03-05


 後輩がいなくなった日から、ティアが姿を消した。

 それは本当に、綺麗さっぱり姿を消した。まるで最初からいなかったんじゃないかと思えるくらいに。

 

 変化はそれ以外にもたくさんあった。


 児童公園に行くと、あの赤いランドセルの少女が、ベンチに座って憂鬱そうにしていた。


 俺は咄嗟に何と言うべきか迷いながら、「よう」と声を掛ける。すると彼女は怪訝そうに顔をあげて、


「……あなた、誰ですか?」

 

 と、そう言った。


 俺はたまらなく悲しい気持ちでその場を去り、自宅に戻った。

 ひとつひとつの変化はそんな調子だ。だが、そんなことがたくさんあった。


 まるで世界そのものが変化してしまったようだ。


 玄関の扉を開ける前から、家の中からは怒鳴り声が聞こえた。

 殴りつけるような大声と、切り裂くような金切声が対照に。


 両親が帰っているのだ。


 俺はリビングに入らず、階段を昇って直接自室に戻った。鞄を放り投げてベッドに体を預ける。


 階下から聞こえる声と声との隙間に、かすかな音が聞こえた。


 ずっと遠く、遥か彼方から聞こえてくるような啜り泣き。

 ――また、妹が泣いているのだ。


 俺は彼女のために何かをしてあげられるだろうか。

 そんなことを大真面目に考える。


 いつも考えるだけで行動はしない。


 俺は可能な限り上手に立ち振る舞う自分の姿を想像する。

 この家のあちこちに宙吊りにされたままの問題に立ち向かい、上手に解決する自分を想像する。


 何の慰めにもならない。笑い話にもならない。

 俺は何をしているのだろう?

(言うまでもなく何もしていない)


 ……俺にはもっと別に考えるべきことがあるのだ。


「俺は何を忘れているのだろう?」とか、そんなことが、たくさんあるのだ。





 屋上にはスズメがいる。彼女とこの場所だけはなにひとつ変わらない。

 俺はあくびをひとつして、フェンスに向かい合って街を眺める彼女の隣に立つ。


 スズメは何も言おうとしなかった。当たり前といえば当たり前のことだ。

 俺たちには本当なら話すことなんて何ひとつない。

 今まではだましだまし、どうでもいいことで間を繋いでいたにすぎない。


 じゃあ、俺はどうして屋上にくるのだ? 外でもなく内でもない場所。

 こんな曖昧な場所に、どうして近付くのだ?


「ねえ」


 スズメは呆れかえったような調子で口を開いた。


「まだこんな茶番を続けるの?」


「何の話?」


「分からないならいい」


 彼女はいつもそれだ。

 分からないならいい。――俺には分からないことだらけだ。


 何が起こっていて、何がなくなっていて、何が見失われているのか。

 なにひとつ分からない。どこまで分かっていないのかすら、分からない。


 それともこれは、俺の意思でどうにかなるような問題だとでもいうのだろうか?





 放課後、ひとりの上級生が教室にやってきて、俺の名前を呼んだ。

 見覚えのある女だった。背が低く、体格は子供のように見える。

 ともすれば年下のようにも見える「上級生」。 

 

 カリオストロの黒犬に追われたあの日、会った女だ。


「今日は顔を出さないんですか?」


 彼女はあの日と似たようなことを言う。俺も似たように問い返すしかなかった。


「何の話です?」


 女はきょとんとして、それから溜め息をついた。困ったようにこめかみを掻き、言う。


「文芸部ですよ」


「ああ、文芸部」


 ――文芸部?





 教室を出るとき、クラスメイトたちがベランダで騒いでいるのが見えた。

 彼らのうちの一人が、手すりに止まっていたトンボを捉まえ、指先をはじき、その頭を吹き飛ばした。


 頭を失ったトンボの身体が少し動く。

 友人たちはその悪趣味な遊戯に呆れながらも、どうでもよさそうに文句をつけるだけだった。


 あの、首を刎ねられたトンボの死骸……。


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