03-01


 

 朝、いつもの通り学校に行くと、登校している生徒がおそろしく少ないことに気付いた。

 いや、生徒だけではない。教師もまた、来ていないものが多かった。


 ……いや、学校どころか、街中から人が減っているように思えた。

 

 ティアはカリオストロの流出が生んだ"ズレ"の影響だと言う。


「ガラテア様の結界が破かれつつあるのよ。今にこの世界は、絶望と破綻に飲み込まれてしまう」


 それを阻止するためにも、あなたの力が必要なのよ。ティアの言葉はさっぱり要領を得ない。

 何がどんなふうに影響すれば、人が減ったりするんだろう。


 放課後、自然科学部の部室に顔を出した。ここ数日、まったく顔を合わせていなかった部員たちと出会う。

 

 ハカセは俺を見るなり、真剣な表情をして言った。


「お前、俺に何か言うことはないか?」


 何の話だろう、と俺は思った。

 見れば、シラノもトンボも後輩も、真面目な顔をしてこちらを見ている。

 どこか恐れるような表情だ。


「どうかした?」


「本当に、心当たりはないか?」


 ハカセの言葉に、俺は失望したような気持ちになった。


「あのね、ハカセ。俺は隠し事ができるほど器用じゃないし、そもそも隠し事をするほどの人間性なんて持ち合わせちゃいないんだ」


 彼は溜め息をつくと、頭を掻いて、「そうか」と呟いた。


「何かあったのか?」


 俺が訊ねると、彼らの顔は気まずげにこわばった。


「例の噂を調べてたら、変なことがわかったんだよ」


「変なこと?」


「噂を広めた奴の正体」


「……へえ」


 あまり興味は沸かなかった。もともとあの噂にだって、たいして思うところがあったわけでもない。


 ハカセは頭を振って続けた。


「お前だって言うんだよ、みんな」





 自分でも分かっている。

 今の俺は、たしかにマトモじゃない。

 何が現実で何が妄想か、その区別がついていない。

 けれど、だからといってハカセの言葉はあまりにバカバカしい。

 

 だが、どうしてか納得のいく気持ちもあった。


 噂を広めたのは俺じゃないが、噂の原因を生んだのは俺だ、と、言いようのない確信があった。


 そんなことがあり得るものだろうか。

 俺は噂を広めたっけか? よく思い出せない。

 そもそもどうやって噂を広めたというんだろう。友達もいないのに。


 ジリジリと、頭の奥が痛む。


 いつからだ? いつからこんな生活になってしまった?


 あるいは、いや、それこそ、最初からこうだったのだろうか。





 夕方の部室に、俺は一人きりで立ち尽くしていた。

 何をやっていたのかが思い出せない。何が起こったのかも思い出せない。

 耳元でティアが騒いでいる。


「カリオストロの流出よ。このままじゃ、この世界は終わってしまう」


 そんなに大仰なものじゃない、と俺は思った。

 これはもっと単純なものだ。もっと密接に俺と関連している事柄だ。


 ハカセの言葉を聞いて、俺は取り残されたような気持ちになった。

 俺は何かを忘れているのだ。

 

 おそらくは大事なことを。それはひょっとしたら、ハカセやシラノたちも同じなのかもしれない。


 俺はポケットから携帯を取り出した。電池は充電されている。いつ充電したのかは覚えていない。

 

 ハカセの携帯に電話を掛ける。3コールほどで彼は電話に出た。


「どうした?」


 彼の声に、俺は少し緊張した。


「調査、手伝うよ」


 ハカセは息をのんだようだった。

 俺はこの事態をしっかりと見極めなくてはならない。

 

 さまざまなことが、俺にのしかかっている。訳の分からない混沌が、俺の世界で這いうねっている。

 断線した記憶と同じように、俺の周囲の事態は混迷を深めていく。

 

 なにかが変わろうとしているのかもしれない。

 俺はそれを確かめなければならないのだ。ひとつずつ。


 不意に、スズメの笑い声が聞こえた気がした。屋上に行く気にはなれない。なぜだろう?

 なにかが狂いはじめている。


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