03-06
俺は文芸部の部室に連行された。
彼女いわく、俺は文芸部の部員だったらしい。
まったく記憶になかった。そもそも文芸部なんてものが存在していただろうか。
「十月には文化祭ですよ」
と、どうやら部長であるらしい、背の低い先輩は言った。
「文集を展示するので、作品を書いてきてください、と、ちゃんと言いましたよね。書けましたか?」
何の話をしているのだろう。
そもそも俺には文章なんて書けない。なにひとつ。
そうだ。俺は文章なんて書けない。ぜんぜん書けない。思った通りのものなんて一行だって書けないのだ。
どうしてそんなことを忘れていたのだろう? 俺は文章を書けない。
俺は不意に、目の前の彼女とどこかで会ったことがあるような気がした。
いつか、彼女は俺にこう言ったのだ。
「自らを慰撫するためだけに書かれたものは、見ていて気分が良くなるようなものじゃないですから」
そういうことだ。そういうことなのだ。俺はやはり、自分のことしか考えていない人間なのだ。
俺は自らを慰撫するものしか書けない。人に見せられるようなものなんて、なにひとつ書けない……。
◇
文芸部の部長の話を聞き流して、自然科学部の部室に向かった時には四時を回っていた。
窓から差し込む夕日が、街を赤く敷き詰めていく。
部室には、既にシラノとハカセの姿があった。彼らは疲れ切ったような表情をしている。
ひょっとしたら彼らも、俺と同じような変化を目の当たりにしてきたのかもしれない。
思い出したように唐突な変化。日常の微細のすげ代わり。そういうものを。
「やめにしよう」
ハカセは言った。
「これ以上は全部無駄だ。やめにしてしまおう」
その言葉が、例の旧校舎の話に繋がっていることに、少し遅れて気付いた。
俺たちはまだ何ひとつしていない。何も分かっていない。何も突き止めていない。
でも、たしかにこれ以上は続けられない。
人が消えたのだ。
ふたり。
そんなことを、繰り返していられない。
シラノも俺も答えなかった。ハカセは自分の鞄をもつと、苦しそうな表情で部室を出ていく。
俺は窓の外を見た。
ハカセは、後輩は、いったいどこに行ってしまったんだろう。
◇
帰り際、児童公園に寄ったが、誰もいなかった。
子供たちは公園では遊ばない。あの少女も、あの大男もいなくなってしまった。
俺がベンチに腰を下ろすと、その下からかすかな声が聞こえた。
遠くから聞こえる啜り泣きのような声。
覗き込むと、そこには段ボールがあった。俺はそれを引き出し、中身をたしかめる。
子犬だった。
不意に、心細くてたまらなくなった。
俺もお前も同じだよ。なにひとつ変わらない。誰にも助けてもらえない。誰も助けてくれないんだ。
お前がこんなところで泣いているのだって、誰かが悪いわけじゃないんだ。
そういう風にできてしまっているだけなんだ。
「捨て犬」という境遇は、人間が愛玩動物として犬を扱わないかぎり、絶対にあらわれないはずのものだったのだ。
「捨てた」人間だけが悪いのではない。
「飼う」人間もまた同じように非道なのだ。
俺たちにできるのはエゴの押し付けだと自覚した上で、彼らに対して可能な限り真摯に向き合うことだけだ。
人間に飼われた犬の末路はふたつにひとつだ。
飼い殺されるか、捨てられ、野犬となって殺されるか。
ふたつにひとつだ。
「責任を持つ」という言葉に、俺たちはある種のまやかしを抱いている。
人間は何もかもに責任をとれるほど万能じゃない。
分を知るべきなのだ。
俺たちにはどうしようもない境遇というものがあるのだ。
それをどうして忘れてしまえるんだ? あたかも何もかもが掴みだせるような顔で、何もかもに手を伸ばして見せる?
◇
従妹の家では三匹の犬を飼っている。室内犬だ。餌も躾も散歩もしっかりとやっている。
鳴き声がうるさく、近所に迷惑をかけることもあるが、それでも仲良く暮らしている(少なくともそう見える)。
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