第4話

私はふらふらとした足取りで家に着いた。家ではまだ誰も起きていないらしく、物音ひとつ聞こえない。よかった。そっとドアを閉め鍵をかけると、私は置き手紙を回収してから自分の部屋へと急いだ。もちろん、寝るため…ではない。

私は机の中からまだ何も書かれていないまっさらな紙を取り出した。そしてそこに箇条書きでちょろちょろと文字を書いていく。

・○月×日から澪の様子がおかしい

・澪は○月△日に亜蓮と凛に催涙スプレーをかけ、逃走

・また、○月□日に中学生に暴力を振るい、怪我を負わせた

・澪がこのような行動を取る理由とは?

紙に書くとなにか解決するための手がかりが得られるかもしれないと思ったが、意外とそうでもないらしい。書くことはこんなちょびっとしかなかったし、これで頭の中が整理されるわけでもなかった。

「考えられる、理由……」

私はその下に、お母さんが前に教えてくれた推測を書いてみる。

・推測⇒ネット上の出会い

これなら澪もやりそうだな、と思う。でも誘拐するんだったらこんなに微妙にはならないはずだ。だからそれは違う……。

私はその右隣に(誘拐ではない)とまた書く。でも、問題は全く解決していない。誘拐ではないとしても、だったら何になる?

「あーもう!」

「何よ、うるさいな」

「え!?」

振り向くと、我が妹、恋菜の姿が。

「ご飯。呼んだんだけど来ないから」

「ああ……」

私はようやく分かったような表情をする。時計を見るともう朝の九時を回りそうになっている。

「お姉ちゃん、それ何?」

「いーの!」

私はそれをこっそり隠そうとしたが、それより恋菜の手の方が早かった。

「何これ…あ、澪ちゃんのことだ」

「勝手に見ないでよ!」

顔から火が吹きでそうなくらい恥ずかしい。

「えーと?・○月×日から澪の様子がおかしい」

「読み上げるのは、やめな、さいっ!」

私は何とかしてそれを恋菜から奪い返した。

「でももう全部見ちゃったもんね!他は、……あれ、」

ほら、その程度の記憶力でしょ。正直言って記憶力で言えば私の方が勝っていると思う。入った学校で言っても、……実は恋菜とは中学が違うのだけれど……私の方が上だったりする。

「まぁ、いいや。さっきので大体覚えたから」

「なっ!?」

私は驚いて変な叫び声をあげてしまう。まさかさっきのはフリ、だったの…?確かに中学校の偏差値も言うてそこまで変わらないし、恋菜のあのサボりようでよくあんな学校に入れたなぁとは思う。だから地頭は恋菜のほうがいいかもしれない。それは否定できない。けど…‼︎

「お母さんには言わないでおいてあげるよ」

「お母さん“には”!?」

私はまたもや素っ頓狂な声を上げる。

「べー」

普段の可愛い顔をこれでもかと言うほどひん曲げた後、彼女は外へすたすたと歩いていってしまった。

「……まあいいか」

私はその紙をくしゃくしゃと丸め、ぽいっとごみ箱に放り込んだ。


「…ん!凛!」

「ふえ?」

私は寝ぼけ眼で起き上がった。目の前にはなぜか亜蓮がいる。あれ、ここって私の寝室じゃなかったっけ。辺りを見回してみると、見慣れた家具と色の配置が目に入った。なのになぜ亜蓮が……?ごしごしと目を擦ってみても、試しによしよしと彼の頭を撫でてみても、亜蓮がそこに存在していることに変わりはなかった。

「なんで頭……」

「なんでここにいるの?」

私は亜蓮の質問に被せて言ってしまったことに若干後悔する。しかし亜蓮はこの階に住んでいるわけでもないし、なぜここにいるのだろう?という疑問の方が強かった。

「今までは澪が起こしてたんだろ?だったら俺が代わりに起こそうかなって思って。……葉月とかの方がよかった?」

ちょっとだけむすっとしてこちらを見上げてくる亜蓮。いくらかわいい顔をしているからって、上目遣いなんてしたって何も出てこないからね!

