04-06




 俺は思い出せるかぎりの記憶を遡り、"日常"と名付けられる場面と"非日常"との間を区切ることにした。


 まっさきに思い浮かぶのは、あの手紙。今となってはあの手紙の内容もなんだか白々しく感じる。

 "女神ガラテア"の力によって封印された"魔神カリオストロ"の復活。

 それを防ぐために、"半神の身になった英雄の魂"の生まれ変わりである俺の協力が必要だという。

 

 あの手紙はティアからのものだったはずだ。……そういえば、ティアの姿はしばらく見ていない。


 俺は目の前に現れたものはすべて"現実"として扱うことにしていた。

 だからティアという妖精の存在を疑うことなく認めたのだ。


 ――それならば、なぜ"現実として扱ったか"についても考えておくべきだろう。


 俺の身には、六月の半ば頃から奇妙な"ズレ"が起こっていた。

 過去とも未来ともつかない奇妙な時間に、俺は巻き込まれてしまっていた。

 その光景は、白昼夢と呼ぶにはあまりに生々しい感触を伴っていた。

「これを現実でないことにしたら、何が現実なのか分からなくなる」と思い、俺はそのすべてを現実として扱うことにしたのだ。


 目の前に起こったことはすべて現実として受け止めていた。夢と現実、妄想と現実の区別は、俺にはとうに曖昧だった。


 ティアからの手紙を受け取った直後、「殺し屋」を自称する黒スーツの男に出会う。

 大金の入ったアタッシュケースを持ち歩いている怪しげな男だった。

 

 彼の言っていることが本当かどうかという点に、俺は興味がなかった。


 彼が嘘をついているとしても俺に害はなかったし、彼が本当のことを言っているとしても俺に害はなかったからだ。


 実際問題、彼の存在はあまり関係がないだろう。

「殺し屋」という職業はたしかに非日常だが、それはいま探している「非日常」とは形が違う。

 

 次に、幼馴染の存在。


 俺はあのとき、夢と現実との区別を求めていなかった。

 だから気付かなかったのだが……よくよく思い返してみれば"幼馴染は俺が小学生の頃に転校したはずだ"。

 彼女はこの街からいなくなった。"彼女はあんな場所にいるはずがなかったのだ"。


"いるはずのない場所にいる人間"という言い方をすれば他にも心当たりがあるが……これは保留にしよう。

 まずは時系列にそって話をまとめていかなくては。


 幼馴染と出会って以降は、新しい異変はしばらく起こらなかった。


 大男が少女と話すのを見かけたり、"ズレ"たり。

 あとは……後輩の家の位置だとか、日付だとか、そういった単純なことが記憶から抜け落ちることが多かった。

 まるで、同じ一日を永遠に繰り返しているような、平坦な日常を送っている気がした。


 そして、手紙が来てから三日後、ティアは俺の前に姿をあらわした。

 

 ティアが現れたその日のうちか翌日だったかは思い出せないが、ここで大きな変化が起こる。

 正体不明の上級生の出現だ。


 彼女は俺を何かに誘ったが、その内容は聞き取れなかった。

 いま思って見れば、彼女は文芸部の部長であるのだから、"文芸部の方に顔を出さないのか"と訊ねたのだろう。

 たったそれだけのことが、なぜ、俺にはしっかりと聞き取れなかったのか?


 更に、彼女の言葉を聞いて混乱する俺に向かって、ティアは「カリオストロ!」と叫んだ。


 前後の状況を踏まえれば、あのとき俺が聞き取れなかったのはカリオストロの影響なのだろう。

 カリオストロ――あの男についても、分からないことが多い。いま考えるのはよそう。


 そして実際、カリオストロの使役する(らしい)黒犬が俺を追いかけた。

 児童公園に逃げ込んだ俺が見たのは、その爪牙に傷つき倒れ伏す大男の姿だった。


 今思えば、なぜ彼らはあの大男を狙ったのだろう。

 ――いや。


 彼は少女を庇っていたから、ひょっとして狙われたのは、あの女の子の方だったのか?


 黒犬は全部で四匹。俺を追いかけてきたのが何匹かは忘れたが、大男を狙ったのもそのうちの一匹だったのだろう。

 俺はその場で怒りに身を任せ、黒犬を追い払った。

 考えてみれば、あれほどの大男をあんなふうに傷つけた犬を、よく撃退できたものだ。


 そして、次に目を覚ましたとき、俺は"魔法使い"の事務所にいた。

 彼女が本当に魔法使いなのかどうかはさておくとして、彼女はたしかに大男の怪我を治して見せた。

 俺はあのときの大男の姿を思い出す。――どう考えても、医者でもない人間が治せるレベルの怪我じゃなかった。

 

 彼女が医者崩れか何かなのかもしれないが、それでも処置に使えそうな道具を持っているようには見えなかった。

 とりあえずのところ害はないので、彼女は「魔法使い」ということにしておこう。

 そして彼女自身の言葉を信じるなら、彼女はこのさまざまな変化には無関係の場所に立っている。

 

「神の境地」と彼女は言った。実際、何かを知っていそうではあるが、高見の見物というような雰囲気が滲んでいる。

 ……あの女のことは考えても分かりそうにない。とりあえずは、無視してしまおう。

 

 次は――そうだ、これはある意味、いちばん最初に起こったことだとも言えるが、噂の話だ。


 例の怪談。"冥界"の鏡の話。あれを流したのは"俺"だという話が、突然出てきたのだ。

 ちょうど、人々の姿が消えはじめたのと同じ時期だった。


 冷静になって思い返してみれば、噂を広めた心当たりはまったくない。

 だが、そのときの俺は"原因は俺にある"と感じた。確信すら抱いていた。 


 これはなぜなのだろう?


