第2話 隣の席はお嬢様

 入学式の翌日、俺は安アパートの一室で目を覚ます。午前4時を示すデジタル時計のアラームを鳴る前に解除し、朝食を作るためにベッドから起き上がる。

 床にあぐらをかき、ちゃぶ台に乗せた一般的な朝食を取ると顔を洗って時計を再度確認する。

 それでも4時半と登校するには早すぎる時間であったため、日課の筋トレとランニングをこなしてから登校することにした。


 こうして俺が赤のジャージから学ランに着替えたのは朝6時半の事だった。もちろん事前にシャワーも浴びているため身だしなみは万全で、このまま家を出ても問題は無かったため少し早いが学校へと向かった。

 入学式の翌日ではあるが今日から授業が本格的に始まる。


 昨日受け取った教科書と自費で買った参考書を詰め込んだ鞄を右手に持って学校へと徒歩で向かうも、誰とも顔を合わせることなく学校へと到着する。


 昇降口にて、扉の付いている下駄箱から取り出した真っ白な上履きを踵を潰さないように履き、一年の教室がある三階へと向かう。

 1-Cの札が掲げられた扉を開け、誰もいない教室の窓側一番後ろに腰かける。昨日、入学式が終わった後に所用で席を外した為お陰でクラスメイトの大半は名前も知らないという始末だ。

 彼女たちから居ない物扱いされるのが俺の目標ではあるが、それでも事務的に話しかける事はあるはずだ。果たして、こんな調子でこれからやっていけるのだろうか。


 やれやれ、と心のなかでボヤき、鞄から荷物を取り出そうとしたときだった。閉めていた扉が丁寧に開かれ一人の生徒が入ってくる。

 隣の席の八街だ。彼女は開けた引き戸を丁寧に閉めてから俺に気付いたようで、まず最初に『時間を間違えたかしら』と言わんばかりに7時を指す時計を見上げ、次に俺に声を掛けてきた。


「ごきげんよう。お早いのですね」

「…おはよう。それを言うならそっちもだろう?」


 そうですわね、と微笑み隣の席へ座る彼女。その表情は、俺が鞄から取り出したものを見るやいなや驚きのそれに変わる。


「……貴方のような人でも勉強するのですね。少々意外でしたわ」


 机に置かれた分厚い数学Ⅰの参考書を注視しながらそう言う彼女に、俺は反論する。


「こんな見た目だからこそ、勉強は出来ないとな。でないと、何と言われるかたまったものじゃない。所詮、先生なんてものは成績がいい生徒には何も言わないものだろ?」

「そうですわね。誤解していたことを謝りますわ。思い返してみれば、新入生代表ですものね、勉強ができて当然ですわ。……もしかして、ここに入った理由は教育のレベルが高いからでして?」


 申し訳なさそうに目を伏せる彼女だが、心なしかそこには謝罪の意はあまり見られない。それどころか、先程の質問は昨日話した彼女の父親同様に、『取り繕っていないでその浅ましい本心を見せろ』と言わんばかりの雰囲気を醸し出している。

 そんな態度で質問されては、正直に『尊い百合をこの目に焼き付けるため』とは言えず……


「……ああ、そうだ。将来の夢である国会議員になる為に、俺はここに入ったんだ」


 思わずついたウソの回答を聞いた彼女は『面白いお方ですこと』とだけ答え、持参した本を読み始めた。書店でかけてもらえる紙のブックカバーのせいでどんなジャンルの物なのかは分からない。

 ともあれ邪魔するのも悪いので、俺も数式たちと向き合うことにした。


 ――――――――


 わたくしは、隣で背筋を伸ばして座り参考書に向かい合っている番長然の男をつぶさに横目で観察しながら、お気に入りの恋愛小説を読んでおりました。

 少女同士で禁じられた恋に落ちるという内容は、わたくしの置かれている境遇と似ており感情移入することが多く、よく読んでおります。

 ですが、もちろん気に入らない描写も含まれております。いたいけな少女たちの間に野蛮極まりないゲスが割り込み邪魔してくるという場面に遭遇する度に、思わずどこかに放ってしまおうかと思うほどです。


 隣の男も、どうせそのような目的でここへと入学してきたのは目に見えております。女しかいないことに味を占め、腹を空かせた獣のように食い散らかしに来たに違いませんわ。それだけは絶対にさせません。

 中等部の頃から、リリウム学園ここはわたくしの為に用意された花園。礼儀のなっていない貴方には花一本たりとも触れさせませんことよ。触れたが最後、それを口実にここから追い出してやりますわ。


 そう息巻いている彼女であったが、実のところ隣の男の真意は別にあった。


 ――――――――


 彼女が俺と同じクラス、それも隣の席とは良いのか悪いのか…。確かに昨日、彼女の父親から釘を刺された為迂闊に近づくのいうのはリスクが有り、なるべくなら避けたい。だが、彼女のそばにいることで得られる事も有る。


 昨日した自己紹介の内容から彼女は俺のような一般入学組ではなく内部進学組、すなわち中等部の頃から女性だけのコミュニティで過ごしてきた。

 しかも、自分で『中等部にいた人ならば絶対に知っている』と豪語する辺り、クラスの垣根を超えて知られる、学年の中でも有名人であることは間違いないだろう。


 それを総合すると、彼女の周りで俺の望んだ展開が繰り広げられる可能性が非常に高いのではないかという推論が立てられる。

 女子高で有名人、それはいわゆる『お姉様』である可能性が高いことを指す。

 実際、彼女は俺から見ても魅力的に見えるし、所作からも育ちの良さは分かる。同性に人気があっても説得力はある。


 だが俺が彼女に一目惚れするということは万が一にも考えられないし、ましてや告白することなど絶対にないだろう。

 彼女はいわば、花開く前の芽なのだ。俺はそれをそのまま摘んでしまうような馬鹿ではないと自負しているし、これから先することも無いという事を断言しておこう。

 それは俺が一番嫌っている、百合の間に挟まる奴らがしている事と同じ行為だからだ。

 俺はこの花園を守るためにここに来たのだ。

 もしこれから先ここに男が増えたとしてもこの地上の楽園は死守してみせる。この拳を誰かの顔にめり込ませることになったとしても。



 奇しくも二人は「百合を邪魔する者を排除する」という同一の目的を持っていたが、互いにそれを知るよしもなかった。だが、着実にその魔の手はこの学園に迫っていた。



 折り目のしっかり付いたスーツに身を包んだ細身の男性が前の扉から教室に入ってくる。彼は俺達の事を見ると、先ほど彼女がしたように時間を間違えたのか確認してから俺たちに言葉を投げかけた。


「おや、珍しいな。始業1時間前に二人も生徒がいるなんて」

「狭間先生、ごきげんよう。わたくしもまさか番長君が一番乗りだとは思っておらず意気揚々と登校したものの出鼻を挫かれた思いですわ」

「それはこっちの言葉だよ。初の授業だから張り切っていつもより早く来たっていうのに君たちがいるもんだからさ」


 苦笑いしているこの男性は俺のクラスの担任であり数学の教師でもある狭間はざま りょう先生だ。

 一見すると人のいい、外見の整った好青年といった風貌だ。

 にしても番長君とはいい言い草ではないか。今度『どうやって呼べばいい?』という質問が来た際はその呼び名を使わせて貰おう。


 まぁ、今のところは今後三年間そのような展開になることは全く無いのだが。


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