【短編小説】剣と魔法とラーメン屋と
「魔法」、それは自然を超えた神秘の力。手から火を出したり、その身ひとつで宙に浮いたり、自分ではないなにかに変身したり。その概念は、科学を過去のものにした。
だが魔法がもてはやされたのも最初ばかり。魔法は便利な面だけではなく、不便な面も多かったのだ。特に問題視されたのが「動物も魔法を使う」ということ。
魔法は魔力と呼ばれるエネルギーのようなものを消費し、直感的に使用することができる。この「直感的」というのがクセモノで、人間よりも直感的である動物のほうがうまく活用できたのだ。そこで人間は科学と魔法を駆使し、安定して高度な魔法を制御できる方法を編み出したのだが……。今回の物語の主題は、それではない。
今この世界では、それらの技術が世間に浸透し、完全に当たり前となった。まあ早い話が科学と魔法の良い点、悪い点と上手に付き合っている世界になったというわけだ。……これにて前段終了。
そしてこれよりこの世界による、とある「お昼ごはん」の物語が始まる。
■
ある夏の日のこと。
「おー、ここだここ。」
十代後半くらいの、比較的長身の女性がひとり。彼女の名前は「ヤーガ」という。六分袖のデニムシャツとベージュ系の色をしたボトムスを着用している。
そしてここはラーメン屋の目の前。休日のお昼時といったタイミングで、ヤーガは先日見かけたというこの店に足を運びに来たのである。
しかし華奢な女性と侮るなかれ。彼女は実は、いつもは大型の剣を振るうプロの剣士なのだ。科学と魔法の組み合わせにより、女性でも野生動物並みの筋力を手に入れられるようになった現代では当たり前の職業であるが、彼女の実力は他の剣士よりも特に秀でていた。
前述のとおり、彼女はこのラーメン屋を先日見かけたのだが、その状況がなんと「街の中に現れた『魔物』退治中」の時。ちなみに「魔物」とは魔法が使える動物の中で、特に害獣のことを指す。害獣なのでもちろん、街や人間に危害を加えてくるのが当たり前なのだが、ヤーガの活躍により、奇跡的に被害がゼロで済んだのだ。
そんな彼女は、食べることが大好き。本当は魔物退治後、すぐにでもラーメン屋に来たがっていたのだが、魔物が現れたことによる現場検証や調書の作成などのためにこの一帯が封鎖されていた。なのでヤーガは、まだこの店に入ったことはなく、初めて入る店に期待を高めていた。しかも現在の季節は夏。暑い日に冷房の効いた屋内で食べるラーメンは格別であろう。
では、いざ入店……。
ヤーガが店の中に入り、真っ先に目に入ったのは内装や壁に貼られているメニューなどではなかった。ならば店員かというとそうでもなく……、とある男。
「……あ、ヤーガ?」
ヤーガの知り合いであり、かつ年上の「魔法使い」がいたのだ。
魔法使いといっても、野暮ったいローブを着ているだとか、先の曲がったとんがり帽子を被っているとかではない。見た目的には現代日本における、二十代前半の男性の私服を思い浮かべてもらえれば、だいたいその通りである。
「ビルコ先輩だ。こんにちわー。」
「おう、偶然だな。」
「ビルコ」という名の彼は、よくヤーガと共に魔物退治をしている。そしてなにを隠そう、この一帯であった魔物退治の時も二人は一緒だった。
主な役割はヤーガが前衛で、ビルコは後方支援。ヤーガに肉体強化の魔法を使い、ハチャメチャに暴れ……、もとい、活躍してもらうというのがお決まりのパターンだ。なお後方支援である理由は、ビルコは攻撃魔法も使えるのだが、ヤーガがいる場合は彼女に任せたほうが効率が良いためである。
「先輩ここ、よく来るんですか?」
「まあな。ここのチャーシューはウマいぞ。オススメはチャーシューメンだ。」
「マジですか! じゃーそれで。」