 そういえば、ハカセが「怪談について調べてみよう」と言ったのは、ティアの手紙が来るよりも前の話だ。

 ハカセはあのとき、こう語った。


『わからない。でも、なんだかそういうことを考えていた。これは確かめるべき事柄なんだ』


"確かめるべき事柄"。 


 ハカセの言葉は要領を得なかったが、結局、俺以外の皆はその場で彼の思いつきに参加し、のちに俺も加わることになった。


 そうして旧校舎を調べることになった。鏡は何の変哲もなかった。

 だが、その日からトンボは姿を見せていない。シンプルに考えれば、彼は"冥界"に呑まれたということになる。


 俺はトンボの行方を確認していない。

 だが、シラノやハカセが「トンボがいなくなったこと」を重大に受け止めていたことを考えると、家にも帰っていないことは確認したのだろう。


 次に旧校舎に調査に行くと、今度は後輩がいなくなった。

 その日から、変化は急激にあらわれはじめる。


 まず俺は、俺自身が知らないはずの「シラノ」のこと、「トンボ」のこと、「ハカセ」のことについて知ることになる。

 これはあの"ズレ"と同じようなものなのだろう。まだ説明はつけられそうにない。


 同時期にティアが姿を消し、少女は俺のことを忘れた。さらに、いつの間にか「文芸部」に所属していたことになっていた。

 これが俺の身にあらわれた変化だ。

 

 どの話をさして言ったのかは分からないが、スズメはこの頃、「いつまで茶番を続けるつもり?」と言った。


 彼女には"茶番"に見える何かがあったということだろう。

 あのスズメという少女の存在についても……考えてみるべきなのだろう、本来ならば。

 彼女はまるでただの人間ではなく、神か悪魔か何かのように、俺のことを見下ろしているように感じる。


 ――だがそれゆえに、彼女のことを考えるにはとっかかりがない。スズメのことは置いておこう。


 トンボと後輩が消えたことで、ハカセは調査を中止しようと決めた。それ以来、彼らとはろくに顔を合わせていない。

 

 そして、俺は病室の夢を見るようになった。

 自分はベッドに眠っている。その傍から、カリオストロが呼びかけてくる。それだけの夢。


 黒スーツの男に会えば、彼もまた俺のことを忘れていた。


 そしてそれから、後輩と会うことになる。


 ここで、彼女と俺たちとの認識の違いが浮き彫りになった。


 俺たちは、"トンボ"と"後輩"が消えたと考えていた。

 だが彼女の視点では、"トンボ"と"俺たち"が消えたように見えていたのだ。


 最初は受け入れがたいと思っていたが、彼女の視点は俺に一つの仮説をもたらした。


 つまり、本当に、あの日消えたのは彼女ではなく、俺たちの方だったのではないか、と。


 ひとまず、大雑把に、近頃起こった変化を、おおまかに区別する。


"俺についての変化"…………A

"カリオストロ、ガラテア、ティアについての変化"…………B

"黒スーツ、少女、自然科学部員についての変化"…………C

"この街全体についての変化"…………D


 まっさきに考えるべきなのは"C"だ。

 

 黒スーツの大男、赤いランドセルの少女は、ティアが現れる以前に俺と顔を合わせている。

 だが、彼らは俺のことを忘れた。それがいつ起こったものかといえば、"後輩がいなくなってから"なのだ。

 

 同時に、"D"……一度は人の姿が減り、様子を変えたこの街が、いつのまにか元通りになっている。

 それもたしか、"後輩がいなくなってから"だ。


 それを考えると、"後輩がいなくなった"タイミングというのが、おそらく変化が起こったタイミングなのだ。


 ここから発想すると、

 

「少女や大男が俺のことを忘れた」


 というよりは、


「あのふたりは俺と会ったことがない」


 と考える方が話が分かりやすくなる。

 

