【短編小説】氷の魔法の赤ずきん

 ――少女は森を駆ける。急ぎながら、かつ、焦りながら。暗い森で、浮き出た木の根や茂みが移動を邪魔する中、後ろを気にしながら全力で走る。

「……はぁ、はぁ、……っ!」


 ……息を切らしながら走る少女の前に見知った人影、彼女の近所に住む猟師のおじさんの姿が見えた。少女とも親交が深く、有事の際には頼りになる男性だ。

 だが少女は安堵することなく、むしろさらに焦りが増した。このままでは「犠牲者」が増えるだけでしかないからだ。

「おじさん、逃げて!」

 少女は真っ先に要件を伝えるべく、必要最低限の言葉で猟師に警告する。猟師は武器である猟銃を携帯していたのだが、そんなものでは「あれ」に勝てないことを少女は理解していた。

 何故なら、彼女の後ろにいるのは……。



 「バックドラフト」と呼ばれる、密閉空間の火災で火が弱まった時に発生する現象がある。その時に空間のどこかに空気の入り口が作られると、酸素と共に空気が一気に流れ込む。すると急激に増えた酸素が燃焼を助け、あっという間に周囲が火の海と化す。

 例えば、部屋の扉を開けた時。その瞬間にバックドラフトが発生すると、扉を開けた人に炎が襲い掛かるのだ。大まかに説明するとこんなところである。


 そしてそのバックドラフトは、今まさに発生していた。……少女の背後で。

 少女に向かって放たれる火炎と熱、その発射口となっているのは……。



 ……「狼」だった。


 だが通常の狼と呼ぶ生物とはほど遠いもので、身体は熊のように大きく、二本の足で立ち上がっており、全身マグマのように赤い体毛をしている。

 あくまでその顔の形や、四肢にある鋭い爪、人間には無い尻尾から「狼のような生物」と判断できるだけ。もし他に呼称するなら「狼男」が適当だろうか、そういった見た目の生物であった。


 その「狼」には体内に火薬を詰め込めるような器官があり、空気を吸い込んだ直後にその器官を通して、口からバックドラフトを発生させることができる。その吹き出す火炎を武器としているのだ。



 そして「狼」の放った炎は、少女たちを包み込もうとしていた。

 だがその時、少女の両手に薄い青色の魔力が宿る。彼女は振り向きながら……。


「『ブリザード』!!」


 炎に向かって手を広げ、叫ぶ。すると彼女の手の前から、猛烈な吹雪が現れて炎に向かっていった。

 吹雪は火炎の温度を下げ、勢いを弱める。それにより間一髪のところで、少女たちに炎が届かずに済んだ。


「おじさん、大丈夫!?」

「あ……、ああ、大丈夫だ。しかしアレは一体?」

「説明は後、早く逃げないと!」

 このままでは猟師も危ない。どうにか逃げて街まで行ければ、大勢で取り囲んで「狼」を無力化できるはずだ、と少女は考えていた。



 ところで、森の中で「狼」は火炎を放った。そのはずだが、特に森が焼けている様子はない。

 実は草木にも炎が飛び散っていたのだが、少しだけ草木が燃えたかと思うと、あっという間に炎が消えていた。

 これは「狼」の能力で、なんと標的以外に移った炎を消すことができるというもの。これにより「狼」は炎で自滅するということはないのだ。その状況で少女を狙っているというのだから、少女が焼け死ぬまで火炎放射は終わらないということになるだろう。



 そうしている間に「狼」は身体を震わせ、顔を上に向け、次の攻撃の準備をしている。少女たちと「狼」との間は、現代日本でいうところの三メートルほどの距離。

 猟師は猟銃を持っているものの、火を吐く狼男のような超自然的なものに勝てるような戦闘技術は持っていない。おそらく、銃を構えている間に火炎に襲われることだろう。そして、少女の『ブリザード』では火炎をかき消すことしかできなかった。


 ……そこで、少女は決心する。「多生の犠牲は仕方がない」と。

 少女は、攻撃が来るまでのわずかな間に作戦を組み立てることにした。


 まず猟師のおじさんを逃がすことが第一。次に私が「狼」を引き付ける。もともと私を標的にしてるのだから、ここまでは問題ないはず。

 後は……、私が「本気」を出したらどうにかなるだろうか。正直なところ、不安が残る。火炎を封じる方法はあるが、ほぼ確実に「犠牲者」が発生するやり方だ。


 ……作戦を立てている間、およそ一秒。

 全体の方針は決まらないまでも、最初にやるべきことは結論が出た。時間が無いので、まずはそれを実行しようと少女は考えた。

 少女は手に魔力を集め、街のある方角に注意を向ける。このあたりなら障害物は少ないから、「まっすぐ」に進めるはず。ならば、と魔力を地面に叩きつけるように勢いよく右腕を振るった。