ヤーガは勧められたとおり、チャーシューメンを注文した。
■
「お待たせしましたー、チャーシューメンです。」
さっそくヤーガが注文したチャーシューメンが届いた……、のではなく、これはビルコが注文していたもの。見た目は醤油ベースのラーメンに、チャーシューが十枚も乗っている。麺やスープはもちろんのこと、このチャーシューが特に絶品だというのは、ビルコの談。
「じゃ、お先。」
ビルコがラーメンを食べ始める。だが手持ち沙汰なヤーガは、それを見ることしかできない。
「じー……。」
「………………やらんぞ。」
「ひとくちくらい……。」
「やらんぞ。」
「お腹すいてるんです! 先輩、このとーり!」
「やらんってのに。」
「ひとくちくれたら、ワリカンでもいいんで!」
「……あ? ワリカン?」
「えー、奢ってくれないんですかー?」
「奢るかバカ。」
一見すると少し回りくどく、ずうずうしいやりとりなのだが、実はこの流れは二人にとって「いつもの」やつなのである。
ヤーガはビルコに対し、「奢って攻撃」を冗談で仕掛ける。そしてビルコはそれが冗談だと分かっているので、適当にあしらう。いわばこれは、二人なりのコミュニケーションであった。まあ、時々はビルコの気前がよく、本当に奢ることがあり、実際にその時になるとヤーガは慌てて遠慮しだすのだが。
そんなやりとりをしているうちに、ヤーガの元に女性店員がチャーシューメンを持ってきた。
「はい、チャーシューメン大盛、お待ち。」
「わあい! ……ってあれ、大盛ですか?」
「あ、これはサービスです。この前の魔物退治、ありがとうございました。」
「こちらこそありがとうございます! お腹ペコペコだったので助かります!!」
あれ? 魔物退治について言ってないのに。ヤーガはふと疑問に思った。しかし、目の前のごちそうを放っておくことはできない。なので「まあいいか」と気持ちを切り替え、チャーシューメンを食すことにした。
――通(つう)としてラーメンのスープから飲む……、ということはせず、いきなりチャーシューにかぶりつこう。勧められた以上は最初に食べるのが筋というものだ。それにチャーシューは十枚もあるのだから、いきなり行ったとしても控えがいる。
まずはひとくち、ガブリ。とろけるような食感から、肉の隅々に染み込んだ味が口いっぱいに広がる。それでいて肉本来の味も隠れることなく、絶妙なハーモニーを醸し出している。つい何度も噛み締めたくなるような旨味だったのだが、二回、三回と嚙むだけでそこから肉が消えていた。そしてチャーシューは三回もかじれば全て口の中に収まるので、一枚のチャーシューが全てとろけるのに数秒しかかからなかった。
続いてチャーシュー二枚目、三枚目と行きたいところだったが、ここはこらえて我慢。残る九枚はスープに漬け、より美味しくなることを願って終盤に取っておくことにした。
次は麺。いくらチャーシューが美味とはいえ、メインともいえる麺の味が悪ければ台無しだ。しかしチャーシューはあのクオリティだ、他の部分で手を抜くはずがない。さらに期待を膨らませて麺を口に運び、一気にズルズルとすする。
麺はやや縮れており、スープがよく絡んでいた。勢いよくすすることにより、味わい深い出汁も運ばれてくるようになっている。麺自体の味もスープに隠れがちではあるが、ほのかにたまごの風味が感じられる仕上がりだ。たまごと醤油といえば、卵かけご飯などでその組み合わせの優秀さは証明されている。つまり、美味であるということにケチのつけようがなかった。
そう、美味であった。だが、なにかが足りない。……否、なにかが多い?
違和感の正体を探っていくと、何故だか自分が汗をかいている事実が気になった。いやそうか、このスープは塩分が多いのか!
