02-05



 女神ガラテアの使者を名乗る「ティア」という名の妖精は、手紙が来た三日後には現れた。


「本当はもっと早くこちらに来る予定だったのですが、カリオストロの妨害が激しくなってきたのです」


 十五センチ定規と並べて少し大きいくらいの身体から、蝶のような羽を生やした、綺麗な女の子の姿をしていた。

 

「お話はご理解いただけていますね? 事態は火急です。速やかに対処しなければ!」

 

「対処って、具体的に何をするわけ?」


「は?」


「その"ズレ"ってさ、どうしても止めなきゃならないの?」


「何ですって?」


「別に良いじゃん。世界なんてズレようがズレまいが。カリオストロが復活して、それでどんな問題があるの?」


「世界が滅んでしまうかもしれないのですよ!」


「だから何なんだって聞いてるの。世界が滅んで、それで何の問題があるわけ? 人類なんて滅亡すりゃいいよ」


「罰当たりな!」


「神様がたかだか一生物の存亡に介入したがる方がよっぽど変だよ」


「罰当たりな!」


 ティアはそれだけを繰り返した。

 俺は溜め息をつく。


 カリオストロ、この世界を早々に焼き尽くしてしまってくれ。

 二度と陽の光に照らされるものがないように。

 二度と誰かと出会うことのないように。

 

 そうして焼き尽くした果ての孤独は、俺がすべて引き受けてもいい。

 このろくでもない世界をどうにかしてしまってくれ。 

 お願いだから。





"ズレ"た。

 授業中の教室で、ティアの説得を聞き流していたときだった。


 俺はコンビニに居た。なぜか制服を着ていた。レジに立っていた。こんなことは初めてだった。

 女性店員に指示されながら、俺はバーコードを読み取る。揚げ物をする。掃除をする。商品を陳列し直す。

(サッカ、アゲモノ、ゼンチン、エフエフなどの言葉が飛び交っていたが、俺には何の事だかわからなかった)


 俺はバーコードを読む。商品を袋に入れる。時計の針はちっとも動かない。

 煙草の銘柄も何が何だかわからなかった。マイセンって何の略だよと思った。

 でもやるしかない。


 ボックスとソフトは何が違うのだ? ショートとロングは見たまんまの違いでいいのか?

 6ミリとか1ミリとか何の話だ? ラッキーストライクだのフィリップモリスだのいったいなんなんだ?

 頼むから番号で言ってもらえないか?


「それじゃない!」と柄の悪い客が怒鳴った。


「申し訳ありません。こちらでお間違いありませんか?」


 変な日本語だと俺は思った。「お間違いありませんか?」って何だ?

 間違っているとしたら俺だ。だったら「お」をつけるのはおかしい。「間違いありませんか?」じゃないのか?

 違うのか? 俺の認識が間違っているのか? 


 でもやるしかなかった。

 やり過ごすしかなかった。そうしないと――取り残されてしまう。

 

 ただ、合わせればいいだけなんだ、と俺は自分に言い聞かせた。

 やり過ごせばいい。それだけだ。それ以上のことは、なにひとつ要求されていない。


 でも、それを、いつまで続けるんだ? 




 

 放課後、誰かに会いたい気分になって、ティアの声を無視しながら自然科学部の部室に向かった。

 けれど、誰も部室にはいなかった。


 今ならあの調査を手伝ってもいい気分だったのに。俺はひとりぼっちになってしまった。

(違う。俺は最初からひとりぼっちだ)


 ああ、うるさい。何かが耳元でわめいている。ティアだ。こいつはいつまでここに居る気だ?

 

 どうでもいいんだ、そんなものは。勘弁してほしい。俺はカリオストロにも世界にも興味がないのだ。

 そんなもの復活すればいいし、滅んでしまえばいい。

 俺にはまったく関係ない。


 いやむしろ、世界が滅ぶのは望むところだ。

 亡びればいい。滅びてしまえ。


 そんなものは全部滅んでしまえ。他人事のように、そう思う。


 不意に背中に声を掛けられた。振り返ると、見知らぬ上級生がこちらを見ている。

 

"上級生だ"と俺は思った。なぜ俺は彼女を上級生だと思ったのだろう。背は年下に見えるほど低い。顔も幼い。

 見た目も声も、ぜんぜん年上には見えない。それなのにどうして、俺は彼女が上級生だと分かったんだ?


「今日は顔を出さないんですか?」


 彼女は言った。


「……何の話ですか?」


「ですから、×××の方には」


「は?」


「×××です」


「……え?」


「×××……ですけど、大丈夫ですか?」


 俺は混乱していると、ティアが叫んだ。


「カリオストロ!」


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