第14話
テツイガグリの森の一件で、ガッキーはすっかり素直になる。
ヤンチャなのは相変わらずだったが、俺のことを『兄貴』と呼んで慕ってくれるようになった。
おかげで俺の孤児院生活は、より楽しいものとなっていく。
そんなある日のこと、キャルルは聖堂の倉庫から引っ張り出してきた、古いサインボードみたいなのを飾っていた。
そのサインボードには、大きな筆で書いたような字で、こう書かれていた。
『まずはお腹を満たしなさい、そうすれば自然と心も満たされます。
でも、お金を借りてはいけませんよ。食べられるもなんて、それこそまわりに溢れているのですから』
「なんだこれ?」と俺は尋ねる。
「これは『ばーちゃん』が書いた『教え』っしょ! おしめっしょ!」
『ばーちゃん』というのはキャルルの育ての親で、先代の聖堂主のこと。
そして『教え』というのは、その聖堂主の説教のようなものだ。
キャルルはただでさえ大きな胸をこれでもかと張り、得意気な表情で続ける。
「ハラペコだと心が荒んじゃうから、ごはんをいっぱい食べようって意味だよ!
あーしはこの教えを守って、なるべく子供たちにごはんをいっぱい食べさせるようにしてるんだ!
へへーっ、ばーちゃん、いいこと言うっしょ!?」
「ああ、そうだな」
この孤児院はかなり貧乏だというのに、キャルルはたしかに食事だけは量を用意するようにしていた。
聖堂の庭には家庭菜園があるし、食べられる草にも詳しい。
俺はそんな彼女を尊敬していた。
「あーしの夢はニワトリを飼うことなんだ!
そしたら毎日卵が食べられるようになるっしょ!? クルッポー!」
「それはハトだろ」
「あっ、ハトを食べるってのもいいかも!? 聖堂にはいっぱい来るし! クルクルクルッポー!」
両手をバタバタさせて、ハトのマネをしながら部屋中を飛び回るキャルル。
子供たちも加わって、楽しげなお遊戯が始まる。
しかしそれも、無粋な来客によって中断させられた。
「うぉほん! 聖堂主様はおるかね!?」
尋ねてきたのは、いかにも胡散臭そうなチョビヒゲオヤジだった。
撫でつけた髪の油がしたたり落ちたかのように、顔までテッカテカ。
「はーい、あーしがそうっしょ!」
諸手を挙げて応対するキャルルに、オヤジは目を丸くする。
「なんじゃ、この街の聖堂におる聖堂主はかなり若いとは聞いていたが、こんな小娘じゃったとは!
しかもなんじゃその格好は!? 聖女というより娼婦ではないか!」
この時点で俺はムカッときていたが、キャルルは気にしていない。
「いーからいーから! で、何の用なん? お祈り?」
「こんな、娼婦とみなし子だらけの聖堂でお祈りなんかしたら、逆に不幸になってしまうわ!
ワシはな、金を返してもらいに来たんじゃ!」
応接間に通されたオヤジはベスケスと名乗り、カバンから一枚の羊皮紙を取り出す。
それは借用書で、借りた側は、『バーチャン』となっていた。
「ワシはバーチャンとは古い知り合いでな、この土地に聖堂を建てる費用を用立ててやったんじゃよ。
ワシは長いことよその国で暮らしておったんじゃが、最近ここに越してきてな。
街の者たちに尋ねたらバーチャンはもう亡くなったそうじゃないか。
このままじゃ取りっぱぐれると思って、こうして取り立てにきたというわけじゃ」
借用書の金額をあらためたキャルルは、目を飛び出させんばかりに仰天する。
「ご……500万
「そうか。なら、この土地で払ってもらおうか」
「えっ? でもそんなことしたら、この聖堂と、孤児院は……?」
「なくなるに決まっとるじゃろう」
「ええーっ!? そんなの絶対ありえないっしょ!?