今の時期、外の気温はかなり高い。よって通常よりも塩分消費量が多くなりがちである。そのため、この塩分量は今のコンディション的にベストマッチであった。
それを自覚してしまえばスープが、むしろ全身を血液のように駆け巡る感覚を覚える。塩は生きていくには欠かせない人類の財産。それに加えて、出汁に含まれるシイタケ、ショウガ、ネギ、鶏ガラ、それからそれから……、凝縮された食材のエキスが、細胞ひとつひとつに染み込んでいくようだった。
ああ、これこそが至高の一杯……!
―― というのが、ヤーガの「無意識下」での感想。実際には……、
「めっちゃおいしい!!」
たったの一言しか出力されなかった。何故なら、ヤーガは考えるよりも先に体が動くタイプ。語彙力が豊富というわけではなく、先ほどの感想も、彼女の深層心理を言語化するとそうなるというだけなのだ。
■
五分ほど経過。
ビルコはドカ食いをするタイプではなく、まだ半分弱ほどラーメンが残っていた。
対するヤーガはもう、八割から九割ほどは食べ尽くしている。
「お前食うの速いよな……。」とビルコがぼやくように言う。
「先輩が遅すぎるんですよ。」
二人が言うことはどちらも正しく、一般人と比較するとヤーガが速いほうでビルコが遅いほうであった。とはいえ、ヤーガの大盛を食べる速度は速すぎる気がしなくもないが……。
……と、ここで突然短い音楽が鳴り出した。ヤーガの持つ携帯電話が音の出どころで、それは彼女が好きなゲームのレベルアップ音だった。どうやらなにかの通知が来たらしい。
ヤーガは「あ、すみません」とビルコに言いながら通知の内容を確認していると……。
「あーーーーーーーーー!!!」
「……なんだ騒々しい。」
ビルコにとっても少々耳障りなくらいに、ヤーガは叫んだ。
「いや、今、十二時五十五分で、遅刻ギリギリでっ!」
「落ち着いて話せ。」
「……はい。今から五分後に映画の約束があって、忘れてました。」
「映画館? お前なら三分くらいありゃ余裕で着きそうだな。」
「まあそうですけど。」
ヤーガの身体能力は並大抵のものではなく、跳躍で軽々と家の屋根に登ることができるくらいだ。そしてこの世界の住宅の材質は対魔物用に強度が高く、女性が屋根に飛び乗ってもビクともしない。そのため、最短経路として屋根の上を通ることにより、街中どこでも短時間で移動できるようになっている。
しかもヤーガはそれくらいの運動は朝飯前。戦闘ではなく移動程度なら満腹状態でも問題なく、息一つ乱さずに動けるほどであった。
「でも、ポップコーンとか入場とか考えたらギリギリで。」
「……ラーメン以外にこれから食うのかよ。」
「そんなわけで、これ食べたらすぐ行きますね。」
ヤーガはそう言うと、食事スピードをさらに速めた。
彼女の食べ方は、スープを全て飲み干すついでに他の食材を流し込むというような感じで、残り少ない状態ではあったものの、なんと三十秒足らずで完食。
おいしいラーメンに対して、なんて冒涜的なのか。今度はゆっくり味わおう。……彼女はそんなことを無意識的に考えていたが、今はどうでもいい話。
「ごちそうさまでした!」
「……はやっ。」
「あ、先輩。本当に申し訳ないんですが、今回は払ってください。」
「え?」
