第8話
翌日、私は超絶疲れていた。
昨日はバイトがあるのをすっかり忘れていたので、今日はお願いしてバイトを休むことにした。また昨日みたいなことがおきると良くないので、バイトは月土日のみ行うことにした。
『俺の用事は』
スマホを見ると、亜蓮からそうメッセージが来ていた。無理もない、彼の約束は昨日果たすものだったのにね。しかし今日はバレー部との約束があるから無理だ。
『じゃあ金曜ね』
と送ると、私はスマホの電源を落とした。そこまでは別によかった。授業だって寝ていたから疲れなかった。しかし、しかしだよ。その後のバレー部がキツかった。
「凛さん‼︎来てくれてありがとうございます!」
なんて暑苦しい挨拶をしたのは序盤だけで、すぐに試合を始めるというスパルタっぷり。私が休憩中へばっていると、
「おつかれー」
と澄んだ声が聞こえてきた。
「あー…お疲れ」
名前は確か…藍とかだったかな。
「凛は上手いね、さすが」
「いやいや、藍の方がよく動いてるし上手いよ」
事実だった。私を雇うくらいなら相当実力的に厳しい部活なのかと思えば見せつけられたのはこの実力の差。中学でここまで上手い人を見かけたことはなかったし、高校はやはり本格的だった。
「…凛は、なんでバレー辞めたの?」
いきなり踏み込んだ質問をしてくる藍。
「いろいろ面倒でさ」
私にはバレー部を辞めた暗い理由なんてない。それに前向きな理由だってない。ただバレーをやる気がしなかった。
「ふーん」
自分から聞いたくせに案外素っ気なく答えた彼女。その癖のないさらさらの黒髪をかきあげる仕草もどこか大人っぽくて、私と違うオーラが感じられる。
「次は先輩と一年のレギュラーが試合するから、凛は審判しといてくんない?」
「おけ。藍は…」
「私?私は一年のレギュラーだから出るよ」
可愛いうえにバレーの実力もあるんかい。確かに藍のトスの上げ方はすごく綺麗だし、他に類を見ないくらいしなやかだ。
「…そっか。頑張ってね」
私が手を振ると、
「ん」
彼女はふわりと微笑んだ。
「気をつけ、礼」
「「「「「「ありがとうございました」」」」」」
ようやく練習は終わった。私がしたことと言えば、欠員している一年生のグループの補佐くらいだけど。
「お疲れ様。凛ちゃんすごく上手かったよ」
先輩までもお世辞を言ってくれたけれど、有頂天になるのをぐっとこらえる。
「ありがとうございます」
「また来てね」
「はい!」
私はこくりと頷くと、もう来ないであろうこの空間を振り返ってにこりと微笑んだ。
それからはバイトに勤しみ、あっという間に月日は経っていった。もう澪が変わり果ててから優に三ヶ月はかかっているんじゃないかって思う。これは最近思ったことだけど、裏の世界に生きているんなら澪のことも知っているのかもしれない。裏の世界と言えば表の世界も引っ括めて全ての情報が回っていそうなイメージがある。情報屋とか、そういうようなものが力を持っている世界というか。ま、表の世界だって情報が一番にはなってきているけれど。ある程度仲も深まったことだろうし聞いても良いだろうかと、私は重い口をこじ開けた。
「あのさ、」
私が声をかけてみると、ルイトはちょっと眉をあげた。話してもいいサインだと思い、私はこの問いを彼にぶつける。
「ルイトは、沖田澪って名前の女の子を知ってる?」
「…何で?」
ルイトの目が一気に険しくなる。わかりやすいやつめ。
「裏の世界の住人なら…ハッキングとかも出来て、他の住人のことも知ってるのかなって」
「あのなあ、」
ルイトが若干面倒くさそうに髪をわさわさと動かした。
「小説の読みすぎ。たまたま出会ったやつが情報屋の頭、なんてのはかなりの確率だよ。情報屋はそもそも表に顔を出したりはしない。確かに俺は強い。そこら辺のヤンキーには顔が知れ渡ってるんじゃないかってくらいだから、いつも帽子にマスク、サングラスをかけて変装してる。でもそれはそれで目立ってるらしいけどな。
それに、俺自体はクラックなんてやらないけれど情報入手の方法も知ってる。けれどまだよく知らないやつに与える情報はない」
「じゃあなんで聞いてもないのに私の名前を知ってたの?見ただけで私の名前が凛だって分かる特別な能力をお持ちですか?そうじゃないよね、どっかから私の情報を盗ってきたってことだよね。勝手に盗られていい気分は全くしないんですけど。ねえ、ルイト。澪のことを知らないわけないよね?だって知らなかったら私のことを調べるわけもないし、それにさっきみたいな表情をすることだってない」
「…」
ルイトは黙った。私が言い返さないと思っていたのかもしれない。数十秒猶予があってから、彼は絞り出すような声で言った。
「…嘘をついて悪かった。沖田澪のことについて、教えてやる。その代わり、この情報は死んでも誰かに漏らすなよ」
「うん」
私は力強くこくこくと頷いた。よし、勝った。
「沖田澪は、ある場所で仕事をしているうちのひとりだ」
「は?」
意味が分からず聞き返す。そんな抽象的な言葉だけじゃ訳が分からない。
「彼女はしょっちゅう知らない男とパパ活やらなんやらをして、男から金を巻き上げている」
「…っ」
なんのために…?私は吐きそうになりながら彼を見る。澪は裏の世界に入り込んでしまったのかっていうこと…?
