第2話
「お兄ちゃん!起きてー!」
「うお!」
まだまどろみの中にいた俺の布団を妹がひっぺがし、強引に起こされたところからその日の朝は始まった。
「なにすんだよ、静乃!」
「起きないほうが悪いんですよーだ!ほら、早く起きて着替えてよ!ご飯もうできてるし、京香ちゃんだってきてるんだから!」
最後に下で待ってるからと付け加えると、言うだけ言って俺の妹である暁静乃は長めのツインーテールをふわりと浮かせ、けたたましい音をたてながら階段を下りて一階へと下りていった。いつもながら嵐のようなせわしなさである。
「なんて妹だ。今の時期は朝のこの時間が一番気持ちよく寝ていられるっていうのに…」
文句をひとつ吐き出すと、俺は上体をゆっくりとベットから起き上がらせる。
おかげですっかり目が覚めてしまった。これでは二度寝も無理だろう。
冬真っ只中で肌寒い毎日が続く中でのうたた寝は至福のひとときだったのに…それを奪うなどと、いくら可愛い妹とはいえ到底許されることではない。
「まぁ実際にそれを本人に言うつもりなんてないけどさ」
静乃に起こされなかったら遅刻は確実だったろうし。
うちは両親がふたりとも長期出張でなかなか帰ってこないため、家事は兄妹で担う必要があったのだが、俺は生来不器用な性質であったらしく、家事の才能というやつがまるでなかった。
気付けば妹に頼りきりの生活になってしまっており、これは兄としてまずいとも思っているのだが、一度染まりきった生活習慣というのはなかなか変えられないものだ。
さらに言ってしまえば肝心の料理は兄妹揃ってダメなあたり、血が繋がっていなくても兄妹である証としては十分なのかもしれない。いや、ほんとはまずいんだけどさ。
「まぁそれは関してはおいおいなんとかするとして、今はさっさと行きますか」
ベットから下りると素早く制服に着替え、一階へと下りて顔を洗い、それからリビングの扉を開けた。
そこには薄茶色のツインテールをぴょんぴょん跳ねさせながら、嬉しそうにトーストにかじりついている静乃ともうひとりの先客がおり、ともにテーブルを囲むように座って朝食を食べていた。
とはいえ驚くことじゃない。暁家にとっては、いつも通りの光景だ。
戸惑うことなくテーブルへと向かっていると、もう一人の女の子が気付いたらしく、切れ長の瞳から視線をこちらに向けてくる。口を開いたのはほとんど同時のことだった。
「おはよう、和人」
「ああ、おはよう、京香」
俺と挨拶を交わしたその子の名前は渡瀬京香。
俺にとっては隣に住む、同い年の幼馴染。静乃にとっては姉のような存在の女の子だ。
京香は長く透き通るような銀の髪を靡かせ、コーヒーカップを片手に微笑んでいた。
「いつも通りブラックコーヒーか?よくそんな苦いの飲めるよなぁ」
「あら、慣れたらこれがクセになるのよ。貴方達兄妹はまだちょっと舌がお子様だからわからないかもしれないけどね」
「言ってろよ。それだけで大人になれたら大したもんだわ」
軽口を叩き合うふたり。これもいつもと同じ朝の風景だ。
とはいえ京香ほどの美少女に笑いかけられるとさすがにドキッとしてしまうのが男というものの悲しい性である。
最近は制服を押し上げるほど大きくなってしまった胸にもつい目がいってしまうのも、これまた仕方ないことだと言えるだろう。
(そういや静乃も分けて欲しいとか言ってたな…まぁアイツはもう成長の余地なさそうだから気持ちはわかるが…)
「……お兄ちゃん、なんか今すごく失礼なこと考えてなかった?」
「いや、全くソンナコトナイデスヨ」
やべ、静乃はこういう勘やたら鋭いんだよな。気を付けよう。
未だジト目でこちらを見る妹をなるべく視界に入れないようにしながら椅子に座ると、目の前に置かれた朝食を食べることに専念することにした。
今日のメニューはトーストとベーコンエッグにコールスローサラダ。
簡素だが重すぎずの内容。朝はこれくらいがちょうどいいと思う。
「どうかしら、私のお手製メニューは。まぁいつも通り簡単なものだけどね」
「いや、バッチリ俺好み。こういうのでいいんだよ、こういうので」
そう言いながら俺はトーストを頬張った。代わり映えのしない、だけど安心できるいつもの感触。俺はそれが嫌いじゃなかった。
