帰路の出逢い

 下宿先からホームセンターまでは徒歩十数分と近い。今までお世話になってきた所だ。


 歩き慣れた川沿いの道を行く。周りを見渡せば変わらぬ景色。汚い用水路のような川。そんな川の前に置かれたベンチ。物寂しい廃工場。個性豊かな住居。趣きのある食事処。


 まだ一年と少ししか経っていない筈が、妙に懐かしく感じる。実家を出てこの土地に一人移り住んだが、そこまで思い入れがあるわけではない。しかし、私の知らぬうちに情が写っていたのか。





 そう思考していると目当てのホームセンターに着いていた。

 スマホを取り出すとメモアプリを開き、必要な材料のリストの項目に触れる。



 煉炭

 着火剤

 ガムテープ

 マッチ



 まずは煉炭と着火剤。

 アウトドア用品の売り場に向かう。


 その時、ふと思う。

 購入するとき、店員に怪しまれないか。

 たしかサイトで使用目的を聞かれる場合もあるとか。


 そこまで考え、かぶりを振るう。

 もう後に引けないし引く気もない。

 買うしかないのだ。


 心臓の鼓動が大きくなり、胸が苦しくなるのを抑えて小分けで売っている煉炭を手に取りカゴに入れる。

 すぐ側に着火剤もあったので少し多めに取る。煉炭は燃えにくいとキャンプ初心者用のサイトで見たからだ。


 ほかの材料もカゴに入れると、いかにも『自殺』します。といったものになってしまった。


 これでは拙いと好きな炭酸飲料や緑地を入れて誤魔化す。これなら店員に聞かれても友人とキャンプをするので、と言い訳ができる。


 材料とかしましい心臓の鼓動により心持ち重くなったカゴを震える手で感じながらレジに並ぶ。前には壮年の女性が代金を支払っている。


 レジのカウンターにカゴを置くと手の震えを諌めるようにからだに抱き込む。


 静まれ……。静まれ……。静まれ……。


 念を送っているうちに私の番になっていた。

 いまだに震える手を、誤魔化しつつ隠しつつ、永遠に感じる時の中で店員の『自殺』のための材料をバーコードに通す指先を見つめ、軽快な電子音を聞くーー。




「お会計は3784円になります」


 店員の声に、さまよっていた意識を慌てて引き戻すと手間取りながら長財布を取り出し代金を支払う。


 使用目的を聞かれたりしなくてよかった。

 聞かれていたら、確実にまごまごした口調になっていただろうから。


 袋に入った材料を手に持つとそそくさと外に出る。まるで盗みでも働いてしまったか、心やましいことでも見つかったかのような感覚に苛まれたのだ。




 ホームセンターで温められたからだに冷たい外気が触れる。寒気にぶるりと身を震えさせると首を縮こませながら帰路に就く。


 少し歩みを進めると自然と手の震えは収まっていた。『自殺』のための材料を購入するという一つの関門を抜けたからか。心が少し軽くなったように思う。


 しかし、軽くなった心に流れ込んできたのは今までの思い出だった。


 友人とくだらないことで笑い合ったこと。

 何時間も通話したこと。

 一緒に旅行をしたこと。

 家族で食卓を囲んだこと。

 人生で一番美味しかった母の手料理。

 優しい母。

 尊敬できる父。

 一緒に巫山戯あった妹。

 旅行に何回も連れていってくれたこと。

 おばあちゃん子だった私とよく遊んでくれた優しい祖母。

 おじいちゃん子でもあった私を可愛がってくれた祖父。


 どれもこんな私と関わってくれた人達との思い出ばっかりが浮かんでは消え浮かんでは消えを頭の中で繰り返される。


 からだの内側から込み上げてくる熱いモノが全身に行き渡っていく。今度は震えではなく痺れが襲ってくる。


 っっーと何かが下に流れる感触が頬に伝わる。

 そっと痺れる指先でなぞると濡れている。

 するとまた零れ落ちてくる。


 ーー私は泣いている。


 涙が溢れてくる。何度拭っても止まることなく頬を濡らす。寒いはずなのに顔もからだもじんわりとした熱で包まれる。



 私は通行人に見られないように駆け足で川の目の前にある、あまり人が来ないベンチに向かうと、材料の入った袋を抱え込み蹲るように座り込む。


 ぽとっぽとっと涙が袋に落ちる音を聞きながら嗚咽を漏らす。



『自殺』すれば会うことはもうない人達。

 たしかに会えなくなるのは少し淋しいが『自殺』をやめようとは思わない。

 それに、私に涙を溢れさせたモノは『自殺』をしたくない思いではなく、思い出という温かいモノだった。

 私と関わった人達との温かい思い出。涙はもう会えなくなるという淋しさではなく、これまでの温かい思い出によって溢れ出たものだった。けっして悲しい涙ではない。随喜の涙だったのだ。