ヤーガの唐突な「奢って宣言」。財布を出し入れする時間も惜しいらしい。
「後で払いますんで! それじゃ!!」
「お、おい、ちょっと待て……!」
店内の物にぶつからないように、ホコリを立てないように気をつけながらではあるが、ヤーガは駆け出すように店から出た。
当然、ビルコの声など聞こえていなかった……。
………………………………。
その後、映画には無事に間に合ったらしい。
■
さてここで、時間を冒頭に巻き戻すことにする。魔法の説明? いやいやそこまでではなく、ヤーガがラーメン屋に着いたあたり。
今度はこれをビルコの視点で見ていこう。
■
――財布の中には千ゴールド紙幣が一枚。チャーシューメンは一杯、八百五十ゴールド。よし、もう一度流れを確認しておこう。
メシを食べたらゴールド銀行へ。そこで九千ゴールド引き出して、次はスーパーで夕飯の買い出し。それが終わったら本屋へ新刊を見に行こう。『三毛猫探偵団』の新作が置かれているはずだ。
オーケー、問題ない。そうと決まれば、今はチャーシューメンを心待ちにしよう。なにせ魔物騒ぎのせいで一時封鎖されてたからな。
―― ビルコの本日のスケジュール、その脳内シミュレーションである。
彼はトラブルを嫌い、トラブルの元となることを事前に片づけてから一気に物事を進めることを好むタイプである。今はラーメンを食べ終わるまで、頭の中を空っぽにしようとしているところだった。
だがそこへ読者の方はご存知のとおり、ヤーガがやってくる。
「……あ、ヤーガ?」
「ビルコ先輩だ。こんにちわー。」
「おう、偶然だな。」
――お目が高いな。ここのラーメンを知っていたか。まあいつもひとりで食ってるだけだし、たまにはこういうのも悪くない。
―― と、ビルコの心の声。彼はいつもラーメンを食べる時はひとりでいることが多いのだ。
「先輩ここ、よく来るんですか?」
「まあな。ここのチャーシューはウマいぞ。オススメはチャーシューメンだ。」
「マジですか! じゃーそれで。」
――ヤーガはいつも「奢って」と冗談を言ってくるが、今日は言ってこないでほしいな。本気じゃないとはいえ、今は千ゴールドしかないから、チャーシューメン二杯を奢るのは無理だ。……いざ言われたら、平常心を保てないかもしれない。
―― ビルコはそんなことを考えながら、ラーメンが届くまでヤーガと取り留めのない話をしていた。これから来るラーメンについての話や、そこから脱線して仕事の話、他には趣味のゲームの話など。
二人は冗談を言い合える程度には仲が良く、話も簡単に弾んだ。それこそラーメンが届く時間まで、ビルコが深く物事を考えることはなかったくらいだ。
「お待たせしましたー、チャーシューメンです。」
そして、ビルコの前にラーメンが届く。
「じゃ、お先。」
ビルコはヤーガのほうを向きながら、気さくな感じを装って言った。
これは彼なりの宣言のつもりで、「今から食べるのに集中する。その間あんまり話せないかもしれないけど、すまんな」という意味が込められている。……無論、ヤーガに伝わってはいないのだが。
――ああ、やっぱこの味だな。……にしても、ここのラーメンを食べると魔法の調子がいいんだよな。魔力入りの香料とか使ってるのかな?
