第19話 決闘
俺が姉貴に宣戦布告した次の週の土曜日、俺と姉貴は白の胴着に身を包み、校内の道場で睨み合っていた。
元々の使用者であった空手部には生徒会権限で本日の使用を禁止したらしい。どんな言葉でそうしたのかは詳しくは分からないが。
ともかく、道理は分からないが俺たちだけの決闘場所は整えられていた。
隠す理由はたったの一つしかない。二人の間で「決闘」という言葉を使う場合は、どちらかが本当に倒れるまで続けるからだ。
今までやって来た百以上の決闘では全て俺が負けてきた。決まって完膚無きまでにボコボコにされて気絶しての敗北だ。
生徒会長が、かつての肉親とはいえ一生徒を気絶するまで痛めつけるという光景は大多数に見せる物ではないだろう。
そのため決着を見届ける審判も口止めが聞く人物、狭間を呼び出してやらせていた。
その本人は生徒会長が俺の姉だと分かると途端に怯え始めて、今も少し震えている。
奴はそれでも俺から言われた命令を実行すべく、震えながらも挙げた手を勢いよく振り下ろし、合図を放った。
「は、始め!」
その一言と共に、姉貴は左足で蹴りを放つ。
恐らく一撃で決着をつけるつもりなのだろう。
およそ一介の女子高生が放つスピードとは思えない上段蹴りを辛くも右腕で防ぐ。
その衝撃は想像以上で、受けた右腕は麻痺したかのように感覚を無くして行った。
上段蹴りを放った後の隙に付け入ろうとしたが、利き腕が使えない状況に気を取られてその好機を逃してしまう。
姉貴は俺からの反撃が来ないのを良いことに猛攻を仕掛けてきた。今度は大きな隙が出来ないように両手を使っての乱打で俺の防御している両手を削り取っていく。
その状態が何分続いたかは分からない。
とにかく、無尽蔵と思われた姉貴のスタミナが切れたのか、一旦攻撃の手を止める位の時間が経ったことだけは確かだ。
防御の間をすり抜けた何発かは顔に直撃しており、視界が時おり霞む。口の中は鉄の味しかせず、鼻の下には濡れた感触。恐らく鼻血だろう。総合すると、ボロボロな状態であった。
防御を抜けた数発でこの有り様ということは、防御に使っていた両手はそれ以上に傷付いていた。
血が通ってないかのように感覚が鈍くなり、内出血で紫になっていなければ怪我なんて一切していないかのように痛みを感じない。
だが、ダメージは確実に蓄積されており、左腕に関しては言うことを聞かず、俺の意に反してもう上がらなくなっていた。数発混じっていたフックを肩で受け止めたのが原因だろう。
息を整えた姉貴はそれを知ってか、俺に降伏するように迫る。
「さて、全身をその左腕の様に動かなくされたいかい?今なら降参を認めるよ」
「降参?するかよそんなもん…。守護らなきゃいけない物が出来た……だから、血ヘド吐こうが倒れるわけにはいかねぇし、敗けを自ら認めるなんざもっての他よ…!」
姉貴は俺の絞り出した言葉を受けて構えを解く。そして、その言葉の意味を問いただす。
「守らなきゃいけないもの…ねぇ。それは本当にそんなになってまで守り通さないといけないものなのか?所詮は自己満足だろう?」
「それもあるが……守ってほしいと頼まれた。だから俺はこうしてここに立っている」
その答えで納得したのか、姉貴は微笑してから再び構える。
最後の一発が来る――俺はその瞬間を逃さないように、霞む視界と意識を奮い立たせて目を見開いた。
――――――――
頼まれたからボロボロになってでも尚戦う、か。
だからお前は愚弟なのだ。愚かしいほど愚直で曲がらない奴め。
これ以上長引くと流石に命に関わるだろう。ならば、顔への一撃で昏倒させ、即座に治療を施すしか無い。
どうせ諭しても無駄だろう。今までの165戦ともそうだった様に。
構え直し、呼吸を整えると弟の顔目掛けて右のストレートを放つ。だが、驚くことにそれを右スウェーで躱し、カウンターを放ってきた。
完全に予想外の攻撃。避ける隙も無く、鼻先一寸まで拳が迫る。思わず目を瞑るが、予想していた衝撃が無いことに疑問を覚えて目を開ける。
すると、目の前の拳は相変わらずそこにあった。なぜそのまま打ち込まないのかと疑問に思ったその時、その拳は力なく下がって行く。
弟はその顔に僅かな笑みを湛えながら前のめりに倒れる。表情の意図は分からないが、とにかくこれで勝負は決まった。
ならば、一刻も早く治療に取りかからなければ。あらかじめ側に置いておいたスマホで連絡をとる。
「もしもし?僕だ。車と医療用セットを道場に頼む。大至急だ」
通話を終え、慌てている先生をどうにか宥めると僕は弟を担いで道場を後にした。
――――――――
気がつくと、俺は自宅のベッドで寝かされていた。勝負中だったことを思いだし、飛び起きる。
すると、上半身全体が軋んで思わず短い悲鳴をあげる。そんな様子を見かねた誰かが声をかけてきた。
「全く。だからお前は愚弟なのだ」
「姉貴……!?どうしてここに……?」
「自身の体を省みず我を通そうとした愚直すぎる弟を運んでやったのだぞ?まずは礼の一つくらい言って欲しいものだね」
呆れた様子で悪態をつく姉貴。その鼻には絆創膏が貼られていた。
それを見て思い出す。最後に放った一撃、あれは届いていたのだろうか。
姉貴は俺の視線に気が付いたようで、それについて語り始めた。
「最後の一撃は不意を突かれたとしか言い様が無かった。成長したな」
「そりゃどーも。だが、敗けは敗けだ」
守れなかった事が悔しくて、右腕の痛みなど無視して掛け布団を握り込む。そんな俺に、姉貴は驚くべき言葉を投げ掛けてきた。
「勝者は好きにしていいのだろう?だから、僕は八街君の事を諦めるよ」
おかしい。前後の文が噛み合っていない。
「八街君が君に『守ってほしい』と依頼したんだろう?僕は紳士だからね。嫌がっている女性に交際を強制するなんて真似、出来ないさ」
「そもそも紳士ならこんな暴力振るわないだろ……」
「それとこれとは話が別さ。君が決闘を申し込んだのだから僕はそれに従ったまでさ」
何だ?じゃあ俺が『八街が嫌がっているから止めろ』と言えばこんなことにならずに済んだのか?
そう疑問に思う俺をよそに、姉貴は長居は無用と言わんばかりに出ていこうとする。
「さて、嫌みも言える程元気があると分かったことだし僕はここでお暇させて頂こう」
「もう来なくていいぜ。疲れるからな」
姉貴はその言葉に振り返ること無く出ていった。
――――――――
後ろ手にドアを閉めて、思い出す。
今まで百数戦の中で、僕は弟から一撃も貰ってこなかった。
それを鑑みると、先程の攻撃はあと一歩で届かなかったとはいえ大きな進歩と言えるだろう。
ここまでの急成長をさせるとは、愛の力というのは素晴らしいな。
その成長を称えて、僕は身を引こうじゃないか。
僕には及ばないとはいえ、我が弟もそれなりに出来る奴だ。八街君ともなんとか釣り合うだろう。
頑張れよ、我が弟よ。
こうして姉弟のイザコザは誤解を残したまま収まったが、この誤解が後々に影響することを、二人は知るよしもなかった。
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