05-08
何も怖くない。
もっと言えば、今となっては、何も起こっていないのと同じだ。
ここが現実でないならば、どんなことも。
どうしてスズメの言葉をこんなに単純に信じたのだろう。
俺は、彼女に対して可能な限り正直であろうと思っている。
なぜかは分からないけれど、何かにそう強いられているような気もする。
シラノは死んでいない。トンボはいない。ハカセはどこかに行った。後輩は存在しない。
もうそばには誰もいなかった。
いや、最初から誰もいなかったのかもしれない。
俺は溜め息をつく。ティアの声が聞こえた。
鈴の音のように響く声。俺の脳に直接入り込むような声。
「大丈夫よ」
俺は今どこにいるのだろうか。
何も思い出せない。
さまざまなことがあまりにも露骨に示されている。
にも関わらず、俺はそれに気付けない。気付かないふりをしている。
けれどおそらく、この世界が隠していることは、誰にとっても分かりきったことなのだ。
種明かしが遅いミステリーは退屈でしかないように。
過剰な情報に対して見合った解決をもたらさない問題も退屈だ。
もはや何もかも分かりきっている。
◇
黒スーツの男の死体は児童公園に転がっていた。
彼のアタッシュケースはどこかに行ってしまったらしい。少なくともこの場には残っていなかった。
殺し屋の彼が、誰かを殺すことによって得た金。彼はその金で自分の死を買おうとした。
彼が金を払って殺してもらったのか、殺されて金を奪われたのかは分からない。
いずれにせよ黒スーツは死んでいたし、そのことには、もはや何の意味もない。
なぜならここは現実ではないからだ。
最初から現実ではなかったからだ。
死が陳腐になっていく。
意味が失われていく。
だがそれは"ここ"での話だ。
現実じゃない。
そんな場所で何かが起こって、どうなるっていうんだろう。
俺の中の現実感はとうに失われている。
目の前にはいくつかの死が転がっていた。
黒スーツの死、シラノの死、女の死、トンボの死、みんな死んでいく。
何の区別もつかない。どこにも誰もいない。
もしこの世界が夢だとすると、スズメの言葉も夢だということになる。
つまりこの世界が現実ではないとするスズメの言葉を信じる理由がない。
あるひとつの事柄が明かされると、必ずと言っていいほどその事柄を否定する言葉が立ち現れる。反復。ブーメラン的否定。
かつて死は甘美な幻想だった。そこにある種の救いを見出すことは可能だった。
だが今となっては死すらも平坦だった。俺の現実はどんどんと何か別のものに浸食されている。
そうか、と俺は納得する。俺はついに溺れたのだ。熱砂に沈んだのだ。
だからこんな愚にもつかぬ考え事に熱中している。そこにのみ俺の救いがあった。それ以外はゴミみたいなものだった。
ティア、俺は現実なんてもう二度と見ない。わけがわからないままでいよう。それでいいんだろう?
何もかもから目を逸らしていよう。どうせこの街に本当のものなんて何ひとつないんだ。これでいいだろう?
第一、仮にこれが夢だったとして、俺はもう二度と覚醒することが不可能なのだ。
だって、こんな現実めいた夢のあとでは、現実ですら夢のように感じてしまう。
俺はもう二度と目の前の現実を信頼することができなくなってしまった。
眠っていよう。眠るべきだ。誰がなんと言おうと。本当に? 本当に。
目の前の死が陳腐で無価値であるということは、同時に目の前の現実が途方もなく無意味だということだ。
いつからこんなことになったんだろう。いつから俺の現実は無価値になってしまったのだろう?
最初から。
頭がずきずきと痛む。
俺はまだ何かを忘れている。何かを思い出せていない。
俺は必要とされていない人間だ。目を覚まさなくてもかまわないはずの人間だ。俺は……無価値な人間だ。
誰にとっても等しく。
……本当に?
行きつ戻りつの話が混乱をもたらすように。
俺の思考は論理的に機能していないのに。
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