第20話 看病
姉弟喧嘩の翌日である日曜日、番長の住むボロアパートの前に、分不相応なリムジンが停まっていた。
その持ち主である彼女は、今まさに荒々しい足音を立てて金属製の階段を上る。
そうしてたどり着いた角部屋の呼び鈴を鳴らすと、本来ならば寝ているはずの番長が出迎える。その姿を見て、八街明里はなんとも言えずにいた。
「新聞はお断り……って何だ八街……八街!?なんでここに!?」
「……貴方のお姉さまからは、重傷だと聞かされたのですけれど?」
彼女が苦い顔をしていた理由、それは重傷だと聞かされた彼の容態はさほど悪いように見えなかったからだった。
半袖のシャツから覗く腕は所々紫色になっており内出血を伺わせるが、本人は痛みがないかのように振る舞っている。
そんな彼は、とりあえず上がるか?と立ち尽くす彼女を招き入れる。彼女は少し悩んだが、その誘いを断らずに部屋へと上がり込んだ。
ちゃぶ台を挟んで二人はそれぞれ床へと座り込む。番長はもてなそうとしたがお嬢様の口に合うものなどここには無かったため口には出さなかった。代わりに、ここに来た理由を聞くことにした。
「姉貴からどんな事を聞かされたんだ?」
「貴方が起き上がれない程の重傷であることと、看病してくれたら追いかけ回すのを止める事の二つですわ」
「……はぁ。すまん八街、全部嘘だ」
「どういうことですの!?全く話が見えて来ないのですが?」
「それほどの傷を負ったのは本当だ。姉貴との決闘でボロボロになったしな。だが、その結果姉貴は八街から手を引くと約束した」
だから全部嘘なんだ、と申し訳なさそうに語る番長。その話を聞いたお嬢様は、騙されたことに対する憤りよりも、彼が重傷を負ったことが本当だったことに心を痛めていた。
自身が守ってほしいと依頼したから、彼が重傷を負ったのではないかと考えていた。
彼はその考えを知ってか知らずか、それについて言及する。
「俺はただ単に姉貴と久々に勝負したかっただけで、結果的にコテンパンにのされたのも俺のせいだ。八街の依頼があろうがなかろうがいずれはこうなってたさ」
「それでも……」
「それでも申し訳ないと思うなら、簡単な物でいいから作ってくれると助かる。こう見えてまだ両腕を動かすと微かに痛くてな」
「分かりましたわ。腕以外は大丈夫ですの?」
「両腕の広範囲での内出血と、鼻と頬の骨折、左肩が上がらなくなったくらいだ。明日には治ってるだろ」
「えぇ……?」
実際、番長の両腕は紫色のまだら模様が残っている。だが、それ以外の傷はほぼ元通りになっているように見えた。
左腕も支障なく使えているように見えたし、鼻も曲がっている様子はない。
「明日には治る」という言葉を聴いて、「やはり人間の枠からはみ出してますわ」と思うお嬢様は仕方なく、料理をするために台所へ立つのだった。
――――――――
それからしばらくして、召し上がれ、と言われて差し出された物を見て、番長は思わず顔をしかめてそれを作ったお嬢様に聞いた。
「なぁ八街。これはなんだ?」
「何って……野菜炒めですわ」
「そ……そうか……」
その言葉を聴いて再び目線を目の前の皿に戻す。そこには黒焦げになった肉と、どう見ても火の通っていないニンジンやキャベツが盛られていた。
それ以外には変わったところは無いように思われる。
「さぁ、存分に味わってくださいまし!」と言いたげな顔をして目の前に座っている八街の手前、これを食わないという選択肢はない。そもそも俺が頼んで作ってもらった物だし。
食ったとしても最悪腹を壊すくらいだろう。覚悟を決めろ、俺。
手を合わせ、頂きますと声に出してからそれを口へと運ぶ。
一口目の感想は、苦い、堅い、マズい。それだけだった。
焦げた肉は苦く、半生のニンジンは噛むとゴリゴリというほど堅い。
味と食感のそれぞれが主張し合い、口の中はカオスに包まれていた。
吐き出したいが、彼女の手前それは叶わない。かといって早く飲み込もうとすると、ニンジンの堅さが邪魔をする。隙を生じぬ二段構えである。
数十回に及ぶ咀嚼を経て何とか胃に押し込めると、俺は八街に質問を投げかけた。
「八街ってさ、料理、したことは?」
「ありませんわ!」
自信満々に答える彼女。当たり前だ、彼女はお嬢様なのだから。
昼飯もシェフを呼んで作らせるような身分の者が、自身で作る機会はそう無いだろう。
事実俺も五所川原家にいた頃は家政婦さんに作ってもらっていたし、一人暮らしを始めるまではろくに料理なんてしてこなかった。
そう、これは予測できた事態なのだ。つまり彼女を責めるべきではない。
だが、意見は言わないと彼女はずっと料理が出来ないままだ。
東との関係がそれで壊れてしまう可能性も無くはない。強制出来るならした方がいい。
「率直に述べるが、火を通す順番が間違っているぞ……。大体の料理は野菜を先に入れるもんだ。よかったら覚えておいて欲しい」
「そう……ですの……。それは残してくださって――」
「だが、味付けは何ら問題ない。回数を重ねて、正しい手順を把握すれば伸びるだろうよ」
そう言い切って、俺は掻っ込むようにして野菜炒めを平らげる。そして、あ然とする八街に手を合わせて「ご馳走様でした」と告げた。
「だから、機会があればまた作ってくれ。今日はもう十分だ。車も待たせているんだろ?」
その言葉を受けたお嬢様は、我に返ったようで慌てて窓から外を見る。
おかしな所に停まっているリムジンに、周辺住民が何事かと集まっていた。
「そ、そうですわね!では番長、しっかり休むのですよ?」
「ああ、明日また学校で会おう」
慌ただしくかけていく背中を見て、番長は一人呟いた。
「行ったか…」
おもむろに立ち上がると、番長は右手で腹を抑えてトイレへと向かう。そして、半日経ってもそこから離れることはできなかった。
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