 その瞬間、カチカチカチと凍結するような音がして地面が凍り、とても長い道が作られる。

「おじさん、一人で行って!」

「な、なんだ……、わ、うわっ!!」

 少女は猟師を、氷の道に向かって押し出す。摩擦係数が低くなった氷の地面はツルツル滑り、少ない力で遠くまで運べるようになる。これは氷魔法を使いこなしている彼女が常用している、走るよりも圧倒的に速く移動できる手段であった。氷の道は街まで続いているはずなので、このまま滑れば猟師は逃げることができる。


 猟師が道に沿って滑りだしたことを確認した少女は、すぐに「狼」に向き直ろうとする。おそらく次の攻撃がすぐ来ると覚悟していたので、その間に彼女は『ブリザード』の準備をしながら。

 そして彼女の目が「狼」を捕捉。氷の道を作ろうとしてからここまで、およそ二秒と非常にわずかな時間しか経過していない。


「『ブリザード』!!」

 少女が魔法を撃ち、一瞬遅れて「狼」が火炎を放つ。二つの力はぶつかり、打ち消し合って真っ白な煙が立ち上る。


 ……ここだ。「本気」を出すならこのタイミング。この状態なら「犠牲者」は一人で済むはず。吹雪と火炎がぶつかる中、少女はそう思っていた。

 少女は『ブリザード』の時とは比べ物にならないほどの魔力を、両手に込める。


 煙によって遮られていた視界が開けてゆく中、そこに狼男のシルエットが見えた。

 少女は向こう側にまだ「狼」がいると確信すると、なんと「上空に飛び上がった」。

 それは跳躍ではなく飛翔。少女は魔力を足に溜めることで、宙に浮くこともできたのだ。一瞬で加速し、そして森を見下ろすような位置に到達。そこから両手に溜めた魔力を解き放つ!


「『キネティック・エナジー・ストップ』!!」


 …………………………。


 「狼」がいた一帯に、とてつもない冷気が走った。

 「キネティック・エナジー」とは、運動エネルギーのこと。それが「ストップ」、つまり止まるということは、全ての物体は動きを止めるということ。

 これこそが少女の「本気」であった。


 停止するのは目に見える物体だけでなく、気体などの目に見えない物も含まれる。

 これによりどうなるかというと……、空気中の酸素の働きも完全に停止。燃焼という現象が発生しなくなるので、つまるところ一瞬で炎が消えてしまうのだ。火炎を封じられたなら、「狼」にできることはなにもない。



「……ふー、これでどうにか。」

 冷気の範囲外、森の上空で静止している少女は、疲れているような様子ではなかった。

 むしろ掃除が終わったとか、食事の用意が済んだとかのように、面倒事が片付いた時のような調子だった。



 少女は上空で五分ほど休憩した後、魔法を解除し、地面までゆっくりと降りた。発動からすぐではなく、五分後に解除したのは理由があったのだが……。


 ………………。


「ま、そりゃあそうか。完全に死んでるよね。」

 少女は動かなくなった「狼」を調べていた。身体が冷たくなっているのは、氷魔法を使用したため当たり前なのだが、呼吸のような生命活動をしているようにも見えない。

 それも当然で、燃焼が発生しないほどに酸素の働きが止まるなら、呼吸もできなくなるのが道理。五分も呼吸ができなければ、並みの生物は窒息死するだろう。

 それに休憩していた五分とは、「狼」の窒息死を待つ時間のことであったのだ。


「……あーあ、やっぱり『犠牲者』になっちゃった。」

 実は少女がさんざん気にしていた「犠牲者」とは、「狼」のことを含んでいたのだ。少女の戦闘能力は「狼」など比較にならないほど高く、本来なら本気を出さなくても一瞬で勝負がついていた。だがそれでも「狼」を攻撃しなかったのは、「なるべく誰も死なないほうがいいな」という考えがあったから。つまるところ少女は「狼」を人間と平等に扱い、生殺与奪の権を完全に握っていたことになる。


 ちなみに「狼」が少女を襲った理由だが、なんと少女は「遊ぶ相手が欲しかった」ため、一般人目線では危険な存在とされる「狼」の住処まで行き、先制攻撃を仕掛けたからであった。


