03-05
後輩がいなくなった日から、ティアが姿を消した。
それは本当に、綺麗さっぱり姿を消した。まるで最初からいなかったんじゃないかと思えるくらいに。
変化はそれ以外にもたくさんあった。
児童公園に行くと、あの赤いランドセルの少女が、ベンチに座って憂鬱そうにしていた。
俺は咄嗟に何と言うべきか迷いながら、「よう」と声を掛ける。すると彼女は怪訝そうに顔をあげて、
「……あなた、誰ですか?」
と、そう言った。
俺はたまらなく悲しい気持ちでその場を去り、自宅に戻った。
ひとつひとつの変化はそんな調子だ。だが、そんなことがたくさんあった。
まるで世界そのものが変化してしまったようだ。
玄関の扉を開ける前から、家の中からは怒鳴り声が聞こえた。
殴りつけるような大声と、切り裂くような金切声が対照に。
両親が帰っているのだ。
俺はリビングに入らず、階段を昇って直接自室に戻った。鞄を放り投げてベッドに体を預ける。
階下から聞こえる声と声との隙間に、かすかな音が聞こえた。
ずっと遠く、遥か彼方から聞こえてくるような啜り泣き。
――また、妹が泣いているのだ。
俺は彼女のために何かをしてあげられるだろうか。
そんなことを大真面目に考える。
いつも考えるだけで行動はしない。
俺は可能な限り上手に立ち振る舞う自分の姿を想像する。
この家のあちこちに宙吊りにされたままの問題に立ち向かい、上手に解決する自分を想像する。
何の慰めにもならない。笑い話にもならない。
俺は何をしているのだろう?
(言うまでもなく何もしていない)
……俺にはもっと別に考えるべきことがあるのだ。
「俺は何を忘れているのだろう?」とか、そんなことが、たくさんあるのだ。
◇
屋上にはスズメがいる。彼女とこの場所だけはなにひとつ変わらない。
俺はあくびをひとつして、フェンスに向かい合って街を眺める彼女の隣に立つ。
スズメは何も言おうとしなかった。当たり前といえば当たり前のことだ。
俺たちには本当なら話すことなんて何ひとつない。
今まではだましだまし、どうでもいいことで間を繋いでいたにすぎない。
じゃあ、俺はどうして屋上にくるのだ? 外でもなく内でもない場所。
こんな曖昧な場所に、どうして近付くのだ?
「ねえ」
スズメは呆れかえったような調子で口を開いた。
「まだこんな茶番を続けるの?」
「何の話?」
「分からないならいい」
彼女はいつもそれだ。
分からないならいい。――俺には分からないことだらけだ。
何が起こっていて、何がなくなっていて、何が見失われているのか。
なにひとつ分からない。どこまで分かっていないのかすら、分からない。
それともこれは、俺の意思でどうにかなるような問題だとでもいうのだろうか?
◇
放課後、ひとりの上級生が教室にやってきて、俺の名前を呼んだ。
見覚えのある女だった。背が低く、体格は子供のように見える。
ともすれば年下のようにも見える「上級生」。
カリオストロの黒犬に追われたあの日、会った女だ。
「今日は顔を出さないんですか?」
彼女はあの日と似たようなことを言う。俺も似たように問い返すしかなかった。
「何の話です?」
女はきょとんとして、それから溜め息をついた。困ったようにこめかみを掻き、言う。
「文芸部ですよ」
「ああ、文芸部」
――文芸部?
◇
教室を出るとき、クラスメイトたちがベランダで騒いでいるのが見えた。
彼らのうちの一人が、手すりに止まっていたトンボを捉まえ、指先をはじき、その頭を吹き飛ばした。
頭を失ったトンボの身体が少し動く。
友人たちはその悪趣味な遊戯に呆れながらも、どうでもよさそうに文句をつけるだけだった。
あの、首を刎ねられたトンボの死骸……。
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