ちなみにこの会話でわかってもらえたかはわからないが、我が暁家の台所はもっぱら京香に取り仕切ってもらっていたりする。
静乃は家事は一通りできるものの、料理の腕に関しては壊滅的だし、俺は朝に弱いうえにさっき言った通り家事そのものがてんで駄目ときたもんだ。
なので朝はインスタントか簡単なゼリー程度で済ませようとしていた時に、京香からストップの声がかかったことが事の始まりである。
曰く、それでは栄養が偏るから成長期の体には良くないとのことで、それ以来朝食は京香に全て任せることになっていた。
幼馴染とはいえ他人は他人だ。おとなりさんに毎日こうして料理を作ってもらえることは、安心感を覚えると同時に心苦しさがある。
救いといえるのは肝心の京香がまるで苦にしている様子がないことか。
どうしてそこまでしてくれるのか以前尋ねたときには、こうして俺と一緒に食べれているからそれでいいといってくれたことを思い出す。
(あの時は思わず照れてしまったけど、京香は俺のことどう思っているのかな…)
そんなことを考えている間に、俺は朝飯を食べ終えていた。
なにも残さず綺麗になった皿を片付け、キッチンへと持っていく。これくらいはしなくてはいけないだろう。
さて妹はどうかと振り返ると、静乃は椅子に寄りかかりながらけぷ、と小さく息を吐いていた。
「…我が妹ながらはしたないな。ごちそうさま、京香。毎日助かってるよ」
「あら、いいのよ。凪くんとは将来夫婦になるんですもの、花嫁修業だと思えば苦でもないわ」
「あー!京香ちゃんずるいー!お兄ちゃんと結婚するのは私だよ!」
「お前はまず料理を覚えてくれないかなぁ…」
どことなく思わせげな瞳で、食器を軽く洗う俺を見ながらそんなことを言ってきた京香に、静乃が食ってかかっていた。
割と頻繁に見る光景だが、京香の言葉を真に受けすぎだ。
(そうだ。京香みたいな美少女が幼馴染とはいえ、俺みたいな普通のやつのことなんて――)
「私は本気よ。和人のこと、好きだもの」
一瞬、息を呑む。藍色の瞳が、俺を真っ直ぐ捉えていた。
「……そりゃどうも」
「ふふっ、分かればよろしい♪」
「むー!」
俺は気はずかしくなって目をそらす。京香の瞳が、あまりにも眩しすぎた。
楽しそうに笑う京香を、静乃が頬を膨らませて睨んでいた。
(結局、俺はこうなんだよな…逃げてばっかだ)
京香が俺に好意を持ってくれているのは、本当はなんとなく分かっているのだが…その好意が本当なのか、自分の口から問うのは恥ずかしい。
からかっているのなら、羞恥で屋上から飛び降りてしまう自信がある。
(もっと自信ってやつを持てればいいんだろうけど…それも今すぐどうこうなるもんじゃないし。難しいな)
当面はおそらくこのままだろう。
京香には申し訳ないけど、正直そのほうが居心地が良かった。
静乃もずっと機嫌を悪くされたままじゃ困るしな。それに、俺たちにはまだひとり幼馴染がいたりするし。
「ほら、そろそろ家出ようぜ。もう時間だ。狭霧だってきっと外で待ってるだろ」
「あらほんとね。静乃ちゃん、また遊んであげるからいきましょ」
「京香ちゃんまたはぐらかすー!お兄ちゃんも!私は本気なのにー!」
「わかったわかった、ほら行くぞー」
分かってないよーと憤る静乃を尻目に、俺は玄関へと向かっていく。
隣には口元に手を当て、小さく笑う京香も一緒だ。
「ほら、機嫌直してよ静乃ちゃん。今日は大事な日じゃない」
「あ…そ、そうだね…」
急に顔を赤らめた静乃がチラリと上目遣いでこちらを見てきた。
なんだって言うんだ、喜怒哀楽の激しいやつめ。
静乃から視線を外し、玄関のドアを開けた先には、少し冷たい冬の空気と、澄んだ青空が広がっていた。
うん、今日もいい天気だ。俺たちは三人並んで朝の通学路を歩いていく。
だけど、その人数はここからさらにひとり増えることになる。
家からほんの少し離れた十字路に、いつも通り待ち人が佇んでいた。
「おはよう、狭霧。待たせたな」
「あ…ううん、待ってないよ。おはよう、皆」
そう言って柔らかく微笑むのは、黒いショートボブの髪を揺らす俺たちのもうひとりの幼馴染、朝野狭霧だった。
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