04-01


 俺は屋上に寝そべって眠っている。妙な夢を見ていた。


 ひどく薄暗い夢だ。病院、寝静まった夜の病院だ。

 病室の入口の引き戸の擦りガラスから、非常口を示す緑色のライトがぼんやりと幽霊みたいに見えた。

 俺はベッドで体を休めている。


「目をさましなよ」


 男の声がした。

 俺は言葉の通り、瞼を開く。上半身を起こすと、瞼を擦った。左手から点滴のチューブが伸びている。


 ベッドの脇に立つ男は、ひどく歪んだ笑みを浮かべていた。


「いいかげん、目を覚ますといい」


 彼は大仰な口調で言った。

 

「いつまでガラテアに頼っているつもりだ? あんなものは所詮、幻に過ぎない。現実はいつでも俺と共にある」


 黒い前髪をたらし、顔を隠した青年。ひどく薄暗く、青白い男。

 彼は静かに、名乗りをあげる。


「このカリオストロが、君に"現実"を見せてあげよう」





「私もね、一生懸命やってきたつもりよ」


 喫茶店のカウンター席に、俺と女は隣り合って座っていた。


「昔からろくでもない人間だったけど、それでもね、がんばってきたつもり。

 きっと何かをつかめるって信じてた。……信じてたわけじゃないかもしれないけど、信じたかった。

 だから、嫌で嫌で仕方なかったけど高校も出たし、大学にも行った。就職もした。

 恋人だってできたし、服や家の中のことや趣味にお金を掛けるのも楽しかったわ」


 でも、と彼女は言う。


「結局、なんにも残らなかったじゃない。なんにもなかったじゃない」


 彼女の言葉を実感として理解することができない。


 俺は自分が今までしてきたことを思い出そうとした。

 これまでしてきた成功、失敗、好きなもの、嫌いなもの、そのすべてを。


 そのなかのどれくらいのものが、今の自分に残っているだろう。


 ――たしかに、何もなかった。何も残ってなんていなかった。なにひとつ。





 放課後、駅前の商店街で、黒スーツの大男を見かけた。

 大きな図体を激しく揺らし、走っている。どうやら怪我は治ったらしい。


 俺が呼び止めると、彼は訝るように眉をひそめた。


「悪いな、誰だか知らないが、急いでるんだ」


 彼もまた、俺のことを忘れているらしい。


「何があったの?」


「探しものがね、見つかったんだ」


 彼はティアドロップのサングラスの位置を指先で正すと、また駆け出した。




 ふと立ち寄ったコンビニで、店員と警官が話をしていた。

 今日の午前中、どこどこのコンビニに強盗が侵入して云々。

 犯人はレジの中の金を奪って逃走云々。

 こちらでもみなさんに警戒を云々。


 急いで作られたであろう配布用のプリントには、「市民の敵、強盗、窃盗から身を守ろう!」とポップ体の文字が躍っている。

  

 窃盗はともかく、強盗なんてことをするのはよっぽど切羽詰まった状況なのではないだろうか。

 

 市民の敵、と俺は思った。


 なぜ強盗なんてしなければなかったのだろう。

 強盗は「金に困っている。申し訳ない」と言って金を奪っていったという。


 俺はそれを読んでとても悲しい気持ちになった。


 俺には強盗の言葉が他人事には聞こえなかった。いつか何かの拍子で自分も、そんなふうになってしまう気がした。

 それは俺だけではなく、どんな人間でも、何かの拍子で越えてしまうかもしれない一線なのかもしれない。


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