「んーん、別に亜蓮でいい」

澪に頼んだ理由は「信頼できるから」というのもあるけれど、結局「近いから」がいちばん。私と澪の部屋はわりと近いほうだから、澪も起こしやすいかなと思って頼んだって感じ。

「亜蓮“で”ね…」

意味ありげにぼそりと呟いたあと、亜蓮はうんとこしょと言って立ち上がった。

「お、おじいさん…」

思わずその言葉が口を衝いて出た。

「なんだよ、俺は男子高校生だし」

さっきより断然むすっとした顔をする亜蓮。

「もう気が付かないところで歳をとってるんだよ」

「なわけ」

「実は、なわけあるんだよなぁ〜」

「そんなこと———」

「凛!ご飯!」

見事に亜蓮の反論の言葉を遮ったお母さん。

「はーい!じゃあ亜蓮、ありがとね!」

私はお礼を言うと、ボールのようにころころと階段を転がっていく。

「はぁ…」

亜蓮がついた大きなため息は聞かなかったことにしよう。


「凛ったら、今度は亜蓮くんにも迷惑をかけるつもりなの?」

トーストが乗った皿を私の目の前に置きながら、お母さんが呆れた口調で言う。

「別に、頼んでないけどあっちがやりたいんだって」

あながち嘘……ではない、と思う。

「まぁ…、亜蓮くんが嫌じゃないならいいんじゃないの」

お母さんはそう言うとまたキッチンに引っ込んでしまった。

「あ、亜蓮」

ふと顔を上げると、亜蓮がリビングの端でもじもじしていた。

「まだ朝食べてないの?これあげるよ」

私はさっきまでかじっていたトーストを半分にちぎって渡した。

「ありがと……」

亜蓮はすこし驚いた表情をしていたが、素直にトーストを受け取ってくれた。それをなんの躊躇いもなく放り込む彼を見て、私はとあることを思い出した。

「あ、ごめんそれマーガリンつけてた」

私がそう言うと同時に亜蓮がゲボゲボと咳をした。実は亜蓮はマーガリンが嫌いらしく、いつもパンに何かをつける時はバターを使うらしい。私の家ではそんなことを言ってはいられないけど、亜蓮の家はお金持ちだからな。

「別に吐き出してもいいよ、ティッシュでもあるからそこにでも」

「いや、勿体ないし食べる」

亜蓮は無理やり口の中にそれを突っ込み、またむせる。

「バカなの……?」

「別にバカでもいいじゃん。お腹空いてんだから」

亜蓮はもぐもぐと口を動かしたまま、くぐもった声で言う。まあ亜蓮がいいならそれでいいや。私は自分の分のトーストをぺろりと平らげると、デザートに手を伸ばした。

「凛、今何時か分かってんの?」

「んー、……えっ」

「早くしないと俺行くよ」

「え!やだ」

私は一人で学校に行くのが好きではない。だから必ず…って訳では無いけど大体は誰かと一緒に行くようにしている。前までは必然的に澪と行くことが多かったけれど、最近はひとりだった。なのにこのチャンスを離してたまるか。

「えーっと、制服と偽パンと……」

私は急いでパジャマを脱ぎ、制服を着る。そして偽パンも履いて、準備完了!髪の毛もとかせばなんとかなる!

「あのなぁ、着替えるなら自分の部屋にしろよ」

準備が終わったのに、なぜか亜蓮が呆れた口調だった。

「こそこそ隠しながらやってたんだからいーじゃん。あ、さては亜蓮見てたんだ。亜蓮のえっち」

「ばっ、見てなんかないし!」

「いや、その顔じゃ弁解は無理そうだね」

「は、そんな顔してねぇし」

「鏡で見てみなよ、その顔」

「凛、やめなさい」

お母さんが会話に入ってくる。そういえばお母さんがいるのを忘れてた。

「んー…」

私は曖昧な声を出す。

「年頃の女の子なんだから自分の部屋で着替えなさい」

「え、別によくない?」

「よくない」

「……」

なんじゃそりゃ。亜蓮と一緒に風呂にも入った関係(小さい頃)なのに、そこまで隠す必要ある?もちろん今の亜蓮と風呂に入りたくはないけど、でもソファーの影でひそひそ着替えてたんだからいーじゃん。とは思ったが、反論すると余計に面倒なことになるのでやめておいた。