 つまり、あの日"鏡"に飲み込まれ、"冥界"にやってきたのは、俺たち三人の方だったということだ。

 俺たちが現実だと信じていたこの世界は、あの日以来"冥界"だったのだ。


 酷似したふたつの世界が存在し、俺たちはあの日を境に"冥界"にきていた。

"冥界"という響きにおどろおどろしいものを感じていたせいか、"冥界"が"現実"と酷似している可能性には思い当らなかった。


 もちろんこれだとおかしい部分がある。トンボの存在だ。

 仮にトンボもあの鏡に呑まれたとすれば、こちら側にトンボがいないのは不自然だ。


 だが、後輩がいた世界にもまた、トンボはいなかったらしい。そのことについては保留するべきだろう。


 こう考えると、後輩は少し遅れて"冥界"にやってきたことになる。

 となると、彼女の家がなくなった理由も簡単に説明できる。


 彼女と再会できたのは、「彼女が鏡の中から現実に戻ってきたから」ではなく、さらに言えば「俺たちが冥界から出て行ったから」でもない。 


 彼女は俺と再会したとき、「旧校舎の鏡をもう一度調べた」と言った。そのとき、彼女もまた"こちら"に来たのだ。


 おそらく、「俺と黒スーツが会ったこと」が、なかったことになっているように、「彼女の家」もまた、"冥界"には存在しないことになっているのだ。

 同様に、俺が「文芸部」に所属していることになっていたのも、"冥界"での出来事だった。

(だが、"現実"でも例の部長は現れた。ティアが"カリオストロ"と呼んでいたので、例の"流出"という奴なのだと言うこともできるが) 


 もし俺たちが知らぬ間に"冥界"に迷い込んでいたとすると、いくつかのことに説明がつく。

 ここ最近カリオストロの夢を見るようになったことにも、ティアが俺の前から姿を消したことにも、ある程度の想像ができるようになる。


 つまり俺は、いつのまにか"カリオストロの領域"に迷い込んでしまったのだ。

 だから、カリオストロは俺の夢に現れ、ティアはカリオストロの領域にあっては存在できなかったのだ。


 これで大雑把には説明がつく。……もちろん、合っているかどうかはわからないが、もっともらしくは聞こえる。


 仮にここまでの仮説が正しいとなると、現在起こっている問題は、ふたたびあの"鏡"を通り元の世界へ帰れたなら、ある程度解決する。


 だが、そうだとするともっと根本的な問題がある。


 それは俺がこれまで散々疑問に思い、保留にし続けてきた問い。


"どこまでが現実"で、"どこからが現実じゃないのか"という問題だ。


 仮説に従えば、俺たちの目の前には"現実"と呼んでいる"世界A"、"冥界"と呼んでいる"世界B"が存在することになる。

 ふたつ存在する以上、片方が嘘で片方が本当と考えるべきなのだろうか。

 それともこれはパラレルワールドのようなもので、どちらも可能世界のようなものなのか。


 俺は可能世界なんてものは信じちゃいないので、どちらかが偽物だと考えたいところだ。

 そもそもどちらかが可能世界だとすると、"その世界の俺"とこの俺が鉢合わせしていなければおかしい。


 とにかく話を進めると、俺たちはずっと世界Aにいたのだから、世界Aがもともとの現実だと考えたくなる。

 だが、ここでいくつかの疑問が現れる。

 まず、世界Aでは、ティアが現れ、黒犬が現れ、人が消えた。つまり"非現実的"なことが実際に起こったのは世界Aばかりなのだ。


 それを"現実"と呼べるだろうか?

(だがそもそも、世界がふたつあるという話が"非現実的"なのだから、そんなものは何の参考にもならないかもしれない)

 

 かといって、世界Bには後輩の家が存在せず、トンボもいない。

 仮にこれが"現実"だというのなら、悪い冗談だとでも言いたくなる。


 あえて世界Bが現実であるという説を後押ししようとするなら、俺は世界Aにいたとき、「行ったことのないはずの旧校舎の記憶」を持っていた。

 このことから意味をくみ取ろうとするなら、世界Bが俺にとっての現実であり、世界Aは幻想に過ぎないと考えることもできる。

 一度旧校舎を通じて世界Bから世界Aに移動した俺は、そのまま世界Aを現実だと信じて暮らしていた……という風に。


 "カリオストロが世界を滅ぼそうとしている"というティアの言葉はどちらを指しているのだろう。

 Aか、Bか、それとも両方なのか。だが――カリオストロが力が実際に流出しはじめたのは世界Aだ。

 世界Bではなんの問題も起こっていない。……いくつか、俺たちの身の回りに起こった変化を除けば。


 いずれにせよ、カリオストロが世界を滅ぼすという問題についても、そろそろ真剣に考えてみるべきなのだろう。


 仮にどちらかの世界が本物だとすると、もう一方は偽物だということになる。

 それがどういう原理で存在しているのかは分からないが、いずれにせよ現実と非現実の区別はつけられそうにない。


 あの魔法使いの女や、スズメの言葉も、こうなってみればただ意味ありげなだけではなく、一定の意味を持っていそうなものだ。 


 それにしても、この状況はあまりに多様な解釈が可能すぎて、混沌としている。


 世界Aが現実で、この世界Bが、カリオストロが俺に見せている悪夢のようなものだと言うこともできる。


 反対に、世界Bが"現実"なのかもしれないとも言える。

 だが仮にそうだとすると、トンボはおいておくにしても、後輩に関してはある種の絶望的な疑惑が浮上しかねない。


 それは一言で言えば、


「彼女は本当のところ、実在しない人間なのではないか?」


 ということに尽きる。


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