02-05
女神ガラテアの使者を名乗る「ティア」という名の妖精は、手紙が来た三日後には現れた。
「本当はもっと早くこちらに来る予定だったのですが、カリオストロの妨害が激しくなってきたのです」
十五センチ定規と並べて少し大きいくらいの身体から、蝶のような羽を生やした、綺麗な女の子の姿をしていた。
「お話はご理解いただけていますね? 事態は火急です。速やかに対処しなければ!」
「対処って、具体的に何をするわけ?」
「は?」
「その"ズレ"ってさ、どうしても止めなきゃならないの?」
「何ですって?」
「別に良いじゃん。世界なんてズレようがズレまいが。カリオストロが復活して、それでどんな問題があるの?」
「世界が滅んでしまうかもしれないのですよ!」
「だから何なんだって聞いてるの。世界が滅んで、それで何の問題があるわけ? 人類なんて滅亡すりゃいいよ」
「罰当たりな!」
「神様がたかだか一生物の存亡に介入したがる方がよっぽど変だよ」
「罰当たりな!」
ティアはそれだけを繰り返した。
俺は溜め息をつく。
カリオストロ、この世界を早々に焼き尽くしてしまってくれ。
二度と陽の光に照らされるものがないように。
二度と誰かと出会うことのないように。
そうして焼き尽くした果ての孤独は、俺がすべて引き受けてもいい。
このろくでもない世界をどうにかしてしまってくれ。
お願いだから。
◇
"ズレ"た。
授業中の教室で、ティアの説得を聞き流していたときだった。
俺はコンビニに居た。なぜか制服を着ていた。レジに立っていた。こんなことは初めてだった。
女性店員に指示されながら、俺はバーコードを読み取る。揚げ物をする。掃除をする。商品を陳列し直す。
(サッカ、アゲモノ、ゼンチン、エフエフなどの言葉が飛び交っていたが、俺には何の事だかわからなかった)
俺はバーコードを読む。商品を袋に入れる。時計の針はちっとも動かない。
煙草の銘柄も何が何だかわからなかった。マイセンって何の略だよと思った。
でもやるしかない。
ボックスとソフトは何が違うのだ? ショートとロングは見たまんまの違いでいいのか?
6ミリとか1ミリとか何の話だ? ラッキーストライクだのフィリップモリスだのいったいなんなんだ?
頼むから番号で言ってもらえないか?
「それじゃない!」と柄の悪い客が怒鳴った。
「申し訳ありません。こちらでお間違いありませんか?」
変な日本語だと俺は思った。「お間違いありませんか?」って何だ?
間違っているとしたら俺だ。だったら「お」をつけるのはおかしい。「間違いありませんか?」じゃないのか?
違うのか? 俺の認識が間違っているのか?
でもやるしかなかった。
やり過ごすしかなかった。そうしないと――取り残されてしまう。
ただ、合わせればいいだけなんだ、と俺は自分に言い聞かせた。
やり過ごせばいい。それだけだ。それ以上のことは、なにひとつ要求されていない。
でも、それを、いつまで続けるんだ?
◇
放課後、誰かに会いたい気分になって、ティアの声を無視しながら自然科学部の部室に向かった。
けれど、誰も部室にはいなかった。
今ならあの調査を手伝ってもいい気分だったのに。俺はひとりぼっちになってしまった。
(違う。俺は最初からひとりぼっちだ)
ああ、うるさい。何かが耳元でわめいている。ティアだ。こいつはいつまでここに居る気だ?
どうでもいいんだ、そんなものは。勘弁してほしい。俺はカリオストロにも世界にも興味がないのだ。
そんなもの復活すればいいし、滅んでしまえばいい。
俺にはまったく関係ない。
いやむしろ、世界が滅ぶのは望むところだ。
亡びればいい。滅びてしまえ。
そんなものは全部滅んでしまえ。他人事のように、そう思う。
不意に背中に声を掛けられた。振り返ると、見知らぬ上級生がこちらを見ている。
"上級生だ"と俺は思った。なぜ俺は彼女を上級生だと思ったのだろう。背は年下に見えるほど低い。顔も幼い。
見た目も声も、ぜんぜん年上には見えない。それなのにどうして、俺は彼女が上級生だと分かったんだ?
「今日は顔を出さないんですか?」
彼女は言った。
「……何の話ですか?」
「ですから、×××の方には」
「は?」
「×××です」
「……え?」
「×××……ですけど、大丈夫ですか?」
俺は混乱していると、ティアが叫んだ。
「カリオストロ!」
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