「もう俺は出るからな?」

だいぶ気だるげに私を待っている亜蓮。

「ごめ、今行く!」

私は慌てて黒いボアブルゾンとリュックを引っ張り出した。


「凛は朝に全部回しすぎなんだよ。だからあーやって遅れるんだよ」

そして登校中は亜蓮のお説教で時間を潰された。

「別に宿題とかやってるんだからいーじゃん!」

「宿題だけじゃなくて、その他もろもろ」

「もー、亜蓮ったらお母さんみたい」

「なっ、俺はお母さんなんかじゃない!」

「もしかして気づいてなかったの?」

私はくすくすと笑う。

「気づくも何も、俺は自分のことをそんなふうに思ったことは無い」

「貶してるわけじゃないんだよ?むしろ褒めてるくらい」

「言い方がよくない」

「ってか亜蓮、なんか機嫌悪い?」

私は亜蓮の顔を覗き込んだ。亜蓮はふいっと顔を逸らす。

「別に」

ほらやっぱり。機嫌悪い時の典型的なパターンじゃん。

「なんか嫌なことでもあったの?」

「それくらい自分で考えろよ」

どういうことか分からない。私、亜蓮になにかしたっけ?さっきまではにこにこしてた亜蓮が、今はむっとした表情をしている。

「よく考えておくよ。それより、行こ?」

と私は亜蓮に呼びかける。

「……ん」

彼は頷くと、

「え!?なんで手繋いでくんの?」

私の手をぎゅっと握ってきた。

「別にー?」

全く同じ“別に”という言葉なのに、さっきとはテンションがまるで違う。

「どうせ誰もいないんだし、手くらいよくない?」

「よくない!」

頭の中でははてなマークが蠢いている。なんで亜蓮は……?

そこでとある記憶と結びついた。たしか亜蓮は…

「亜蓮!」

「なんだよ」

驚いたように眉を上げる彼。

「私に“好き”って言ったことある?」

そう言うと、亜蓮の顔がピンク色に染まった。

「…凛、もしかして覚えてたのか?」

「今思い出した」

その言葉に、漫画のようにずっこける彼。

「別に、返事はいつでもいいから」

顔を背けて言う彼に、

「あー、今するよ」

と私は言った。今思い出したとしても、答えは決まっていた。

「ごめん、今は付き合えない」

「は、早…」

亜蓮が絶句する。正直今は恋愛どうのこうので迷っている暇はないと思う。亜蓮のことは好きだけど、それは恋愛面ではどうかと言われるとなかなか厳しいと思う。亜蓮は私の彼氏には勿体ないくらいかっこいいし、もっとかわいくて性格のいい子なんていくらでもいると思う。

「亜蓮は新しい恋を見つけなよ」

「そんなんで簡単に諦められるかよ」

その亜蓮の表情を、私は初めて見た。

そもそも亜蓮はいつも自分をあまり出さないイメージがあった。私が覚えている中で一番古いものでいうと、それは幼稚園の頃に遡る。


「パンのあまりがほしいひとー?」

「「「「「「はあい!!」」」」」」

私の幼稚園では、お昼はお母さんの作ってくれるお弁当ではなく、小学校でいう給食のようなものを食べていた。そしてそのパンなどは誰かが休むと余るため、そのときは激しい争奪戦になっていた。その頃の私は食欲旺盛な子供だったので、男子が過半数を占めるパンの争奪戦に参加していた。

「こんなにたくさんいるなら、じゃんけんにしましょうね。ちゃんとグー、チョキ、パーのうちのどれかをだしなさいね」

先生がこう言うのにはわけがあった。実は当時グー、チョキ、パー以外の手を出して遊ぶじゃんけんが流行っていて、私もそれをまねしてふざけあっていた。

「「「「「「はあい!」」」」」」

ということで、私たちは右手もしくは左手を握りしめてじゃんけんに挑んだ。

「さいしょはぐー、じゃんけん、ぽん!」

勝負は一発で決まった。私は心底この手に頼ったことを後悔した。ちなみにどれを出したかは昔過ぎて全く覚えていない。

「おめでとう!はい、どうぞ」

先生が嬉しそうに勝った子にパンを渡しているのを見て、横取りしたくなった。けれどそんなことをすればこれからじゃんけんに混ぜてもらえなくなってしまうかもしれないから、私は必死にその感情を抑えて席に着いた。