 温かい思い出に包まれながら死ねるならこんなに良いことはない。


 涙が止まることはなかったがこれはこれでいいものだ。重苦しい心が涙と一緒に流されていく感覚になる。このまま流れに身を任せたいと思った時、





「ねえ、なんで泣いているの?」





 鈴を転がすような声にどきりと心臓を跳ねさせながら声がした方向に顔を向けると、ベンチの後ろから私の顔の横にこちらを覗き込むようにしている眉目秀麗な顔があった。


 涙は驚きとともに止まってしまった……。


「あっ……えっと……」


 突然のことで狼狽え、無様な様子になってしまう。それでも視線は覗き込んでくる顔に釘付けになる。


 黒い絹のような髪は傾けられた顔に沿って流れ、興味深そうに見つめる綺麗な瞳は私の顔を写している。


「なんで?」


 全てを魅了するような顔立ちに思わず見惚れてしまい問に答えられないでいると、さらに追及してくる。


「なんでもないです……。気にしないでください……」


 私は同性愛者であるが勿論誰でもいい訳ではないと思いつつも、目の前の綺麗な女性に頬を紅く染めるながら、なんとか言葉を返す。当たり障りのない返答。そもそも話し掛けられると思っていなかったため、問い掛けられた言葉への返答を持ち合わせていなかった。


「えー、いいじゃん。教えてよ」


「嫌です。放っておいてください」


「もう。つれないなぁ。別に教えてくれてもいいじゃん」


「何なんですか、貴女は」


 何度拒否してもその都度聞いてくる。遂には私の隣りに腰掛けながら言い寄ってくる。その様子にうざったらしく感じ、人一人分遠ざかる。


 今日初めて出逢ったばかりの赤の他人のくせに人のパーソナルスペースに無断で入ろうとしてくる隣りの綺麗な人物に苛立ちを覚える。いくら顔が良かったとしても私の意志を無視して詰め寄られると気分のいいものではない。


 しかも、興味深そうな顔をしながら、その微笑みは外面に貼り付けた仮面のように思える。それがまた私の苛立ちを捲し立てる。私のことを見ているようでどこか虚空を見つめる瞳のくせに。口だけは耳障りのいい声音を発している。



 私は自分が思っていた以上に憤っていたらしい。感情が籠っているのかいないのか、あやふやな雰囲気を醸し出す女性に。


 この仮面を被った顔の内側を見たい。仮面ではない本来の顔を見たい。いや、剥がしてやりたい。すました顔を歪ませて外面ではない内面を覗いてやる。


 醜い卑しい感情がどろりと私を支配する。

 私の全てを曝け出してやろうと。


 視線を汚い川に移しながら、半ばやけくそ気味に心を吐き出していく。


 私の醜さ。

 今までの迷惑を掛けてきたこと。

 生きている価値のない人間。

 これ以上迷惑を掛けないため消えること。

 同性愛者であること。

『自殺』するという固い意志。

 涙を流したわけ。

 人生で関わってくれた人達との思い出。


 言葉を吐き出し続けながら視線の先の汚い川に想いを馳せる。相変わらず汚い川で河底は見えず、青みがかった乳白色をしている。

 この汚い川は嫌いだったがよく考えてみたら同族嫌悪だったのかもしれない。私の醜い心と濁った水は似ている。

 初めて仲間意識が湧き、自嘲気味に鼻を鳴らす。


 全てを曝け出し終わると視線を川から隣りのいけ好かない女性に戻す。


 私の醜さに顔を歪めているのか。嫌悪感を露にしているのか。同性愛者ということで距離を置こうとしているか。または、『自殺』に対してなにか言ってくるのか。


 しかし、私の想像していた顔とは全く違った。驚いたような顔をしながら私の視線に気づくと、堪えきれないといった様子で笑い始めた。その顔は仮面のような笑顔ではなく心の底から出た笑顔。先程までのすました顔ではない。不思議と苛立ちを覚えるような笑顔ではなかった。