子供たちの住むところがなくなるなんて! なくなくなくない!?」
「そんなことワシは知らん。みなし子は橋の下にでもほっぽっておけばよいじゃろ。
でもどうしても嫌だっていうなら、ワシも鬼じゃない」
ベスケスは急にスケベな顔つきになると、ギトギトの手を伸ばしてきて、キャルルの手を撫ではじめた。
「お前さんがワシの家に来るというのなら、特別に借金は待ってやってもいい。
ワシの家で『特別手当のあるメイド』として働いて、少しずつ返すんじゃ」
『特別手当のあるメイド』……ようは『愛人』ということだ。
キャルルは見た目はギャルだが、こういう汚い大人の事情には詳しくない。
「ええっ、待ってくれるのはうれしーけど、あーしがメイドになっちゃったら、子供たちの世話は……?」
「そんなことワシは知らん。そのへんの草でも食わせておけばよいじゃろ。
さぁ、さっそく契約といこうじゃないか。こんな時のために、ワシはいつも契約書を持ち歩いておるんじゃよ」
ベスケスは嬉々として真新しい羊皮紙を取り出した。
そこにはデカデカと『愛人契約書』と書かれている。
もう隠す気ゼロだな。
「さぁ、ここにサインをして拇印を押すんじゃ。なんだったら、お前さんのボインでもよいぞ、うっしっしっし」
ベスケスに舐め回すように見られ、キャルルはブルッと身震いしていた。
「で、でも、あの……。ちょっと、考えさせてほしいんだけど……」
「ワシはもう何年も待ったんじゃ! 今ここで決めなければ、この土地は没収じゃ!」
「ええっ、そんなぁ……!」
こんなオヤジに言い寄られるのは初めてなのか、何事にも明快なはずのキャルルが戸惑っている。
彼女から助けを求めるような目ですがられ、俺はついに動いた。
指をクルリと回してスキルウインドウを開くと、あるスキルをゲットする。
そして、静かに口を開いた。
「……その借用書はニセモノだな」
すると、いままで俺には一瞥もくれなかったベスケスが、キッと睨んでくる。
「なんじゃ、小僧!? 因縁を付ける気か!? ニセモノという証拠がどこにある!?」
俺は指をピッと2本立てる。
「証拠ふたつある。まずひとつめ、うしろを見てみな」
「なんじゃとぉ?」
ベスケスがいぶかしげに背後を振り返る。
するとそこには、さきほどキャルルが出したサインボードがあった。
「そのサインボードはバーチャンが書いたものだ。
『でも、お金を借りてはいけませんよ』と書いてある。
バーチャンは借金を禁じている。そんな人物が金を借りるとは思えないんだが」
キャルルがパンと手を打ち鳴らして賛同する。
「あっ、思いだした! ばーちゃん、あーしによく言ってた!
お金の切れ目は縁起が悪いから、お金だけは借りたことがないって!」
それを言うなら『お金の切れ目は縁の切れ目』だな。
それはともかくとして、振り返ったベスケスは鼻で笑っていた。
「フン! それこそワシの知ったことか!
バーチャンがどんな信条であったとしても、金を借りたのは事実なんじゃ!
ここにある借用書が見えんのか!?」
俺はヤツの言葉に被せるように即答する。
「その借用書、ニセモノだろ」
この第2の証拠には、ベスケスとキャルルが同時にビックリしていた。
「なっ……!?」「ええええっ!?」
ベスケスはすぐに真っ赤になって激昂する。
「なっ……なにを根拠にそんなことを……!?
ニセモノだという証拠はあるのかっ!?」
「ニセモノだという証拠は筆跡だ。マネて書いてはいるが、細部や筆圧が微妙に違う」
俺は『
その結果、得られた答えは『ニセモノ』だった。
しかし、ベスケスは怒鳴り散らす。
「貴様は借用書を手に取ってもいないだろう!? そんな遠くから見てわかるわけがないっ!」
「いや、俺は『よく見える』んだよ。この距離からでもじゅうぶんだ」
「そんなわけあるかっ! 適当なことばかり抜かしておると、いくら温厚なワシでも承知せんぞ、このクソガキっ!」
赤熱したヤカンみたいな形相で睨みつけてくるベスケス。
キャルルは言葉を失っていたが、俺にはそんな脅しは通用しない。
俺はドスの効いた声で切り返す。
「……そこまで言うなら、『王国鑑定院』に筆跡鑑定を依頼してもらおうか……?」
すると真っ赤なヤカンは、氷結したようにサッと青ざめる。
「ううっ……!? な、なぜ貴様のような小僧が、筆跡鑑定なんぞを知っている……!?」
「それこそお前の知ったことじゃないだろう。
それよりも、借用書の偽造は特に罪が重いのを知ってるよなぁ……?」
俺がさっきゲットしたスキルは、『聖眼』の『
その威力を試すべく、左手で左目を覆い隠した。
……ギィィィィィーーーーーーーーーーーーーーンッ!!
途端、サイレンのような音とともに、眼光がうまれる。
スキルの対象ではないキャルルは気付いていないが、睨みつけられたベスケスは真っ赤な光に照らされ、追いつめられたカエルみたいになっていた。
「ひっ……! ひいいっ……! ひいいいいいっ……!」
脂ぎった顔を脂汗でドロドロにし、今にも溶けてしまいそう。
極寒の地に放り出されたかのように、全身はガタガタと震えている。
威圧の効果は想像以上だった。
俺が「失せろ!」と一喝しただで、
「ひっ……ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
お、おたすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
ベスケスは借用書も愛人契約書も、カバンもなにもかも放り出し、あっちこっちにぶつかりながら逃げ出す。
何度も転び、ガッキーたちにパチンコで追い立てられ、最後は聖堂の前に止まろうとしていた馬車に轢かれていた。
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