08-01


 最後にスズメは少しだけ泣いているように見えた。

 俺はしばらくの間、何もない空間をさまよう。何もない空間をさまよっているような気がした。


 いつのまにそうなっていたかは分からないが、ただよっていたのだ。


 ふと気付くと、意識が戻っていた。

 つまり俺は意識を失っていたらしい。

 それがいつからなのかはわからない。本当にふと気が付くと、俺は目を覚ましていた。


 それまで見てきたすべてのことが、呆気なく"夢"になる。"現実"ではなくなる。当たり前だ。

 長い夢を見ていたのだ。今はそのことがはっきりと分かる。その内容は克明に覚えていたけれど、それでもさっきまでの現実感は失われていた。


 戻ったのだ。現実に。


 体がひどく重い。頭がズキズキと痛む。

 視界はぼやけていたが、ここがどこだか、なんとなくわかった。見覚えのある場所。

 

 なんだかわからないが、白っぽい服をきた壮年の男と、白っぽい服をきた若い何人かの女がいた。 

 医者と看護婦(看護師というのだったか)、だ。


 俺は苦笑する。

 ふと、誰かが俺の手を握っていることに気付いた。

 それが誰なのか、俺には見ないでも分かった。彼女の啜り泣きが聞こえる。


 その意味は、これまでとはまったく異なっていた。


 なるほど、と俺は思う。

 走馬灯だったのか。


 薬――毒、は吐き出したらしい。

 頭はすっきりとしている。


 俺は目をさましたのだ。

 きっかけもなく、唐突に。

 けれど――もともと、きっかけもなく入り込んだのだから、出るためにきっかけもいらないだろう。


「泣くなよ」と俺は言った。

 妹は首をぶんぶん振って、俺の腹に顔を摺り寄せた。


「ごめんな」


 言葉はやっぱり、白々しかったかもしれない。でも、嘘じゃない。


「もう、大丈夫だから」


 戻ってこれた。無事に。

 誰もが祝福してくれなかったとしても、俺だけはそのことを祝福したい。

 俺は、元いた場所に戻ることができたのだ。





 九月十一日、俺は退院した。 

 




 説明づけるべきことは、目を覚ました今でも何ひとつ存在しないように思える。

 何もかもが既に語られているからだ。

 

 俺のこと、啜り泣きの主、幼馴染について、ハカセのこと、シラノとヤガタと黒スーツに関して。


 俺が付け加えられる情報はない。俺は彼らではないから、詳しいことは知らない。


 けれど、現実に存在した人物について、その後の話を付け加えることはできる。


 どんなふうにとらえられても仕方ない。俺はそのことだけを話す。


 説明は一切付け加える必要がない。"必要がない"。このニュアンスは誰かに伝わるだろうか。

 これが最後になる。本当に最後になる。俺はさまざまな人間と別れ、まったく孤独な場所に躍り出た。

 そこには誰もいない。と、俺は思っていたが、どうやらそうでもないらしい。


 現実の話をしよう。 



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