第20話  あの日

らいは賢いねえ。将来楽しみだなー」


 そう言って優しい笑顔で幼い頼の頭を撫でたのは今は亡き姉のゆうだった。

当時頼は7歳で侑は23歳だった。16も離れた妹を侑は溺愛していた。


 頼は侑になされるがまま頭を撫でられ忽ち髪の毛がボサボサになってしまう。


 表情豊かな侑とは対照的に頼は表情を顔に出さない。そんな妹の頬を愛おしそうに侑はつついた。


「ほら!嬉しいなら笑わないと。可愛い頼の笑顔が見たいなー」

「……」


 頼が不満そうな顔を向けても「嘘だよ。可愛いなー頼は!」と言って頼を抱きしめた。頼は仕方ないなあと言う気持ちで侑の愛情を受け取っていた。


 両親は物心ついた時からずっと仕事にかかりきりだった。2人とも2つの仕事を掛け持ちしている。そのため頼の面倒を見ていたのは侑だった。頼にとって侑は母親のような存在だった。


 今もこうして本棚で埋め尽くされた部屋で勉強を見てくれている。今時紙の本で勉強する家など少ない。これらは侑が古本屋でかき集めてきた参考書や化学、文学、歴史など凡ゆる分野に関する本が並ぶ。

 深海ふかみ家には通信機器も設備も整っていない。4人分の機器代に通信料金は家庭を圧迫する。電子媒体に触れることができるのは学校か公共施設だけだ。


「私異能者の施設で教師をやることになったの。やっとお父さんとお母さん達を楽させることができるよ!」


 そう言って侑は花が綻びそうな明るい笑顔を向けた。


「でも最初は私の奨学金返済で頼達には一円もいかないかもだけどさ。私が働き続ければ頼が大学行くぐらい稼げる!頼は絶対私よりいいところに行けるからねー」



 頼はその言葉を聞いて頭を振った。


「……わたしのことにお金つかわなくていいよ。お姉ちゃんはお姉ちゃんのためにつかって」


 そう言うと侑は大袈裟に口元を押さえて瞳を潤ませる。


「頼って本当にいい子ね……。ありがとう。でも私は頼の明るい未来のために頑張るから!」


 抱きしめられながら頼は侑の言葉に疑問を抱いていた。


(それ以上何をがんばるの?)


 頼は侑の血の滲むような努力をずっと間近で見てきた。

 長時間机に向かいながら頼の面倒を見てその間に家事もこなす。


 頼は勉強に励む侑を見てなるべく侑の邪魔にならないように行動するようになった。まず静かにする。泣いたり甘えたくて騒いだりしない。自分でやれることは自分でやるというように小学校に上がる前の子供とは思えないほどに成長した。

そのせいで大人からは「賢い子」とか「大人な子」として一目置かれていた。小学校を受験をしないかと声をかけられたがそんな金銭的余裕はないので断る。


 侑と過ごす日々は温かく楽しい思い出しかないのだが、両親が帰ってくる夜中が頼にとっては恐怖だった。お化けのように得体の知れない恐怖なんてものではない。現実に迫るひたひたと自分の首元にやってくるようやな恐怖だ。頼にとってお化けなんて可愛いものだ。


 夜中に始まる大人の会議は子供の頼を静かな恐怖に陥れた。


「……どうして働いても働いても暮らしが良くならないんだろうね」


 久しぶりに聞く母の声は尖っていた。頼は隣の部屋で布団にくるまりながら耳を大人達の会話に集中させた。


「景気も悪いし、税金も上がった。電気とガス、水道料金も上がった。この家だってこんなボロなのに高い。金は出てく一方だ」


 両親の会話は大抵お金のことから始まる。そこから会社だの政治などの不満を撒き散らす。


「私が今年働き始めるから大丈夫でしょう?」


 侑が口を挟もうものならすぐ母の不満の餌食になる。


「あんたの教育費が1番お金掛かってんのよ!いい学校は行かせたし公務員だからこれから何とかなるとは思ってるけど……。すぐ家にお金は入ってこないでしょ?奨学金返済があるんだから……。何年払い続けるんだっけ?」