「そんなにパンほしかったの?おれにいってくれればあげたのに」

隣の席に座っていた亜蓮が言った。

「でも……あれんくん、そのパンすきでしょ」

「すきだけど、おなかいっぱいだから」

と言って、彼は残っていたパンを半分にちぎって私に渡してくれた。


その後、彼がお腹を鳴らしていたのを私は知っている。そのときを始めに、亜蓮はいろいろと私や他の人のために譲ってくれたり、何かを遠慮したりした。その様子を見ていて私が思ったことは“謙虚”。親切とかそういう感じじゃなくて、マイナスの意味ともとれるその二文字をまず最初に出す私も私だと思うけど、それほど亜蓮は人に自分を見せなかった。もちろん、冗談で笑い合う時もあるし、相談に乗ってくれる時もあるし、亜蓮のことが好きなことには変わりはない。けれど、亜蓮は特出して目立っているわけでもなかったし、どこか心を閉じているような、周りにあること全てに興味があるようでないような、そんな感じがしていた。


そんな亜蓮が、顔をゆがめて、辛そうにその言葉を吐き出していた。こんなに感情のこもった表情を見たことは一度もなかった。

「……」

私はただ何も言えずに、亜蓮を見つめ返した。

「…ごめん、全部なかったことにして」

「どういうこと?」

「俺の言葉も、この表情も、すべてなかったことにして」

「そんなこと、できるわけないよ…」

「俺だって」

亜蓮が口を挟んだ。と思えば、なにかその後に続くこともなくただ沈黙が続いた。

「……」

この沈黙を続かせたくない。けれど、余計なことを言えばもっと空気が悪くなる。

「あのさ、」

私は思い切って声をあげた。

「私は———」

「やっほー」

それを遮るようにして挨拶してきたのは、もちろん空気を全く読めない葉月。逆にここで葉月以外の人が声をかけてきたとすれば、迷わず葉月を紹介してあげたい。

「……」

私たちは無言で彼を睨む。

「ん?なんかお邪魔しちゃった?」

そう思うなら邪魔しなけりゃいいだろ。そんな暴言を心の中にしまったまま、私はにこりと笑みを浮かべる。

「んーん。葉月も学校いこ!」

私はそう言った。普段は葉月がこうやって邪魔してくると怒りの感情が湧いてくるだけだったが、今は安堵の気持ちもあった。

「よかった!二人も澪みたいに秘密にしていることがあるのかと思った」

その言葉に、私はぎくりとした。亜蓮は首を傾げているが、私にはなんとなくそれを察せた。別にこれはバレてもいいことだけれども、葉月は私が思っているよりかなり勘が鋭いらしい。だから葉月に隠し事なんてしたら見破られてしまうかもしれない。

「そんなわけないよ」

私は急いでそう言う。“幼馴染だからってなにか秘密にすることも別に不思議じゃないけど”その言葉を付け足すのも忘れなかった。そもそも葉月がそんなことを言い出したのに、なぜこんなことを尋ねてきたのだろう?

「はづ———」

「葉月もだろ?」

亜蓮が意味ありげに彼に告げた。

「は?」

その言葉に、葉月の顔が曇る。しかしそれは一瞬で、私がもう一度彼を見た時には無表情になっていた。葉月は反論することも無く、ただただ亜蓮の言葉を待っているようだった。

「葉月だって隠していることくらいあるだろ?なのになんで俺らのは聞いて自分のは話さないんだよ?普通自分が聞いたら話すだろ」

亜蓮の言葉になるほどな、と葉月は笑った。

「普通、ね。そういう言葉大っ嫌いなんだよね、俺。

…ま、じゃあな。仲良くやっとけよ」

葉月は吐き捨てるように言うと、その持ち前の長い足ですたすたと私達を追い越していった。

「…亜蓮」

「何」

「余計なこと、しないでよ」

「は?」

「亜蓮の所為じゃん!」

「え!?」

亜蓮がびっくりしたように自分を指した。それはそうだろう。でもここでえ!?となるのはあまり亜蓮らしくない。いつもならバツが悪い表情をするか謝ってくれるか、そのどちらかなのに。