あ、でももしそうなら、ヤーガの口に合わない可能性もあるな。アレは魔法使いでもなけりゃ好んで食わないし。風味が一般受けしない。
……いや、ここは閑古鳥が鳴いてるわけじゃない。それなりに人が来るなら、人を選ぶような食材を使うだろうか? まあ、たぶん偶然だろう。味が良くてテンション上がるのかな。チャーシューはマジで旨いからな。他ももちろん旨いけど。
―― このようにビルコはいろいろと考えていたので、ヤーガの様子に少しの間気づかなかった。
「じー……。」
ふと考えを止めたビルコは気配を感じ、ヤーガが物欲しそうにしていることに気づいた。彼女は明らかにチャーシューを欲している目をしている。
「……やらんぞ。」
「ひとくちくらい……。」
「やらんぞ。」
「お腹すいてるんです! 先輩、このとーり!」
「やらんってのに。」
「ひとくちくれたら、ワリカンでもいいんで!」
「……あ? ワリカン?」
「えー、奢ってくれないんですかー?」
「奢るかバカ。」
――ちょっと、ヤーガの切り口が分かりにくかった。「ワリカン」ってのは「『今回は奢り』が前提」というボケのつもりか。分かるか。とはいえ、分かりにくかったおかげで平静を保ててたかもしれない。
……バレてないよな? まさか俺の所持金が千ゴールドちょっとしかないなんて。まあ、バレたところでどうでもいいんだがな。ちょっぴりプライドの問題になるだけだし。
いや、そもそもどうでもいいか。……あー、やっぱうめぇ。
………………。
―― そうこうしているうちに、ヤーガにもラーメンが届いた。
「はーい、チャーシューメン大盛、お待ちー!」
「わあい! ……ってあれ、大盛ですか?」
「あ、これはサービスです。この前の魔物退治、ありがとうございました。」
「こちらこそありがとうございます! お腹ペコペコだったので助かります!!」
ビルコはその様子を見て、ふと思うところがあった。
――ああ、店の人もヤーガのこと知ってたのかな? まあ、あいつはそれなりに有名人だしな。それとも、魔物退治後にラーメン屋が気になったから話しかけたとかか? あいつならそれでもおかしくないけど。
それにしても、よく食うよな。育ち盛りってやつかな。
そういえば、俺も昔はあれくらい食ってたっけなぁ、大盛ラーメン……。
………………。
……めちゃくちゃウマそうに食うよな、ヤーガ。
―― 要するに、ヤーガへ大盛サービスが届けられたことが気になり、さらに大盛を食べるヤーガに対して、自分の若き日を思い出しているというところだった。
とはいえビルコもまだ二十代前半なので、やや爺臭いような感想である。
と、ここでヤーガが感想を述べる。
「めっちゃおいしい!!」
――お、やっぱりちゃんとウマかったみたいだな。ってことは、魔力入り食材は入ってなさそうだ。
でも「マジパク(マジックパワー・パクチーの略)」食べた時並みには魔法の調子がよくなるんだよなー。
本当に不思議だ。……まあ、味が良ければなんでもいいけど。
―― そのうちビルコもヤーガも、食べるのに集中し始めた。
■
……さて、ここで読者の方に問題提起をしておこう。
現在、ビルコの財布の中には「千ゴールドと小銭」しかない。そして、チャーシューメンは八百五十ゴールド。二杯分を払うとなると「千七百ゴールド」で、お金が足りない計算である。
また、時間を戻す前のやりとりをご覧いただければ、ヤーガが本当に奢ってもらうことになるのは理解いただけるだろう。
そう、このままではビルコは危機に陥るのだ。それも突然に。
■
ヤーガの携帯電話の着信音が鳴る。彼女は「あ、すみません」と言い、すぐに着信の理由を確認している様子だった。
そして。
「あーーーーーーーーー!!!」
「……なんだ騒々しい。」
「いや、今、十二時五十五分で、遅刻ギリギリでっ!」
「落ち着いて話せ。」
「……はい。今から五分後に映画の約束があって、忘れてました。」
「映画館? お前なら三分くらいありゃ余裕で着きそうだな。」
「まあそうですけど。……でも、ポップコーンとか入場とか考えたらギリギリで。」
「……ラーメン以外にこれから食うのかよ。」
「そんなわけで、これ食べたらすぐ行きますね。」
――あ、ちょっと嫌な予感がしてきた。まさか「急ぐんで支払いお願いします」とか、やってこないだろうな……?
大丈夫だよな? 頼むから落ち着いて支払いして、余計なトラブルは起こさないでくれよ?