「あいつがなんであんなに沼ってるのか、訳が分からないよ」
「っでも!」
「ん?」
私の焦りとは反対に、呑気な声を出す彼。
「ただの女の子だったら、他にもいるでしょ?なんでルイトみたいな強い人が、澪を知っているの?」
まあそうなるよな、と顎に手をあてるルイト。普段なら様になっているなと感心するところだっただろう。
「あそこの家の事情、知ってるか」
なぜ疑問形で返す。若干腹を立てながら、私は首を横に振る。澪の家は母子家庭、くらいしか知らない。そもそも幼馴染とは…特に澪とは…家の話なんてほぼしたことがなかったから。澪の好きな食べ物とか嫌いな食べ物とか癖とかそういうことは知っているはずなのに、なんだか彼女のことが急に遠く感じた。俺も詳しくは知らないんだけど、と前置きがあってからルイトは話し始めた。
「ああいうリスクが高いことをするっていうのなら、お金が無いから、とかお金が欲しいから、とかそういう理由だよな。あそこの家も例外じゃなくてさ。まあ、あとは本人から聞きゃあいいんじゃないの?ねえ、荒川凛さん」
フルネームで名前を呼ばれ、私はびくっと身を竦ませる。こいつ、やっぱり名字まで知ってたのか。
「ちらっと見て知ったんだけど、凛は沖田澪と知り合いなんだよね?というよりはかなりの仲の良さで、毎日起こしてもらってたとか」
「なんでそれも…」
「別に。チラッと見ただけ」
「…っねえ…ここに私を呼んだのって、もしかしてわざと…?」
「別にそうだとは言ってない。ただ俺は…」
となにかを言いかけた彼だったが、その口は途中で閉じられた。
「いや、何でもない」
でも私はそれが何か聞こうとはしなかった。聞く気もしなかった。
「もういい。辞めるから」
「は?」
彼の頭の上にはてなが浮かぶ。
「そういう人の下で働きたくない。第一、なんで私を雇ったの?澪のことが知りたいから、私を経由しようとしたわけ?そんなん、私には通用しないよ。てゆーか、させない」
「凛…」
「澪がどんな目に遭っているのか、ルイトは知っているんでしょ?だったら私を通してまで知らなくたっていいじゃん」
彼はそれ以上反論の言葉を口にすることはなかった。逆に驚いなのは他でもなく私の方だった。何か喋ってよとも言えないし…。
「送るよ」
「え?」
「確かに俺は澪の友人だとは知っていた。それはさっきも言った通りの事実だよ。それを聞いてバイトを辞めるかどうかは凛次第。別に俺は止めようとはしないし、もしいなくなっても今までは回せて来れたから大丈夫ではある。この意味を凛がどう考えるかにもよるね」
「…」
私は彼から目線を逸らした。なんと言っていいかが分からなかった。とりあえず私は彼の後ろを離れて歩くことにした。
「なに、ストーカー?」
彼がどこか愉しげに言う。この状況で楽しめるのは彼くらいだろう。
「違うし」
私は地面と目を合わせたままぼそりと言う。そういえば、地面とまともに目が合うのは久しぶりかもしれない。
「あのさ、凛」
しばらくして彼が声をかけてきた。私は答える気力もなくただ無視をする。しかし彼はそれで話すのをやめたわけではなかった。
「飯、食いに行かね?」
「は?」
私は目を丸くする。しまった、反応しない様にしてたのに。
「だから、俺と飯」
軽く十秒は空白の時間があった。
「なんで私が」
「小銭を無くしたくてさ」
小銭を無くしに食事なんて聞いたことがない。普通コンビニでパンを買うくらいだろ、と思ったがこの人は一応店の料理人なので多少はお金を持っているのだろう。
「私は行かない。今日はお母さんが早く帰ってくる日だし」
「ほんと?」
嘘だった。なぜこの人は、私の嘘をいとも簡単に見抜いてしまったのだろう。
「顔に出てる」
「っ⁉︎」
私は慌てて顔を押さえる。その様子を笑いながら見てくるルイト。
「どーお、一緒に飯食いに行く気になった?」
「それとこれとは違います」
「いーじゃん。あ、まーいっか。俺一人でキンパ食べに行こうかと思ったんだし、凛の分も食っちまお」
「やーっぱ、凛なら来てくれると思った」
「だ、だって…」
