


 どこに向かえばいいのかさえわからない。それでも進まなければならない。


 ……俺の人生そのものだ。



「……ねえ、おじさん」

「……え?」



 再び足元から声がしたので、立ち止まって視線を落とした。


 すると、そこには小学生くらいの女の子が立ちすくんでいた。俺のシャツの裾をぎゅっと引っ張っている。

 ハーフなのか、染めているのか、小学生らしからぬ美しい銀髪を細めのリボンで結んでツインテールにしている。


 こんな夜遅くに少女が1人?

 しかも『おじさん』って……俺、まだ20代……。



「その人、新しいカンリニンさん?」

「……え? あ、いや、わからない……」

「おじさん、カンリニンさんのお友達?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「じゃあ、ドロボウ? ヘンタイ? ゴウカンマ?」

「は……⁉」



 少女はくりくりとした瞳をきゅっと鋭く尖らせ、俺にジト目を向けている。


 小学生くらいの年齢で『強姦魔』という言葉を知ってるなんて、親は一体どういう教育をしているんだろうか。



「……ケイサツ、呼ばなきゃ」



 すると少女は、首にぶら下げているスマホらしきものを手に取り、電話をかけようとした。


 まずい……。

 いくら無実とはいえ、俺の主張なんか誰も信用してくれない。それは既に会社で痛いほど経験している。



「ち、違うんだ、誤解だよ。この……管理人?が道で泥酔……お酒を飲んで倒れていたから助けたんだ」

「……ほんと?」

「ほ、ほんとだよ」



 少女は俺の回答を聞くや否や、腕を組んで逡巡し始めた。

 ややあって何かを決意したような神妙な面持ちになると、俺のシャツを再び引っ張り、くりくりとした瞳でじっと見つめてきた。



「……じゃあ、こっち来て」

「……あ、うん……わかった」



 有無を言わさぬ圧倒的な目力に気圧され、俺はひとまず少女についていくことにした。



 これが、美女・美少女たちと1つ屋根の下で生活するきっかけになるなど知る由もなく――


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