「……10年ぐらいの予定。なるべく頼が大学に通う前までにはどうにかしたいと思ってる」


 母がまた大きな溜息をついた。


「頼は大学に通わせないわ。もう無理」

「どうして?!頼には才能がある。大学に行けばきっと……」


「頼が男の子だったら考えたけど……。それか才能って言うなら勉強の才能じゃなくて異能者であればね」


 その言葉に頼は布団の中で自分の存在を消すように小さく縮こまった。

頼は生まれてから母に幾度も落胆された。それは自分が「男」ではなかったからだ。


 侑を産んだ後両親は多忙や身体の不調もあってなかなか子供を授からなかった。そんな中やっと生まれたのが頼だった。両親が欲しかったのは社会的に有利な「男」の頼であって今ここにいる女の子の頼ではなかった。


 そのせいで頼は半分育児放棄されているようなもので侑が母親代わりをしているのはそのせいでもあった。


 男女平等という言葉が溢れる世の中になっていたが現実は大きく違っていた。

 給料は明らかに男女差があるし、SNSには「男女不平等だ!」という言葉とともにどんな扱いを受けたのか不満を訴えるものがいくつもあった。


 その度にニュース動画でテーマが取り上げられ論争が繰り広げられるが頼達の現状が劇的に変わることはなかった。男女以外の性についても認知されているはずなのに「偏見の目で見られる。私達は認められていない。」というSNS上のコメントが消えることはなかった。


 異能者の存在はそれらのマイナスな社会を誤魔化すかのように明るい未来を謳った。異能者を使って政府は経済や市民の安全面から社会を盛り立てようとしていた。


 社会は時代を経れば自然と新しくアップデートしていくと頼は考えていたのだがどうやらそうではないらしい。

 社会の在り方は後退しているように見えた。そもそも人は進化なんてしていなくてずっと変わっていないのかもしれない。


 頼が死んだような目でスケールの大きなことを考えていると力強く机を叩く音が聞こえた。


「……それ以上頼のこと悪く言うのは止めて。毎回いい加減にしてよ!頼を認めてあげて!」


 普段の穏やかな様子からは想像できない侑の低い声が聞こえて頼は思わず肩を震わせた。侑が本気で怒っている。


「侑、貴方だってそうよ。今付き合ってる男よりも金持ちの男と結婚する方が気楽に生きれるわよ」


 頼は布団の中で自分抱きしめながら耳を疑った。


(お姉ちゃんの今までのがんばりをなんとも思ってないの?お姉ちゃんの好きな人のことを悪く言ってるの?)


 母から口に出される言葉はどれも時代錯誤で何百年も前に発行され小説の登場人物の会話を読んでいるようだった。下手をしたら何千年も前、武士が自分の後継の男子が生まれないことを嘆いているようにも聞こえた。