 よって、この物語の冒頭からここまでを砕いて説明をするなら、次のようになる。


 少女が「狼」に攻撃したら予想以上に弱かったが、「狼」は怒って追いかけてきた。下手に反撃すると殺してしまうのでとりあえず逃げたが、足元が悪くて氷の道を作っての移動は難しく、走って逃げるしかなかった。走るのは慣れていないので息を切らしていたところ、猟師のおじさんがいたので彼を先に逃がし、「狼」が街に来ないように討伐。「狼」は一般的に危険生物なので死んでも仕方がないが、万が一生き残っていたら遊び相手としてお付き合いできる。だが、やはり「狼」は死んでいた。


 つまり、超常的に強い少女が勝手気ままに暴れただけという話であった。



 ……しかし、話はここで終わらない。

 少女は「狼」の死亡を確認した後、なんとなく周囲を見回していた。するとそこには……、猟師がいた。

 そう。「狼」が死んでいたその近くに。「猟師がいた」のだ。五分間あらゆる運動エネルギーが停止し、酸素さえ動かないその空間に。「猟師がいた」のだ。お分かりいただけるだろう。


 ……犠牲者二人目、猟師が死亡していた。


 事の次第は簡単で、猟師が氷の道に押し出された時、突然のことで猟師は暴れてしまったのだ。勢いに身を任せればスムーズに氷の道を滑っていけたのだが、急にそんな状況に巻き込まれて、しかも「身を任せればいい」ということも知らない状態。暴れるなと言うほうが酷なものだろう。

 猟師が暴れたことで軌道がずれて、まっすぐ進むはずが付近の木に激突。その際の衝撃は気絶するほどではなかったが、猟師はしばらく動けない状態になった。

 そして、そこで『キネマティック・エナジー・ストップ』。激突した木は魔法の範囲内……、つまりそういうことである。


「あー……、これはまずいかも。流石に。」

 少女は焦っていた。知っている人が死んだからではない。状況的に「自分が殺した」と疑われることが理解できたからだ。まあ疑われるもなにも、実際に殺害しているのだが。


 ……色々考えた結果、少女はそこから逃げ出すことにした。



「……っていうことがあったの。」

「………………………………。」

 赤ずきんの少女と、一人の青年が、施設のテーブルで向かい合っている。


 ここは危険生物討伐に関する総合施設。人々から討伐の依頼を受け、討伐隊を送り込む計画を立てたり、実際に派遣するための場所だ。そしてそこのフードコートのような場所に二人はいた。二人の手元にはそれぞれ、飲み物が置かれている。


「あの、話は聞いてる?」

「……ああ、はい。……いえ、なんというか。」

「分かりにくかったら、聞いてくれてもいいから。」

「……だ、大丈夫です。」


 青年は有り体に言えば、とてつもなく困惑していた。

 それもそのはず、赤ずきんの傍若無人の限りを尽くしたエピソードを聞いて一度絶句し、それを話してもなんとも思っていない赤ずきんそのものを見てもう一度絶句していた。


「……もしかして、その『赤ずきん』は身バレしないように?」

「うん、そう。」


 実はこの施設の話になるまで、「赤ずきん」の呼称は一度も使用していない。というのも、「狼」と対峙していた時は赤ずきんはおろか、赤い服を一切身に着けていなかったのだ。ちなみに当時の服装は、どちらかというと青色系統だった。


「私、氷系の魔法が得意だから。赤ならイメージの反対で分かりにくくなるかなって。」

「へ、へぇー……。」

「あ。それで、本題なんだけど。」

 唐突に話題を変える赤ずきん。この場合、彼女視点では「話題を戻す」だろうか。


「な、なんでしたっけ……?」

「ほら、あれ。ヤバいヤツがいたって話。」


 赤ずきんはまだ「遊べる相手」を探していた。危険生物討伐についてもそれが一番の目的であり、彼女は情報収集をしている最中だった。


「あ、あー……、それですか。」

 青年はいまだに困惑していた。それもそうだろう。相談しようとしていた討伐対象より遥かに度を越した「ヤバいヤツ」が、目の前にいるのだから。


「さっき言った『狼』は危険度ランクCらしいの。だからせめてランクBは欲しいんだけど……。」

「………………。」

 青年はまた絶句。

 危険度ランクとは、討伐対象の危険度を一文字で表したもの。Aが最も高く、そこからB、C、D……、と下がっていく。

 これについては、現代日本における「ヒグマ」がランクE相当だと考えていただければ問題ない。ちなみに青年が相談するつもりだったのは、ランクF相当の生物だった。


「……あの、やっぱりいいです。」

「えー? つまんないなあ。」

 赤ずきんは露骨にがっかりした表情になった。


「……でも、そんなにお強いなら『魔王』とかどうなんでしょうか?」

 「魔王」とは危険度ランク最高位のAランクの中でも、最も危険な生物とされている存在のこと。その目撃情報は限りなくゼロに近いのだが、眉唾物なウワサから現実味のある体験談まで、幅広く情報共有がされているのだ。一説には世界を滅ぼそうとしているとか、それとは真逆に猫を愛でる趣味があるとか、ないとか。