―― ヤーガはかきこむようにしてラーメンを完食する。
「ごちそうさまでした!」
「……はやっ。」
「あ、先輩。本当に申し訳ないんですが、今回は払ってください。」
………………。
「え?」
「後で払いますんで! それじゃ!!」
「お、おい、ちょっと待て……!」
そうして、ヤーガは嵐のように去っていった。
二人のやりとりは店員が見ていたようで、店員とビルコは顔を見合わせる形となる。もうビルコが二人分の支払いをすることは、ほとんど確定してしまったようなものであった。
――マジかよ、予感的中じゃねえか。おいおい、どうすりゃいいんだこれ。
……冷静に考えよう。とりあえず残金の確認だ。
千ゴールド紙幣と、小銭は全部で……、百十三ゴールド。
ああ、これは間違いない。「終わった」。
……ま、どうせ終わってるなら、悩んでもしょうがない。ラーメン残しても得はないし、とりあえず食べよう。それから考えよう。
―― 意外と肝は据わっているビルコだった。
■
およそ十分経過。ビルコはラーメンを完食した。
絶品であるラーメンを食べたはずなのに、その顔色は明らかに暗かった。
とはいえ、彼の心中を考えれば当然なことだが。
――あー、どうしよう。この後、銀行行く予定だったし、ちょっと待ってもらうか?
でも店員さんの立場になって考えると、食い逃げじゃないかと思われないだろうか?
あと、俺はこの店に何回かお世話になっているが、顔を覚えられている自信はない。常連であれば「ツケ」ということも可能かもしれないが、わざわざ自分から言い出すのは恐れ多すぎる。
でも今のまま、こうしてるだけじゃ絶対に解決しないしなぁ。本当にどうしよう。
いっそ正直に話せば理解してもらえるかな……?
ああでも、証拠も信用もなければ信じてもらえないだろうしな……。
―― ビルコはこういったことをグルグルと、ひたすら考えていた。
ひたすら考えて、五分が経過していた。それも沈んだ様子での五分間なので、ビルコの体感的には三十分ほど感じていたのかもしれない。
ゆえに、傍目からは落ち込んでいることが明白だった。
なので誰かが彼に声をかけたとしても、不自然なことではなかっただろう。
「……ちょいと、大丈夫かい?」
年配の男性の声がした。声の主は、このラーメン屋の店長。服装は例によって、現代日本のラーメン屋の店主を思い浮かべていただければ。
「……あ、なんでしょうか。」
「ああいや、ちょっと落ち込んでるように見えたんでな。」
「あー……、すみません。えっと、支払いの……、その……。」
ヤーガと話していたころの元気はどこへやら。ビルコはしどろもどろ、挙動不審という状態だった。
だが、そこで店長が優しく切り返す。
「ああ、支払いなんだがね。実は今日サービスデーで。」
「……え?」
「魔物退治師の人には『全品半額』で提供させてもらってるんだ。」
「………………えっ?」
「ほら、ここら一帯が魔物のせいで封鎖されただろ。でも退治師さんのおかげで、なんとかなって。だから、そのお礼を込めてのサービスなんだよ。」
「え? ……あ、……分かりました。じゃあ、お会計お願いします。」
呆気にとられながらも、財布から千ゴールドを取り出すビルコ。
「チャーシューメン二杯で、八百五十ゴールド。あ、大盛は無料だから気にしないでくれ。」
「……千ゴールドで。」
「はい。じゃあお釣りの百五十ゴールド。ありがとうございやしたー。」
これにて、支払いは無事に完了した。
――あ、あぶなかった……。本当に助かった……。
今までで一番、魔物退治やっててよかったと思ったわ……。
―― 危機が去り、安心した様子でビルコは退店した。
そしてビルコはまだ緊張の糸がほぐれていないのか、財布の中にお金を入れて安心したいと思い、銀行へ進む足を速めるのであった……。
………………………………。
――あれ? でも俺が魔物退治やってるって、言ったことあったっけ?