「…もういい」

私は亜蓮を置いて早足で歩き出した。

「ちょ、ごめんってば!」

亜蓮が追いかけてくる気配を感じたけれど、私は振り向かなかった。


「なんでそんなにいらいらしとーと?」

桃花に言われ、私ははっとした。

「そんな私イライラしてるように見える?」

「ん」

桃花はこくりと頷いた。

「もしかして亜蓮くんのせい?」

「……別に」

どうやら誤魔化しは効かなかったらしい。桃花はにやにやと笑いながら私を見てきたと思えば、急に鋭い目付きを見せた。

「亜蓮くんに告白されたんでしょ?それで振ったんなら馴れ馴れしくしないでよ」

それを聞いたとき、何かがおかしいと思った。その違和感に気がつくまでしばらくかかったが、ようやく気がついた。

桃花の博多弁が、きれいさっぱりなくなっている。

「えっ、桃花…」

「私は福岡でも博多弁なんて喋らなかったよ」

くすっと笑う彼女。

「博多弁なんて面倒だしこのまま話すね。

凛は何がしたいの?亜蓮くんを弄ぶのが楽しいの?やめてあげなよ、亜蓮くんが可哀想」

「は?」

私は大きな声でそう言ってしまう。何人かがそのきつい声に振り返る。

「そんな返ししなくたっていいじゃん…」

彼女はくぐもった声を発した。ここで泣かないというのもなかなかの手だ。もし泣いていたらわざとらしいし、嘘だと気づかれてしまう。こいつ、ずる賢いな。

「なにこれどういう状況?」

「公開処刑?」

くすくすと笑う声が聞こえてくる。私はそれに顔を真っ赤にさせる。

「別に振ることはいいと思うよ?好みに合わなかったとか、そういう理由だってあると思う。けどさ、振ってもベタベタされるのは嬉しくないんだよ。凛だってそれくらいは分かるよね?それとも私のことをバカにしてんの?私が好きになってもらえないからって」

「…」

そしてここで声を小さくするのもかなりのやり手だ。野次馬が聞き耳を立てているが、会話の大部分は聞こえていないだろう。

私がなにか言う前に、

「ごめんなさい…」

と言うと彼女は去っていった。

「なんだよつまんねえ」

と言いながら帰っていく生徒たち。私はそれを見て、ほーっと大きく息を吐いた。


もちろんこれを亜蓮に話すほど私は馬鹿ではない。亜蓮に言ったらどうなるかは目に見えている。かといって葉月や蒼に言う気にもならない。

「黙ってないでなんか言えよ」

「別に話す話題がないし」

私はふいっと顔を背ける。今日は葉月の誕生日で、私達もそのパーティーに同席していた。蒼でさえ参加しているのに、澪は不参加だった。

「俺のパーティーなのにそんなにつまらなそうな顔されるとこっちだって嫌なんだよ」

「…ごめん」

つまらないと思っているわけではない。けれど、色々な重荷がずしりと心にのしかかって、とても気分が乗らない。

「ケーキもあるんだし食って機嫌直せよ」

「そういうとこ嫌い」

「ストレートだな」

葉月は若干傷ついたように言った。

と、

「主役が何こそこそしてんの!わいわいやりましょうよ!」

葉月のお母さんが彼の腕をぐいっと引っ張る。

「母さん、俺はいいって」

「ほら、菜月は当たり前だけど亜蓮くんだって蒼くんだってゲームやっているじゃないの。葉月もやったら?」

「だから、俺はいい」

「そう…」

ちょっと残念そうに言った葉月のお母さんは、菜月ちゃんに画面に近づきすぎだと怒っていた。

「珍しいね、葉月がゲームやらないなんて」

と私は呟いた。葉月は小学生の頃からゲームが大好きで、家に遊びに行くと必ずと言っていいほどゲームをやったものだ。ときにそれがテレビゲームだったり、スマホゲームだったりしたが、いずれにしろ彼はゲームの世界からなかなか抜け出せないようだった。

「今はそういう気分じゃない」

葉月はもしかしたら、今日の騒動を知っているのかもしれない。…そう思うのは、自意識過剰か。

「じゃあ私、帰ります」

「凛ちゃん、もう帰るの?今日はわざわざありがとね」

「はい」

私はぺこりとお辞儀をすると、葉月の家を後にした。

「おい待てよ」

と近くで声がしたので振り向くと、亜蓮がいた。

「送る」

「別にいいよ、すぐそこだし」

マンションで襲われたりする心配はほぼ皆無だし、逆にする方が愚かだ。

「ちょっと話したいことがあってさ」

と亜蓮が私の隣に並んだ。

「凛は…」

「何?」

「はづ——…じゃなくて、なんか今日学校で揉めてたけどなにかあったのか」

まさか見られているとは思ってなかった。

「別に。桃花が腹立つこと言ってきたから言い返しただけ」

と私は吐き捨てるように言った。

「桃花にはあんまり近づかない方がいいと思うけど」

「んー…なんとなく分かるかも」

桃花はいい子だと信じていた。けれど今日の感じからするとぶりっ子にしか見えない。しかも彼女はかなり慣れていたから、福岡でも同じようなことをやっていたのだろう。そう思うと寒気がした。いくら亜蓮のことが好きでも、私に八つ当たりしないでほしい。

