震え
サラがいた座席から深紅の液体が飛び散る。それを凝視しながら止めていたはっと息を吐き出した。視界がまた明滅した。頭と目尻に熱が宿る。手が震える。視界の縁が白に染まる。
殺した。また殺した。無垢な少女を、こいつはまたいとも簡単に殺した。
「次は嬢ちゃんだ」
馬車からふりかえった青年が嘲るようにわらう。
「‥‥テメェ」
声を絞り出した。なぜか手の震えが止まらない。
数日前の自分が言う。仕方ない。人死には仕方ない。‥‥けど、
「自分の目の前で人が死ぬのを‥‥」
「あ? なんだ? 声が小さくて聞こえねーよ」
地面におりた青年はざっ、ざっと歩いてくる。
だから手の震えを無理やり抑えて叫んだ。
「‥‥許した覚えはねぇよ!」
同時に蹴る。地面を。しゃがみこんでいた状態から。そうして短刀の落ちている場所に滑り込む。土を散らしながら。滑りながらつかを掴む。その重さがついに手の震えを止めた。ふらつきながらも立ち上がり、
「‥‥一つ聞きたいんだけど」
「おう? 何でも聞けよ、聞いてやるよ、冥土の土産にな!」
面白そうに言いながら近づいてくる青年は余裕の表情だ。私は昨日の連中、そしてガーナのことを考える。
「テメェ、『王国』の人間か?」
「おうおう、そうだよ、よく知ってるじゃねぇか嬢ちゃん。なんでー?」
「‥‥よくわかった」
応えを聞いて、両手でしっかりと短刀を握り直して、切先を青年に向けて。
「だぁあああ!」
咆哮とともに突撃した。
青年に向かって、一直線に。
真っ直ぐ真正面から突っ込んでくる私を見て、犬歯をのぞかせて青年は口の端を歪める。感じたのは呆れか哀れみか。彼が左腕を鉤爪状にして振りかぶりーー振り下ろすのを認めるとともに全力を込める。左腕に。右横に飛んだ。瞬間さっきまでいた地面に大きな爪痕がはしる。えぐれた地が土を撒き散らす。
「あ?」
呆けたような声をあげる青年を無視し、私はダヤナ(馬車)にそのまま走って飛び乗った。座席のサラの様子を見て息をのむ。顔と首、身体にはしる三本の赤い線。意識を失っているのだろう動かない。けどまだ死んでなかった。
介抱しようとするのを堪える。ばっと無理やり顔を逸らして馬の手綱を握る。逃げるしかない。私ではこいつに勝てない。
「待てよ!」
馬が走り出す。私は馬を操ることだけに集中。青年が追ってくる。けどよし、馬の足には追いつけない。
「くそっ、待てって!」
後ろを振り向いて小さくなっていく青年に向かって私は叫んだ。
「さっさと『王国』に帰れ!」
それに対して何か喚きながら小さくなっていく青年を確認して急いでタリガノ(布)を持ってサラの横に飛び乗る。
「サラ、サラ!」
呼びかける。傷跡を見て喉が渇く。そして気づいた。この顔の傷はーー
「……お姉ちゃん……どこ? 痛いよ、熱いよ、暗いよ……お父さんは? お父さんなら、きっと治してくれるよ…‥ねぇ、どこ?」
ーー両目の真上だ。赤い線から血をとめどなく流しながらサラは父親を呼ぶ。もう二度と帰ってこない父親を。
「サラ‥‥!」
小さな身体を抱きしめた。医者に見せないと。手遅れになる前に。
「お姉ちゃん、痛いの嫌だよ……お父さんは……?」
「行くから、もう会えるから……!」
なんとかしないと。人死には仕方ない。運が悪かった。けど彼女がここで死んだらそれはあんまりだ。どうにかして助けないと。巻き込んだのは私だ。
私の住むとこが近づいてくる。もうすぐだ。もうすぐ。
と、途端に身体が浮遊する。反射的にサラを抱きしめた。砕けたダヤナの座席とともに地に落ちる。
さっきの青年が攻撃してきたのかと思ったが違う。戦いで傷ついたダヤナが崩壊したのだ。ダヤナの残骸を引きずって走っていく馬の姿を歯噛みをして見送ってはっと気づく。
ここにいては追ってくる青年に見つかる。急いでサラと短刀を抱えて、家の間にある路地裏に入る。と、抱えるものに違和感。
ぞくりとした。
「サラ、サラ……!」
タリガノを外して身体を揺する。返事も反応もない。激しく揺さぶった。されるがまま。傷ついた目が白目になっているのが見えた。呼吸は止まっていた。
「死んだ」
父親と同じように。わけも分からずイカれた動物に殺された。けど今度巻き込んだのはガーナではない。私だ。私と会わなかったら彼女ーーサラ・ミュージアムは死ななかった。
「何で」
自分の声を遠くに聞いた。何かがぷちりと千切れて私の意識は闇へ落ちていった。
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