08-04




「話、聞いてますか?」


 緑色のフェンスの向こうで、桜の花びらが散っていた。

 春も終わるのか、と俺は思った。道路に散らばった花びらが、絨毯みたいに見えた。


 風が木々揺らす。ざわめき。世界中が静けさに包まれている気がした。


「何の話だったっけ?」


 と俺は真剣に問い返す。ふと気付くと物思いにふけっていて、人の話を聞かないことが多くある。

 あんまりコミュニケーションは得意じゃない。それでも自分なりに、うまくやろうとしているのだが。


「もういいです」


 と彼女は拗ねたように言う。彼女が敬語を使うようになったのは入学してからすぐだった。

 こそばゆい、といっても、やめてもらえなかった。そのうち慣れるのだろうが、今はなんだかくすぐったい。


 俺と彼女は、例の切り株に腰かけて、昼食を共にしている。昼休み。


 俺は今、間違いなく幸せだった。 

 けれど思う。この土の下には、あの手首が埋まっているのだ。

 俺たちはあの手首の上に座っているのだ。死の上に立っているのだ、と。

 

 誰が忘れても、俺だけはそのことを忘れてはいけないのだ。


 後輩は溜め息をついて、呆れたように言う。


「もう、やめたくなりましたか?」


「何を?」


 彼女はじとっとした視線をこちらに向けた。


「また逃げちゃうのかと思って」


「また」、と彼女は強調した。


 俺は笑う。


「大丈夫だよ」と俺は言った。


「何の問題もないんだ」


 心からの言葉だった。こんなにもするりと言葉が出てきたのは、いつぶりだろう。

 妹の声が聞こえた。こちらに駆け寄ってくる。


 耳の奥の啜り泣きは未だに鳴り止まないけれど、少しずつ回数も時間も減っていった。


 風が吹く。桜の花びらが舞う。

 春が終わるのだ、と俺は思った。


 そうして、また夏が来るのだ。





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キアスマスリポート へーるしゃむ @195547sc

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