「うーん、『魔王』。『魔王』かあ……。」

 赤ずきんは黙って考え事を始めた。


 ………………。


 ……赤ずきんが黙り始めてから三分後。青年はこの危険人物から離れたいと思っていたのだが、今が頃合いだと判断して適当に最後の会話を行う。

「じゃ、僕はこのへんで……。」


 そして青年が席を立とうと思ったその時。


「思いついた!!」

 赤ずきんは急に大声を出し、青年は逃げることができなかった。


「そうだ、『そっち側』になればいいのね!」

「……え?」

「だから、私が『魔王』になればいいんだ! それなら私と遊んでくれる人が増える!」

「……あの、え? ……どういうことですか?」

「『魔王』っていうヤツがいるんでしょ?」

「いるらしいですけど。」

「まずそいつを探して戦う。強ければ楽しいだろうし、弱くてもいいの。」

「は、はあ……。」

「で、そいつって正体不明なんでしょ?」

「そうらしいですけど……。」

「もし弱かったら、私が『魔王』になる。そうしたら討伐隊と戦える!!」

「………………!?!?」


 要するにこういうことらしい。


 「魔王」という正体不明の危険生物がいる。もしそいつが強いなら赤ずきんは遊べる。逆にもし弱い場合でも、弱いという事実を伏せて赤ずきん自身が「魔王」と名乗る。その後どうにか「魔王」を宣伝し、討伐隊を送ってもらう。そうすればその討伐隊と遊べる。「魔王」がAランク相当なら、討伐隊もAランク相当のはず。きっと楽しい。


 ……青年は思った。本物の「魔王」がここにいる、と。

 まず「運動エネルギーを停止させる魔法」なんて聞いたことがなかったし、そもそも自由に飛行できる人間がいるということも知らなかった。本来なら「魔王になる」なんて冗談と笑い飛ばせそうな話だが、そんなことができるこの女ならやりかねない。そして、もし実現したら……。

 あまりにもとんでもないことを当然のように話している赤ずきんを見て、青年の立ち上がろうとした足は震えて動けなくなった。その震えは、声にも表れる。


「……え、ほ、本気ですか……?」

「うん。」

「と、討伐隊って、実害が出るまで出ないんですよ……?」

「えー、そうなの?」


 青年は必死に赤ずきんを説得しようとした。ウソをついたら後で本当に怖いので、あくまで事実のみを用いて。

 討伐隊のモットーは「疑わしきは罰せず」で、基本的に実害が出るまでは動かないようになっている。生物の生き死にに関わる分野なので、冤罪を起こさないようにしなくてはいけないのだ。


「ということは、あなたが『魔王』になったら、なんらかの実害を発生させないといけないはずです。」

「そう……、じゃあ『それでいい』よ。」

「………………は?」

「別に殺しをしたい訳じゃないし……、誰もいない建物を片っ端から壊してくとかにしようかな。」

「………………………………。」


 青年は思った。

 「駄目」だ。これは本当に、本当に本気で止めなければ。

 本当に「魔王」が誕生しようとしている。もし「魔王」が弱かったら……、この人が人類の驚異になる。たぶん、間違いなく。


「よし、話はまとまった。どうもありがとう。おかげで助かったわ。」

 赤ずきんは立ち上がり、その場を去ろうとする。


「……ま、ま、待ってください!!」

「え……?」

 青年は震える足を懸命に動かし、赤ずきんを引き留めた。


「そ、そ、その……、ぼ、ぼく……。」

「なあに?」

「い、い、い……。」

 青年は「行かないで」と言おうとした。だが。


「『一緒に』?」

「………………えっ。」

「一緒に来たいってこと?」

「………………。」

「いいよ、一緒に行こ。」

「………………。」


 青年の心は、燃え尽きた。折れた。崩れ落ちた。破壊された。

 もう……、逃げ場は無くなってしまったのだ。「魔王」からは逃れられない。


「そういえば名前も名乗ってなかったね。私は……、とりあえず『赤ずきん』って呼んでほしいかな。一応追われる身だし。」

「………………………………。」


 青年にこの場で名乗り返す気力が残っていないことは、言うまでもなかった。



 おしまい

 なんか続きそうだけど おしまい

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