03-06


 俺は文芸部の部室に連行された。

 彼女いわく、俺は文芸部の部員だったらしい。

 まったく記憶になかった。そもそも文芸部なんてものが存在していただろうか。


「十月には文化祭ですよ」


 と、どうやら部長であるらしい、背の低い先輩は言った。


「文集を展示するので、作品を書いてきてください、と、ちゃんと言いましたよね。書けましたか?」


 何の話をしているのだろう。

 そもそも俺には文章なんて書けない。なにひとつ。


 そうだ。俺は文章なんて書けない。ぜんぜん書けない。思った通りのものなんて一行だって書けないのだ。

 どうしてそんなことを忘れていたのだろう? 俺は文章を書けない。


 俺は不意に、目の前の彼女とどこかで会ったことがあるような気がした。


 いつか、彼女は俺にこう言ったのだ。


「自らを慰撫するためだけに書かれたものは、見ていて気分が良くなるようなものじゃないですから」


 そういうことだ。そういうことなのだ。俺はやはり、自分のことしか考えていない人間なのだ。

 俺は自らを慰撫するものしか書けない。人に見せられるようなものなんて、なにひとつ書けない……。





 文芸部の部長の話を聞き流して、自然科学部の部室に向かった時には四時を回っていた。

 窓から差し込む夕日が、街を赤く敷き詰めていく。


 部室には、既にシラノとハカセの姿があった。彼らは疲れ切ったような表情をしている。

 ひょっとしたら彼らも、俺と同じような変化を目の当たりにしてきたのかもしれない。


 思い出したように唐突な変化。日常の微細のすげ代わり。そういうものを。


「やめにしよう」


 ハカセは言った。


「これ以上は全部無駄だ。やめにしてしまおう」


 その言葉が、例の旧校舎の話に繋がっていることに、少し遅れて気付いた。

 俺たちはまだ何ひとつしていない。何も分かっていない。何も突き止めていない。


 でも、たしかにこれ以上は続けられない。


 人が消えたのだ。

 ふたり。


 そんなことを、繰り返していられない。


 シラノも俺も答えなかった。ハカセは自分の鞄をもつと、苦しそうな表情で部室を出ていく。


 俺は窓の外を見た。


 ハカセは、後輩は、いったいどこに行ってしまったんだろう。




 

 帰り際、児童公園に寄ったが、誰もいなかった。

 子供たちは公園では遊ばない。あの少女も、あの大男もいなくなってしまった。


 俺がベンチに腰を下ろすと、その下からかすかな声が聞こえた。


 遠くから聞こえる啜り泣きのような声。

 覗き込むと、そこには段ボールがあった。俺はそれを引き出し、中身をたしかめる。


 子犬だった。


 不意に、心細くてたまらなくなった。

 俺もお前も同じだよ。なにひとつ変わらない。誰にも助けてもらえない。誰も助けてくれないんだ。

 

 お前がこんなところで泣いているのだって、誰かが悪いわけじゃないんだ。

 そういう風にできてしまっているだけなんだ。


「捨て犬」という境遇は、人間が愛玩動物として犬を扱わないかぎり、絶対にあらわれないはずのものだったのだ。

 

「捨てた」人間だけが悪いのではない。

「飼う」人間もまた同じように非道なのだ。

 俺たちにできるのはエゴの押し付けだと自覚した上で、彼らに対して可能な限り真摯に向き合うことだけだ。

 

 人間に飼われた犬の末路はふたつにひとつだ。

 飼い殺されるか、捨てられ、野犬となって殺されるか。

 ふたつにひとつだ。


「責任を持つ」という言葉に、俺たちはある種のまやかしを抱いている。

 人間は何もかもに責任をとれるほど万能じゃない。

 分を知るべきなのだ。


 俺たちにはどうしようもない境遇というものがあるのだ。

 それをどうして忘れてしまえるんだ? あたかも何もかもが掴みだせるような顔で、何もかもに手を伸ばして見せる?





 従妹の家では三匹の犬を飼っている。室内犬だ。餌も躾も散歩もしっかりとやっている。

 鳴き声がうるさく、近所に迷惑をかけることもあるが、それでも仲良く暮らしている(少なくともそう見える)。


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