「私と頼の生きる道は私達自身で決める!社会がどうであろうとお母さんがどう考えようか関係ない!私は絶対頼に学びの道を歩かせてみせる」


 侑の一歩も引かない物言いに母は観念したように口をつぐんだ。苦し紛れに一言呟く。


「あんたも大人になって働き始めれば分かるわよ。どれだけ生きるのが大変か」



 侑は乱暴に襖を開けると頼が縮こまる寝室へやってきた。頼は急いで目を瞑って寝たふりをする。


 頼の隣に敷かれた布団に侑が潜り込む音がするとぐすぐすと姉が涙をすする音が聞こえてきた。頼は堪らず起き上がると背中を向ける侑の震える背中を黙って撫でた。

 頼に気がついた侑は頼を抱きしめると小声で言った。


「頼ありがとう。私達絶対に……幸せになろう。こんな世界ぶっ壊すくらい自由に生きよう」


 頼は侑に向かってゆっくり頷きながらずっと背中をぽんぽんと叩いた。



*


 侑は異能者とその家族が生活する保護区で生活することになった。侑の見送りの日、侑はずっと頼のそばにいた。

 スーツに身を包んだ侑はどこか知らない女性のように見える。


「手紙送るね!頼1人にしちゃうのは心苦しいけど強く生きるのよ。悲しいことがあっても自分の心だけはしっかりと持っていること。いい?」

「……うん」


 そう言って桜咲高等学校の電話番号を書いたメモを頼の小さな手に握らせた。頼はこんな時でさえ感情を表に出すことができなかった。


 本当は侑に行って欲しくないのだが駄々を捏ねることに慣れていない頼は俯いて「うん」と返事をすることしかできなかった。頼よりも侑の方が目に涙を溜めていた。


「お金も少ないけど頼のところに振り込んでおくから安心して。頼を空腹にさせることはないから」


 こそこそと頼に耳打ちしてくれた。頼は幼いながらも姉から銀行や口座のことを教えてもらい自分の口座を作ってもらっていた。


「またね頼」


 侑はいつもの眩しい笑顔でアパートから旅立っていった。

 1日も経たずして手紙が送られてきたときに頼は思わず笑ってしまった。


*


 侑が教師になって半年以上経ったぐらいだろうか。手紙を読む限り侑の生活は順調そうだった。

 小学校から帰ってきた頼は鍵が掛かっていない玄関に首をかしげた。


 いつもなら鍵を開けて1人でこの家で過ごすのだが今日ばかりは違った。家のリビングには頼の母と父がいる。頼はこの家に家族が集まっていることに驚いた。そして母は頼をちらりと見やると青ざめた声で頼に伝えた。


「……侑が死にそうなんだって……。大怪我をして」


 その言葉を聞いた瞬間に頼は大きく深い落とし穴に突き落とされたような気持ちになった。なんとか侑のお下がりであるランドセルの肩紐を握りしめて衝撃に耐えた。


 両親の説明とニュース動画を見せてもらって姉が大きな事件に巻き込まれてしまったことを頼は悟った。動画は燃え盛る都市の映像が映し出し侑以外にも人が怪我をしたり亡くなっていることが報じられていた。


(学校の生徒、異能者に……きずつけられた。どうして?)


 頼は手紙の内容を思い出していた。


『がっこうのみんなはいい子でわたしもとてもたのしいです。

1人しんぱいな子がいるけどきっとだいじょうぶ。

いのうしゃもわたしたちとおなじこころをもっているから。

頼もじぶんとはちがうというだけでひとをきずつけるようなことをしてはだめだよ』



「……どうしてこんなことに……。侑がいなくなったら私達どうするの?!あの子にどれだけ手をかけてきたと思ってるの?!」


 母がヒステリックに叫んだ。頼はただ黙ってその場に立ちすくんでいた。


(こういう時どうすればいいんだろう。泣いたり騒いだりしたらめいわくになる。手のかかるこどもになっちゃう。)


「そんなこと言ってる場合じゃないだろう。今は侑のところに急ごう。」



 父は頼と母を引っ張るようにしてタクシーに乗り込むと侑が運ばれた病院へ急いだ。その間のことを頼は何一つ覚えていない。


 次に記憶のある場面は包帯でぐるぐる巻にされた侑の姿だった。その側には泣き崩れる大人の男の人もいて頼はこの人が姉の恋人であることを悟った。侑と同じようにスーツを着ている。


 変わり果てた姿に頼は言葉を失った。父も母も何か言っているが何を言ってるのか頼には分からなかった。叫び声のようでもあったし泣き声にも聞こえてそれが言葉だったどうかもわからない。


 頼の周りの音が消えた。



 頼は無音の中1人で侑であろう人物が横たわるベッドと向き合っていた。

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