キンパはずっと前から気になっていたけど食べられず今までぐずぐずしていた。キンパは言わばチーズ海苔巻きだよね。とにかく美味しそうなやつ。って言ってしまう私には語彙力はもちろん皆無。金欠なうえにお母さんから今日の食事代を貰えているわけではないので、ここで食事をするよりほかはない。
「すいませーん、チーズキンパふたつお願いしまーす」
「はーい」
店員の返事が聞こえ、またさっと厨房に消えてしまう。
「凛」
「…何」
口調が刺々しくなってしまうのは私の所為ではない。…と言いたいところだが、言えなくもないし言えるわけでもないので微妙である。
「澪が俺のことを好きだか知ってるか」
その言葉でカチンと来た。私は澪とルイトを繋げるキューピッドかっての。
「またその話…?」
どうにか怒りをおさえながら、私はその言葉を絞り出す。
「もういい。キンパもひとりで食べればいーじゃん。出る」
彼はそれを引き止めようともしなかった。ただ、私が彼の前を通り過ぎたとき、彼はこう言った。
「もし沖田澪に会ったら、伝えておいてくれ」
つまらない伝言かとやれやれとそちらを見ると、その不思議な光景に目を見開いた。彼はなぜか両手の人差し指をクロスさせていた。
「…?」
私は何も言わずにくるりと背を向けると、すたすたとその場を後にした。この時の私は澪になんか会える気がしないと思っていたのだが、その仮説は二日後にいとも簡単に崩されることとなる。
「澪!」
私は彼女を捉えてから走り出した。澪はなぜか私から逃げようとはしなかった。
「…何?」
ちゃんと話を聞こうとしてくれている。そう思うとすこしほっとして、私は乱れた呼吸をどうにか整えながら喋り出す。そうだ、まずはこれを伝えなければならない。
「…ルイトが、これ、だって…」
私は両手の人差し指をクロスさせる。しばらく表情を動かさなかった澪だったが、やがてふっと笑った。乾いた笑みだった。
「…分かったよ」
そう言うと、澪はもう私に用がなくなったらしく、くるりと私に背を向けた。沢山話したいことはあったはずなのに、私もそれ以上声をかけることなく彼女に背中を向けた。
家に帰ってからしばらくして、もう日が暮れる時間帯になった頃、
「ピーンポーン」
と音が聞こえた。この時間に来るならセールスかな?と思ってそっとドアアイを覗き込んで外を見てみると、そこには葉月と亜蓮、そして蒼が映っていた。
「凛、」
私がドアを開けると、切羽詰まったように話しかけようとしてくる彼ら。なぜそんなに急いでいるのかと不思議になりつつ彼らの話に耳を傾ける。
「凛、湊さんが…亡くなった、って」
湊さん…?
「湊さんって…澪の」
「そう、澪のお母さん」
その言葉を発した亜蓮はとても悔しそうな表情をしていた。
「とりあえず澪の元に行こう」
「そうだね」
きっと彼女も予期しない出来事で戸惑っているはずだ。今ならば私達の力を頼ってくれるだろうか…?
「ピーンポーン」
控えめに押したつもりなのに、チャイムの音はいつもと同じように規則正しく鳴った。
「澪いるのー…って、開いてんじゃん」
だったらチャイムを鳴らさなくてよかったかもと若干後悔してから、私はガチャリとドアを開けて中に入り込む。
「澪!」
私は彼女の姿を見つけ、大声を上げた。
澪は、…首を吊ろうとしていた。
「…」
「…」
無言が続くのが苦しい。こういう時って何を言えばいいの?友達が自殺未遂していたときに、死ぬなよお前には俺らがいるだろ、だなんて言えないよ。私達には最後まで秘密を押し通したつもりかもしれないけど、何かを隠しているくらい私でも分かるっつーの。けれどそのことで、死んでもいい、いや死んだ方がマシだと思うくらい追い詰められていたことは知らなかった。
それからまた数十秒…私にとっては数十分に思えたが…私が何か言う前に言葉を発したのは、亜蓮でも葉月でも蒼でもなく、ついさっきまで自殺を図ろうとしていた澪張本人だった。
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