07-02
校舎に入る。靴を履きかえる。廊下を歩き、階段を昇る。窓の外から西日が差している。
俺は視界に滲む夕焼けについて考えた。誰かとこんな景色を一緒に見たことがある気がする。
いや、あるのだろう。咄嗟には思い出せないだけで。
そんなことがこれまでいくらでもあった。これからもいくらでもある。
少なくとも、一年に三百六十五回はその機会があるのだから、きっと。
今日にでも死なないかぎりは。
屋上への鉄扉を押し開く。この場所に何度来ただろう。
閉ざされかつ開かれている場所。
ようするにここが扉なのだ。
スズメは俺を見て、少しだけ寂しそうに笑った。彼女の顔に感情がうつっているのは初めて見る気がした。
「大丈夫?」
と彼女は言った。
「大丈夫」と俺は答える。
「何の問題もないよ」
それは少しだけ嘘だった。本当のところ恐ろしかった。
ひょっとしたら悲観的な想像よりもよっぽど恐ろしい現実が待ち受けているかもしれない。
俺はそれにしっかりと立ち向かっていく自信がなかった。
けれど、甘ったれているわけにはいかない。後輩が言ったように。
俺は、そうやって強がりを続けることでしか自分を保てない人間なのだ。
「ありがとう」
とスズメは言う。
「なにが?」
「来てくれて」
俺には彼女の言いたいことがわからなかった。
「ずっと待ってた」
彼女は笑った。夕陽を背にした彼女の姿は、逆光で真黒に塗りつぶされて見える。
それは美しい光景だった。世界の終わりはきっとこんな具合なのだろう。
思ってから、たしかに今が、世界の終わりなのだと納得した。
彼女はずっとここで待っていたのだろうか。
それともこれは、俺が見ている都合の良い妄想なのだろうか。
妄想なのかもしれない。こんなにも綺麗な景色なら、それでもかまわない。
俺が足を踏み出すと、彼女は怯えたように後ずさった。かまわずに近づいていくと、やっぱり彼女は距離を取る。
俺は苦笑した。まるで捨て猫の相手でもしているような気分だった。
正体不明の怪物のように感じていた彼女が、ただのひとりの人間に見えてくる。
「いまさらかもしれない」
そう、俺は声を掛けた。
「もう、愛想つかされても仕方ないくらい、ほったらかしにしてきたかもしれない。
何かができるなら、何だってしてやる。偉そうに何かを言う資格なんて、俺にはないかもしれない。
でも、まだ、これからがあるんだって思いたい。何かができるんだって、信じたい。
だから、もう、そんなふうに、ひとりきりで泣かないでくれ」
俺はまだ混乱している。
俺はまだ多くのことを忘れている。
ひょっとしたらこれから思い出すこともないかもしれない。
けれどもういいのだ。
そう俺は自己完結する。
受け入れる。起こったこと、消し去りたかったこと、悲しかったこと、痛かったこと、楽しかったこと、全部を。
受け入れるということは諦めるということによく似ている。
俺は諦める。そうすることでしか手に入らないものがある。
なんとしても俺が止めなくてはならない啜り泣き。
なんとしても俺が戻らなくてはならない場所。
本当のところを言ってしまえばそんなものはないのだけれど……ないと思うのは悲しいから、あると思うことにする。
その程度の変化でかまわない。
俺は完結する。
ひとりで完結する。
何ら解決をもたらさない。
完結する。
人の話に耳を貸さない。
他人のことなんて考えない。
許す。受け入れる。
この場所を出る。たとえ誰が望んでいなくても。
どんなに矛盾していて、滑稽で、馬鹿げていて、意味不明で、話が繋がっていなくて、混線していても。
おそらくは、その問題すら、この場所を出ないかぎりは解決できないものなのだ。
大袈裟な決意はいらないし、たいした決断でもない。
ただ、ドアを少し開けて、そこから外の光景を覗き見るように。
こう言い換えてもいい。
何が起こるかは分からないし、何が待っているかもわからないけど――"とりあえず"、外に出る。
その程度の覚悟でいい。近所の公園に行くように気安げでいい。
手を伸ばす。それはまったく難しいことではない。
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