08-02


 

 俺の周囲に友人と呼べる人間はひとりもいない。

 いない。本当にいない。

 シラノとは一度も話していないが、どうも彼女も俺の方を意識しているふうであるので、そのうち話す機会もあるかと思っている。

 

 彼女がどういう決着を選んだのかは分からない。ひょっとしたら、彼女と話すことは二度とないかもしれない。

 けれど、彼女の心境にも変化が訪れていたことは分かっている。

(そもそも俺は、"以前"の彼女について何もしらないのだけれど)


 いずれにせよ、あの場所は俺以外の人間にも変化をもたらしていた。そのことを俺はあらかじめ知っていた。

 

 黒スーツは例の児童公園で俺と会って、言った。


「悪夢だったね」


 彼は楽しそうに笑う。


「醒めてよかったね」


「まったくだ」


「どうしてこんなことになったんだろう?」


「さあな」


 彼は笑う。俺は少しだけ楽しくなった。少し冷たい風が吹いて、夏の残照をさらっていく。

 風は少しずつ冷たくなっていく。木枯らしが落ち葉を空に誘う。


「ねえ、アンタはさ、まだ、例の……」


「なに?」


「だから、最初に言ってたろ。……殺してもらうつもりだって」


 ああ、と彼は頷いて、アタッシュケースを叩いた。


「ま、そうな。とりあえずは、それが目的だったから」


「じゃあ――」


「いや、まぁ聞けよ。とりあえずな。って言っても、聞いてもらうほど言うことなんてないんだが」


 彼はベンチに座ったまま深く溜め息をついて、空を見上げた。高い空だった。

 天高く馬肥ゆる秋。正しく秋だ。もう夏は終わった。


「探してた奴を、やっぱり探すよ。ま、でも、そう。うん。目的はちょっと違う」


「どう違うの?」


「ナイショ」


「気持ち悪い」


 彼は笑った。


「お前にも分かるさ。歳をとっても、人間、そんなに変わらないってな」


「前言ってたことと、違わない?」


「おんなじさ。結局な」


 彼は呟いて、息を吐く。長い溜め息だった。どことなく嬉しそうな溜め息だった。

 俺は人がこんなふうに楽しそうに溜め息を吐くのを見たことがない。

 

「それと、"アンタ"はないだろ、坊主」


「"坊主"はないだろ、オッサン」


 そして俺たちは別れた。





 ハカセは二週間ほど学校に来なかった。

 彼が何を考えていたのか、俺は知らない。

 二週間後の金曜(正確に言えば土曜)の深夜二時、彼は俺の部屋にやってきた。

 

 俺が玄関口に出ると、彼は少し憔悴したような表情で(けれど瞳にはたしかな光をたたえて)立っていた。


「よう」


 と彼は言う。「ああ」と俺は頷く。こいつも帰ってきたのだ、と俺は思った。


「俺はやるぞ」

 

 と彼は言った。


「何を?」


「知らんけど」


 知らんのか、と俺はあくびをした。


「なんか、やる。こう、すっげえことを」


 まあ、好きなことをすればいい。どうせ俺たちはあらかじめ悪者なんだから。

 せいぜい自分勝手にやるといい。


 それ以来ハカセとは、ほとんど会話していない。

 でも、ときどき彼のことを思い出す。そういう存在なのだ。






 ある平日の夕方、俺が部屋で昼寝から目覚めると、不意に携帯のコール音が鳴り響いた。

 電話に出ると、その声は小さくてまったく聞き取れない。


「聞こえない!」と怒鳴り返す。何度もそれを繰り返していると、電話が切れた。


 着信履歴をのぞくと、どうやら妹からだったらしい。


 帰ってきた妹は、俺が大声を出したのがいやだったのか、ひどく不機嫌だった。

 携帯が不調らしいというと、調子を確かめるために協力してくれた。


 俺は一階のリビングにいた。妹は二階の自室にいった。電話を掛ける。ワンコールで出る。

 やはり音声が聞こえない。「え?」と俺は大声で訊き返す。妹は通話を切る。


 戻ってきた妹は涙目で俺を睨んだ。大声を出されたのが相当いやだったらしい。

 どうやら、携帯が壊れていたようだ。


 ――ひょっとしたら、と俺は思った。


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