03-03


 

 旧校舎中を探し回ったが、トンボの姿は見つけられなかった。



 


 駅前近くの雑居ビルの二階に、あの魔法使いの事務所はあった。

 ドアをノックすると気だるげな返事があり、扉を開けると彼女は「おー」と挨拶ともつかない声をあげた。


 応接間に足を踏み入れると、あの大男がソファに座って新聞を読んでいた。傍で例の少女がリンゴを剥いている。

(この少女は、どうしてこんなにこの男になついたのだろう)


「どんな具合?」


 俺が訊ねると、大男は笑った。


「至って健康そのものだよ。明日には包帯もとれるさ」


「へえ。良かったね」


「ああ。まぁ、慣れっこだよ」


 それはそうだろう。


「近頃は変なことばかり起こる」


 大男は言った。サングラスを外した彼の表情は、なんだか優しげな野生の熊みたいに見えた。


 話を続けようとしたところで、魔法使いの女が俺の肩を叩いた。立ち上がり、彼女の後をついて別室へと向かう。

 おそらくは女の事務室だろう。大きなデスクの上に、大量の書類が散らばっている。


「で、どうするつもり?」


「カリオストロの話?」


「カリオストロ!」と女は笑った。


「まぁ、そうだね。それも含めて。カリオストロ。カリオストロか」


 意地の悪い含み笑いで、女の表情は歪んだ。やはり俺はこの女を好きではない。


「あの黒犬……たしかにね、アンタが言うところの"カリオストロ"の影響だよ」


「"俺が言うところの"って、どういう意味?」


「いろんな言い方があるってこと。"ガラテア"とか、"英雄の魂"とか、そういうのにもね」


 俺は舌打ちしたい気分を押さえこむのに必死だった。


「でもガラテアが変化をくわえてるから、ちょっとややこしくなってる」


「どういう意味?」


「そのまんま。こっちはガラテアの庇護下だから、カリオストロの攻撃もガラテア的なの」


 女の口調に不自然なものを感じ取って、俺は疑問を口にした。


「アンタは何がしたいの?」


「別に。何が目的とかないよ。しいていうなら、趣味だけど?」


 魔法使いは苦笑する。悪趣味な女だ。


「つうてもね、別にわたしはさ、アンタにあれしろこれしろとか言わないよ」


「……どうして? カリオストロの流出を止めないと、世界は滅ぶんだろ?」


「滅ぶよ。でもまあ、わたしはいいんだ。こんな世界がどうなろうと」


「アンタ、死にたがりなの?」


 彼女は楽しそうに笑った。


「まあ、そうね。八十パーセントくらいは死にたがりかも。でも、世界がどうなろうといいっていうのは違う話。それはどっちかっていうと、わたしの問題じゃなくてアンタの問題なんだよ」


「俺の問題?」


「そ。他の誰でもなくてね」


「俺の……」


 俺の問題?





 

「つまり、こういうことかな」


 喫茶店のマスターは、俺の顔を見て不器用そうな微笑を浮かべた。


「君は、自分の問題意識を他人に共有してもらえないのがいやなんだね。自分が不満に思うことを、自己責任だの独りよがりだの言われるのが嫌なんだ」


「そうなのかな?」


「たぶんね。でも君はこうも言ったよ。"時間は何もしなくても過ぎる。どんな問題も過ぎ去るものだ"って。もし本当に君がその言葉を信じられるなら、そんな不満を持つ理由はないんじゃないのかな。だってそうだろ? そんなものはそれこそ、通り過ぎていくだけのものなんだから」


「……ねえ、マスター。アンタは俺を励ましたいの? それともバカにしてるの?」


「僕は人を励ましたりしない。馬鹿にしたりもしない。君みたいな人には特にね」


 注文したブレンドコーヒーのカップを俺の前に置いて、彼は笑う。


「そうなのかもしれない。俺はたぶん寂しいんだと思う。誰も俺のことなんて気に掛けなくて、誰も俺に優しくなんてしなくて、誰も俺を必要としてない。それが心細くてたまらないんだ。そんなふうに出来た世界が怖くてたまらないんだ。必要とされたいのかもしれない。……でも、そんなのよりずっと、もう諦めた方が楽なんだ。積極的に行動するほどの気力なんて、残ってない。俺の魂はさ、生きながらにして死んでるんだ。とっくに。去年の夏あたりに」


 マスターは微笑を崩さずに、俺の表情を観察するように見つめたあと、視線をカウンターに落とした。


「君のような人間には、ときどき、分からなくなってしまうかもしれないけど……世の中にはいろんな人がいるよ。誰も彼もがみんな君に似ているわけじゃない。でもね、それでも君と似ている人はやっぱりいるものなんだな。きっと君のような不安を抱えている人はたくさんいる。それも君よりもずっと大きな問題かもしれない」


 でもね、と彼は続けた。


「だからといって、君の悲しみが誰かのものになるわけじゃない。誰かと比較して自分の苦しみが小さいからって、別に後ろめたく思わなくてもいいよ」


「そういう風に見える?」


「僕の思い違いかもしれないけど」


 いつからこんなふうになったんだろう。

 あの夏の日を、もう二度と取り返せないのか?

 

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