04-03


「なんつーかさ」


 魔法使いの女は、ソファに背をもたれてコーヒーを啜ってから口を開いた。


「カリオストロっていうのも、なんだかガラテア的だよねえ」


「その"カリオストロ的"とか"ガラテア的"っていう言い方、よく分からないんだけど」


 俺が問うと、彼女は気だるげに溜め息をついた。


「そのうち分かるんじゃない? 確かめる気があればね、どんなことだって分かるものなんだよ。だいたいね」


「生きていく意味とか?」


「そんなもんない。自分で決めろ。しいていうなら、それはカリオストロ的ガラテアだね」


 ばっさり切り捨てると、コーヒーを一気に飲み干し、彼女は立ち上がった。


 いろいろなものが変化したはずなのに、彼女の様子は一切変わらない。


 なぜなのかと問うと、彼女はこう答えた。


「わたしはさ、そういう次元の存在じゃないからね。なんつーの、神の境地? 簡単に巻き込まれたりせんのですよ」


 バカバカしい話だ。





 俺と後輩は児童公園からの帰路を歩く。こうして会っても、話すことは何もない。

 お互い、自分の身に何が起こったのかを理解できていないからだ。


 俺たちの認識は完全に異なっている。

 彼女は消えたのは俺たちだと思い、俺たちは彼女が消えたと思っている。


 どちらが正しいのか分からないが、どちらもごく普通の生活を送っていたことは変わらないらしい。

 何が起こったのかはまったくわからない。わからないこと、説明できないことは、話にはならない。


 俺と後輩はほとんど言葉を交わさないまま別れた。俺にはそのことがひどく示唆的なことに思える。

 まるで何も起こっていないようだ。


 家の扉を開けると、両親は既に帰ってきていたが、喧嘩はしていないようだった。

 和やかだと言うわけじゃない。お互い大声で騒ぎ合うのに疲れたのだろう。

 決して居心地のいい空気じゃない。


 妹はまだ帰ってきていないようすだった。部活か、友達と遊んでいるのか。

 いずれにせよ、この家にいるよりはずっとましだろう。

 解決しきれない問題というものもある。

 いまさらどう取り繕ったところで、この船はもはや沈む寸前なのだ。





 かしましいコール音が部屋の静寂を切り裂いた。電話を受け取っても、すぐには声が聞こえなかった。


「……部長?」


 少しして、後輩の声がする。怯えたように震えた声音だ。

 

「どうした?」


 俺は少し緊張しながら訊ねた。

 何かがあったのだろうか。


「……あの、変なこと言っていいですか?」


「なに?」


「……ないんです」


「ない? 何が?」


「家が――」


 後輩の声は泣き出しそうに聞こえた。


「――わたしの家が、ないんです」





 

 後輩に居場所を聞くと、彼女は「自分でも分からない」と答えた。

 ひどく錯乱している様子だった。俺は移動しないようにと伝えて電話を切った。


 俺の家から二十分ほど歩いた場所に、後輩はいた。

 彼女は顔面を蒼白にして膝をついている。寒そうに自分の肩を抱いて震えていた。

 その表情は、今に凍え死んでしまいそうに見える。


 声を掛けると、彼女はひどくうつろな瞳で俺を見返した。


 まるで存在そのものが希薄になったように、彼女の姿は頼りなく見える。

 体が透けているようにすら見えた。


 彼女は不意に気付いたように目の光を取り戻すと、泣き出しそうに表情を歪めた。


 どう説明するべきかを迷っているように、彼女の視線は俺の顔と目の前の景色とを行き来した。

 そこには家があった。表札がある。郵便ポストがある。庭先に子供用の小さなブランコが置いてあった。

 二階の部屋のクリーム色のカーテンが視界に入った。


「ここに、あったはずなんです!」


 後輩は叫ぶ。


「わたしの家が! でも、違う。この家は違う。ぜんぜん違うんです!」


 俺は後輩の家の様子を知らなかったが、たしかに表札の苗字は違う。

 主観的なことを言えば、彼女の家にはとても見えない。

 それとは別に、この家はたしかに彼女の家ではない、というある種の確信が胸の内にあった。

 根拠のない確信。こういうことが多すぎる。


 俺の身の回りに変化が起こったのと同様に、彼女の身にもまた変化が起こった。

 それも、俺のものとは比べ物にならないほどに巨大な変化が。


 俺は夢で見たカリオストロの声を思い出した。

 彼が言う"現実"とは、まさかこれのことか?


 俺の頭の中では、既にさまざまな不自然に対する疑問が芽生えはじめていた。


 たとえば、それは後輩の存在。

 たとえば、それはシラノの口調。

 たとえば、それはトンボとの記憶。


 いくつかのものが混線し、理解が難しくなっているが、それでも不自然を掴み取るのは難しくない。


 何が原因でこんなことになっているのかは分からないけれど、この状況が明らかに異常だということははっきりしていた。



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