「あはは。ひねくれてるねぇ。面白い人だなぁ」


 訂正する。やっぱり苛立ちを覚える。人がこんなにも悩んでいたことを面白いと一笑に付しやがった。


「自分から聞いてきておいて……。その言葉は酷いと思うのですが」


 少しというか多分に怒気を込めてそう言い返す。


「ごめんごめん。怒らないでよ。ただ想像したことと違ったから」


 心にも無い謝罪を吐き、目尻に涙を浮かべている。やっぱり気に食わない。


「なにがですか」


「いやー、どうせ失恋か悲しいことでもあったのかなって思って声を掛けたら嬉し泣きだったからさ」


「嬉し泣きで悪かったですね。期待していたのと違って」


「だから怒らないでよー」


「はぁ……もういいですか。私は帰ります」


 もうこれ以上話すのは無駄だ。堂々巡りするだけだ。と、ベンチを立とうとすると手を掴まれてしまう。


「もうちょっとお話しようよー。どうせ暇でしょ?」


「たしかに特にすることはないですが……」


「ならいいじゃん。どうせなら私の話も聞いてよ」


 図々しすぎる。勝手に向こうから話し掛けてきて人を苛立たせて、話をしたらしたで笑われ、さらには私の話を聞けときた。


「興味はないので帰らせてください」


「いいからいいから」


 手を振り払おうとするが、どこからその力が湧いているのか腕が万力に掴まれたかのように動かない。梃子でも帰さないという意志を感じ諦める。


「分かりました……。どうぞ」


「ありがとー。私ってさーー」


 今度は隣りの女性の感情の吐露が始まる。



 自分は中身がないということ。

 親に植えつけられたモノしか分からない。

 自分自身が分からない。


 親の望む理想像に振り回され、自分自身を形作る経験がなかったために、自らの意志が理想像のモノしかない。つまりは外面の理想像しか自分にはない。ということらしい。今までの私の感じた印象は当たっていたが違ったことがあった。そもそもが女性の中では、私が見た印象の仮面を貼り付けた笑顔しかなかったのだ。


 親の理想像により、人当たりがよく笑顔を絶やさない人格になったことで周りにはいい印象を持たれていたこと。

 親に創られた人格によって言い寄ってくる人が多かった。さらには顔も良かったため拍車がかかった。

 まぁ、自分で顔が良いと言っているが実際に良いので何も言えなかった……。

 しかし時が経つにつれ、言い寄ってくる人達の思惑がどれも似たようなものばかり。告白、興味本位、利用価値のあるやつ、下心……それらばかりで辟易していたこと。

 私からしたら羨ましい限りだがそれは本人ので思うところ。他人が干渉してはいけない。



 自分自身のことも分からず、親に創られた人格に寄ってくる人々。そんな毎日にとうとう嫌気がさして、この日に散歩に出かけたところ私を見つけたという。


「まぁ、というわけなの。そしたら今までされなかった反応が初めてでちょっと嬉しくてさ」


 そう言って微笑む笑顔は仮面などではなく女性本来のものに感じる。女性の仮面ではない笑顔と虚空ではなく私を見つめる瞳に私の顔が熱くなってしまい、頬を紅く染める。


「それにさ。ちょっと羨ましかったんだよね。どんなに捻くれていても醜くても自分のことが分かっているのが」


 私は分からないからさ、と自嘲気味に言う彼女の笑顔はどこか哀愁を誘う。


「分からないかもしれませんが、今の貴女の笑顔は創られたものではないと思いますよ」


 思わず前のめりになりながらそう返す。

自分が分からないと言う彼女に、少しでも外面ではない笑顔を今浮かべていることを伝えたくなってしまった。


「そう、かな……。あはは。それならいいなぁ」


驚いた顔をしたあと、照れくさそうに微笑む顔に慌て体を戻すと恥ずかしさで視線を逸らす。


「ふふ。散歩に出て良かったよ。君に会えたし」


「そうですか……。なら良かったです……」


「ねえ、せっかくだしさ。名前教えてよ。私は萩原 玲香」


「小泉 雛です……」


「雛ちゃんね。連絡先も交換しよ」


 それからはあれよあれよという間に連絡先まで交換してしまった。どうしてこうなったと自問自答するが不思議と嫌という気持ちはなかった。お互いに全てを曝け出したためか。


「そうだ、どうせならこれから一緒に暮らさない?」


「えっ……?」


「本来の私の一部を見つけてくれた雛ちゃんとなら、もっと私自身のことも知れそうだし。それに私もこの世に思い残すこともないから一緒に暮らして、それから心中しよ」


 思いがけない言葉に戸惑う。

しかし咄嗟に私の口から出た言葉は、


「じゃ、じゃあ玲香さん。私の部屋に来ますか……?」


 そんなことを宣っていた。

誰かと一緒に死ぬことなんて考えていなかった。一人で静かに死のうと思っていたのだから。ただ、少し嬉しくも感じてしまった。一緒に死んでくれる相手がいるというのは心強いものだ。それもお互いのことを詳しく知っているわけではないが、自分の考えや感情は吐き出してしまっている。


「うん。行く行くー」


「で、では行きましょうか……」


 そそくさと立ち上がると玲香さんも立ち上がる。


 気づくと重く感じた袋も心做しか軽く感じる。心も驚くほど軽い。やはり強がってはいたが結局のところ理解者が欲しかったのではないかと思ってしまう。まぁ、もうどうでもいいことだ。




 こうして私と玲香さんの心中するまでの奇妙な同居生活が始まるーー。






























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死を貴女と分かち合う せいこう @masa229638

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