「あいつって今は同じマンションに住んでいるわけじゃないよな」

「今は違うんじゃないの?同じだったら一回は会いそうだし」

今も同じマンションだとしたら嫌だというレベルじゃ済まない。このマンションだと住人同士でバーベキューのパーティーもやることがあるほど仲がいい。もちろん参加は自由だが、もし鉢合わせでもしたらひとたまりもない。

「まあ、あいつの母親も性格がねじ曲がってたからな」

確かにそうだった。


あれは9歳くらいの頃かな。私は桃花と公園で遊んでいた。

「おにさんこちら、ここまでおいで!」

私はべーっと舌を出して彼女を誘った。

「まてまてー!!!」

桃花は急いで走ってきた。でも彼女の足の遅さといったら、私が早歩きしてもまだまだ余裕があるほどだ。

「うわっ!!」

バタッと音がした。振り向くと、彼女が大の字で地面に倒れていた。そしてもちろん、

「うわあーん」

と大きな鳴き声を上げた。私はどうしていいか分からず、とりあえず桃花に声をかけた。

「桃花ちゃん?大丈夫?」

でも彼女は「うわあーん」としか返事をしてくれないので、私は困り果てた。

「まずあらおうよ。すいどうにいこう?」

「やだあー」

桃花は泣き叫び始めた。そのキンとした声に、耳を塞ぎたくなった。

「ももかちゃん!」

私は無理やり彼女を立たせようとしたが、当時の彼女はかなりふくよかな体型をしていたため平均体重の私にはとても持ち上げられない。

「わーん」

仕方が無いので、私はティッシュを水で濡らしてきて彼女が怪我をしている部分に当てた。

「いたい!いじわるしないで!」

「すなをとらなくちゃだめでしょ!」

別に意地悪しているつもりなんてさらさらないのに。ちょっと怒りながら丁寧に砂を取り除くと、私はそこの上に大きな絆創膏を貼った。

「おわったよ!ちちんぷいぷいおけがよなーおれ!」

私がそう言い終わったちょうどそのとき、桃花のお母さんがすたすたと急ぎ足でやってきた。彼女のお母さんは彼女とはあまり似ておらず、骸骨のような顔をしていた。

「桃花どうしたの、こんなに砂だらけになって」

「ころんじゃったの」

桃花がしょんぼりと言った。

「ちょっと凛ちゃん、わざわざ桃花を転ばさることないでしょう。さっき見ていたけれど、走っては居ないけれど相当早く歩いていたわよね?桃花が走ることがニガテなのを分かっているでしょう?そんな相手に本気を出すことないと思うけど。ねえ、桃花に謝ってくれないかしら。そしたらそれを水に流すから」

水に流す、という言葉を当時の私は知らなかったが、大体の意味は察せた。

「…ごめんなさい」

謝っていて意味が分からなかった。私は何も悪いことをしていないじゃん。ただただ桃花が遅いから早歩きしてただけじゃん。本気出してるわけないじゃん。それに桃花が転んだのは自業自得で、私のせいでもなんでもない。

「桃花、お家で手当をし直しましょうね。まだちゃんと傷口を洗えていないものね」

桃花が立たなかったからわざわざティッシュに水を含ませたのに。膨れる私をよそに、桃花のお母さんは大事そうに彼女を抱っこすると公園を後にした。


そのことを亜蓮に伝えると、亜蓮は眉間に皺を寄せた。

「そんなことまでするなんて。確かに言っていることは正しそうに聞こえるけど、まずは怪我の手当のお礼だよな」

その言葉にこくこくと頷く。同感でしかない。

「ほんと、あいつは意味わからんわ」

「ちょっと今日ので見損なった」

と本音を言うと、亜蓮は笑みを浮かべた。

「ま、気づいたみたいでよかったよ。おやすみ」

「…おやすみ?」

私はその言葉に疑問を持ちながら、家の中に入っていった。

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