■
さて場面が戻り、ここはラーメン屋の店の奥、ビルコが退店した後の時間。店員の女性が休んでいて、そこに店長がやってきたところだった。
女性は「店長の娘」でヤーガと同じくらいの十代後半。父親に頼まれて店の手伝いをしているという具合だった。
まず店長の娘が、店長に一言。
「大丈夫だった? ……みたいね。」
「おう、おかげさまで。あんがとな。」
店の手伝いと言っても、その種類はさまざまだ。
来店した客を案内したり、料理を運ぶウエイター。客に提供する料理を作るコックなどが一般的だが、それ以外にも店としての方向性を決めるコンサルタントなどもある。
店長の娘がやっているのは、主にそのウエイターとコンサルタントであった。だがウエイターはともかく、コンサルタント業は十代後半の人間に任せないのが一般的である。社会経験の乏しい者に任せては、大きく道を踏み外しかねないからだ。
だが、思い出してほしい。この世界には「魔法」がある。
「慌てていったあの嬢ちゃんも、また来てくれりゃいいんだがな。」
「……きっと、また来るよ。お父さんのラーメン、『至高の一杯』って思ってたみたいだから。」
「そうかい? いやあ、嬉しい限りだな。」
実はこの店長の娘は特別な魔法……、「テレパシー」が使えるのである。
テレパシーとは超能力の一種として数えられるようなもので、他者の考えていることを読み取ることができる能力。その魔法を、店長の娘は使えるのであった。これにより、客のありとあらゆる要望を聞くことができる。しかも読み取れる情報は、意識的か無意識的かに関わらないという。
ではせっかくなので、彼女がテレパシーをどう活かしていたかを列挙していこう。
ビルコが魔法使いということを知っていた。
だから、彼に提供するラーメンにはいつも「マジパク(マジックパワー・パクチー)」の粉末を加えていた。これは魔力を効率よく摂取できるという代物だ。
今日のヤーガの発汗量が多いことを知っていた。
だから、彼女に提供するラーメンには塩分を多めに入れていた。ちなみに彼女がスープを全て飲むことも織り込み済みで、発汗量を含めて過剰摂取にならないようには塩分濃度の調整を父親に依頼していた。
ヤーガが食べ盛りで、いつもより空腹であることを知っていた。
だから、彼女には大盛をサービスした。もちろん、大盛を提供しても問題ないことも知っていた。流石に映画の予定があることまでは見えていなかったが。
ビルコの所持金が千ゴールドちょっとしかないことを知っていた。
さらに、ビルコとヤーガが魔物退治師で、しかも最近起きた魔物騒動を解決してくれた関係者だと知っていた。
だから、サービスデーをでっちあげて、千ゴールドで二人分を支払えるようにサービスした。
また、ヤーガが急いでいるということをすぐに知った。
だから、実はヤーガが外に出る時に出入り口の扉を開けていた。実はこっそり、ストレスフリーになるようにしていた。
……その他、細かい気遣いが膨大に行われていた。テーブルや椅子などの配置、さらに細かい部分ではメニューの書き方についてなど、その対象は多岐に渡る。しかもそれに対しても、数多くの人の無意識的レビューにより洗練されたものになっていくという仕組みだ。
それらもみな、店長の娘のテレパシー能力によるものである。おかげで、この店の顧客満足度は他の追随を許さないほどに高いのだ。
「あの人……、ヤーガさん。また来てほしいなあ。」
「ん、あの嬢ちゃんのことか?」
「うん。あの人、感想が凄いし、それも面白いの。」
「へえー、どんなのか聞いてみたいもんだ。」
店長の娘は当然、ヤーガの無意識下の感想も全て聞いていた。
「あと……、魔法使いのビルコさん。あの人の考えてることも面白かったし。」
「そうなのか。んじゃあ、いろんな人が来てくれるように、これからも頑張らなきゃな!」
「うん。わたしも頑張るね、お父さん。」
剣と魔法とラーメン屋と。あのプロの剣士と魔法使いは、また近いうちに店に来るだろう。
今度は直にお話しできたらいいな。……思い切って挑戦してみようかな?
店長の娘はそんなことを考えるのだった。
おしまい
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